シネマ一刀両断

面白い映画は手放しに褒めちぎり、くだらない映画はメタメタにけなす! 歯に衣着せぬハートフル本音映画評!

ボストン ストロング

英雄を美化しない現代アメリカ英雄譚(不満タラタラ)。

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2017年。デヴィッド・ゴードン・グリーン監督。ジェイク・ギレンホール、タチアナ・マズラニー、ミランダ・リチャードソン。

 

ボストンで暮らしていたジェフ・ボーマンは元恋人エリンの愛情を取り戻すために彼女が出場するボストンマラソンの応援に駆けつけるが、ゴール地点付近で発生した爆弾テロに巻き込まれ両脚を失う大ケガを負ってしまう。意識を取り戻したボーマンは警察に協力し、ボーマンの証言をもとに犯人が特定されると一躍ヒーローとして脚光を浴びるが…。(映画.comより)

 

 おはようございます僕です。キミは誰ですか。なんで私は毎回毎回素性の知れない人たちに向けて律儀に挨拶してるんですか。阿呆らしいや!

でも挨拶って大事だよね。だからこれからも挨拶していくよ。

挨拶というのは人と人がコミュニケートするための電源なんすよ。スイッチなんすよ。それを押して初めてオレとオマエが結びついて会話が生まれるってわけ!

なので私は、挨拶をしない人、もしくはこっちの挨拶を軽く受け流した人から話しかけられても一切お答えしません。これは無視ではなくて、いわば、そう…挨拶待ちなんですよ。まずは挨拶せえよと。話すのはそれからだろうと。違いますか。違ってたら悲しいです。

さて。

本日、みなさまの目を汚すレビューは『ボストン ストロング』です。正式名称は『ボストン ストロング ~ダメな僕だから英雄になれた~』ですけど、副題がイライラするので省かせて頂きました。

「ダメな僕だから英雄になれた」って…そういう映画じゃないからね。

むしろ逆! 詳しくは後述するけど「別に英雄なんてなりたくねぇよ」っていう映画ですから。

分かりやすさに重きを置くあまり内容を履き違えた邦題ばっかりつけやがって! 配給会社この野郎!

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Image:映画.com

 

◆ジェイク・ギレンホールはチキンを焦がす◆

2013年に起きたボストンマラソン爆発テロ事件の犯人逮捕に協力した被害者ジェフ・ボーマンが満を持しての映画化。

メガホンを取るのは無個性の権化ことデヴィッド・ゴードン・グリーンで、主人公ジェフを演じるのは個性の権化ことジェイク・ギレンホール

ボストンマラソン爆発テロ事件を扱った映画といえば『パトリオット・デイ』(16年)が本作の前年に作られている。そちらでは警察が犯人を追い回すといった追跡劇を主軸にしていたが、本作では被害者の生活に寄り添った小市民的な内容となっている。

「~ダメな僕だから英雄になれた~」という副題にムカつき過ぎてまったく観る気が起きなかったのだが、某ジェイクフリークから半ば一方的に鑑賞を義務付けられたので義務を果たそうと思います。

それにしてもスチール写真の横顔がダニエル・ラドクリフに見えて仕方がない。

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ジェイクと思うからジェイクに見えるのであって、ラドクリフと言われればラドクリフじゃない?


ボストンは好きな街である。アメリカに行った際はぜひ寄ってみて下さい(私は行ったことないけど)。

ボストンといえば『パトリオット・デイ』のマーク・ウォールバーグの故郷であり、この地で青春を過ごしたベン・アフレックも自身の監督作でたびたび舞台に選んでいる。また、ユマ・サーマンやエドワード・ノートンの出身地でもある。

私のなかでボストンの映画と言えば『ミスティック・リバー』(03年)なのだが、近年でも『イコライザー』(14年)『スポットライト 世紀のスクープ』(15年)『ブラック・スキャンダル』(15年)と、しばしば映画の舞台に使われるボストン。ブラウンを基調色とした渋い街並みが特徴的なので重ための映画によく合うのだ。

また、びっくりするぐらい関係ないがハードロック好きとして触れないわけにはいかないのがそのものずばりなボストンという理系バンド。透明感のある音とコーラスワークの美しさで聴かせる「More Than a Feeling」は心のデトックスナンバーさ!

この曲は『バーレスク』(10年)でも使われているほか、『聖の青春』(16年)で松山ケンイチが演じた棋士・村山聖も大ファンだったというよ。

Boston - More Than a Feeling www.youtube.comハードロックの名盤『幻想飛行』(76年)のオープニングナンバー。キャッチーな美メロを聴かせますよ。

 

ボストンの話はもういいんだよ!

映画の話をしましょう。

ボストンのコストコに勤めているジェイクはチキンを焦がして上司に叱られるという特殊な仕事をこなしており、暇さえあればバーで地元民たちとレッドソックスを血眼で応援するような典型的なボストニスト。

すでに別れた恋人タチアナ・マズラニーに未練タラタラのジェイクは、彼女がボストンマラソンに参加するというので応援に駆けつけ、ゴール付近で絶叫したり他のランナーを野次るといった特殊な応援をしていたのだが、急に爆発が起きて両足が吹き飛ばされる。

病院で意識を取り戻したジェイクは「犯人を見た!」と言い、FBIはこの証言を活用して瞬く間に2人のテロリストを一網打尽に(この過程は『パトリオット・デイ』に詳しい)

犯人特定に貢献したということで一躍ヒーローになったジェイクは、多くの人民から「すげえじゃん」、「時の人じゃん」と称賛され、ジェイクの家族も「お前はまさに伝説の息子」とか「息子の伸び代いかつい」などと鼻高々のご様子。

しかしジェイクとタチアナだけが憂いのある表情を浮かべていた…。

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© 2017 Stronger Film Holdings, LLC. All Rights Reserved. Motion Picture Artwork © 2018 Lions Gate Entertainment Inc. All Rights Reserved.


◆ジェイク・ギレンホールは欠如する◆

きわめてイーストウッド的な題材である。

『アメリカン・スナイパー』(14年)『ハドソン川の奇跡』(16年)『15時17分、パリ行き』(17年)に連なる現代アメリカ英雄譚だ。

どこにでもいる平凡な男がある事件によって突如英雄として祭り上げられ、国旗を背負い、希望の象徴となるが、当の本人は事件の後遺症に苦しんでいて英雄扱いなどしてほしくない(←ここ重要)…というシビアな英雄譚が紡がれております。

また、近年のアメコミ映画のように、ヒーローという存在を法律・心理・哲学的なアプローチから考察していくと勧善懲悪で割り切れるほど単純な話ではなかった…ということが見えてくる作品でもあって、両足を失ったジェイクは人生最悪の日が人々から称賛されることにひたすら葛藤し続ける。

ジェイクの家族はどいつもこいつも無神経で、入浴や排泄に誰一人として手を貸さなかったり、彼が有名人になることに大喜びして浮かれまくる。このあたりは『ミリオンダラー・ベイビー』(04年)を彷彿させるよな。


私が注目したいのは英雄を美化しないという強固な意思がドラマタイズされている点である。

本作の主人公は観る者の同情を引くようなキャラクターではなく、それどころか「同情の余地なし!」と見放しそうになるほど自堕落な男で。

リハビリをサボってゲーム三昧。タチアナとの約束をすっぽかしてバーで痛飲。客と大喧嘩。クソにまみれて酔い潰れる。飲酒&暴走運転(足ないんだからシラフでも運転しちゃだめ!)。タチアナの妊娠報告を闇に葬る。そして職場ではチキンを焦がす。

この映画の副題は「ダメな僕だからチキンを焦せた」にすべき。

個人的にいちばん腹立たしいのは、ジェイクの母とタチアナの確執を見て見ぬふりして、唯一の良心であるタチアナが神経を擦り減らしていくことすら見逃してしまう鈍感さ。…もう! ばか!


奇しくもタチアナから「アンタは子ども。ザッツオール」と言われたように、この男は人として大事なものが色々と欠如した人間である。

思えばジェイク・ギレンホールという役者は『ナイトクローラー』(14年)『雨の日は会えない、晴れた日は君を想う』(15年)『オクジャ/okja』(17年)でも人間性が欠如した役を演じていたし、『複製された男』(13年)『サウスポー』(15年)『ノクターナル・アニマルズ』(16年)では本作同様に他者への理解が欠如したフヌケを演じている。

そんな欠如俳優ジェイクがついに精神的な意味だけでなく肉体的にも欠如する。両足だ。

しかしクライマックスでは足を失った彼が義足を装着することで肉体的欠如を補い、それと同時に精神的な欠如も埋めていく。まさに失ったものを獲得するというテーマがダブルミーニングになっていて、じつに理に適った作劇だなぁと感心する次第。

義足をつけて生まれ変わったジェイクは、痛みに耐えながら歩行訓練を重ねることで再び人生を歩き始めるのだ。すてきやん。

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(C)tubefind


◆ジェイク・ギレンホールは飛翔したい◆

ここからは愚痴めいたことを綴っていくのだけど、まずはすぐれた俳優がイニシアチブを取ると監督の無能さが目立つよねっていう悲しい話をしなければなりません。

この映画はジェイクが2015年に立ち上げた製作会社「ナイン・ストーリーズ」の第一号作品ということもあって、ジェイクは主演を務めながら製作にも一枚噛んでいる。

監督のデヴィッド・ゴードン・グリーンは無個性の権化、それすなわちうだつの上がらない三流監督なので、ジェイクにしてみれば自分のやりたいことを自由に表現する上では(言葉は悪いが)都合のいい監督だったのだろう。いわば本作のジェイクは『ミッション:インポッシブル』の主導権を握っているトム・クルーズのような立ち位置だ(王様!)。

したがって『ボストン・ストロング』はジェイクの熱演を前面に押し出した芝居優位の設計となっている。

もちろんジェイクファンや芝居重視の観客にとっては一定の満足感が担保されているのだが、なまじジェイク独壇場に特化しすぎたことで一定の不満足まで担保しちまってるのさ!


何といっても実話に振り回されすぎである。

センシティブな題材ゆえに「ここはもっと大きく描いた方がいい」というシーンを作り手が自粛してしまっていて…易きに流れてる感がすげぇのよ。

たとえば飲酒運転したジェイクがパトカーに止められるというシーン。通常の作劇法であればジェイクが警察にしょっ引かれることで人々の信頼を失って英雄神話が翳りだす…といった方向に物語を遊ばせることなんていくらでも出来たはずだが、あくまで「実話ベースをセンシティブに…」がモットーの本作はジェイクが再起するまでのドラマをお行儀よくなぞるばかりで、なにも脚色せず、どこも逸脱しない。

映画が「ジェイクの複雑な心境」から一歩も前に進まないの。

そりゃあ複雑な心境はわかるよ。ジェイクが素晴らしい芝居で表現してくれてるからね。でも、そっから先は? っていうと特にナシ…という状態で。

デヴィッド・ゴードン・グリーンは想像力が欠如しているのだろうか?

タチアナとのセックスシーンもクローズアップの乱打でキレイキレイに撮ってるしさぁ…(ジェイクの両足を見せない)。はぁ?だよ。障害者と健常者のセックスこそ障害=両足にカメラを向けるべきなんじゃないの。結局そういうものは隠しちゃうわけ?


また、各キャラクターの複雑な心理が映画になっていかないことのもどかしさも感じるところであるよなー。

ジェイクのママンがしきりにメディア露出をすすめるのは社会復帰が難しい息子を思ってのことで、どうやら将来に備えて金や信用を蓄えておこうという考えがあるようなのだが、映画を観る限りだと名誉欲に取り憑かれしババアとしてしか描かれていない。

だけど本当はもう少しまともな母親であることをミランダ・リチャードソンが微細な芝居でうまーく表現してくれているのだが、カメラはそれを撮り逃す。

ぶう垂れるのはこれで最後にする。

ジェイクとタチアナを訣別へと至らしめた車中の大喧嘩とカフェで再会するラストシーンのあいだには、ジョギングを終えたタチアナが家に戻るとレッドソックスの始球式に呼ばれたジェイクがテレビに映っていた…というシーンがあるが、ここで彼女がテレビの中のジェイクに微笑みかけたことを「和解の意思」とする浅ましい演出には涙が出る。この演出とも呼べない演出がいかに安易であるかはアホらしいので説明しない。

 

やはりデヴィッド・ゴードン・グリーンは想像力が欠如しているのだろうか。それとも想像力を発射する術を知らないのだろうか。

せっかく役者陣は良いし、映画の良心というか真心みたいなものは感じられたのに、監督が凡愚の極みで怒りすら覚えてしまった。

ちなみにこのアンポンタンが作った『スノー・エンジェル』(07年)『グランド・ジョー』(13年)『選挙の勝ち方教えます』(15年)は軒並み過去に酷評している。どれも全国公開されなかった低予算映画だが、なぜかケイト・ベッキンセイル、ニコラス・ケイジ、サンドラ・ブロックといった有名俳優が起用されているんだ。

カァァ~~ッ。 きっと大勢いるんだろうなぁ…こういう業界ウケだけはいい人!

きっと周囲の意見をよく聞いて、人好きのする性格で、クランクアップの日にキャストやスタッフを高級中華に連れて行ったりするんだろうな。「なんでも頼んでや~」とか言って。


論。

ジェイク・ギレンホールの芝居にはちゃんと展開性があること、そしてタチアナ・マズラニーの思いがけぬ魅力を唯一の収穫とした実り多き作品である。

本作を観てから一ヶ月ほど経つが、今でもこの二人の相貌は全シーケンスに渡ってありありと目に浮かぶ。反面、この映画で撮られたボストンの景色は軒並み記憶の底に埋没している。

ジェイクには「そろそろ自分で映画を作りたい。自分の羽で飛んでみたい」という飛翔願望があるだろうし、今後も続くであろう「ナイン・ストーリーズ」のプロジェクトも楽しみだけど、そのために中華で好感度を上げるような監督と組むのではなく腕のある監督と組んで頂きたいと思います(とはいえ腕のある監督と組むとジェイクの発言力が落ちてしまうというジレンマ!)

ぜひ『パトリオット・デイ』とセットでどうぞ。

そしてボストンを聴いてくれ。

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実際のジェフ・ボーマンと(右)。映画よりこの写真の方が感動的だわぁ。

Image:IndieWire