ニコラス・ケイジ覚醒。もはやこれは伝記映画である。
2017年。ブライアン・テイラー監督。ニコラス・ケイジ、セルマ・ブレア、アン・ウィンターズ。
2人の子どもに恵まれ、幸せな毎日を送っているブレント。いつものように会社に行き、オフィスのテレビでブレントが見たのが、親が実の子どもを殺害する事件が相次ぎ、国中がパニック状態となっているという驚愕のニュースだった。子どもたちの身を案じたブレントは仕事を早めに切り上げて帰宅するが、子どもたちはいつもどおりに無事に暮らしていた。しかし、愛する子どもたちの顔を見た瞬間、ブレントの心に「この子たちを殺さなければ」という正体不明の殺意が生じてしまう…。
おはようございます。
先日よりおっさん映画が打ち続いております。クリストファー・ウォーケン、トム・クルーズ、ジェレミー・レナー、シュワちゃん…。
そして本日はニコラス・ケイジ。
真打ち登場。おっさんの中のおっさんである。映画好きの若い女性からは大体嫌われていて、おびただしい量のコラ画像が作られるほど世界中の人々から半笑いされている往年のスター。
キアヌまで巻き添えに。
だが私はニコジが大好きである。なぜなら面白いからだ。
洋画劇場でせんど観てきた『コン・エアー』(97年)や『フェイス/オフ』(98年)は未だに折に触れて観返すし、本気で芝居をすれば相当上手い役者でもある。
そんなわけで本日は『マッド・ダディ』。狂気炸裂です。
◆我が子を殺す狂気の親軍団◆
ある日突然 世界中の親が自分の子を殺し始める…という非常に美しい映画である。
子供たちが勉学に励んだりドラッグの売買に励むなどしているハイスクールの校門前に親御さんがぞろぞろと集まり出す。門を乗り越えた親御さんは我が子めがけてまっしぐら。ハグするのかと思いきや…
ブン殴る!
刺し殺す!
袋をかぶせて窒息させる!
はいサイコー名作決定お疲れさんした解散!
走り狂う中年軍団と逃げ惑うヤング集団。運動のダイナミズムも相まってじつに美しい光景である(まじめに褒めてます)。
親と子のきずな。
なぜこんな現象が起きたのか?
緊急生放送のニュース番組では専門家が頭をぽりぽり掻きながら「えー、理性を失わせる特殊なガスを使ったテロかもしれません」とか「自然界にも子殺しというのがあるので十分起こり得ることです」などと御託を並べているが、どれも的外れ。
とはいえ 本作を最後まで観ても「なぜ親が子を殺し始めたのか?」という疑問に明確な解答は示されない。
したがってレビューサイトでは「原因究明までしっかり描いてほしかった」とか「結末を描かずに逃げた」といった否定意見が多いが、その疑問には後ほど私の見解を述べたいと思います。
◆阿鼻叫喚の家族ゲーム◆
そんなことよりも電動ノコギリを振り回すニコラス・ケイジとセルマ・ブレアである。
一見幸せな夫婦に映るこの二人には高校生の娘(アン・ウィンターズ)と幼い息子(ザカリー・アーサー)がいるが、家族関係はさほどよくない。
娘のアンちゃんは反抗期の真っ只中で、四六時中SNSやりまくり、彼氏とよろしくやりまくり、クソビッチとつるんでドラッグ食いまくりなど、私が父親だったら子殺し現象が起きてなくても電動ノコギリで殺っているであろうドサンピンガール。
弟のザカリー坊やは天使みたいにかわいい男の子である。オモチャをよく散らかすという欠点があるものの、まあ電ノコ刑に処すほどのことではない。
『マッド・ダディ』は、そんな二人のキッズを血眼ハイテンションで襲いまくる両親 ニコジ&セルマの大冒険を描いた感動巨編なので、ぜひご家族で鑑賞することをお勧めします。
ニコジに関しては面目躍如の一言に尽きよう。
私はこれがニコジのために書き下ろされた脚本だと確信しているほど(これも後述する)、元来ニコラス・ケイジというハリウッドスターは昔から頭のイカれた役を演じ続けてきた禿げパラノイアである。
90年代はハリウッド随一の技巧派としてオスカーをモノにするほどの名優だったが、ここ10年は浪費癖が祟って借金地獄で首が回らず破産、それ以降は手当たり次第にB級映画に出まくっては省エネ演技でチマチマ小遣いを稼ぐ…というやっつけハゲになり下がった。そしてコラ画像が量産された…。
かつての名優だったニコラス・ケイジは、今やすっかりニコラス・ケイジ(笑)として惜しみなくネタ感を打ち出しているのである。
そんなニコジ(笑)がハイボルテージのブチギレ演技でマッド・ダディを演じているのが本作だ!
笑うな!!!
笑いたくなる気持ちはわかるが、どうかニコジを笑わないでほしい。
この映画を観たほとんどのレビュアーは爆笑、失笑、苦笑、冷笑のいずれかの笑みを湛えたようだが、私はそのいずれでもなく感涙すらしかけた。
近年、引退を仄めかしたニコジは義務感まる出しで嫌々芝居をしていたが、本作では水を得た魚のように活き活きしているのだ。ニコジがこんな楽しそうに芝居をしているのは『キック・アス』(10年)ぶりではないかしら。
恍惚の表情を浮かべて娘の彼氏をぶん殴ったり、「ドア開けろ、マザーファッカー!」と絶叫しても娘がドアを開けてくれないのでポロポロ泣きだす…など、イカレ全開のニコジメソッドが火を噴くぞ!
Gさんの評で知ったけど頬にシリアルがくっついてるんですね。
とはいえ、ポスターやトレーラーや前評判、それに『Gブログ』を事前に読んだ時点でニコジ完全復帰はすでに確信していた。私の気分を本当に上げてくれたのはニコジではなく妻役のセルマ・ブレアである。
一般的には『ヘルボーイ』(04年)のヒロインが当たり役とされているが、ギレルモ・デル・トロをはじめジョン・ウォーターズやジョン・カーペンターといった倒錯趣味の変態監督に好まれたB級クイーンの一人。卑猥で低俗なB級映画の三番手あたりにいるマイナー女優だが、個人的にはとてもクールでエロティックな女優だと思っております。好き!
そんなセルママン、中盤までは「この母親だけは正常を保つのだろうか?」と思わせておいてしっかり子殺しに励むという裏切り。まともな大人が一人も出てこないのだ。
でもセルマ・ブレアに殺されるなら本望だよねぇ。
B級映画のミューズ、セルマ・ブレア。私の中の「殺されたい女優ランキング」で堂々の16位。
ところが終盤、子供たちを殺そうとする夫婦の家に祖父母がやってくる。ニコジの両親だ。ちなみに祖父は『エイリアン』シリーズのランス・ヘンリクセン。
ヘンリクセンが「殺戮せん」としょうもないことを言って、いきなりニコジを包丁で刺した。
なるほど、どうやら三世代デスマッチが始まったようだ。
ニコジとて人の子。親がいる以上はその親から命を狙われるということかァーッ! なんと残酷な子殺しのシステム。よう考えられたあるわ!
そんなわけで、ザカリー坊やを追いまくるニコジと、ニコジを追いまくるヘンリクセン…という阿鼻叫喚の家族ゲームが展開してゆくぅぅぅぅー。
だいぶ我慢したのでそろそろ言っていいのかな。
なんやこれ。
◆ニコラス・ケイジの伝記映画◆
かなりムチャクチャな内容だが、本作は単なるスリラーではない。
子殺しのシーンは疾走感ある画運びで即物的に描写されていくが、それ以外のシーンには少し意味深な翳りがある。ニコジ夫妻が全力で子供たちを殺そうとする最中にヘタなフラッシュバックがたびたび挿入され、そこでこの家族のバックボーンが少しずつ明かされていくのだ。
その回想シーンには自宅の地下室にビリヤード台を設置しようとするニコジがいて、「そんなもの置かないでよ」と不満を垂れるセルマに八つ当たりする光景があった。
ニコジは、せっかく借金して買ったビリヤード台をハンマーでバキバキに壊しながら、半泣きになってこれまでの人生を悔やみだす。『ドッグ・イート・ドッグ』(16年)のウィレム・デフォーのように。
「昔は稼ぎまくって女にも不自由せず、すべてが思い通りにいくと思ってた。そのオレがこんなクソみたいなオヤジになり果てるなんて…。ケツはヨボヨボ、腹はパンパンに出まくってるし、耳毛も鼻毛も伸び放題だ!(ハンマー振り回す)」
ひとしきり暴れてようやく落ち着いたニコジから「キミには分からないだろうな…」と言われたセルマは、涙を浮かべながら「いいえ、分かるわ…」を言って胸中を吐露する。
結婚して子供が生まれたことで漠然とした不安と恐怖に苛まれ、親としての責任が重くのしかかる。それまでは無限の可能性に満ちていた人生が「子育て」という一方向に狭まり、大事に育ててきたはずの娘からは「自分の人生がつまらないからといって私に当たらないでよ!」とまで言われてしまう。
この二人は親であることに疲れきっていたのだ。
セルマも同じ思いだったことを知ったニコジは力なく呟く。
「かつてのキミは“セルマ”だったし、オレは“ニコジ”だったんだ。それが今じゃあ、ただのママとパパだ…」
め、名言…。
どうやら『マッド・ダディ』はホラーやスリラーの類ではなく、このシーンにこそ真意があるようだ。
劇中で描かれる子殺しとは現象ではなく本質。いわば「子供さえいなければ…」という親たちの潜在意識を可視化した寓話である。
したがって、原因の究明とか解決といった科学的な整合性を求めたところでそもそもそこを目指した映画ではないということになってしまうわけだ。ちょうど『ハプニング』(08年)と『聖なる鹿殺し』(17年)を足したような観念的な映画と言えましょう。
そう考えると、急にブツッと終わるラストシーンはこの上なく理に適っていて、かつ洗練されている。詳細は伏せるが、タランティーノの『デス・プルーフ in グラインドハウス』(07年)に匹敵するお洒落エンドだと思いました。
私が笑ったのは、ニコジが「昔はよかった。でも今は…」と言って現状を嘆くセリフが今のニコラス・ケイジの本音というあたり。
この映画でニコジが演じた役は役じゃなくてまんま本人なのだ。
「昔は稼ぎまくって女にも不自由せず、すべてが思い通りにいくと思ってた。そのオレがこんなクソみたいなB級俳優になり果てるなんて…。ケツはヨボヨボ、頭はズルズルにハゲまくってるし、借金も罰金も増え放題だ!(オスカー振り回す)」
おまけにDVで逮捕されたこともあるしね。
もうマッド・ダディご本人だよ。
家族に手を上げる…って映画の中でやってることと同じじゃねえか。半分伝記映画だよコレ!
先ほど「私はこれがニコジのために書き下ろされた脚本だと確信している」と述べたように、まさにそんなセルフパロディ的な文脈もすくえるように二重構造化されたメタ映画なのである。
今はズルズルに落ちぶれているニコジだが、『マンディ 地獄のロード・ウォリアー』(18年)がカルト的人気を博しているようなので、ぜひこの調子で返り咲いてもらいたい。
大丈夫だよ、ニコジ。2010年代は敗者復活のディケードで、瀕死状態にあったメル・ギブソンもマイケル・キートンも完全復帰したんだ。ニコラス・ケイジが復帰できないわけがないだろう。もう一度栄光を手にしてくれ。
行け、マッド・ダディ!
くだらん映画とチャラチャラしたセレブ俳優に群がるバカどもを殺せ!!
マッド・ダディ「おおお~」
こんな奴が本当に返り咲けるのだろうか。