なにより裸足が一番怖い。
2018年。ジョン・クラシンスキー監督。エミリー・ブラント、ジョン・クラシンスキー、ミリセント・シモンズ、ノア・ジュプ。
音に反応して人間を襲う「何か」によって人類が滅亡の危機に瀕した世界で、「決して音を立ててはいけない」というルールを守り、生き延びている家族がいた。彼らは会話に手話を使い、歩くときは裸足で、道には砂を敷き詰め、静寂とともに暮らしていた。しかし、そんな一家を想像を絶する恐怖が襲う。(映画.comより)
おはようございます。今日は何を呟いて嫌われようかな!
J-POPの歌詞に思うところがあるので、そこら辺について呟いていきたい。
よく恋愛ソングで「キミを守る」みたいな歌詞が出てくるけど…そいつは何かに襲われとんけ?
「守る」ってなに。何から守るん。守ると言う以上は何かに攻められてるわけでしょ。守らきゃいけないほど「キミ」なる人物は何らかの被害に遭って危機的な状況に立たされているというのか。近所に住んでるイカれたジジイと道ですれ違うたびにみぞおちを殴られて困ってるとか?
まぁ、屁理屈なのは重々承知ですよ。「守る」というのはあくまで観念的な意味合いなのでしょう。不安とか苦しみとかさ。あと将来起きる憂事に対して「その時は守るよ」という決意表明。
でも抽象的な愛の言葉ほどアテにならないものはないからねぇ。
何が「キミを守る」だよ。ふんわりした言葉で愛を誓った気になってんじゃねえ! ラブソングはゴミ!
そんなわけで本日は『クワイエット・プレイス』について語って参ります。よろしくお願いします。
◆裸足に勝る恐怖なし◆
音に反応して人間を襲うフラワーロックみたいな宇宙怪物が人類をメチャメチャに食い散らかして地球を侵略してるんだと。
あ、そういう映画なの?
「音を立てたら即死」というキャッチコピーしか知らなかったもんで、てっきり『ライト/オフ』(16年)みたいな心霊モノだと思っていたのだが…宇宙怪物が物理的に人を襲うのね。なんかスティーヴン・キング感がすげえな。「オカルト系かと思いきやゴリゴリのモンスター映画やないか」という。
『クワイエット・プレイス』は宇宙怪物から身を守るために息を潜めて暮らす家族のサバイバルを描いた西部開拓型SFサスペンスファミリー畑ムービーだった(わけがわからないね)。
トウモロコシ畑が広がるド田舎で暮らす4人家族。少しでも音を立てると宇宙怪物がすっ飛んでくるので、会話は手話でおこなわれ、よく歩く道には砂を敷き詰め、裸足が義務付けられている。絶対に音を立ててはいけないのだ。
映画の設定上、無音のシーンが多く、セリフもほぼナシ。
だけど個人的には宇宙怪物に襲われる恐怖よりも裸足で歩く恐怖の方が勝る。
わたしは幼きころに海水浴場でヘンなものを踏んで足の裏が膿んでからというもの、未だに裸足恐怖症で。小学生のころは50メートル走6秒台で「ガゼル」の異名を欲しいままにしていたが、運動会のリレーでは「ヘンなの踏んだら怖いから」という理由でわざと遅く走ってチームメイトから顰蹙を買うほど裸足に抵抗がある。
そんなわけで、素足で畑や岩場をチョロチョロ走りまわる家族に「絶対なんか踏むて! 絶対なんか踏むて!」と終始ヒヤヒヤしっ放しだったし。
案の定、母親は尖った釘を踏み抜いてどえらい目に遭ってしまうし。
言わんこっちゃねえし!
絵かきました。
母親役は『オール・ユー・ニード・イズ・キル』(14年)や『ボーダーライン』(15年)など、何かにつけてよく戦うことでお馴染みのエミリー・ブラント(以下ママント)。本作でも臨月を迎えた強きママンを演じ、宇宙怪物の訪問時に息を殺してバスタブで赤ちゃんを産むという空前絶後のサイレント出産を成功させている。
そして、幼い息子にサバイバル術を伝授する父親役にジョン・クラシンスキー(以下パパシンスキー)。この俳優は『13時間 ベンガジの秘密の兵士』(16年)のなかで戦闘現場に向かう車内でコンタクトレンズ落として大騒ぎしていたおバカさんだが、本作ではいっさい騒がず、沈黙の鬼と化している。はっきり言ってスティーブン・セガールより沈黙してますよ。
また、この二人は実際の夫婦でもあり、本作はパパシンスキー自身が監督している。彼が脚本を手渡されたころにガチ嫁のママントがリアルに妊娠していたので「映画とそっくりじゃねえか。ぜひオレに監督させろ」と名乗りを上げ、同じ脚本を読んだママントが「だったら母親役は私しかいないわね。ほかの女優を使ったらさつがいしますよ」とパパシンスキーを脅し、晴れて夫婦揃って夫婦役を演じることになったわけだ。
また、聴覚障害の長女を演じたミリセント・シモンズも実際に聾唖の子役で、トッド・ヘインズの『ワンダーストラック』(17年)でも耳が聞こえないヒロインを演じている。
聾唖であることを障害ではなく個性として受け入れるアメリカ映画の懐の深さに感動するのは容易いが、むしろ彼女の側がアメリカ映画を受け入れたかのような唯一無二の輝きを放っていることにこそ感動すべきだろう。
息子役のノア・ジュプくんは最近チラホラ目にする子役で『ワンダー 君は太陽』(18年)にも出演している(近日レビューします)。
沈黙の家族。
◆ヨーロレイッヒー!◆
さて、そんなクワイエット・ファミリーが頑張って沈黙する、音を立てない、屁もこかない、もし音を立ててしまったときは「たのむ来んな来んな来んな」と宇宙怪物が来ないことを祈る…といった密やかな生活を描いたハートウォーミング・ホームドラマ。
ミリセント嬢は、かつて末っ子が宇宙怪物に殺されたことで自分を責めていて、そのためにパパシンスキーから嫌われていると思い込んでいる。末っ子が死んだのは誰のせいでもないので、当然パパシンスキーは娘を愛しているのだがどうも上手く愛情表現ができない。そんなパパの気持ちを理解しているのが幼いノア坊。ママントもまた自責の念に駆られており、でもだからこそ2人のキッズと生まれくる命を全身全霊で守ろうと誓う。「もう誰も死なせない」。
『クワイエット・プレイス』は悲しい過去にとらわれた家族が結束する物語である。そしてトウモロコシ畑と宇宙人…。
これ、完全に『サイン』(02年)じゃなーい。
『サイン』だけでなく『ハプニング』(08年)や『ヴィジット』(15年)の要素も見て取れるし、もうほぼシャマラン映画です。
後半にいくに従って漂い始める失笑感も含めてシャマラニズム炸裂。
てんさい監督 M・ナイト・シャマランの『サイン』。
世間の評価はやや厳しめですね。
どこまでの音量ならセーフなのかという基準が曖昧だったり、音を立てたら即死の世界で子作りする不思議など、シャマランの血を継いでいるだけあってあれこれとプロットの粗を指摘されている。
まぁ、音量セーフティラインについてはあえて明示しないことで「今の音はセーフかアウトか?」という緊張感をキャラクターと共有させる意図があったのだろうし、「こんな状況で子作り問題」に関しては死と隣り合わせだからこそ本能的にセックスを志向する…ということで説明はつく。ベイビーの夜泣き対策も一応提示されていたしね(無理があるけど)。
ただ、大きい音が鳴っていると些細な音はかき消されるという上書きルールには一長一短あって。
その上書きルールを息子に証明するために、パパシンスキーは滝の下で「ヨーロレイッヒー!」と雄叫びをあげるのだが、宇宙怪物はやってこない。滝の轟音がイカつ過ぎて「ヨーロレイッヒー!」が宇宙怪物の耳まで届かないわけ。
だったら滝のふもとで暮らすっきゃないじゃなーい。
そしたら息を潜める必要もないじゃなーい。滝のベールに庇護されるという特典を捨ててまでトウモロコシ畑の民家で暮らすメリットなんてないじゃなーい。
そこまでしてトウモロコシと共にありたいの…?
他方、この上書きルールを見事に活かした演出もある。
ママントが地下室で思っくそ釘を踏み抜いて「オェッ…ヘッ!」とミスチルみたいな声を出してしまい、それを聞きつけた宇宙怪物が地獄の家庭訪問をおこなうシーンだ。
同じ頃、家の外ではパパシンスキーが妻の危機を察知して「花火をぶち上げろ」と息子に指示をだす。
ママントは宇宙怪物に気取られてはいけないと必死で声を押し殺していたが、間の悪いことに破水してしまう。それでも「やっべー産まれるぅぅぅぅ」と絶叫したい気持ちを抑えて、足と腹のダブルペインに苦しみながらバスタブの中で出産するのだが、ついに辛抱たまらず「ヨォォォォロレイッヒィィィィィィィィ!!」と雄たけびをあげてしまった。
刹那、息子が着火したブチアゲ花火の爆音によって「ヨォォォォロレイッヒィィィィィィィィ!!」は見事にかき消され、宇宙怪物はママントの絶叫に気づかず「たーまやー」などと言って夜空を見上げた。まさに危機一髪。
そしてバスタブにてベイビー爆誕。セレブレーション!
こんなときはウルフルズの「安産ママ」を歌わぬ手はない。
安産ママ 作詞作曲:トータス松本
安産ママ 安心パパ
じんじんジジイ ばんざいババア
産声ひびくよ(待ってましたー!)
赤ちゃん 泣けよわめけよ
ひっぱり出されて 最初の意思表示
だけどその声が 幸せ呼ぶのさ
赤ちゃん! 大きくなれよ!
とーちゃん かーちゃん 望みはでかい
んなこた気にせず 大きくなりたまえ
前人未踏のサイレント出産inバスタブ。
◆音響による虚仮威し、その功罪◆
基本的には半笑い映画として楽しめるし、ホームドラマとしてはちょっぴりウルッときちゃうシーンもあるのだけど、少しだけ真面目なトーンで話していい?
当たり前のようにホラーに位置づけられている作品だが、そもそもこの映画をホラーにカテゴライズするのは誤りで、「音を立てない」という制約そのものが主題化されていることから厳密にはサスペンスの範疇である。
ホラー …恐怖感を伝えるための作品または演出
サスペンス…緊張感を伝えるための作品または演出
「恐怖」というのは主にホラー映画で表現されるものだが、「緊張」はおよそ総ての映画に含まれる元素的なファクターである(恋愛映画だろうがコメディ映画だろうがサスペンスは存在する)。
その意味で『クライエット・プレイス』は原始的な映画の形に最も近い作品なのだけど、サスペンスのパターンとしては「音を立てない」と「音を立ててしまう」の繰り返しで、音を立ててしまったあとに宇宙怪物がギャーッと現れて観客を驚かせる…という作りになっている。
はっきり言ってしまうと音響による虚仮威し*1だけで成り立っている映画で、作り手もそこに関しては開き直っている。
「音響虚仮威し作戦」がいかに安易な手法であるか…という映画リテラシーは近年になってようやく映画好きの間でも浸透してきたが、本作に関してはなんとなく許容されている。ここがおもしろい。
そもそも『クワイエット・プレイス』は無音状態を前提とした設定・世界観なので、そのコンセプト自体が「音響による虚仮威し」を保障しているわけだ。設定が演出の免罪符になっているというか。
たとえば、静寂を保たねばいけないからといってず~~っと静寂のままだと宇宙怪物の出る幕がないし話が進まないでしょ。そうすると、やがて私のような観客はあれほど蔑視していた「音響による虚仮威し」を今か今かと待ち望んでしまうわけだ。
だってそれがこの映画を盛り上げうる唯一の演出なんだから。
つまるところ、「音響による虚仮威し」というのは皆がウンザリしている演出で、でも本作はそれがないと機能しない映画だからそこに期待せざるを得ない…という剛腕。
ある意味では禁じ手を逆手に取った画期的な映画なのかもしれない。
よく考えると幼稚極まりないワンパターンの驚かせ方だが、それをサスペンスだと錯覚させ、ホラーだと錯覚させ、気が付きゃあ全米大ヒット、続編決定ですか。
こりゃあ、もう気持ちいいほどのアイデア勝ち。たとえ文句が言いたくても論理的に言えないというか、言った端からこちらが自壊してしまうという…完全にダメ出しが封殺されてる状態で。
映画の質的にはちょっと低いところにある作品だが、エンターテイメントとしてはかなり考え抜かれた技アリの一本。まぁ、たまにはこういう奇手も楽しかろ。
エミリー・ブラントの出演作でお気に入りなのは『砂漠でサーモン・フィッシング』(12年)。ユアン・マクレガーが出てるから。
もし私が『クワイエット・プレイス』の世界にいたらというのを考えてみました。
・寝る前にアラームをかけてしまう→鳴って即死。
・靴を履いたあとに爪先をトントンってやっちゃう→履き心地がよくなると同時に即死。
・うっかりコンポでエレカシの「今宵の月のように」を流してしまう→くだらねえと呟いて即死。
・イヤホンを付けずに映画を観てしまう。→20世紀フォックスのファンファーレで即死。
・煙草の火種が膝に落ちる→「あっとぅ」と叫んで即死。
・鼻炎持ちなので鼻をかんでしまう→スッキリして即死。
・裸足でヘンなものを踏んでしまう→「オェッ…ヘッ!」つって即死。
皆はどう? 生き延びる自信ある?
Image:(C) 2018 Paramount Pictures. All rights reserved.
*1:音響による虚仮威し…ホラーやサスペンス映画において、急にデカい音を出して観客をビビらせるという程度の低い演出。音でビビるのはただの反射反応によるものだが、作り手はそれで観客を怖がらせた気になっている。何度も言うけど「怖がること」と「驚くこと」は別ですからね。