家庭円満の「円」に囲い込まれた家族という名の4人の囚人。
2005年。豊田利晃監督。小泉今日子、板尾創路、鈴木杏、ソニン、大楠道代。
京橋家のルールは何事も包み隠さないこと。しかし、長女マナが誕生のきっかけがラブホテル「野猿」ということまで赤裸々に語られ、マナは戸惑う。長男のコウはそのラブホの建築に興味を持ち、言ってみようと不動産屋の女性に案内を頼むが、彼女は父の愛人だった。マナが学校をさぼって援交をしていたり、父にはふたり愛人がいたり、家族には隠し事が多く、そしてルールを作った絵里子にも知られたくない過去があった…。(Amazonより)
おはようございます。
昨日気づいたんすけど、前回の更新をもって300記事を突破したようです。また、先月の14日に一周年を迎えたけど、これは気づくのが遅かったので触れることができませんでした。
そうかぁ、もう1年以上やってて300記事も書いたのか。アホだなこりゃ。
こんなことをしてる暇があるなら陶芸教室に通ったりピアノの練習でもしていた方がよっぽどハピネスな人生を手にしていたはずだ。なまじ映画ブログなんか始めたばかりにハピネスな人生を手にし損ねた。くやしい。
そもそも映画評論なんかしてる奴はもれなく地獄行きですよ。
当たり前じゃないですか。他人様が心魂こめて作ったものを好き放題言ってケチつけて「こうである!!」とか勝手な理屈を振りかざす。ハナ垂らしながら「ほっほーん」とか「さすが」なんつってる読者も同罪。共犯。片棒担ぎ。
われわれは幸せにはなれない!
よろしい。ならば畜生道を極めるまで。ともに地獄のサンバを踊ってやりましょうよ。
そんなこって本日は日本映画強化週間の最後を飾る『空中庭園』でございます。ありがとう日本映画。『ツィゴイネルワイゼン』(80年)以外ぜんぶ貶してるけど!
◆シャブシャブ映画◆
母 小泉今日子(以下キョンキョン)によって「秘密を持たない」というルールが決められたこの家では、あけすけに性の話や不道徳な言葉が飛び交う。だが父親の板尾創路は二人の女と不倫していて、長女 鈴木杏は自分のヌード写真を二束三文でエロ雑誌に売り、引きこもりの長男 広田雅裕は美人家庭教師のおっぱいの虜となる(しかもその家庭教師は父の不倫相手でもある)など、全員が秘密を抱えていた。
そして秘密作らずの法を打ち立てたキョンキョン自身もある秘密を抱えていて…。
団地に住む四人家族の奇妙な物語、という時点で否が応でも『家族ゲーム』(83年)を連想してしまうが、森田芳光が悪夢的演出を用いずして悪夢的世界を現出せしめたのに比定するとこちらはかなり即物的な演出が目立つ。
カメラが振り子のように揺れたり天地が逆さまになるほど回転しながら街の景色を切り取っていくアシッド感満載のアバンタイトル(酔う酔う)。
「監督はシャブでも打ちながら撮っていたのだろうか?」なんてことをシャレで思っていると、この映画は公開を待たずして監督・豊田利晃が覚醒剤で逮捕された。
道理でな!
カメラがグルっと回転するタイトルバック。
本作は『聖なる鹿殺し』(17年)や『ハッピーエンド』(17年)にも通じるブラックなホームドラマだが、ただブラックなだけでなくサイコでサイケでおまけにジャンキー。あるいはファンキー。
どことなく『白昼の幻想』(67年)というラリラリ映画を思わせる方法論的ヤバさに満ちている。
『白昼の幻想』…監督とキャスト全員がLSDをキメながら撮ったアシッドムービー。
方法論的ヤバさ。つまり劇中のキャラクターやそこで描かれていることがヤバいのではなく、その撮り方(ひいてはそれを撮っている人間)がヤバいのである。
完全に自己陶酔したアバンタイトルのほかにも、たとえばキョンキョンの二面性を表現する際の妄想シーンが相当ヤバい。ここでは金を無心する職場のDQN女をキョンキョンがフォークでメッタ刺しにするのだが、「画面が血に染まる」というところまでは想定内である。血が噴き出すぐらいならただの暴力描写だし、そんなものは見慣れているわけだ。
ところが本作のヤバみは、笑顔を浮かべてフォークを握りしめたキョンキョンのアップショットに赤ちゃんの産声のような音がかぶさり、やがてその音が食器を擦り合わせたような金属音へ変わり、それに合わせて彼女の顔にモザイクが掛けられていく…という不気味な演出である。
気味が悪いよ!
何らかのお薬を飲んで精神が拡張した人間じゃないとこんなシャブシャブ演出は思いつかないだろう…というような不快で不気味で恐ろしいシーンのつるべ打ち。はっきり言ってその辺のホラー映画よりも怖い。怖いというか気色悪い。
まるでデヴィッド・リンチのようなちょっと正気ではない人が撮った映像というか精神異常者が描いた絵のような闇の深い作品である。画面の湿度も高く、ジトッとした鬱気を帯びている。
◆家庭円満の「円」がそこかしこに◆
にも関わらず「描かれていること」は牧歌的だ。キョンキョンはいつもキョンキョンキョンキョン言いながら笑顔を振りまいているし、家族関係もじつに良好。それぞれに嘘を抱えながらも、ここには幸福な家族の姿があった。
それにユーモアにも満ちている。
とりわけ父親の不倫相手の片翼を演じた永作博美が大変すばらしく、SMプレイ時以外でも常日頃から女王様然と振舞うキャラクターをノリノリで演じている。そんな永作からの電話に出た小泉の母・大楠道代が、家族団欒の場で父・板尾に向かって「セフレさんって人から電話ですよ! フランス人なのかねぇ?」と叫ぶシーンは本作屈指の爆笑シーン。気まずいけど面白い。面白いけど気まずい!
これに対してキョンキョンはショックを受ける様子もなく「母さん、セフレというのはセックスフレンドの略ですよ(笑)」といった一言こそがこの映画の本質。
つまりキョンキョンは夫の浮気を知りながらも円満な家庭を維持しようと努めており、家族全員が「秘密を持たない」というルールを破っていることを知りながらもそれを黙認して笑顔を浮かべ続けるのだ。
家族の輪に加わったソニン演じる家庭教師は、たびたび夕食に呼ばれるうちにこの家族にただならぬ違和感を覚え始め、酒に酔った勢いで核心に触れてしまう。
「わかった! これって学芸会よ。あなた達みんなが役を演じて『幸福な家族』ごっこをしてるんだわ」
食卓が水を打ったように静まり返るが、咄嗟にキョンキョンが「学芸会で何が悪いの? 楽しいじゃな~い」と笑顔で返す。だが目が笑っていない。
その後、むきになったソニンが板尾との不倫を暴露し、永作から掛かってきた電話を祖母が取って「セフレさんから電話ですよ!」の修羅場展開が怒濤のごとく押し寄せるわけだが、取り乱しているのは板尾だけで、妻や子供たちはあくまで平常心。図らずも「嘘を作らない」というルールが規定通りに遵守された形となったので、彼らにとってこの異常な空間は「混沌」どころか「秩序」に保たれた凪のような日常なのである。
ソニン(他者)の目を通して炙り出される家族の異常さ。
その「秩序」がもたらすニセモノの家庭円満は至るところで表象されている。
食卓を囲む家族を円の動きで捉え続けるロングテイクを例を出すまでもなく『空中庭園』は円の映画である。
居間の丸型テーブル、ランプシェード、観覧車、誕生日の巨大ケーキ、ラブホテルの回転ベッド、シーツの模様…。
円の動き、または円のモチーフに彩られた画面が「秩序」や「円満」といった主題群をしきりに強調するが、その一方で円とは「囲い込むもの」であり「閉じ込めるもの」。家庭内ルールによって秩序化された家族は、しかしその秩序によって自由もプライバシーも縛られた囚人なのだろう。
彼らの住む団地を捉えたダッチ・アングル(斜めの構図)が見たまんま「歪み」を表している。この団地はある意味においては刑務所であり、そこで彼らは無言の示し合わせのもとに「幸福な家族」を演じる囚人なのである。
これでもかとばかりに丸い。
それはそうと、かつてブロン中毒だったアイカワタケシが『ファイト批評』という映画評論本のなかで「渦巻きは最高だ」という名言を残していたが、やはりある種の人には円って気持ちいいものなのだろうか?
◆まっ赤な女の子◆
『空中庭園』は黒沢清と園子温をミキサーにかけたような映画である。
まぁ…本当にこの二人をミキサーにかけたらバラバラになっちゃうのだが。
喩えとして、ね。
園子温ほどダイレクトな暴力描写や性描写に振り切っているわけではないし、むしろ黒沢清のようなオカルトじみた気味の悪さに満ちているのだが、映画に張りついている不機嫌さという面では園子温とよく似ている。アングラ趣味にも符合するし。
それにしても甘い映画である(ここも園子温といっしょ)。
途中から放ったらかしにされるエピソードや不明瞭な人物造形など、底抜けバケツのようなシナリオにがっかりしてしまうのだが、何といってもキョンキョンがベランダで血の雨に打たれながら泣き叫ぶクライマックスである。
これは出産のメタファーであり、キョンキョンが生まれ変わったことを仄めかすための「映画的表現」なのだが 激烈にダサい。
雨に打たれて泣き叫ぶって…、私が考える「現代日本映画のカッコ悪い演出ランキングTOP10」の第3位だよ。どうもおめでとうだよ!
というか、生まれ変わり=輪廻であるなら当然最後も「円」で終わらねばならないはずでしょうが。
1983年のシングル「まっ赤な女の子」を地で行くキョンキョン。
とはいえキャスト陣は豊田利晃のラリパッパな世界観をよく理解していて、あえてマンガのような記号的芝居に徹している。
板尾創路、鈴木杏、永作博美。それにワンシーンだけ登場して「俺のバビロンへようこそ…」という猛烈に恥ずかしいセリフを言ってのけた瑛太。ロックな祖母を演じた大楠道代は『ツィゴイネルワイゼン』(80年。これも円の映画でしたね)を観たばかりだが、相変わらず凄艶。
だが何といっても小泉今日子である。キョンキョンといえばなんてったってアイドルだが、アイドルから女優に転身した先駆者だというよ。
あんなに優しかったキョンキョンが大楠に向かって「死 ね ば?」とメンチを切るまでの長回しは圧巻だ。まさにヤマトナデシコ七変化。確執のある親子を演じたキョンキョンと大楠の直接対決をじっとりと捉え続けるカメラもいい。黒沢清から贔屓にされているのだから、そりゃあ折り紙付きなのである。
ちなみに板尾は愛人から股間をよく踏まれるマゾ父ちゃんを好演しているが、演じているのか素なのかよくわからない。