呪いは昼にこそ発動する。
1976年。リチャード・ドナー監督。グレゴリー・ペック、リー・レミック、ハーヴェイ・スティーブンス。
6月6日6時。妻が死産した駐英大使は、同じ日に生まれた孤児を引き取りダミアンと名付け育てる。ダミアンの周辺では不吉な殺人事件が多発、事件を追う大使はエクソシストであるブーゲン・バーゲンから、ダミアンこそが地上に復活した悪魔の子であることを知らされる…。(Amazonより)
おはモーニン。
最近、レビューとはまた違った映画雑記的な文章を書いていて、近々アップできたらいいなぁと思っているのだけど、一度に書き終えるには熱量および文章量が通常のレビューの2~3倍はあるので数日にわけて書かねばならないと、こういう話になってくるわけです。
そこで困るのは、途中で飽きるというか、日をまたぐと情熱が冷めるという問題でして。
たとえば酒に酔いながら勢い任せで書いた文章があるとする。粗削りだけど迫力に満ちた、生命力溢るる文章だ。どこにも嘘がないし、うまくいけばある種の人を感動させることだってできるかもしれない。
だけど執筆中に眠くなったので「続きは明日書こう」といって下書き保存したとするよね。
で、明くる日、続きを書こうとしてパソコンを立ち上げるんだけど、昨日のテンションが一度寸断されているので書こうにも書けない。さらには、シラフで読み返すとひどく恥ずかしいことを書いていることに気づく。粗ばかりが目立つ。なんかもう どうでもよくなってくる。結局諦める。日の目を見ないまま腐り果てていく。結果論でいえば時間と体力の摩耗でしかない。このようにして人生は擦り減っていく。ひとつのまとまった文章も書けない自分に嫌気がさして「この指か! この指が悪いのか!」といって手の指をぜんぶ折る。折ったことをすぐに後悔して病院に行くも「むりですね」とお医者先生に言われて泣く。
…と、こういった難儀なことが起こるわけです。
何が言いたいかというと、うーん…特に言いたいことはありません。メッセージ性を求められても困る。
それでは、しれっと『オーメン』の評に入っていきましょう。
◆リメイク版の話から◆
『オーメン』を久しぶりに観返した。18年ぶりぐらいか。
本来であれば一生懸命に批評するべきなのだろうが、なんていうかちょっと面倒臭いので、今日はあいつを召喚してオーメン談義と洒落込みます。
おーい、坊ちゃーん。
あ、来た来た。向こうから走ってきた。
坊ちゃん「はい、元気です!!」
元気100パーセント坊ちゃん
いつも包丁を持って町内を走り回っている元気な男の子。人生で一度だけ元気が100パーセントを下回ったときは同学年のみっちゃんにフラれたとき。
坊ちゃん「おはようございます!!」
ふかづめ「今日も元気だねぇ。過不足なく100パーセントだねぇ」
坊ちゃん「で、今日はなんすか。『オーメン』すか。なんで今さら?」
ふかづめ「名作に今さらもヘチマもないよ。深夜になんとなくラーメン食べたくなるときってあるでしょう? それと同じで深夜になんとなく『オーメン』観たくなったんだよ」
坊ちゃん「必ずどこかでラーメンに掛けてくだらないことを言うんだろうなとは予想してましたけど、かなり早い段階で言ってきましたね」
ふかづめ「早めに処理した」
坊ちゃん「どうせこのあと『そう麺』とか『にゅう麺』に掛けてくるのは分かってるんで、先手を打って封殺しておきます」
ふかづめ「ゴーメン」
坊ちゃん「それもあったか」
ふかづめ「そんなくだらない話はいいんだよ。個人的に『オーメン』と言えば2006年のリメイク版『オーメン666』の方が思い出深くて。友達と観に行って爆笑したんだよね」
坊ちゃん「『オーメン666』って爆笑するような要素ありましたっけ?」
ふかづめ「襲いかかってくるキチガイ乳母のミア・ファローの顔をリーヴ・シュレイバーが蹴り上げるシーンで館内爆笑」
坊ちゃん「容赦ない老人虐待ですね」
ふかづめ「『マックス・ペイン』(08年)や『ダイ・ハード/ラスト・デイ』(13年)のジョン・ムーアだからバカ映画なんだよ」
坊ちゃん「でも乳母役にミア・ファローとはなかなか粋なキャスティングですね。『オーメン』や『エクソシスト』(73年)のようなオカルトブームに先鞭をつけた『ローズマリーの赤ちゃん』(68年)の女優を使うとは」
ふかづめ「おまけに主演のリーヴ・シュレイバーはナオミ・ワッツの旦那ワッツ。世界一幸運な男。なのに映画ではジュリア・スタイルズなんてブスが妻役なんだよね。そこはナオミ・ワッツだろ!」
坊ちゃん「私情がすごい」
爆笑映画『オーメン666』。ミア・ファロー(左)の堂に入った恐怖演技だけは見もの。
◆パパゴリーとリーママ◆
ふかづめ「リメイク版の話なんてどうでもいいんだよ。今回僕が観たのは76年のオリジナル版なの!」
坊ちゃん「監督はリチャード・ドナー御大ですね。『スーパーマン』(78年)、『グーニーズ』(85年)、『リーサル・ウェポン』(87年)と、ある時期まではスピルバーグと並ぶ世界的なヒットメイカーでした」
ふかづめ「僕が驚いたのはキャストでね。父親役がグレゴリー・ペックだったなんて初見のときは気づかなかった! 言わずと知れた『ローマの休日』(53年)の美青年役。あまりにハンサムなんで『白鯨』(56年)のような文芸映画や『アラバマ物語』(62年)のような社会派映画に出ても演技がまったく評価されなかった不遇の大スター。折に触れて言ってるけど、映画男優にとってハンサムっていうのはハンデだよね」
坊ちゃん「グレゴリー・ペックは『オーメン』以降の老年期でようやく爛熟を迎えた感があります。『マッカーサー』(77年)とか『ブラジルから来た少年』(78年)で初めていい役者だなと思いました」
ふかづめ「僕はちょっと苦手なんだよねぇ、顔が甘すぎて…。ケーリー・グラントの方が断然いい」
坊ちゃん「そして妻役がリー・レミック。オットー・プレミンジャーの『或る殺人』(59年)がいちばん有名かもしれません。『サイコ』(60年)のジャネット・リーには及ばないにしてもホラー史に残るスクリーム・クイーン(悲鳴演技を得意とする女優)だと思います」
ふかづめ「僕はほとんど知らないなぁ、この女優…。呼び方に関してだけど、とりあえずパパ役のグレゴリー・ペックはパパゴリー、ママ役のリー・レミックはリーママで統一したいと思います」
坊ちゃん「わぁ酷い」
ふかづめ「分かりゃあ何でもいいんだよ」
パパゴリー(右)とリーママ(左)。
若かりし頃はとんだ美男美女でした↓
坊ちゃん「そして肝心のダミアンですよ! この子なくして『オーメン』は語れません。この映画は、パパゴリーが死産した我が子の代わりに孤児のダミアンを妻のリーママに秘密で養子として引き取るところから始まるんですよ」
ふかづめ「いや知ってるよ。観たばっかりだから」
坊ちゃん「だけどダミアンは身体に666のアザを持つ悪魔の子で、周囲の大人たちに偶然の死をもたらすんですよ。夫妻とその周辺人物が逃れられない死の運命に晒されることになる…。ちなみにオーメン(omen)というのは前兆という意味で、この映画は全編に渡って死の前兆に満ちてるんですよね。『ファイナル・デスティネーション』(00年)の元ネタです」
ふかづめ「だから知ってるって。観たばっかりだから」
坊ちゃん「とはいえダミアンは無力な少年なので、乳母と番犬が地獄の死者として彼の身辺警護に現れるんですよ。夫妻はダミアンが危険な子であることに徐々に気づき始めて遠ざけようとするんですけど、邪悪な乳母がこれを妨害するんですね。そうこうしてる内にリーママが死んでしまって、パパゴリーにも死の運命が迫るという…」
ふかづめ「俺の知ってる発言を無視してめちゃめちゃ概要説明するやん。『オーメン』を知らない読者のために」
坊ちゃん「メタ発言はやめてください」
ふかづめ「だいたい、坊ちゃんがリー・レミックに詳しくて僕はリー・レミックのことをほとんど知らないって流れになってるけど、実は僕もリー・レミックに関しては坊ちゃんと同じぐらい知ってるんだよ。なぜなら坊ちゃんは僕の脳内で生み出したイマジナリー・フレンドだから」
坊ちゃん「メタ発言はやめてください」
ふかづめ「どうでもいいけど、坊ちゃんの髪型ってリメイク版のダミアンに似てるよね」
近似値。
◆呪いは昼にこそ発動する◆
ふかづめ「なんといってもこの映画の売りはショッキングな死に様だと思うよ。一人目の乳母は『ダミアン、あなたのために死ぬのよ!』と言い残して笑顔で首吊り。パパゴリーにダミアンの恐怖を説いていた神父は避雷針が落ちてきて串刺し。妊娠中のリーママはダミアンの三輪車タックルを受けて二階から転落して大怪我、流産までしたうえに病院の窓から乳母に突き落とされて転落死。パパゴリーと一緒にダミアンの出生の秘密を探っていたカメラマンは積み荷のガラス板に首を飛ばされて死ぬ…。そして最後はパパゴリーの番…」
坊ちゃん「特に有名なのはトラックからガラス板が飛び出してカメラマンの首を刎ねるシーンですよね。この時代にここまでやったスプラッターは珍しかった。『エクソシスト』が心理描写の怖さなら『オーメン』はショック描写の怖さです」
ふかづめ「神父が避雷針にブッ刺さるシーンも格好よかったな。あのシーンの何がいいって、神父から『ダミアンは悪魔の子だからすぐ殺した方がいい』って警告されたパパゴリーが神父のことをキチガイ扱いして帰っていくでしょ。そのあと神父が一人きりになると急に強風が吹き荒ぶんだよ。揺れる木々、舞い散る木の葉。雷までドカドカ鳴り始める。地獄と化した緑道を抜けて教会に戻っていくと、なぜか扉が開かない。すると屋根の避雷針がボキッと折れて地上の神父を射抜く。決まったぜ!」
坊ちゃん「ふかづめさんは事あるごとに『風を撮れ』とか『雨は大事だ』って言ってますけど、まさにそのメッセージが伝わった映画になってるわけですね」
ふかづめ「覚えててくれてアリス。このシーンは風の感覚が本当に素晴らしいんだ。木々がざわつき始めたってことはダミアンの呪いが発動したってことだよね。これぞオーメン(前兆)ですよ! ちなみにこの風の使い方はシャマランが『ハプニング』(08年)でパクってます」
坊ちゃん「『ハプニング』は全編通して風だけの映画ですもんね。風に当たった人々がなぜか次々に自殺していくという話で」
ふかづめ「惜しむらくはこの『オーメン』、雷は鳴るのに雨は降らないんだよ!」
坊ちゃん「たしかに、雨の演出があればもっとよかったかもしれないですけど、なぜかホラー映画ってあまり雨降らないですよ。特にこの時代は。『エクソシスト』も『ゾンビ』(78年)も雨のイメージはないな…」
ふかづめ「まぁ、雨ってメロドラマの装置だからなかなか降らないのだけど。ホラーに向いてるのは風とか霧ですな」
死ぬにはいい日だ。
坊ちゃん「それで言えば、カメラマンが撮った写真に写り込んだ『光の矢』が死を予期しているっていうシーンがありますけど、あれって結構すごくないですか? 『光の矢』が死の前兆になっているという設定自体もおもしろいですけど、死のメタファーとして闇ではなく光を選んでるというのが興味深いです」
ふかづめ「実際、ダミアンの呪いで殺された人たちは全員が昼間に死んでるよね。最初の乳母が首吊りしたのも、神父が串刺しになったのも、カメラマンがガラス板に首を刎ねられたのもぜんぶ光のある昼間。対して、乳母に突き落とされて転落死したリーママとか、教会でダミアンを殺そうとして警察に射殺されたパパゴリーの死亡時刻はいずれも夜間。つまりダミアンの呪いで殺されるのは昼間、人為的に殺されるのは夜間というふうに映画内時間が使い分けられている」
坊ちゃん「普通は逆にしますよね」
ふかづめ「悪魔=闇とか、不吉なことは夜に起きる…みたいなものはしょせん人間の勝手なイメージで。そういうイメージを逆転させたのが『オーメン』だと思う。実際、ダミアンは何もしてないんだよ。周囲の人々の不審な死がダミアンの呪いに因るものという物語的な裏付けはどこにもなくて、『人々が死んでいくのは単なる偶然に過ぎない』という含みすら持たせてるのね、この映画は。そこがおもしろいと思った」
坊ちゃん「たしかに、教会でダミアンに短剣を突き刺そうとしたパパゴリーは、それを止めようとする警官の目を通して明らかに異常者として描かれてますもんね。それにダミアンが誰かに殺意を抱いていることを仄めかすシーンもなかった…」
ふかづめ「リチャード・ドナー自身も『事件の現象は単なる偶然かもしれないよ』なんてことをインタビューで答えてるんだよ」
坊ちゃん「ダミアンが本当に悪魔の子なのかどうかはさておき、そうと決めつけて誇大妄想に駆られていく周囲の大人たちがいちばん怖いっていう映画で、そういう意味でも『ローズマリーの赤ちゃん』と深部で共振した作品なんでしょうね」
ふかづめ「ラストのどんでん返しばかり語り草になっている『ミスト』(07年)もこの系譜だと思う。怪物に襲われた人々がスーパーマーケットに籠城して、やがて秩序が失われて集団ヒステリーに陥ってカルト宗教が誕生するという」
坊ちゃん「使い古された言い回しですが、結局いちばん怖いのは人間なんですよ」
ダミアンの殺害を試みるパパゴリー。もはやどちらが悪魔なのかわからない。
◆『オーメン』は呪われた映画なのか?◆
ふかづめ「風の使い方とあわせて褒めておきたいのは全編に通底する落下のイメージだよ」
坊ちゃん「あー、よく落ちますね。ファーストシーンの首吊りに始まり、リーママは家の二階と病院の窓から都合2回も落っこっちゃう。避雷針も落ちるし、乳母と揉み合ったパパゴリーも階段から落ちている」
ふかづめ「リーママが家の二階から落ちる前に金魚鉢が落ちて割れるスローモーションがあるでしょ。あれもオーメン(前兆)になってるわけだよ。落ちてきた避雷針に刺さって神父が死ぬ直前にも大木が雷に打たれて枝がドサッと落ちるシーンがある。あれもオーメン(前兆)!」
坊ちゃん「落下とは関係ないですが、ダミアンを見て動物園の猿たちが騒ぐシーンも印象的でした。ベテランのグレゴリー・ペックやリー・レミック以上に、この映画は子供と動物の演技がいいですね」
ふかづめ「ただ、映画がパパゴリーが射殺される瞬間から目を背けたことには不満が残るな。胸を撃たれて血を流しながら死んでいくさまをちゃんと見せなきゃダメだと思うんだけど、ストップモーションに銃声のSEをかぶせて死んだということにしている。次のカットでは葬式が始まってるし」
坊ちゃん「ゴネたんですかね。『死ぬ芝居なんてしたくない。俺を誰ゴリー・ペックだと思ってるんだ』って」
ふかづめ「ゴネゴリー・ペックじゃん」
坊ちゃん「僕はシナリオ面で気になったことがあって。ファーストシーンでパパゴリーは我が子が死産したことをリーママに伝えずに、たまたま同時刻に生まれた孤児のダミアンを引き取って『元気な子が生まれたよ』ってリーママに嘘つくじゃないですか。
それってヒドくないですか? 母目線から見ると許しがたい映画だと思うんですけど…」
ふかづめ「やってることがえげつないよな。リーママはダミアンを自分の子供と思いこんだまま死んでしまったわけだから悲惨きわまりない話だよ。しかもこんなイカつい嘘をついたパパゴリーには自責の念というものがまるでない。悪魔はこいつだよ!」
偽りの家族。つかの間の幸福。
坊ちゃん「ちなみに、この映画は関係者の身に不幸な出来事が起きた曰くつきの作品としても有名なんですよね。グレゴリー・ペックは撮影中によく通っていた店がIRAの爆弾事件に見舞われたり、乗っていた飛行機が雷に打たれてたいへん怖い思いをしたそうです」
ふかづめ「いや、たまたまやん」
坊ちゃん「しかもグレゴリー・ペックの息子は映画の撮影前に自殺しています」
ふかづめ「たまたまやん」
坊ちゃん「特殊効果担当のジョン・リチャードソンの恋人は交通事故に巻き込まれて首を切断して亡くなっています。そんなリチャードソンが手掛けたのが、ちょうどカメラマンがガラス板に首を切断されるシーンなんですよ。おまけに恋人が死んだ事故現場の標識には『Ommen(オンメン:オランダの都市)66.6km』と書かれていたそうで、しかも事故が起きた日は1976年8月13日の金曜日なんですって」
ふかづめ「かなり眉唾物とはいえオンメンまでは良い流れだったのに、13日の金曜日で一気にブレたな。別の作品とクロスオーバーしてもうてるやん。なにそのガチャついたエピソード」
坊ちゃん「まだまだありますよ。動物園で撮影をおこなった際にはヒヒが撮影クルーを襲うという事件が起きました」
ふかづめ「一番しょうもないぞ、それ! 普通に起こりうるでしょ!」
坊ちゃん「それだけじゃありません。飼育係がライオンに食い殺されたんです!」
ふかづめ「動物園の管理体制の甘さがただただ露呈したってだけの話だね。これで『オーメン』は呪われた映画だと言われても困ってしまうのだけど…」
坊ちゃん「あれ、ぜんぜん響いてない。めちゃめちゃ冷めてらっしゃる」
ふかづめ「だいたい撮影中の事故なんて大なり小なり起こるものだし、ことにホラー映画ではそういうアクシデントがさも呪いであるかのように思えるってだけの話だよ。認知心理学における確証バイアスの最たる例です。ハイご苦労さん!」
坊ちゃん「むむむむむぅ!(坊ちゃん怒ってます)」
ふかづめ「それにさぁ、俳優やスタッフが大勢死んで撮影中止になった…というならまだしも、亡くなったのは『主演俳優の息子』とか『特殊効果担当の恋人』とかでしょ? なんだそりゃ! それが呪いというならいくらでもこじつけられるよ! むしろ一本の映画には何百人というスタッフが携わっていて何ヶ月も仕事してるわけだから、その間にスタッフ数百人の知人親族に不幸が降りかかる確率の方が高いぐらいだよね」
坊ちゃん「ぷううううううぅ!(頬を膨らませて怒ってます)」
ふかづめ「人はたまたま不幸が重なるとそこに理由を探してしまうんだよ。外出した日にたまたま雨が続いたから『自分は雨男だ』とかね。そんなわけアルカイダ。もし誰かが本当に雨男だとしたら世の中には晴男も大勢いることになるのにどうして雨が降るんだよ?って話になってしまうよね。どうしても。実際は晴れてる日も沢山あるのに、人はイヤな記憶ほど思い出すから『また降った』と思うわけ。これをマーフィーの法則と言うのだけど―…」
坊ちゃん「わああぁぁあああぁぁああ!!」
ふかづめ「あっ、やめろ刺すな刺すな。包丁はナシでしょ」
坊ちゃん「なんてことだ。ふかづめさんを殺してしまった…。明日からはふかづめさんになりきって、僕が『シネ刀』を引き継ごう。皆さま、何卒よろしくお願い致します。こんな終わり方になってしまったけどオーメン(大目)に見てください」
合わせて読みたい記事として『エクソシスト』評を自薦させてください(なかなか良い評論です)。