シネマ一刀両断

面白い映画は手放しに褒めちぎり、くだらない映画はメタメタにけなす! 歯に衣着せぬハートフル本音映画評!

心と体と

心と体と鹿と牛と生と死と夢と現実とボルベーイとベルボーイ。

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2017年。イルディコー・エニェディ監督。アレクサンドラ・ボルベーイ、ゲーザ・モルチャーニ。

 

ブダペスト郊外の食肉処理場で代理職員として働く若い女性マーリアは、コミュニケーションが苦手で職場になじめずにいた。片手が不自由な上司の中年男性エンドレはマーリアのことを何かと気にかけていたが、うまく噛み合わない。そんな不器用な2人が、偶然にも同じ夢を見たことから急接近していく。(映画.comより)

 

おはようございます。

昨日、なんとなしに『ジョジョの奇妙な冒険 ダイヤモンドは砕けない 第一章』(17年)を観たのだけど、レビューを書こうか黙殺しようかで悩んでます。

三池崇史の映画って観てもあまり意味がないので賢い映画好きはスルーしているけど、私はバカですから『テラフォーマーズ』(17年)とか『無限の住人』(17年)もいちいち観てるんですよ。

でも『ジョジョ』に関しては、なまじ原作漫画のビッグファンゆえに比較論を書かないように努めるのが少々難しく、が為にレビューを書こうか黙殺しようかで悩んでおるのです。

「マンガと比べてあーだったこーだった」って話は映画論ではなくマンガ論ですからね。どちらかと言えば。

何が言いたいかというと、原作ファンが書いた映画評ほどアテにならないものはない、ということです。

そんなわけで本日お送りするのは『心と体と』

「小鳥と、鈴と、ついでに私」でお馴染みの金子みすゞの詩を彷彿させるタイトルですね。

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◆夢で逢いましょう◆

タル・ベーラが『ニーチェの馬』(11年)を引退作と称して隠遁生活に入ってからというもの、私の中ではハンガリー映画というものがずいぶん薄くなってしまった。キミだってそうだろう?

尤も、純粋なハンガリー映画は日本ではほぼ公開されないので目にする機会すらあまりないのだが。

そんな中、イルディコー・エニェディという老婆が18年ぶりに手掛けた長編映画『心と体と』が第67回ベルリン映画祭で金熊賞ほか3部門をかすめ取り、あの品性下劣なポール・バーホーベンをして「日常であまりにも忘れがちな思いやりを思い出させてくれたこの映画に、審査員みんなが恋をした」と言わしめた。

ポール・バーホーベンに思いやりの心があったことに驚く。

あのバーホーベンがそんなことを言う映画ってどんな映画なんだ、と思って鑑賞したところ、なんとこの品性下劣な私までもが「日常であまりにも忘れがちな思いやりを思い出させてくれたこの映画にぼくも恋をしました」と言ってしまった。

私に思いやりの心があったことに驚く。

 

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雪山で戯れる二頭の鹿に始まるアバンタイトルがじつに美しく、暗示的だ。

ブダペスト郊外にある食肉処理場に代理の品質検査官としてやってきたアレクサンドラ・ボルベーイは、まさに実生活における私のような人間だった。無表情で口数少なく、いっさいの人間関係を遮断している。これまではAランク判定を受けていた牛を「脂肪が4ミリ厚い」という理由でBランクと判定して職場仲間から煙たがられている。良くいえば真面目、悪くいえば杓子定規な女性だ。

片腕が不自由な上司ゲーザ・モルチャーニは、職場で浮いている彼女を何かと気にかけるのだが思うようにコミュニケーションが取れない。

そんな折、施設内で牛用の交尾薬が盗まれる事件が発生し、犯人を割り出すために全従業員が精神科医のカウンセリングを受けることになる。カウンセリングを受け持ったのはバーブラ・ストライサンド似の巨大な乳房を持つ女だった。

おもしろいのはここからで、偽バーブラがカウンセリングをおこなう内にアレクサンドラとゲーザが毎晩まったく同じ夢を見ていることが明らかになる。果たしてその夢とは、鹿になった自分がもう一頭の鹿と雪山で戯れる…というものだった。

その日を境に、この男女の不思議な交流がはじまっていく。現実世界での交流だけでなく、夢の中でも…。

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昼は職場で、夜は夢の中で。


◆牛と鹿◆

職場ではぎこちない二人だが夢の中では鹿として仲睦まじく戯れ、次第に現実世界でも惹かれ合っていく。最終的には愛し合うまでになるのだが、この物語をロマンスと呼ぶには本作はあまりに渇きすぎている。二頭の鹿が雪山をさまよう幻想的なアバンタイトルが終われば、今度は牛の屠殺から解体までの過程をじっくりと映したファースト・シーンが始まるのだ。

凶悪なマシーンで身体を固定された牛が一撃必殺でぶっ倒され、逆さ吊りにされた挙げ句に首を切り落とされる。勢いよく噴き出た大量の血が排水溝に流れていき、職員たちは慣れた手つきで手足を切断してフックにかけていく。その様子がヤケに生々しく撮られているので、かなりグロテスクな開幕となる。

その対比として生=性が暗示されるのだが、アレクサンドラとゲーザは死を扱う職場にいながら生の実感が欠落した幽霊のような男女として描かれているあたりが面白い。

アレクサンドラは死人のように無感動な人間で、せっかく作った料理に手をつけないというシーンも二度繰り返される。一方のゲーザも、偽バーブラから性に関する質問をぶつけられて不快そうな素振りを見せる。

だがそんな二人が惹かれ合ってからというもの、アレクサンドラはようやく食欲を取り戻し、来るべき日に備えてポルノビデオでセックスの予習までおこなうようになる。そして性急なアプローチでアレクサンドラに警戒されたゲーザは、ショックのあまり元恋人と肉体関係を結んでしまう。まるで少しずつ身体性を取り戻していくかのように。


本作はエロスとタナトスの寓話であって、間違っても綺麗なロマンスなどではない。

そしてエロスとタナトスは「牛」と「鹿」に喩えられる。

夢の中でだけ幸せを見出せる二人は鹿となって甘いひと時を過ごすが、朝起きて職場で顔を合わせるといつも気まずい空気が流れ、その近くでは牛たちがガンガン殺されていくのだ。

夢と現実の対比。

それ自体はあくびが出るほど退屈な主題だが、この映画のおもしろさは「現実」を冷たいものとして描かず、むしろ温かい人情で包み込んでいるというあたり!

ゲーザは交尾薬を盗んだ犯人が女好きのチャラチャラした男性職員だと決めつけていたが、予想外の人物が真犯人だったことを知り、その男性に深く謝罪して最終的にはマブダチになってしまう。そして真犯人に厳重注意しつつも、その動機に耳を傾けて一定の理解を示す。

人と人のコミュニケーションを割と深いところで描いた本作は、アレクサンドラとゲーザの関係性だけでなく、さまざまなキャラクターとの交流を通して「人と向き合うとはどういう事なのか」を丹念に描き込んでいく。なるほど、バーホーベンが「日常であまりにも忘れがちな思いやり」と言っていたのはこの事か。

とはいえ、やはりこの二人は本来的に孤独な人間で、たとえ職場で気持ちのいい人間関係を築けても家に帰れば暗い部屋でボーっとテレビを眺めていて…というあたりが妙に生々しく、十把一絡げに「人との繋がり」を称揚してはいない。テーマを単純化しない映画は最高だ。そう思わないか。

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無言でトランプに興じる二人(両者いっさい笑わない)。


◆心が体を手にするまで◆

まぁ、こんな感じでめちゃくちゃ地味な話がのんびりと進んでいく作品なのだが、二人が些細なことですれ違ってしまったあたりから俄に映画は火を噴いて活気づく。

アレクサンドラがバスタブで手首を切って自殺を図るシーンはなんとも忘れがたい。

わざわざラジカセで感傷的なラブソングをかけて自殺を図った浴室に、ゲーザからの着信音が響く。意識を取り戻した彼女が手首から血をドロドロ流しながら全裸で電話に出ると、ゲーザが「死ぬほど愛しています」と言った。

アレクサンドラは足もと血の海&おっぱい丸出しで「私も死ぬほど愛しています」

現に死にかけじゃねえか。

ゲーザ 「今夜会えますか」

アレクサンドラ「会えますが、その前にちょっと野暮用を済ませます」

野暮用とはガムテープで手首を止血して病院に行くことだ。

事ここに至って、まるで首を切られた牛みたいに全身血まみれの彼女は、鹿としてではなく生身の肉体でゲーザと再会してセックスを果たすのである。二人の魂がはじめて身体を獲得したのだ。

その夜を境に二人が「鹿の夢」を見なくなったのは言うまでもない。


…と、まぁ、話を締めるために綺麗にまとめてみたものの、心も体も結ばれた二人が幸せそうに朝食をとるラストシーンでは観る者の心を一瞬だけざわつかせるショットが紛れ込んでいることを告白しておかねばならない。限りなくハッピーエンドに見えるラストシーンだが、その内奥には得体のしれない凶兆がチラリと顔を覗かせている。「ちょっと待ってよ。今のどういうこと…?」というモヤモヤを残したまま、映画はわれわれを置き去りにしてエンドロールの闇へと消えてしまうのだ。

『心と体と』は、パッケージから受ける「静謐で温かなヒューマンドラマ」といった印象からは大きくかけ離れた作品で、じつはグロくて想像以上に厳しい内容でありました。


先ほども述べたが、アレクサンドラが実生活における私のような人間で、親しみを感じる反面、自分のダメなところを見せつけられているようで居た堪れなかった。

ふたつの調味料入れを自分とゲーザに見立てて一人二役で会話のシミュレーションをする習慣なんて「うわぁ、やってるわ~…」という感じで。人付き合いが苦手な人ほど鋭く突き刺さる作品かもしれない。

アレクサンドラ・ボルベーイの出現に「ベルボーイ」と言い間違えそうになりながらの祝福。

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アレクサンドラ・ボルベーイ。すごくいい顔の女優ですね。がんばって名前を覚えようとおもいます。

 

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