シネマ一刀両断

面白い映画は手放しに褒めちぎり、くだらない映画はメタメタにけなす! 歯に衣着せぬハートフル本音映画評!

教授と美女

ホークス&ワイルダーの天才二人が『白雪姫』を好き勝手に翻案したらこうなった。

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1941年。ハワード・ホークス監督。バーバラ・スタンウィック、ゲイリー・クーパー、ダナ・アンドリュース。

 

ニューヨークのトッテン財団では、8人の学者たちによる百科事典の編纂が大詰めを迎えていたが、文法学者のポッツ教授がある俗語を耳にしたことから、これまでの努力が世間から隔絶していたことに気づき、街へ調査に出かける。そこで出会ったナイトクラブの歌姫、オシェイに協力を求めるが…。(映画.comより)

 

おはようございます!

今月頭に「12月は観たい映画を観て 語りたいように語る」と宣言した通り、依然ワガママなラインナップでお送りさせて頂いております。

「また白黒映画かよー」とお思いの方、安心してくださいね。まだまだ控えておりますので。

地獄は続く!!!

キミがッ、泣くまで、古典映画レビューを、やめないッ!

というわけで本日は『教授と美女』という最新作をレビュー。うううう、あがるぅー!

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◆元祖サークルクラッシャー

「ずっと観たかった映画TOP50」の39位ぐらいに長年輝き続けた『教授と美女』をついに観ることができたぞー。

どうもありがとう(握手していく)。

どうもありがとう(握手していく)。

『赤ちゃん教育』(39年)『ヒズ・ガール・フライデー』(40年)に続くホークス流スクリューボール・コメディ第三弾。

原題の「Ball of Fire」の通り、バーバラ・スタンウィックが火の玉のような女を演じ、お相手役は謹厳実直なゲイリー・クーパー。心躍る配役だ。


ニューヨークの財団が所有する館にこもって百科事典の編纂をしている8人の学者のもとにバーバラ・スタンウィック演じるストリッパーが現れる。言語学者のゲイリー・クーパーが事典作りのためにスラングを習おうして館に招いたのだ。

ところが、すっかりバーバラを気に入った7人の老教授たちは彼女とともにコンガの踊りに明け暮れるなどして、遅々として編纂作業が捗らない(バカばっかりなのだ)。

良かれと思って招いた助っ人がサークルクラッシャーだったという罠。

頭を抱えたクーパーはバーバラに館から去ってほしいと伝えようとするが、彼女へのほのかな恋心がそれを邪魔する…。うーん、ロマンティー。

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100点満点のウインクだで!


さぁ、ここまでなら平凡なロマンティック・コメディなのだが、本作が米映画評サイトの大本命「ロッテントマト」における平均点が依然100点を保持している理由はバーバラがプリテンダーであるという筋の面白さに尽きる。

プリテンダー…すなわち詐称者、ペテン師、なりすまし。

実はバーバラはダナ・アンドリュース演じるギャングの愛人。殺人への関与が疑われているダナ公が雲隠れしている間、バーバラの方も警察の取調べから逃れるために身を隠さねばならず、そのために百科事典の編纂を手伝うと言って安全な館に飛び込んだのである。

そんなこともつゆ知らず、8人の学者はバーバラと親しくなり、保身のために彼女が色仕掛けしたクーパーはすっかり夢中になって婚約指輪まで贈る始末。

ニュージャージーでほとぼりが冷めるのを待つダナ公は、バーバラの父親のふりをして館に電話をかけて「今すぐニュージャージーに来い」と本人に伝えるが、バーバラから受話器を奪ったクーパーが「娘さんを僕にください!」と言ったので、クーパーの誤解をうまく利用したダナ公は父親のふりをして「ではニュージャージーで結婚式を挙げるといい。すぐ来なさい」といって体よくクーパーたちを運び屋に仕立て、バーバラをニュージャージに来させようとした。

そして当のバーバラは、気のいい学者たちを騙していることに罪悪感を覚え、はじめて自分を愛してくれたクーパーにも特別な感情を抱き始めるのだが…。

憂鬱げなバーバラと喜びいっぱいの学者8人を乗せた車は、ギャングが待ち受けるニュージャージーへと向かうのでありました。

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バーバラ・スタンウィック(左)とゲイリー・クーパー(右)。


◆なりすまし型の開祖 ビリー・ワイルダー◆

本作はハワード・ホークスの作品だが、あまりホークスホークスしていない。

それもそのはず。なりすまし型ロマンティック・コメディの開祖とも言える本作で、その脚本を手掛けたのがビリー・ワイルダーなのだから。

さすがにビリー・ワイルダーは説明不要だろうが、一応説明しておくと、ワイルダーは『サンセット大通り』(50年)『情婦』(57年)『アパートの鍵貸します』(60年)などを手掛けたアメリカ映画の巨人で、たとえば我が国においても三谷幸喜という三流監督がワイルダーの真似ばかりしていて…

やっぱりやめる。

さすがにワイルダーを説明するのは阿呆らしいや。やってられるか!

 

だがこれだけは言っておかねばなりません。
ビリー・ワイルダーはなりすまし型の名人である。

マフィアに追われる男2人が女の恰好をして女性楽団員になりすます『お熱いのがお好き』(59年)や、娼婦の恋人に売春をさせたくないヒモ男が自ら客になりすます『あなただけ今晩は』(63年)、イギリス軍の敗残兵がホテルに辿り着いて前日に死んだ給仕になりすましたものの実は給士はドイツ軍のスパイだった『熱砂の秘密』(43年)、そして本作…など、今でこそ腐るほどあるなりすまし型のフォーマットを築いた人物である。

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女装したジャック・レモントニー・カーティスがウクレレ弾きのマリリン・モンローに恋しちゃう『お熱いのがお好き』。今でも十分通用する笑いのセンスと小粋な物語!


もともとワイルダーは脚本家上がりなので、彼が監督なり脚本を手掛けた作品はとにかく筋がおもしろく、多くの映画好きが求める「伏線」だとか「移入」だとか「洗練された台詞や笑い」に満ちている。

本作にしても111分というそう長くはない尺のなかで二転三転と話が転がっていき、ついには老学者たちがライフルをぶっ放すという予想だにしない事態にまで発展するのである。

ワイルダーの書く本はいわゆる綺麗でそつのないプロットではなく、領空侵犯ギリギリのトリッキーな変態プロットを、しかし軽妙洒脱に飛行させて然るべき滑走路に着陸させるのだ。観終えたあとに「粋!」と叫ばなかった映画がほぼ無いと言っていいほど、ワイルダーのプロットは粋の極み。

ワイルダーの脚本が素晴らしすぎて参るダーというギャグを開発したが、すでに誰かが言っている可能性が高いので胸の内に秘めておく(言ってしまっているわけだが)。

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駄作知らずの名匠、ビリー・ワイルダー

 

◆『マイ・フェア・レディ』に真っ向から対立する言語学者◆

大筋を思い返してもらえれば納得して頂けると思うが、本作は『白雪姫』の翻案。

舞台はニューヨークだが深い森に囲まれた館で、7人の老教授がバーバラを迎え入れる。7人の小人が7通りの性格を持っているように、老教授たちも数学や生物学といったように7通りの専門家なのだが、8人目の教授であるクーパーだけは歳が若く、背も高い。つまり王子様の素質を持った人物である…というのが本作のアレンジ。

また、「姫」であるバーバラがギャングの愛人でしかもストリッパーというあたりもアレンジが利いていておもしろい。

『白雪姫』の純潔さ、ゼロ!

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ディズニーに怒られるやつ。

 

もうひとつ面白いのは、たとえば言語学教授のレックス・ハリソンが花売りのオードリー・ヘップバーンの下品な言葉遣いを矯正する『マイ・フェア・レディ』(64年)が「女は女らしく」というジェンダーに従順であったのに対して、本作のクーパーもまた言語学者だが、無教養なバーバラから下品な言葉遣いを教えてもらう…というふうに主従関係が逆転している。『マイ・フェア・レディ』(嫌いな映画です)のように、はしたない女性を否定・矯正するのではなく「それも個性じゃん」といって受け入れる…というあたりが何とも気持ちよいのよねぇぇぇぇ。

個人的な話になるが、語彙収集と日本語研究を趣味に持ち、言葉というものに並々ならぬ関心を示している私にとって、まさにこの映画は我が意を得たりというか、言葉に対する基本姿勢がぴったり重なるのである。

私は『マイ・フェア・レディ』のレックス・ハリソンのように言葉をぞんざいに扱う人を軽蔑してしまうのだけど、一方で本作のクーパーのように「くだらない俗語を知ることも大事」とも考えています。まじめな話の最中におかしな俗語や方言を紛れ込ませることのおもしろさ、あるいはわざと言葉を誤用することで自らが反面教師になるという道化精神…。

言葉の可能性は無限にあるし、その影響力は計り知れない。だって裁判みたいに言葉ひとつで人の生き死が決まることだってあるからね。


一方で、言葉を重んじる人間は「言葉の限界」も痛感している。

言葉をこねくり回すことで物事の本質から遠ざかってしまったり、文化・言語的な無理解とか、物理的な暴力の前では言葉などクソの役にも立たないのだ。

だからバーバラは分厚い本を積み上げて それを台がわりにしてクーパーとキスするのだし、クーパーは「言葉はいずれ死ぬものです」という名ゼリフを残すのだ。

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背が届かないバーバラは本のうえに立ってキスをする。


◆テーマやメッセージの物質化。そして廃棄◆

最後の章でようやくホークス論が展開できそうだ。ここまで読んでくださった方は、せっかくなのでどうか最後までお付き合いくださいね。

先ほど「あまりホークスホークスしていない」と言ったが、とはいえホークス。腐ってもホークス。私がこの世で最も敬愛する監督 ホークス。注意深く観ると至るところにホークスの足跡が残っています。


学者にとっての大事な本がキスのための台になってしまう。

まさにこれがホークスタッチなのだ。

キスのための道具にされてしまった哀れな専門書とか純文学の書物は、いわば学者にとっての矜持であり、知識であり、学問そのもの。いわばこの映画の主題を可視化したメタファーなのだが、そんな大事なものをホークスは何食わぬ顔で運動のための道具として消費してしまう。

 

映画後半には、館に押し入ったギャングが教授たちを銃で脅す…という緊迫したシーケンスがある。

ギャングの一人が壁にかけられた巨大な肖像画の真下にある椅子に座ってくつろいでいると、何かに気づいた生物学教授のS・Z・サカールが手元の顕微鏡をいじりながら「ダモクレスの剣」について講釈を垂れる。

もちろんギャングは教養がないのでチンプンカンプンなのだが、周囲の教授たちは「ダモクレスの剣」が天井から糸で釣られた剣がダモクレスの命を奪いかけた…という古代ギリシャの故事であることを即座に理解する。

かくしてクーパーが学問漫談で時間稼ぎをしているあいだに、天窓から差した陽射しを顕微鏡で反射させて肖像画を吊っている紐を焼き切り、ギャングの頭上から肖像画を落として見事に気絶させたのである。

「彼らに事典を作らせた財的支援者の肖像画」と「研究のための顕微鏡」がギャングをやっつけるダモクレスの剣と化し、クーパーの言語学講義はそのための時間稼ぎとして利用される。

ホークス作品にあって観念的な主題」は「即物的な道具」として消費される。

どれだけ立派なテーマだろうが、大層なメッセージだろうが、すべてはとして可視化され、厳然たる運動力学のなかに組み込まれ、然るべき役目を果たして廃棄されるのだ。

ホークスは、テーマとかメッセージのような目に見えないもの(映画ならざるもの)に形を与えて映画に変えてしまう錬金術師だ。映画においてテーマやメッセージなど何の役にも立たないことを知っているからこそ、それを物質化して実際的な役割を与える…。

ハワード・ホークスは映画というものを真に理解している数少ない作家の一人である。

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権威や学問といった高尚な主題群がコントのための道具として使い捨てにされる。これほど痛快なものはない。


本作にはたったひとつだけ息を呑むショットがあるので、その話を最後に。

ネジが緩んでドアのルームナンバーの数字がひっくり返ったことで、学者仲間が宿泊する9号室と間違えてバーバラのいる6号室に入ってしまったクーパーが、暗闇のベッドにいるバーバラを学者仲間と思い込んだまま彼女への愛を告白するという小粋なシーン。

ここではクーパーの告白を黙って聞き続けるバーバラの眼だけが暗闇に浮かぶ…という強烈なショットが無言のうちに二人のロマンスを結実させる。

およそロマンティックなシーンにはふさわしくない…、どちらかと言えばサスペンスに近いこのショットは、しかし思いがけず愛の告白を聞くことになったバーバラの心の震えを的確に表現していて、思わず観ているこちらも西野カナばりに震えてしまうのだ。

ちなみにこのショットは眼以外の顔の部分を黒く塗るというアイデアによって実現したもの。

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ロマンスとサスペンスの結婚。

撮影はグレッグ・トーランドという大家だが、彼については同年に手掛けた『市民ケーン』(41年)のカメラマンであるという一言に留めておけば十分だろう。

お茶目なバーバラと青臭いクーパーはもとよりジジイ7人もすこぶる可愛い、爆裂キュートな作品。

ワイルダーの脚本とトーランドの撮影、そしてそれをまとめ上げるホークス…という各部門の巨人が集結した最強の布陣でお送りする『教授と美女』。いまだに思い出し笑いと思い出し感心が止まらない、夢見心地の大傑作でございました。

観れて本当によかった。おれはなんて幸せな奴なんだ。