シネマ一刀両断

面白い映画は手放しに褒めちぎり、くだらない映画はメタメタにけなす! 歯に衣着せぬハートフル本音映画評!

しあわせへのまわり道

車を運転するといった映画ですね。

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2014年。イザベル・コイシェ監督。パトリシア・クラークソン、ベン・キングズレー。

 

これまで順風満帆な人生を送っていたニューヨークの売れっ子書評家ウェンディ。しかしある日、長年連れ添った夫が浮気相手のもとへ去ってしまう。夫がいなくなり、車が運転できない現実に直面して困ったウェンディは、インド人タクシー運転手のダルワーンに運転を習うことに。ダルワーンは伝統を重んじる堅物だったが、文化も宗教も違うダルワーンとの出会いと交流を通しウェンディは新たな一歩を踏み出していく。(映画.comより)

 

おはようございますねぇ。

昨日は友人たちと某飲食チェーン店で食事をしたのだけど、未曾有の大遅刻をカマしてしまいました。1時間半ですよ、1時間半。アキ・カウリスマキの作品がひとつ観れますね。ピンク・フロイドの二枚組コンセプトアルバム『ザ・ウォール』が一回聴ける時間でもあります。

というのも、集合場所にしていた店舗を勘違いしてしまった私がまったく別の店舗に行ってしまい、そこで1時間近く「遅いなー。来ないなー」なんつって来るはずのない友人を待ち続けていたのです。これぞチェーン店の罠。フランチャイズの落とし穴。

携帯電話があればすぐに気づけたのでしょうけど、今時分、私の携帯電話は芸術的なまでに故障しているので日頃所持しておらず、そのため外出先では連絡がいっさい取れないという地獄みたいな状況が打ち続いております。唯一の連絡手段はコンピューター。

なので、店を出た私は一旦とんぼ返りして自宅のコンピューターでLINEを確認、店舗を間違っていたことに気づいて慌てて正しい店舗に走っていき、すでにお腹を満たしていた友人たちに謝り倒す…といったサスペンスを演じてしまったわけであります。

友人たちは、心が広いのか時間感覚がマヒしているのか、げしゃげしゃと笑って私の罪を赦してくれました。なんてハートウォームな奴らなんだ。どんな高い教育を受けたらそんなハートウォームな対応ができるんだ。前世はきっと道徳の時間で使われたプリントだったに違いない。

だけど僕は自分が許せない! 1時間半も遅刻するなんて実にあり得ない。この十字架は一生背負わねばなりません。先祖の顔に泥を塗ってしまった。生まれくる子供や孫たちに顔向けができない。

それにしてもコンピューターがあってよかった。コンピューターがなければ更にどえらい遅刻をしていた。コンピューターはいつだって最高だ。たまにはおしぼりウェッティーで拭いてあげねばならない。おしぼりウェッティーで友人の顔も拭いてあげねばならない。これが私にできる唯一の罪滅ぼし。

というわけで本日は『しあわせへのまわり道』だけど、もう正直レビューとかどうでもいいわ。今日は。

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◆あったかヒューマニズムですね◆

夫に離婚を突き付けられて人生のどん底にいるパトリシア・クラークソンがタクシー運転手のベン・キングズレーから車の運転を習う、といった何だかよくわからない作品である。

彼女が自動車免許を取りたがっている理由は、遠く離れた農業大学に通う娘のもとまで遊びにいけるようになりたいから。

ちなみに娘は農業を愛するあまり土を食うような女で「母さんも食べるといいわよ」といって家の中に土食文化を持ち込もうとするような危険分子である。そんな娘をグレイス・ガマーが演じている。メリル・ストリープの次女ですね。

一方、パトリシアに運転の仕方を伝授するベン・キングズレーは祖国を追われたシク教徒のインド人。不法入国しているのでしょっちゅう警察に追い回されている。最初はやや気難しい性格だったが少しずつ打ち解けて、最終的には「おっほ」といって笑う。そういう人物である。

 
本作は、それぞれに悩みを抱えた者同士が人種の壁を超えて交流を重ねるうちに人生に対して少しだけ前向きになる…みたいなヒューマニティに溢れた小品で、観終えたあとは心に温かいものが残ったり残らなかったり残りかけたりする。

概して言えることはモーガン・フリーマン感がすげえということである。

モーガン・フリーマンって、こういう「あったかヒューマニズム映画」によく出てるでしょ?

『素敵な人生のはじめ方』(06年)とか。

『最高の人生の見つけ方』(07年)とか。

『最高の人生のはじめ方』(12年)とか。

 

クソややこしいわ。

 

本作は『ショーシャンクの空に』(94年)ほど劇的に事態が好転するような大袈裟なものではなく、すこし心が軽くなるような些細な変化が訪れて映画が終わっていくという、まさにミニシアター系のど真ん中。

パトリシア・クラークソンとベン・キングズレーという上品で落ち着いたキャストもいい。

監督は『死ぬまでにしたい10のこと』(03年)で知られるイザベル・コイシェ。短編小説のように人間の心の襞をサラッと描くことをやたらに好むインディーズ派である。是が非でも心の襞をサラッと描こうとするからね、この人は。スペインの作家なのでゴヤ賞によう輝いたはるわ。

ちなみにこの監督が手掛けたペネロペ・クルス主演の『エレジー』(08年)でもパトリシア・クラークソンとベン・キングズレーを起用している。よっぽど好きなんだろうな。

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◆ちょっと退屈ですね◆

元夫に対するパトリシアの未練とか、キングズレーが初対面のインド人女性といきなり結婚するあたりについては雰囲気で語られる程度で、既婚者となったキングズレーが友達以上の感情をパトリシアに抱いてしまう終盤にしてもそうなるまでの流れを丁寧に追ってはいないのでプロットとしてはやや性急。

したがって話の流れとかキャラクターの感情が掴みづらい作品なのだが、先ほど「短編小説のように」と述べたとおり、そもそも商業的にドラマタイズされた作品ではないので筋を追ったところであまり意味がない映画なのでしょう。

それよりもベテラン二人が自由に絡み合ってそこから生まれた空気や情感を楽しむというのが理想的な見方なのかもしれない。

そういう意味ではかなり大人向けの作品で、いわゆる技巧的なことも一切していない。じつに素朴な作品だ。

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とはいえ、私なんかは息を呑むショットや思いがけない演出にハッとする瞬間こそが映画の醍醐味だと考えているので、そんな私にとってこの映画はあまりに小説的すぎたというか…まぁオブラートを引っぺがすと退屈すぎた。

マンハッタンの公道が人生に喩えられていて、パトリシアが少しずつ運転に馴染むにつれて人生の走り方も知っていく…というクサいメタファーだけで90分ゴリ押ししていて「それは分かるんだけど、他になんかないの?」と。

たとえば、思うように運転できなかった頃とできるようになった後とで車窓から見える景色が変わったりだとか、その時々のパトリシアの感情を運転の仕方で表現するとかさ。そういう細やかな演出の積み重ねが特になされていないので映画の内奥を味わう余地がないというか、全体的にスカスカというか!


さらに小うるさいことを言わせてもらうと、本作には車内のシーンが多いのだが、これがまったくダメ。

車内シーンというのは基本的に4方向しかアングルがないので単調に陥りがちである。

4方向というのはすなわち、運転席、助手席、フロントガラス、後部座席からのショット(天井をくりぬいて真上から撮る場合もあるが大まかには4方向)。

車中の二人はのべつ幕なしに喋っているので、運転席、助手席、運転席、助手席…というふうに構図=逆構図が延々繰り返されるわけだ。まともな編集技師であれば助手席のキングズレーが言葉を発してもカメラは運転席のパトリシアを捉えたままキングズレーの言葉をオフシーン(画面外の音声)として処理することで単調なリズムを回避するのだが、本作の編集技師セルマ・スクーンメイカーはそれをしてくれない。

セルマ・スクーンメイカーといえばマーティン・スコセッシの忠実なしもべとして『レイジング・ブル』(80年)から『沈黙 -サイレンス-』(16年)までほぼ全作を手掛け、アカデミー編集賞には7回ノミネートされて3回も受賞した編集婆さんだが…、やはりスコセッシでないとやる気が出ないのだろうか?

本作とほぼ同時期に携わった『ウルフ・オブ・ウォールストリート』(13年)の方はキレッキレのカッティングだったのに。

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◆品がありますね◆

まぁ、とはいえマンハッタンの景色がおもしろかったので観て悔いはない。

「そういえばウディ・アレンはマンハッタン橋を正面からは撮らないな」とか「当たり前だけど『ウエスト・サイド物語』(61年)からずいぶん街の景色が変わったなぁ」などと大変どうでもいい感慨に耽ることはできたので、とりあえずありがとう。


パトリシア・クラークソン55歳、ベン・キングズレー71歳。決して華のある役者ではないが、それだけに青白い知性を湛えた上品な二人である。

キングズレーといえばエジプト人やイラン人を演じることが多く「中東の顔」を一手に引き受けている俳優。映画会社からすればかなり使いやすい役者として30年以上も重宝されているバイプレーヤーだ。

本作では『ガンジー』(82年)ばりのゴリゴリのインド人を楽しそうに演じていて、久しぶりに活き活きしたキングズレーを見ることができた。「またインド人の役かよ」という不満は聞こえてこなかった。

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パトリシア・クラークソンに関しては『エイプリルの七面鳥』(03年)の評で「パパパパ、パトリシア!」「犯罪的美魔女」などあらん限りの言説を駆使して褒めたのだが、やはり私はこの女優がどうしても好きなのだ。

近年では『ステイ・フレンズ』(11年)『ワン・デイ 23年のラブストーリー』(11年)といった恋愛もので主人公の母親を演じる機会が爆増した。ウィキペディアを見てみると『ANNIE/アニー』(14年)にも出演しているようで、未見の私は「へぇ、観てみようかな」なんて思いながら役柄を調べてみると「女被験者」と表記されていた。

女被験者?

パトリシア・クラークソンが女被験者になっちゃうの?

役名すら与えられずに?

俄然興味が湧いた。

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 Image:IMDb