脱力必至のロキュメンタリー。バカをかき鳴らせ!
1984年。ロブ・ライナー監督。クリストファー・ゲスト、マイケル・マッキーン、ハリー・シェアラー、ロブ・ライナー。
60年代にビートルズ風の楽曲でデビューしたスパイナル・タップは、度重なるメンバー交代や音楽性の変化を経て、80年代にはヘビーメタルバンドとして活動を続けていた。そんな彼らが全米ツアーを行うことになるが、次々とトラブルに見舞われ、ついにはバンド崩壊の危機にまで追い込まれてしまう。(映画.comより)
おはようございます。
昨日は「まぁいいか」って気分になって更新をサボタージュしました。なので今日はがっつりアップしていきますね。Twitterでメッセージを送ってくれた方々に心から感謝申し上げます。返信は面倒くさいのでしません。しようと思ったけど「まぁいいか」って気分になってしまったのです。
「まぁいいか」って割といい言葉だと思うよ。イヤな事やツラい事があっても「まぁいいか」と思えれば気が楽になるしね。ただし、めったやたらに濫用すると私みたいに信用を失ってクズ人間の烙印を押されるので、ほどほどにね。
本日取り上げる映画は『スパイナル・タップ』。最近、TSUTAYA発掘良品で復刻されました。ロックを聴かない人でも楽しめる作品となっているので、心配すんな。
We Rock!!
これはディオの曲名です。
ディオというのは『ジョジョの奇妙な冒険』に出てくる同名キャラクターの名前の由来になったボーカリストで、レインボーやブラック・サバスに在籍したあとに自身のバンド「DIO」を立ち上げた人なんだけど…この話はまぁいいか。
◆ドラマー死にすぎバンド◆
最高にホットな映画をオマエらに紹介するぜ。
この映画はスパイナル・タップという架空のロックバンドに密着したモキュメンタリー…否。
ロキュメンタリーだ!
ロックバンドあるあるを痛々しく描き、数多くのミュージシャンから聖書的な扱いを受けている伝説のカルト映画である(現在ではアメリカ国立フィルム登録簿に名を連ねるほど高い評価を得ている)。
スパイナル・タップという偽バンドを徹底してリアルに作り込んだため、公開当時は本物の音楽ドキュメンタリーと勘違いした観客がレコードを求めて街を彷徨ったという。
そして彼らは実際にレコードを手に入れた。今でいうメディアミックスというやつだが、なんと映画の内容に合わせて本物のレコードを発売したのである。架空のバンドなのに。もうわけがわかんねぇ。
監督はウェンザナイ映画『スタンド・バイ・ミー』(86年)で知られるロブ・ライナー御大。劇中ではロブ自身がインタビュアーとして出演しているぞ。
本作で監督デビューを飾ったロブ・ライナー。現在71歳。
今でこそ市民権を得たモキュメンタリー(フェイクドキュメンタリー)。
『ブレア・ウィッチ・プロジェクト』(99年)や『パラノーマル・アクティビティ』(07年)など主にホラー映画で使われる手法となったが、日本でも「川口浩探検隊」をはじめ、近年話題の「ロバート秋山のクリエイターズ・ファイル」などにも息づいている。
本作は、そんなモキュメンタリーという映画様式を確立した3つの重要作のうちの最も有名な1つである。
ちなみに残り2つは『食人族』(83年)と『カメレオンマン』(83年)。
スパイナル・タップの皆さん。
※以下の情報はすべて架空バンドの設定です(信じちゃダメよ)。
スパイナル・タップは1964年にデイヴィッド(Vo)とナイジェル(Gt)の親友二人によってイギリスで結成されたロックバンド。駆け出しのころは初期ビートルズ風のポップソングを歌っていたが、のちにハードロック/ヘヴィメタル路線に転向して「Hell Hole」や「Big Bottom」といったヒット曲を量産する。
これまでに12枚のオリジナル・アルバムをリリースしたが、近年はセールスに伸び悩んでいる様子。楽曲のテーマは九分九厘「セックス」で、ぴちぴちのレザーパンツを履いてもっこりを見せつけていくライブパフォーマンスには定評がある。
見事なまでに品性下劣な曲ばかりだが、とりわけ「Sex Farm」という曲がトコトンひどいので歌詞を引用する。
「Sex Farm」スパイナル・タップ
セックス・ファームで働く お前の豆畑を耕すぜ
熊手を取り出し お前の干し草をつつく
セックスファームの女 お前を刈り取るぜ
セックスファームの女 お前を耕すぜ
セックスファームの女 俺のサイロがそびえ立つ
このように、本人たち曰く「洗練された歌詞」と激しいサウンドによって一部のメタラーを熱狂させるスパイナル・タップの面々であるが、唯一の欠点はドラマーがしょっちゅう入れ替わること。
一人目のドラマーは園芸中の奇妙な事故によって死亡。二代目ドラマーはステージの上で爆死を遂げ、三代目は自然発火によって死亡している。そして四代目のドラマーは死にたくないのでバンドを抜けた。
現在は命知らずの五代目がドラマーを務めているが遅かれ早かれ死ぬ気配しかしない。
歴代ドラマーの死を飄々と語るナイジェル(Gt)。
◆繭事件、発注ミス、そして改造アンプ…◆
最大の愛を込めて言うがロックバンドとはバカである。逆に言えばバカだからこそロックなのだ。オルタナ(90年代ロック)以降の良い子ちゃんバンドみたいに政治や哲学をかじったような小手先だらけの連中がボソボソ声で「命の価値」とか「社会の歪み」を歌おうが、そんなものに共感できるほどこちらは賢くない。ましてや「音楽で世界を変える」などと言ってる甘ったれどもにはロクな奴がいない。
直情的な音とバカ丸出しの生き様。これがロックンロールだ。
『スパイナル・タップ』が単なるコメディを超えているのは、ロックバンドの哀愁や滑稽味をも内包した直情的なクズ映画だからである。
スパイナル・タップは人々を楽しませる。
この日のコンサートでは繭の形をした舞台装置がパカッと開いて一人ずつ登場するという演出が施されているが、ベース担当のデレクの繭だけが開かないというアクシデントが発生。スタッフがハンマーやバーナーを使って繭をこじ開けようとするが、依然閉ざされたままのデレクは狭い繭のなかで懸命にベースを弾く。たまに内側からドンドン叩いてみたりもする。
デイヴィッドとナイジェルが再び繭のなかに入った瞬間、入れ違うようにデレクの繭がパカッと開いたのだが、とうに曲は終わっていて…。
機械トラブルで繭の中に閉じ込められてしまうデレク。
一方のナイジェルは舞台装置で使うストーンヘンジを4メートル50センチと間違えて45センチで発注してしまうという痛恨のミス。
そして本番当日。幻想的なメタルシンフォニーが奏でられる中、とびきり小さいストーンヘンジがステージの上から下ろされ、二人の小人がその周りをぐるぐる躍る。しまいには糸で吊るされたストーンヘンジまで躍り始める。
当然メンバーはライブが終わったあとに激怒した。
「なんだあのストーンヘンジは。小人に踏み潰されそうだったぞ」
ストーンヘンジの巨大セットを用意するはずが…驚くばかりの小ささ。もはや椅子。
マヌケ揃いの彼らだが、普段はまじめに音楽に取り組んでいる。
「音量はデカけりゃデカいほどいい」とするギタリスト特有の謎の美徳はナイジェルがオーダーメイドしたアンプに顕著。
通常、アンプの目盛りは10までしかないが、ナイジェルのアンプは11まである。
「これで爆音が出せるんだぜ!」
インタビュアーのロブに「10の最大音量を上げればいいだけなのでは?」と冷淡に突っ込まれたときの悲しい顔がなんとも言えない。
ちなみにこの映画を観たギターアンプの老舗マーシャル社は、のちに20まで目盛りのあるアンプを開発してナイジェル役のクリストファー・ゲストに商品の宣伝を依頼した。
「今度のは20だぜ。前より9も増えただろ!」
もはや清々しいほど頭の悪いコメント。私が愛してやまないヴァン・ヘイレンを彷彿させるバカっぷりだ。ヴァン・ヘイレンの11枚目のアルバムタイトルは『ヴァン・ヘイレンⅢ』。
「俺たちは数え方を知らないのさ!」
それでこそロックバンドだ!
「これで爆音が出せるんだぜ!」
◆ロックバンドはイタい。だから最高なんだ!◆
本作を観ながら人が浮かべる表情には2種類ある。
ひとつは笑い顔。とりわけ音楽業界とは無縁の我々観客はヒィヒィ言いながらこの爆笑コメディを観終えるだろう。
もう一つは苦い顔だ。どうやらバンドマンにとってはバカ揃いのスパイナル・タップが他人事には思えないらしく、この映画で描かれた「ロックの内幕」に悲喜こもごもの思いを感じたらしい。
劇中ではスパイナル・タップのメンバーがステージの舞台裏で迷子になるさまが笑いを誘うが、映画を観たジミー・ペイジやオジー・オズボーンは「まったく同じ経験をした…」と言っている。ドッケンのジョージ・リンチは「スパイナル・タップはウチのバンドそのものだ!」と叫び、U2のジ・エッジは泣いた。
女が原因でメンバー同士が険悪になる、ギターとボーカルの不仲、ドラマーがよく代わる…といったロックバンドあるあるは当人たちの心を深く抉ったようだ。ミュージシャンからすればスパイナル・タップのイタさが我が身に突き刺さって、さぞ居た堪れなかっただろう。
実際、スパイナル・タップは実在する様々なロックバンドの共通点をもとに設定された架空バンドなので、荒唐無稽なようで実はリアリティに溢れている。かくいう私もモキュメンタリーという前情報なしでこの映画を観たらスパイナル・タップを実在のロックバンドと勘違いしていたと思う。
初期と現在で音楽性がまるで違う、というあたりはディープ・パープルやホワイトスネイクを思わせるし、ギターとボーカルの対立といえばエアロスミスやガンズ・アンド・ローゼズ。そしてドラマーの死はザ・フーとレッド・ツェッペリン。挙げ出せばキリがない。
スパイナル・タップとは決して誇張されたコミックバンドではなく、実在のロックミュージシャンを映し出す鏡なのである。
舞台裏で迷子になるメンバー。
そんな彼らはまたしてもトラブルに見舞われる。
12枚目のアルバム・ジャケットが女性差別を思わせるという理由からレコード会社に反対され、真っ黒なジャケットに差し替えられてしまったのだ。
このエピソードはAC/DCの『バック・イン・ブラック』のパロディで、のちにメタリカはこの映画のパロディとして『ブラック・アルバム』という真っ黒のジャケットをリリースした(どちらも全世界5000万枚以上のセールスを誇るモンスターアルバム)。
このシーンで、勝手に真っ黒なジャケットに差し替えられたメンバーが口々に漏らす不満が妙に可笑しい。
「黒い皮みたいだ」
「これ以上黒くできないぐらい黒い…」
「黒すぎてオレの顔が映ってる」
言葉を尽くしていかに黒いかを表現するメンバー。
デイヴィッドと仲違いしてバンドを抜けたナイジェルが来日コンサートで復帰する…という感動のフィナーレは着地点として完璧だろう。一度抜けたギターが再加入、そして本国より日本で人気が出るというハードロックあるあるを押さえたドラマティックな結末だ。今にして思えば『アンヴィル! 夢を諦めきれない男たち』(09年)の構成って完全にコレなのね(アンヴィルというヘヴィメタルバンドのドキュメンタリー映画です。あのダスティン・ホフマンも絶賛!)。
最後にナイジェルとデイヴィッドのイタすぎる名言をご紹介します。
ピアノを弾き終えたナイジェルは得意げにこう言ってのけた。
「俺はモーツァルトやバッハの影響を受けた。これはその中間のモッハさ!(ドヤァ)」
「スパイナル・タップとしての活動はこれで終わりですか?」と雑誌記者に訊ねられたデイヴィッドは遠くを見つめながら呟いた。
「その質問は『宇宙の終わりはどこか?』と聞くようなもんだ。そもそも終わりとはなにか? 逆に聞きたい」
最終的にキーホルダーと化したストーンヘンジ。欲しい。
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