トムがトムたり得るための実存主義的アクション大作!
2018年。クリストファー・マッカリー監督。トム・クルーズ、ヘンリー・カヴィル、レベッカ・ファーガソン。
トム公が持てる力をすべて出しきって困難に立ち向かい問題を解決して喜ぶ、という骨太なストーリー。
おっす、おら極右!
私が数年前に開発したあまり穏やかとは言えないギャグです。方々のSNSで「自由に使っていいよ」と言ったにも関わらず、政治色が強いためか、誰も使ってくれません。せっかく作ったのになぁ。難産だったのになぁ…。こうなったら自分で使い倒してやるよ。
はい。本日は『ミッション:インポッシブル/フォールアウト』です。
昨日の『バリー・シール アメリカをはめた男』(17年)の評がなかなか人気が出たので今回も人気が出るといいなぁと思っているのだけど、そういう時ほど予想の逆をいくんだよな。ままならない人生です。
『バリー・シール』評の好影響としてトム・クルーズの追っかけをしている人(約2名)からTwitterをフォローされて嬉しい気持ちになったのだけど、それと同時に申し訳ない気持ちにもなりました。「トム公はニタニタ笑ってるだけなので相変わらずだが~」とか言ってるからね。きっと心が広い方々なのでしょう。
今回も一部酷評してる箇所がありますが、トムのようにニッコリ笑ってやり過ごして頂きたいと思います。白い歯見せろ!
◆ライフワークとしての『ミッション:インポッシブル』◆
このシリーズは毎回レビューを書くのが楽しいのでたいへん胸を躍らせている。
説明不要の人気シリーズとはいえ興味のない人はトコトン知らないと思うので、評に入る前に過去作を復習しておこうと思う。
こんな親切なことをしてくれる映画ブログなんて他にないぞ。
1作目『ミッション:インポッシブル』(96年)
トムが宙吊りになるといった充実の中身。
2作目『ミッション:インポッシブル2』(00年)
トムがバイクを乗り回すといった充実の中身。
3作目『ミッション:インポッシブル3』(06年)
トムがビルから落ちてしまうといった充実の中身。
4作目『ミッション:インポッシブル/ゴースト・プロトコル』(11年)
トムがビルをよじ登るといった充実の中身。
5作目『ミッション:インポッシブル/ローグ・ネイション』(15年)
トムが飛行機にしがみついたまま空を飛んじゃうといった充実の中身。
そして6作目となる本作『ミッション:インポッシブル/フォールアウト』では、主にトムが交通事故を起こすといった充実の中身を誇るアクションエンターテイメントだ!
復習終わり。理解が深まりましたね?
それでは本題です。
このシリーズには毎回監督が変わる楽しみというのがあって、これまでにブライアン・デ・パルマ、ジョン・ウー、J・J・エイブラムス、ブラッド・バードといったビッグネームが名を連ねてきたが、前作からは新鋭のクリストファー・マッカリーが連チャンでメガホンを取っているため、監督が変わる楽しみは今回ない!
トム公は俳優でありながらシリーズ全作のプロデュースを手掛けており、いわば全権を掌握しているお山の大将。トム公自らが毎作ごとに監督を指名するという主従逆転したイレギュラーな製作方法が採られているが、どうやら『アウトロー』(12年)でも組んだクリストファー・マッカリーのことがいたく気に入ったようで、本作ではシリーズ初の監督続投となる。
このシリーズでは個性派監督たちの濃い作家性のなかでトム公がどのように映えるか…というあたりが見所になっていたが、どうも4作目からはそれが薄くなってきたように思う。トム公は「作家性なんて出さなくていいからオレを輝かせろ!」とばかりに、自分をカッコよく撮ってくれる職業監督を選んでやりたい放題のオレ様映画を作り続けているのだ。こういうのをワンマンって言うみたいです。
トム公の肥大する自己顕示欲がシリーズを突き動かす。スクリーン越しに「ぼくを見て!」という声が何度もリフレインする147分。
『ミッション:インポッシブル』とはトム公のライフワークなのだ。
トム・クルーズがトム・クルーズであり続けるために作られる実存主義的アクション大作である。トム公は本作で過去最大の危険なスタントを自身でこなしているように、このシリーズと心中するつもりで撮影に臨んでいる。表向きは大衆向けのエンターテイメントということになっているが、実際はトム公の自己実現をこそ目的とした本当の意味でのオレ様映画なのである。刮目せよ!
「カッコいいぼく」を見てもらいたくて鋭意芝居に打ち込んでおられる。
◆トムにも勝る脇役勢の輝き◆
文句がないわけではないが、出来うる限り積極的に楽しんでいきたい映画である。
アゲ感っつうの。ライド感っつうの。
とにかく我々はトムがひたすらトムを生きる147分にクルーズ(観光旅行)すればいいのである。
トムという豪華客船に乗り合わせた人々は「今回はどんなトムが見れるのかしらね」などと言い合って世界一豪華なクルーズを心行くまで満喫するのだ。
前作までの話の流れなどまるで覚えちゃいないが、そんなことはどうでもよろしい。トムは話の流れをいちいち覚えてないと楽しめないようなクルーズを提供したりはしない。なぜなら一流のエンターテイナーなのだし、そもそもこのシリーズに話の流れなど大して存在しないからである。
今回は『バリー・シール アメリカをはめた男』(17年)と同じく脇役が充実した6作目であった。トムにも勝る脇役勢のかがやき。及びきらめき。
前作で参入したホークアイ…ジェレミー・レナーがマーベル映画に忙殺されているという事情から出演インポッシブルとなったが、同じく前作で仲間入りを果たしたアレック・ボールドウィンが土手っ腹をぶるぶる揺らしながらの本格参戦となる。
無類のボールドウィン好きとしては非常に喜ばしいのだが、終盤で敵に撃たれて腹をぶるぶるさせながら死んでしまう。なんてこった。実にしょうもない最期だったが、ぐったりしたボールドウィンが最高にエレガントだ。涙なくしては見られない名シーンとなっております。
90年代はとびきり痩せててハンサムだったアレック・ボールドウィン(左)。
前作で登場した女スパイ レベッカ・ファーガソンがばりばり活躍したり、死んだはずの妻ミシェル・モナハンがしれっと現れて整形後のマイケル・ジャクソンを彷彿させたり、ヴァネッサ・カービーが「ホワイト・ウィドウ」というマーベルに喧嘩売ってるとしか思えない役名で武器商人を演じていたりなど、美女の物量押しがスゴいことも特筆に値する。
ちなみにトム公演じるイーサン・ハントは全員の女とロマンスめいた関係を結ぶ。もはやイーサン・ハントというよりガールズ・ハント。
とりわけレベッカ・ファーガソンの躍進ぶりに驚かされた。
前作で初めて彼女を観たときは「またつまらない貌の女優が出てきた…」と思ったものだが、本作では真逆の印象でスクリーンをさらいまくっている。撮り方の問題もあろうが、顔つきからして違うのだ。これからは心を入れ替えてファーガソンを応援しようと思いました。
レベッカ・ファーガソン。クールな女スパイなのに三つ編みというギャップに前後不覚。春の訪れを告げるつくしんぼうのような女優であります。
コメディリリーフのサイモン・ペッグは今回シリアス一辺倒で少々面白味を欠くが、首吊りにされてゲェゲェ言いながら生死の境をさまよう…という悲惨なシーンが用意されているので見ようによってはそれがコメディなのかもしれない。
そしてトム公のお目付け役として任務に同行するヘンリー・カヴィルこそが本作の質を保証する勝利の神。
DCエクステンデッド・ユニバースにおけるスーパーマン役としてお馴染みであるが、スーパーマンなのになぜか本作では空を飛べないのでスカイダイビングをやっている(散々イキって飛んだのに上空7000メートルで気を失う)。
この男とトム公のバディを強調したアクションが見所のひとつになっているが、敵なのか味方なのかよくわからない…という曖昧な立ち位置が物語をキックしていて観る者を飽きさせない。
彫刻のようなプロポーションとフォトジェニックな佇まいで着実に人気を高めている俳優なので今すぐDCEUを辞めてまともな映画に出るべきだ。
口髭がややダサいヘンリー・カヴィル(左)。トム公は自分よりかっこいい共演者を潰したがるのでヒゲをつけるよう指示したのかもしれない。
もちろんトム公もかっこいいけど明らかにスタイルのよさが別格だよね。
◆ついに頑張った大賞と化してしまった◆
コンゲーム(騙し合い)の要素も過去最大で「実はこうでした」の畳み掛けが実に気持ちよい。なぜ気持ちよいのかと言えば、脚本上のロジックとか整合性をことごとく無視して『グランド・イリュージョン』(13年)のようなハッタリ一辺倒で押し切っているからだ。しょせん映画などハッタリかましてナンボである。デタラメだろうが何だろうがウソをつき通した奴の勝ち。
やっぱりこのシリーズの評は書いてて楽しいなぁ。
ぜんぜん批評になってないですか? あ、そうですか。
批評めいたことを書くと場を白けさせるような指摘もせねばならないので出来ることならこのまま楽しく終えたいのだけど、まぁ曲がりなりにも映画批評をやってるブログなので少しだけ真面目なことも書きますか。しゃあなしやで。
アクションの飽和化が少し…いや、かなり気になった。
トム自身が「今回はトム・クルーズを使ってどんな面白いことができるのか?」という案を練ってそれを本人がノースタントで演じきる…というのが様式化された当シリーズにおいて、たとえば前作では水中アクションを取り入れるといった新たな試みがシリーズの恒例になっているわけだが、そうした「前人未踏のスーパーアクション」という新味がいくぶん後退したように感じられる。
接近戦、カーアクション、バイクチェイス、屋上でのスタント、全力疾走、航空機しがみつき、ロッククライミング、それに「ここだと思ってた場所がここではなかった!」という舞台装置を使ったトリックなど…ぜんぶ過去作でやったことの繰り返しで。
トム・スタントの総決算と言えば聞こえはいいが、個々のアクションが過去作のそれを上回っているかといえば少々厳しい。
もちろんトム自身は死ぬ気で実際にやっているわけだが「死ぬ気で実際にやった」という部分ばかりがフィーチャーされていて。日本版ポスターにも使われているが、ヘリの貨物ロープにぶら下がるシーンなんて映画というより記録映像である。
「ビルからビルに飛び移って足首骨折した」とか「スカイダイビングのシーンで本番前に100回以上ダイブした」みたいなニュースに「56歳なのにここまでやるなんてスゴい!」と反応している人が多いように、もはや武勇伝作りのための頑張った大賞と化してしまっている。
パフォーマンスとしては素晴らしいけど映画としては、ねぇ…という感じで。複雑な思いです。
たとえば前作終盤の逃亡劇で、夜のロンドンの息遣いとそこに浮かび上がるトムとファーガソンの官能的なシルエットとか、間一髪のところで銃弾をかわしながら民家の裏道を抜けていくスリルとか、途中で二人が離れ離れになるシーンでヒロインの死をほのかに予期させる暗闇の使い方…といった心躍る瞬間が綺麗さっぱり失われていて、私はかなしい。
本稿を書き始めるまでは「トムのトムによるトムのためのオレ様映画なんだから、細けえこたぁどうでもいいんだよ!」という脳死スタンスを取ろうかとも思っていたが、この人の出演作ってなんだかんだで一定水準をクリアした高品質な映画ばかりなのでね。どうしても質を求めてしまうし、それに応えてきたスターでもあるので、なあなあで済ますことはできない。
トム公56歳、決死のスタント集をつくりました。
まぁ、いま挙げた難点を一言でまとめるとトムのエゴがすげえというだけの話で、相変わらず高品質なことには変わりない本作。
アクションで魅せるというより一層魅力を増したキャラクターたちのガヤガヤ感がひたすら楽しい。そんな映画。シリーズを追ってきた者だけに与えられたこの上ないご褒美である。
次作があるならそろそろ監督を代えて新しい風を流し込んでみてはいかがか。
あと頼むからボールドウィンを生き返らせて!
わかりましたね。僕とマッカリーとのやくそくです。
ボールドウィン…。お子に鼻ギューンやられとる。