シネマ一刀両断

面白い映画は手放しに褒めちぎり、くだらない映画はメタメタにけなす! 歯に衣着せぬハートフル本音映画評!

セブン・シスターズ

一人多役史を塗り替えた日刊ノオミ・ラパス映画。

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2016年。トミー・ウィルコラ監督。ノオミ・ラパスノオミ・ラパスノオミ・ラパスノオミ・ラパスノオミ・ラパスノオミ・ラパスノオミ・ラパス

 

2073年、繰り返される戦争や難民問題で主要国は滅び、「ヨーロッパ連邦」が新たな超大国として君臨していた。人口過多と食糧不足から政府は厳格な一人っ子政策を発令し、2人目以降の子どもは親元から引きはがされ冷凍保存されてしまう。そんな世界で偶然生まれた7つ子は、週に1日ずつ外出し、共通の人格を演じることで監視の目をくらませてきたが、ある日、7人のうちの1人、マンデー(月曜日)が帰宅しなかったことから、姉妹の日常が次第に狂い始めていく。(映画.comより)

 

どうもおはようございます。

昨日の前置きで「3日連続更新が当たり前だと思うなよ」みたいなことを言ったので「ことによると今日は更新しないのかな」という読みをした方もいらっしゃるかと思いますが…、するんですねぇ。逆に。

見よ、この変則的なフットワークを! 先読みを裏切っていく予測不能のブログ運営を!

生まれ変わったら忍者になりたい。影分身の術とかやりたい。20人ぐらいに分身して「どれが本物の私か、おまえにそれがわかりますか」と言いたい。

 

あい。阿呆みたいなことを言ってないで、さっさとレビューに移りたいと思います。今日はいくぶんコッテリした内容になっているので、前置きはあっさりめに留めておこうと思います。

そんなこってパンナコッタ、セブン・シスターズの始まり始まり。

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◆食指動かなくてすみませんでした◆

ケタ違いのおもしろさである。

何に対してケタ違いなのか? そんなこと俺が知るか。

セブン・シスターズ設定のおもしろさ発想の妙が際立つ掘り出し物といえるので、ぜひ皆さんにもおすすめしたい作品なのだけど、まずは一言謝罪しておかねばなりません。

私はドラゴン・タトゥーの女のせいでノオミ・ラパスルーニー・マーラの見分けがつかなかった*1時期があって、ようやく区別できた頃には断固ルーニー派の姿勢を取り続け、ノオミ・ラパスのことなんて気にも留めなかった。

この映画も半年近く無視していて「どうせ中途半端なB級SFなんだろうな」と思っていたが、まぁウィレム・デフォーが出ているというので動かぬ食指をむりやり動かして観た…というぐらいナメまくっていたのである。

謝ります。ノオミ・ゴメス。

 

ノオミ・ラパスは格好いい女優だが、とにかくよく怖い目に遭って絶叫する阿鼻叫喚女優として有名。体内に産みつけられたエイリアンを摘出しようとして自分の腹を掻っ捌いたり、透明ヘルメットの中に無数の蜘蛛を入れられるなどして「うっぎゃあああぁぁぁぁぁあああ!」とか「アアアアアアアアアアアア!」などとよく叫ぶ。

したがって、せっかくの美人なのにものすごい顔をして絶叫するのでなかなか美人ということが認知されない女優だ。

ノオミの格好よさと、ものすご絶叫フェイスが一目がわかるスペシャルフォトを作ってみたので、ぜひご覧になってください。

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不憫な目にばっかり遭うノオミ・ラパス


日刊ノオミ・ラパス

さて、この映画。開幕から設定のおもしろさでグイグイ見せていく。

異常気象と人口爆発によって地球全体がだいぶあかん感じになった2073年。政府長官のグレン・クローズは一家族につき子供1人のみとする「児童分配法」を施行、違法に生まれた2人目以降のキッズは児童分配局に連れていかれて地球の資源が回復するときまで冷凍睡眠させるという政策を強行した。モロに中国がおこなっていた「一人っ子政策」である。

政府が国民の暮らしを監視するバキバキの管理社会のなか、セットマン家で七つ子の姉妹が誕生した。祖父のウィレム・デフォーは「名前どうしよう…」と迷い、分娩室に並んだ7人を見て、左から順番に月曜、火曜、水曜…と命名していった。

「ちょうど7人。具合がいいデフォ」

ん゛ん゛ん゛ん゛、雑!

由来もヘチマもないやっつけネーミング。さすがデフォー先生、仕事が早い。

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孫7人の名前をあっという間に決めたデフォー。デキる男は決断も早い。


さて。ここから俄然おもしろくなってくる。

月曜から日曜まで各曜日の名前を付けられた七つ子姉妹だが、このことがバレたら7人中6人が児童分配局に連れていかれる(あるいは全員連れていかれる?)ので、デフォーは家の中だけで七つ子を育てることを決意する。子供たちを守るためにな。

ある晩、物心がつくタイミングを見計らってデフォーは7人にこんなことを言った。

「さて。おまえたちはそろそろ幼稚園に通わねばなりません。大人になったら仕事にも行かねばなりません。だから、これからはそれぞれが自分と同じ名前の曜日だけ外出し、7人でカレン・セットマンという1人の人格を演じるんだ」

つまり土曜日には土曜ちゃんが外出し、残りの6人は自分の曜日がくるまでひたすら家に引きこもるという地獄の人生を歩まねばならないのである。だが児童分配局を欺くにはこの方法しかない。ちなみにカレン・セットマンというのは七つ子を産んだ直後に死んだ母親の名前。

ある日、木曜ちゃんが怪我をして指の第一関節を失った。

するとデフォーは残りの6人に「手を出すんだ」と言って指の第一関節を切断しようとする。

恐ろしすぎるわ。

さすがデフォー、ここだけ観たら拷問スプラッターである。

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 だが、7人は同一人物を演じねばならない。誰かが怪我をすると全員が同じように怪我を負わねば怪しまれてしまう。

涙目で「痛いの…?」と訊かれたデフォーは「ああ…。すまないがマジで痛いと思う」と答え、包丁で子供たちの指を切断しようとする。その正直な返答にはデフォーなりの愛がありました。「痛くないよ」なんて見え透いたウソをついたところでこの先彼女たちは生きていけない。厳しい現実を受け入れなければ7人姉妹に未来はないのだ。

だからデフォーは「ごめんねごめんねー」とU字工事めいたことを叫びながら6人の指をズタズタ切り落とす。Perfumeの名曲「ポリリズム」風に言うならば 繰り返すこのデフォリズム。あの行動はまるで悪夢だね…ということになるわけだ。

そして一人真夜中に「えらいことしてもうたぁ。私はかわいい孫たちの指を…」と言ってスンスン泣くのである。愛ゆえに鬼と化す祖父の姿に涙。これぞデフォ萌え。


月日は流れ、7人姉妹はすっかりイイ女に成長。

そしてそれを演じているのがノオミ・ラパスというわけだ。月曜から日曜までを1人7役でこなし、各キャラクターの性格や特徴を見事に演じわけている。まさに日刊ノオミ・ラパス

ツンデレヤンデレ、クーデレ、なんでもござれのラパス七変化に心を躍らせながらの祝福。あなたが好きなのは何曜日?

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 7人はカレン・セットマンを日替わりで演じながら銀行務めをしていたが、ある週の月曜日、仕事に出かけた月曜が帰ってこない。 姉妹がいることがバレて児童分配局に捕まってしまったのだろうか?

翌日、リスクを承知で火曜が出勤して職場や行きつけのバーをあたり消えた月曜を探すが、その火曜までが行方不明になってしまう。いったい姉妹の身に何が起きているのか…。

まぁ、そんな中身でございます。


一人多役史に刻まれるべきナイス多役

ケタ違いのおもしろさである。

何に対してケタ違いなのか? だから知らねえよ、そんなこと。

一人多役の作品といえば『愛が微笑む時』(94年)『ナッティ・プロフェッサー クランプ教授の場合』(96年)クラウド アトラス』(12年)『スプリット』(16年)などで、その嚆矢は博士の異常な愛情 または私は如何にして心配するのを止めて水爆を愛するようになったか』(63年)でしょうか。

本作はそうした一人多役映画の中でも多役のおもしろさ多役の必然性に裏打ちされた作品なので一人多役史を塗り替えた画期的な作品といえる。

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個性豊かな7人姉妹(画像上)だが、外出時にはカレン・セットマンという1人の人格を演じる(画像下)。


たとえば、政府長官のグレン・クローズに目をつけられた7人姉妹が児童分配局から追われるという逃走劇が全編に渡って活劇化されているわけだが、そこでは7人それぞれの特技や性格を反映させた戦い方がアクションやサスペンスを紡ぐ。理系の金曜は部屋にガスを充満させてカセットボンベをレンジに入れて大爆発を起こし、パーティガールの土曜はセックスを使ってピンチを切り抜ける…という風に。

また、外出時は7人全員が化粧・衣装・髪型を統一させてカレン・セットマンになりきらねばならない…という設定も見事に活かされている。

7人の中に裏切者がいたことで姉妹の2人が女子トイレで殺し合いをおこなうシーンでは、なまじ見た目が同じだけにどちらが優勢なのかまったく分からないのだが、これはあえて観客を混乱させるように撮られている。最終的に生き残った方がトイレから出てくるわけだが、そこで観客に「え、コレどっち!?」と思わせるためだ。

 

また、過酷な状況に追い込まれるうちに実存主義的な危機にさらされて「私は誰なの…?」と自我崩壊を起こす姉妹もいて、彼女たちの悲劇を招いた管理社会に対する文明批評や政治批判を経て、最終的には自我の在り方とか命の価値は何によって決まるのかといった壮大なテーマにまで敷衍していくのである。

一人多役がサスペンスを胎動させ、アクションの着火剤となり、SF的な問題提起まで担う。これぞ多役のおもしろさ多役の必然性だ。

この手のアイデア勝負のSF映画にはアイデアを思いついた時点で半ば終わっている出オチ映画が多いが、本作は一人多役というアイデアをどんどん転がして活劇や物語を活性化させ、風刺や哲学といったテマティックにまで辿り着いている。

巧い。これは参った。

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逃げまくるノオミ・ラパス。これは何曜日だっけ…。


◆要は『まどマギ』◆

ちなみに暴力描写を含め、全体的にかなりハードコアである。

第一幕ではそれなりに楽しくワチャワチャやっていた7人姉妹が惨たらしく殺され、一人また一人と減っていく絶望感が容赦なく襲ってくる。ようやく好きになり始めた曜日が眼球をえぐり取られたり頭を吹き飛ばされたりして、こっちとしては「火曜ぉぉぉぉ!」とか「金曜ぉぉぉぉう!」などと絶叫せざるを得ないのである。マジでバンバン死んでいきますから。もう容赦がねえのなんのって。

ちなみに私がこの映画を観ていたのは月曜日の夜なので、もし私の「火曜ぉぉぉぉ!」とか「金曜ぉぉぉぉう!」という絶叫がマンションの隣人に聞こえていたら「いや月曜やがな」とつっこまれていたかもしれない(その節は大声出してすみませんでした)。

 

あんなにワチャワチャやっていた女の子たちが惨たらしく死んでいくことのやるせなさ…という意味では、どこか魔法少女まどか☆マギカにも通じるというか。

魔法少女ノオミ☆ラパス』ですよね。だから。

仲間たちがどんどん死んでいって世界の秘密が徐々に明かされていく…という点でも、これは完全に魔法少女まどか☆マギカなのである(退かんぞ。意地でも退かんぞ、この試論)

その一部をネタバレすると、児童分配局は違法に生まれた2人目以降のキッズを「より良い未来で目覚めてもらうために」という名目のもとにカプセルに入れて冷凍睡眠させていたが、実はその機械はキッズを焼き殺すための焼却カプセルだった。

カプセルに入れられた少女が「痛いの…?」と涙目で訊ねると、局員のババアは「痛くないわ」と笑顔で答える。もちろんこのシーンは姉妹の指を切り落とそうとして「痛いの…?」と訊かれたデフォーが「ああ、マジで痛いよ」と答えたシーンの対比になっていて、国民をだます体制側残酷な真実であってもそれを伝えようとする反体制側をさりげなく描きわけた反復法になっている。憎たらしいほど巧い。

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バンバン死んでドンドン減っていく姉妹たち。


児童分配法を制定した諸悪の温床 グレン・クローズも素晴らしいキャラクターだ。

決してステレオタイプの悪役ではなく、一応彼女にも彼女なりの理想郷があって、本気で世の中を良くしようとするあまり「人類を間引きする」という最悪の選択をしてしまった人で。そういう意味ではアベンジャーズ/インフィニティ・ウォー』(18年)のサノスと同じ。

サノスの中の人はグレン・クローズということが言えると思います。

実際、グレンもサノスも人道的には最低最悪のキャラクターだが、人類が生き残るためなら多少の犠牲もいとわないという超合理主義的な思想を持っていて、かくいう私も合理主義の冷酷人間なので彼らの言い分も理解できてしまう。実際、人のうえに立つ人間というのは彼らのような「最悪にして最善の選択」をしなければならないので、個人的には政治家に対する怒りというのはあまり持ってないんですよね。

それはそうと、グレン・クローズってこういう役をやらせると天下一品だよな。グレンだけにグレーなキャラクターが抜群にハマる。『ザ・ペーパー』(94年)とか特に印象深いけどね。

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性悪ババアをやらせると天下一品のグレン・クローズ『101』(96年)におけるクルエラ・デ・ビル(右)は個人的に大好きなヴィラン


◆一級エンターテイメント◆

そんなわけで、重い腰をあげて渋々観たらとてつもなく面白かった…という棚ぼた体験をしました。

これは「素晴らしい映画」ではなく「おもしろい映画」だ。

そりゃあ、表層批評的な言説を振りかざしてショットが云々…とか言い出すと数限りなく文句も出てくるのだろうが、そういう「蓮實重彦的な作品」ではなく、ただフィルムを滑走するおもしろさに身を委ねていればよい…という、そういう作品でござる。

一人多役という使い古されたフォーマットをいとも容易く刷新し、興行収入など無視してハードコア路線を突き進み、それでいて7人姉妹に扮するノオミ・ラパスが7通りの萌えを体現し、なおかつ人間の尊厳や環境問題に警鐘を鳴らすというSF映画の役割も全うしていて、なんといってもケタ違いにおもしろい。

そして指切り男デフォーが孫の第一関節を狙う。

これ以上なにを望めばいいというのか。

 

こんなブッ飛びながらも妙に現実味のある題材を説教臭さ抜きで一級のエンターテイメントに仕上げたトミー・ウィルコラに手をまっかっかにしながら拍手を送りたい。

これからはルーニー・マーラだけじゃなくノオミ・ラパスの動向もがっつりチェックしようと思った。ノオミ・ラパスのものすごい顔も愛そうと思った。

ちなみに私は月曜日ってわりと好きよ(キャラの話ではなく実際の曜日ね)。

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通常ラパス(右)と絶叫ラパス(左)。同一人物とは思えないほどすごい顔してるな。これぞ女優。

 

*1:ドラゴン・タトゥーの女』のせいでノオミ・ラパスルーニー・マーラの見分けがつかない発言…最初に作られたスウェーデンミレニアム ドラゴン・タトゥーの女(09年)ではノオミ・ラパスがヒロインを演じており、のちに作られたハリウッド版ドラゴン・タトゥーの女(11年)ではルーニー・マーラが同役を演じたよ。ノオミとルーニーは顔のタイプがやや似ているため、当時の私は混乱をきわめた。