韓国映画の美点と欠点がぜんぶ出てます。
2016年。キム・ソンフン監督。ハ・ジョンウ、ペ・ドゥナ、オ・ダルス。
自動車ディーラーとして働くジョンスは、大きな契約に成功して意気揚々と妻と娘の待つ家へ車を走らせていた途中、通りかかったトンネルが突然崩れ落ち、生き埋めになってしまう。かろうじて一命は取り留めたが、手元にあるのはバッテリー残量78%の携帯電話と水のペットボトル2本、そして娘にあげるはずだった誕生日ケーキだけ。崩落事故はすぐに全国ニュースとなり、救助活動も開始されるが、現場の惨状は救助隊の想像を超えるもので作業は難航し…。(映画.comより)
ヘイ、メーン。チェキチェキ。
俺はCボーイ。シネマのCさ。ちぇきメーン。
京都生まれ、ビデオ育ち。映画詳しそうな奴はだいたい友達。
朝までツレと映画鑑賞。イカした映画で万歳三唱。
ここらシメてるヨドチョーにはマジ頭あがんねえ。
ヨドチョーのライムに敵う奴カイム。洋画劇場の解説大切。
ヨドチョーの口調、晩節も親切。
映画観ようが鑑みようが明日はくる。爆ぜまくる。駄作も佳作も混ぜまくる。
Yo ちぇきちぇき。
オレのチャンネルは『トンネル』に飛んでる。ウィットに富んでる。俺はもう寝る。
チェキヨッホッホ。
※ヒップホップを愛する方々に心から謝ります。
◆みんなのオ・ダルス◆
『シネ刀』ではほとんど韓国映画を扱わないが、その理由は2つある。
ひとつは一昨年に韓国映画を2~3ヶ月ぶっ通しで観まくって、その疲れを未だに引きずっているから。
もうひとつはあれほどエネルギッシュだった韓流ブームの勢いが10年代になった途端に少しずつ衰え始めたからだ。
どうしちまったんだと思うほど最近の韓国映画はつまらない。
韓国は「映画の国」ではないので、政府の支援を受けた映画学校で映像のイロハを学ぶといった職業訓練的なプロセスを経て映画を撮りはじめる監督が多いのだが、そうしたアカデミズムは遅かれ早かれ類型化の一途を辿り「教科書」を生み出してしまう。「こう撮るのが安牌っすよ」とか「こういう展開が好まれまっせ」ってな。
そのツケが回ってきたのが10年代。
かつてのイ・チャンドンやパク・チャヌクのような奇形の新人は現れず、どれも似たり寄ったりのテンプレ映画と金太郎飴みたいな監督ばかりが量産される(もっとも「教科書という名のラクガキ帳」しか持たない今の日本映画メジャーに比べればよっぽど良心的な映画を作っているのだが!!!)。
いずれにせよ動脈硬化に陥っている韓国映画が現状を突破するには「教科書」を一度捨てねばならないのだが、韓流ブームが下火とはいえ世界シェアはまだまだ好調のようなので当分は「教科書」にしがみつくだろう。
そして話題は『トンネル 闇に鎖された男』に入る。トンネルだけにね。
何といっても心を惹くのはキャスト。
トンネルに閉じ込められる主人公を演じるのは『チェイサー』(08年)や『お嬢さん』(16年)で我々をヒヤヒヤさせてくれたハ・ジョンウ。
かなりどうでもいいけど、日韓合作の『ノーボーイズ,ノークライ』(09年)で共演したのがきっかけで妻夫木聡とお友達になった模様。どうでもよー。
そんな主人公を心配しながら終始ヒヤヒヤしている妻をペ・ドゥナが演じる。
ペ・ドゥナといえば『復讐者に憐れみを』(02年)や『グエムル-漢江の怪物-』(06年)で知られるが、我らニッポン人民にとっては日本映画の『リンダ リンダ リンダ』(05年)や『空気人形』(09年)、あるいはハリウッド超大作の『クラウド アトラス』(12年)でこそ馴染み深い女優かもしれない。
韓国よりも日本やアメリカを中心に活躍する超国際派であられる。
ハ(左)とペ(右)である。
そして周囲の諦めモードに呑まれることなく最後まで主人公を救おうとする救助隊隊長を演じたのがオ・ダルス!
オ・ダルス!
オ・ダルス!
『オールド・ボーイ』(03年)、『親切なクムジャさん』(05年)、『甘い人生』(05年)などで韓流隆盛期を支えた栄光の脇役。オ・ダルスなきところに韓国映画はナシ…と言うのはさすがに過言だが、それぐらい韓国映画を観ていると頻繁に見かける超絶ハンサムな俳優である。
ちなみに私は「中年の韓国人男性が全員オ・ダルスだったらいいのに」と夢見るぐらいにはオ・ダルスのことがお気に入りである。近年の『7番房の奇跡』(13年)や『暗殺』(15年)でもいい味出してました!
やべぇ。オ・ダルスの話が尽きねぇ。
みんなのオ・ダルス。おいらのオ・ダルス。何度発音しても楽しいね。
オ・ダルス!!!
韓国屈指のハンサム俳優、オであります。オが電話をかけております。
◆自虐精神に満ちたブラックユーモア◆
読者に対してこんな立ち入った質問をするのは失礼かもしれないけど…皆さんはトンネルって好きですか?
かなりデリケートな質問なので答えなくてもいいですよ。
ちなみに私はわりと好きです。夜間にトンネル内を照らすオレンジ色のナトリウムランプがとてもステキだし、その為だけにわざわざ夜のトンネルに行ってもいいぐらいだ。行かないけど。
この映画は、そんなトンネルを気持ちよさそうにスーッと通っているハ・ジョンウが突然の崩落事故に見舞われてトンネル内に閉じ込められてしまい、極限の恐怖から「ジョンウー!」と叫んでしまいます。
一度崩壊したトンネルはバルスバルス…と滅びの呪文を唱えるように更に崩壊していき、救助隊を指揮するオ・ダルスは「ダルスダルス」と言いながら救助を急ぐ。そして現場に駆けつけたペ・ドゥナは「ペ。ペ」と言いながら泣く。
まぁ、大体そんな映画だ。
ていうかコレ…ほぼ『デイライト』だよ!
トンネル事故に巻き込まれた人々をシルベスター・スタローンが腕っぷしだけでガンガン救助していくことでお馴染みの『デイライト』(96年)だよ。
まぁ、話の筋は『デイライト』とほぼ一緒だが、『トンネル』の方はザ・韓国映画!という感じで、これによって差別化を図ることに成功している。
トンネル内のジョンウよりも「外の人々」を描くことで韓国社会の闇を炙り出す という自虐的な社会派映画になっているのだ。
トンネル崩落事故は瞬く間に大ニュースとなり、はじめこそ国全体がジョンウの無事を祈り、救助隊は夜通し掘削作業をおこなっていたが、日数が経過するうちに人々は掌を返すように冷淡になっていく。
ジョンウが生き埋めになってから一ヶ月が経つと、メディアは「新記録樹立!」と大喜びする。政府はジョンウの救助活動と第二トンネルの工事中止による損害を秤にかけて「彼は死にました!」と勝手に断定、工事を再開するためにジョンウの救助活動を切り上げてしまう。
むちゃむちゃですやん。
さらには、トンネルが崩落したそもそもの原因が手抜き工事だったり、ジョンウの居場所に目星をつけて掘削作業をしようにもトンネルの図面が間違いだらけだったりなど、とにかくすべてがテキトー。
生き埋めになったジョンウを心配してどうにか救い出そうとしているのはオ・ダルス隊長と妻のペ・ドゥナだけで、この二人を通して韓国社会の日和見主義や営利主義が炙り出されていく…といった大変ブラックな作品なのである。
そうそう。すこし古い映画に『地獄の英雄』(51年)というビリー・ワイルダーの作品があって、これは落盤事故で生き埋めになった男を発見した新聞記者が救助をわざと遅らせて事件を大ごとにすることで特ダネを掴もうとする…という人間の悪意がこびりついた社会派映画で。
それパクってます。
『地獄の英雄』(上)と『デイライト』(下)。どっちもいい映画だとおもいます。
まぁ、パクりだろうが何だろうが珍しく「教科書」を捨て去った韓国映画である。
通常のパニック映画であればジョンウのトンネル内サバイバルを軸に物語を進めるが、本作は真逆の視点から「外部」を描いている。韓国映画の強味は自国の社会問題をエンターテイメントに昇華できること。まさにそんな自虐精神が炸裂した作品であると言えるよなー。
他方、人々の無能っぷりは完全にギャグとして描かれている。トンネル調査用ドローンを10機一斉に飛ばすものの入り口付近で電波が途切れて全滅したり、「トンネル内ではクラクションを鳴らすな!」と怒られた部下がプープープープー鳴らすなどして、そのたびにオ・ダルス隊長が「バカばっかりか?」と呟いてため息を漏らす。
『トンネル』はニガい笑いに包まれたブラック・コメディだ!
◆犬を活用しない◆
いよいよここからが批評になるのだが…出来は悪いです。
ギタギタに貶す前に美点を挙げておくなら対比の映画としてはそこそこよかった、ということぐらいだろうか。
とりわけ「食と雨」を使った飢餓と飽食の対比が印象的である。
娘への誕生日ケーキとペットボトルの水を失ったジョンウは飢餓状態に陥るが、トンネルの外では雨が降りしきり、救助隊の皆さんがご飯をもりもり食べている…という皮肉。
この「トンネル内の飢餓」と「トンネル外の飽食」の対比は、かろうじて使える携帯電話で「しっかりメシを食うんだぞ」と妻に告げるジョンウのセリフが何度も繰り返される点にも顕著である。
メシ食わないといけないのはジョンウの方なのに!っていう。
幸せそうに食事をとる救助隊員(ハンサム)。
ところが全体を通して見るとビタイチ面白くない。
いつ全壊するか分からないトンネル内パートの緊張感がやけにモタモタした外部パートの緩慢さによって相殺されているので、結果としては緩慢さだけが残る。
トンネル内のジョンウは、食料が尽き、ヒゲが伸び、水のかわりに尿を飲む…といったように映画内時間が流れているのだが、トンネルの外では政府や救助隊が「時間ならいくらでもある」とばかりにウダウダ、ダラダラしているので映画内時間が止まってしまっており、そのせいで日数がカウントアップする=ジョンウの死期が迫ることの絶望感がまるで伝わらないのだ。
絶望感のなさといえば、ジョンウの疲れ、痛み、渇き、空腹、それにケータイのバッテリー残量すら一度も明示されないし、シーンを経るうちにジョンウの髪型が油っぽくなったり顔がやつれるといった変化もなし。韓国映画なら「臭さ」や「汚さ」といった触覚的な映像表現はお手の物ではないか、と思うのだがそれもナシ。
ジョンウは最後まで割とピンピンしてるし、まあまあ清潔。こいつは不死身か?
また、トンネル内で出会った犬と戯れてにっこり笑ったりもする。この状況を楽しんでるのか?
ちなみに、その犬には「声が出なくなる首輪」なるものが装着されているのだが、こんなに美味しいフリをまったく活かせてないあたりに監督の無能を確信いたしました。
飼い主が犬を吠えさせないために装着した首輪はジョンウの親切心によって取り外される。だとすれば当然われわれはジョンウの捜索を諦めかけた救助隊の背後から犬が吠えるラストシーンを予感するわけだが、それをしない。
犬はどうでもいいタイミングでギャンギャン吠えて、結局ひとりでトンネルに潜ったオ・ダルスは自力でジョンウを発見する。
なんっ…でやねん!
「教科書」読めよ! 映画の教科書には「トンネル内に犬がいたなら救助隊がジョンウを発見する契機として運用するべし」とかなんとか書いてあるはずだぞ! 多分な!
それをしないなら「声が出なくなる首輪」の意味…なくなくなくない?
百歩譲って犬がジョンウ発見の契機にならなくてもいいよ。
たとえば、地上に降った雨が瓦礫をつたってトンネル内に滴り落ちていることに気づいたジョンウが大喜びして水を飲む…というシーンがあるのだが、このシーンで犬を活用することだってできたでしょうが。
犬がギャンギャン吠えだす。あるいは呼んでも帰ってこない。「どうしたんだろう?」と思ったジョンウが様子を見に行くと、少し離れたところで犬が岩のあいだから滴り落ちる水をうまうま飲んでいた…。
とかね!!!
そういう工夫をせぇよー…。
犬を活用せぇよー…。
アニョンハセ―ヨ―!!
犬には説話的役割が何もないです。じゃあなんで登場さすーん。