2018年。ガース・デイヴィス監督。ルーニー・マーラ、ホアキン・フェニックス、キウェテル・イジョフォー。
男性原理に支配された社会で、家族に結婚を強要され、苦しい想いをして生きるマリア。イエス・キリストに出会い、家族から離れ、使徒らと共にイエスに仕え、教えを伝えるため旅をする。死者を蘇らせたイエス・キリストは、やがて救世主として民衆から崇められるも…。(Amazonより)
おはようございます。
昨日、京都は大雪に見舞われました。雪って綺麗だけど、ひとしきり降ったあとはベチャベチャとした薄汚いヘドロと化すので、興醒めも興醒めです。
ベチャベチャになった道路を歩いていたおじさんが滑って転んでました。ベチャベチャとした泥水が衣服について、まるでおじさん自身が薄汚いヘドロみたいになっていたので不憫だなって思った。
雪といえばスキー。スキーといえば、昨日からやなぎやさんが軽井沢までスキーに行っているようです。いいご身分です。おっさんが道で転んでベチャベチャになっている頃に優雅にスキーなんか楽しんじゃってさ。ゲレンデが溶けるほど恋をしてやろうか。
スキー映画といえば『フレンチアルプスで起きたこと』(14年)が印象深いのだけど、本日お話する映画は『マグダラのマリア』であります。ざんねん。
※敬虔なクリスチャンはどうか読まれませんように。
◆超豪華キャストによるロードムービー◆
はい。今回はゴリゴリの宗教映画ですが、小難しい話は抜きにしてなるべく明るく振舞っていきたいと思います。
ちなみに私は原理主義的無神論者なので宗教映画はあまり積極的に観る方ではないのだけど、主演のルーニー・マーラによって「観ない」という選択肢がかくも鮮やかに取り上げられてしまったン。
私生活で交際しているルーニーとホアキン・フェニックスのダブルキャストでお送りする『マグダラのマリア』。
監督は処女作で大変な話題をさらった『LION ライオン 25年目のただいま』(16年)の新鋭ガース・デイヴィス。こちらでもルーニーを起用しているので、秘かに彼女のことを狙っているのかもしれない。ゆるせない。
本作はマグダラのマリアにスポットを当てた世界初の映画である。
※以降はマリアと表記するが、聖母マリアやモデルのMALIA.と混同されぬよう注意されたい。
私は美術高校と美大に通っていたころに西洋美術の勉強をさせられたのだけど、ことにルネサンスの絵画においてバンバン出てくるのがマリアである。イエスの腰巾着みたいにいつも足元にいる謎の女だ。
当時の私はバカだったので「足なめようとしてるの?」ぐらいにしか思わなかった(実際は香油を塗っていた)。
「舐めさして」、「やめなさい」。
マグダラのマリアというのは十二使徒とともにイエス・キリストに付き従った女性で、キリストの死と復活を見届けた証人でもある。カジュアルな言い方をすればイエスのソウルメイトということだ。
また、イエスの妻だったという伝説も残っており、ウィレム・デフォーがキリストを演じた『最後の誘惑』(88年)におけるマリアはイエスの妻として登場する。
他方、罪深き娼婦として2000年ものあいだビッチ疑惑をかけられていた女性としても有名だが、これはカトリック教会が流布したイメージに過ぎない。2016年にマリア再評価キャンペーンを実施したバチカンだかバカチンだかがマリアに使徒と同等の称号を与えたことでマリアに対する世界の目が変わった。まさに娼婦から聖女になった女。
いずれにせよイエスの妻説も娼婦説も推測の域を出ないので、本作ではこの要素をばっさりカットしている。英断。とはいえ妻としても娼婦としても描かないとすれば、果たして本作はどのようなマリア像を描き得たのか?
ただイエスの宣教に付き従う女として描かれている。
使徒よりも慈悲深くてイエスの気持ちをよく理解していて、宣教の旅をテキパキと取り仕切りながら目的地エルサレムへと導くのだ。ゆえに宗教映画と聞いてしゃっちょこばる必要はない。もっと楽に考えようではないか。
これは伝道ロードムービーだ!
イエスとマリアだけでなく使徒のペトロやユダも出てくるので、いわばオールキャスト映画である。超豪華じゃん。やったじゃん。観るしかねえじゃん。
◆人間と自然がスクリーンを奪い合う◆
言ったもん勝ちだから言うが『マグダラのマリア』はオープンワールドのRPGゲームによく似ている。
世界を変えるべく旅に出たイエスが道中でさまざまな連中を仲間にしながら目的地に向かうという、まぁ、とどのつまりはドラクエである。
物語はマグダラの寒村に始まり、そこでマリアを仲間にしたイエス御一行様が、イエス、ノー、イエス、ノーと言いながらイスラエル中をほっつき歩いてエルサレムに入城、ローマ政府にとっ捕まってゴルゴダの丘で磔刑に処されるまでを雄大なスケールで描いているのだ。
レビューサイトを閲したところ「あやうく居眠りをしかけた」とか「居眠りをした」といったコメントで埋めつくされていたが、いやいや、寝てる場合じゃないでしょう。これは面白いよ。
かくいう私は原理主義的無神論者ゆえに本作の内容にはビタイチ興味がなく、あまつさえこの映画を観た日はたまたま睡眠不足だったので「途中で寝ちゃうだろうなー」と思いながら鑑賞に臨んだのだが、終始興奮状態でエンジョイをした。
なんといってもショット。ロケーション。絶景。
イエスたちがイスラエル全域をほっつき回るさまをデジタル撮影でビビッドに捉えたショットが非常に力強い。
思えば『LION ライオン 25年目のただいま』も役者より景色が印象的だった(未だに全シーンの景色をありありと思い出せるほど)。
絵画と違って映画における景色は「地理情報を示すための背景に過ぎない」と軽んじられているが、『アラビアの女王 愛と宿命の日々』(15年)にもよく似た本作は景色こそが主役。
イスラエルの砂丘、岩山、海辺を美しく見せるために細やかな人物配置がなされていて、湿度や風の豊かな感覚が観る者をここではないどこかへ運んでくれる。特殊効果もCGも結構だが、ここには映画の原初的な歓びがある。
圧倒的なパワーで前景化する景色をどうにか後景化しようと努める役者陣もたいへん素晴らしい。まるで人間と自然がスクリーンを奪い合っているようだ。
もちろんマリアを演じたルーニー・マーラは時代設定に合わせてノーメイクなのだが、照明というメイクを施すことで鮮烈な像を結んでいる。女優の顔をメイクするのは化粧品ではなく照明。これぞ照メイク(理解しろ)。
一丁前にイエス・キリストを演じたホアキン・フェニックスも相変わらず上手い。
キリストの役なんて役作りの仕様がないので「ぼくの考えたキリスト」を勝手に拵えねばならないが、まぁホアキンにしてみればお茶の子さいさい。「みんなが思ってるキリスト」を記号的に演じた『パッション』(04年)のジム・カヴィーゼルが赤ちゃんに見えるほど説得的な佇まいでイエス・フェニックスという新キャラを生み出しておられる。
ただし老けすぎという違和感はある。33歳で死んだイエスを43歳のホアキンが演じていて、なんというか、おっさん丸出しなのである。
また、それを差し引いても腹出すぎという違和感がなお残る。
ビール腹をぶるぶるさせながらのエルサレム入城であります。
酒場へ行くのでしょうか、と言いたくなるほど腹出すぎ。
おまけにイエス・フェニックスはいつも酔っ払ったようにポヤポヤ~としていて、ハンドパワーで村人の病を治してあげるとすぐ電池切れを起こしてグデングデンになっちゃう。ヘベレケのサラリーマンみたいに。
酔いどれイエスという新たなイエス像を造形した画期的な芝居であるよなぁ。
イエスにしては老けすぎなホアキン・フェニックス。
あとペトロが黒人です。
『それでも夜は明ける』(13年)で知られるキウェテル・イジョフォーがペトロ役に挑んでおられる。
イエスが「特別の使徒」と評して贔屓にしていたのがマリア(女性)とペトロ(黒人)だったり、映画冒頭ではマリアが望まぬ相手と結婚させられそうになる…という描写もあるように、昨今における差別撤廃の気運に繋がるサブテキストが散りばめられているのだ。
そういう点ではきわめて今日的な問題を穿った意義深い作品なのだが、宗教映画なのに政治にも踏み込むという時評精神…、なんとなくポリティカル・コネクトレスのきな臭さも嗅ぎとってしまい、若干うんざりしてしまう。
◆ルーニーとホアキンのノロケ映画◆
宗教映画だとか、ロードムービーだとか、いや政治映画でもある…といった話を長々としてきたが、この映画の本質は別にある。
本当のことを言いましょう。
ルーニーとホアキンがイチャこいてるだけのノロケ映画だよ、これ!
マリア「ハンドパワーで病気治すとか。イエスさん凄すぎ~」
イエス「ワシいま宣教の旅してんねんけど…来るけ?」
マリア「すべてを投げ捨ててお供しますっ」
ユダ 「あー。イエス様ってクールだよなー。ああいう人をカリスマって言うんだろうねぇ。男の僕でも惚れそうだよ」
マリア「ちょっと、やめてよねユダ。イエス様は私のものなんだから!」
イエス「ちょ、マリア。ファミマでポカリ買うてきてくれへん? 説教しすぎて喉痛いわ…」
マリア「買ってきましたっ。ついでにワンピースの一番くじも引いてきましたよ!」
イエス「うおおー。ゾロのフィギュアやん。さすがマリア。褒めてつかわす」
マリア「へへッ♡」
なにこれ…。ルーニー×ホアキンのリアルカップルがずっとイチャこいてるじゃん。
まぁ、夫婦説に準拠した作品ではないので、あくまで「主と使徒の厚い信頼関係」という体で描かれてはいるが、互いに見つめ合う瞳の奥にはマジの愛が燃え滾っておりました。
ルーニーは芝居を忘れてウットリした目でホアキンを見ているし、ホアキンも「今晩…どうだ?」みたいなアイコンタクトを送っている(想像)。
よってルーニーファンにとっては地獄! 苦痛! 嫉妬!
神よ、救い給え!