シネマ一刀両断

面白い映画は手放しに褒めちぎり、くだらない映画はメタメタにけなす! 歯に衣着せぬハートフル本音映画評!

ジョジョの奇妙な冒険 ダイヤモンドは砕けない 第一章

國村隼の奇妙な冒険 バイプレーヤーは砕けない

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 2017年。三池崇史監督。國村隼、山崎賢人、神木隆之介、山田孝之、伊勢谷友介。

 

ジョジョ=東方仗助の祖父である國村隼は警察官として杜王町の市民を守っていたが、悪のスタンド使いによって殺害される。同じくスタンド使いである仗助は「クレイジー・ダイヤモンド」という傷を癒す能力で國村の蘇生を試みるが結局だめだった。どうやら完全に死んでしまったようだ。後日、國村の葬儀がしめやかに執り行われ、関係者各位が大いに泣くといった壮大なストーリーである。

 

おはようございます。

『ジョジョの奇妙な冒険』は名言の宝庫ですけど、中でも一番好きなのは敵のギアッチョが一人でキレながら叫んでるこの言葉です。

 

『根掘り葉掘り』ってよォ~~~~。『根を掘る』ってのはわかる。スゲーよくわかる。根っこは土の中に埋っとるからな。

だが『葉掘り』って部分はどういう事だああ~~~~っ!? 葉っぱが掘れるかっつーのよ――――ッ!

ナメやがってこの言葉ァ。超イラつくぜぇ~~~~! 葉っぱ掘ったら裏側へ破れちまうじゃねえか!

掘れるもんなら掘ってみやがれってんだ! チクショ――――ッ!

 

さて。本日は確実に日本映画史に名を残すであろう名作『國村隼の奇妙な冒険 バイプレーヤーは砕けない 第一章にして最終章』を取り上げます。

毎朝この時間帯に記事をアップするのってまあまあ大変なんですけど、それでもブチャラティの言葉を思い出してがんばっています。

映画は評論する、投稿時間も守る。両方やらなくっちゃあならないってのがレビュアーのつらいところだな。覚悟はいいか? オレはできてる。

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◆オレの奇妙な屁理屈 國村ロジックは砕けない◆

上記の「出演者」と「あらすじ」の部分を読んでもらえれば分かる通り、本作は紛うことなき國村隼の映画である。

山崎賢人演じる東方仗助の祖父であり杜王町を守る立派な警察官を演じた國村。そんな國村がダンベルや腹筋でトレーニングに励むシーンが本作最大の見せ場といっても過言ではない。

残念ながら映画前半でぶち殺されてしまうが、それでも本作が國村隼の映画であることには変わりないだろう。「ただの脇役じゃねえか」と異論を唱える者は『サイコ』(60年)のジャネット・リーが映画中盤で死ぬにも関わらず人々の間では紛うことなきヒロインとして記憶されていることをどう説明するというのか?

死ぬかどうかとか出番の多さなど問題ではない。

最も力強く画面をさらったヤツがその映画の支配者(事実上の主演)なのである。

その意味で本作は『國村隼の奇妙な冒険 バイプレーヤーは砕けない』となるわけだ。ご理解頂けるか。

オレの奇妙な屁理屈、國村ロジックは砕けない。

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トレーニングに励む國村(事実上の主演)。言うまでもないが本作のクライマックスとなるシーンである。

 

國村の話はまだ続く。

30年以上の連載を通してシリーズ累計発行部数1億冊を誇り、海外でも熱狂的なファンを獲得し続ける荒木飛呂彦の『ジョジョの奇妙な冒険』。その実写映画化に國村隼を抜擢した三池崇史はさすがといったところか。

ムダにグロテスクな作風で知られる三池だが、マンガの実写化となれば櫻井翔や木村拓哉といった美男子をニクいほどうまく使いこなす監督でもあり、その「美男子使い」としての才覚は本作における國村にも顕著である。主要キャストのなかで唯一スタンドを持たないタダの凡人の役というハンデを跳ね返し、山崎賢人を筆頭に、神木隆之介小松菜奈新田真剣佑岡田将生山田孝之といった今をときめく若手~中堅にもまったく引けを取らない美貌と若々しさ、それに圧倒的な存在感で画面をさらい続ける國村(中盤でぶち殺されるまでは)。

さすが隼。若造にはできない芝居を平然とやってのけるッ。そこにシビれる! あこがれるゥ!

どんなゴミ映画だろうと國村隼がいる限り日本映画は安泰であろう。國村隼こそが日本映画にとってのスタンドなのだから。

スタンド…スタンド使いと呼ばれるキャラクターだけが発現できる特殊能力を持った守護霊。

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安らかな死顔で観る者の涙を誘う國村。


◆ジョジョの奇妙な映画論◆

『ジョジョの奇妙な冒険』はきわめて映画的なマンガである。ブライアン・デ・パルマやジョン・カーペンター、つまり70~80年代のサスペンス・ホラーの様式をマンガという二次元のメディアに置き換えた革新性こそが『ジョジョ』の真骨頂(荒木先生は映画マニアです)。何かといえば独特のセリフ・擬音・ジョジョ立ちなどがよく取り沙汰されるが、そんなもんは二の次だ。『ジョジョ』の本質は映画的であることザッツオールなのである。

中でも荒木流サスペンスが色濃く反映されているのは、本作が扱った原作マンガの第4部『ダイヤモンドは砕けない』。ジョジョといえば超能力バトルや冒険活劇だが、この第4部では「日常の侵食」にテーマを置いており、主人公の東方仗助らがさまざまな怪現象や猟奇事件を解決するさまが描かれている。田舎町を舞台にしたミステリとユーモアとスーパーナチュラル。ちょうど連載時に流行っていた『ツイン・ピークス』の影響を多分に受けたものと思われる。


そんな第4部の映画化には一長一短ありまんねん。

日本が舞台で主要キャラがほぼ日本人ということから第4部が最も映像化しやすいと判断したのだろうが、これは正しい選択だ。むしろ日本でしか映像化しえない第4部をよくぞ選んでくれました。うれしい。

他方、第4部を映画化することの問題点(というか疑問点)は、すでに映画的サスペンスをマンガでやってのけた『ジョジョ4部』を再び映画に還元するというわけの分からぬ逆輸入現象にほかならない。

要するに、マンガにも関わらず映画的サスペンスを摂取してしまった『ジョジョ』を映画化する以上、三池はよっぽど優れたサスペンスを撮らなければ「原作マンガの方が映画っぽいよね」ということになってしまう…ということだ。ここが他の一般的なマンガを実写化することとの大きな違い。

『ジョジョ』はマンガ言語ではなく映像言語で描かれた奇形的マンガなのである。

したがって本作は、よくある「マンガの実写化」とは明らかに位相の異なる挑戦だと思うんだよなァァァァ。「実写化」ではなく「映画化」しないといけないんだからなァァ~~~~ッ。

映画化…映画でない他媒体の作品を映像言語で語り直すこと(つまりマンガを忠実になぞっても意味がないということ)。


もっとも『ジョジョ』を知らない人からすれば今言ったことはまったく関係のないハナシなので、以降はマンガとの比較論をこの身に固く禁じるつもりだが、最後にこれだけは言わせてくれ。

荒木飛呂彦と三池崇史…。どちらかサスペンス演出に秀でているかなんて明白ですね。

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自身のスタンドを見せびらかす山崎賢人と伊勢谷友介。

山崎賢人のスタンド「クレイジー・ダイヤモンド」は手で触れたあらゆる物を元の状態に修復する能力。「ドラドラドラドラ!」と叫びながら人間や器物をよく殴る。

伊勢谷友介のスタンド「スタープラチナ・ザ・ワールド」は数秒間だけ時を止める能力。「オラオラオラオラ!」と叫びながら人間や器物をよく殴る。

 

あ…ありのまま 今 観た事を話すぜ!

よっしゃ、第三章だ。ようやく内容の話をしようと思う。

物語は二部構成になっている。前半は猟奇殺人鬼のアンジェロ(山田孝之)とのあつきバトル、後半は虹村兄弟(岡田将生&新田真剣佑)とのあつきバトルを取り上げているが、どちらかといえばドラマ主体(人情話)になっているので『ジョジョ』を知らなくても一応ハナシは追えると思う。

ただし、スタンド使いになった神木隆之介がどんな能力を手にしたのか(エコーズです)とか、虹村兄弟の父親がなぜバケモノみたいな姿をしているのか(ディオに肉の芽を埋め込まれたから)…といった説明は見事にすっ飛ばしているのでやっぱり『ジョジョ』を知らないとわけわからないと思います。

小松菜奈に関しては要る意味すらないし。


舞台は日本という設定だがスペインでロケをおこなっているので、全編にわたって妙にエキゾチックな雰囲気がある。主人公はリーゼント頭のツッパリ、エキストラも全員日本人、街の看板もぜんぶ日本語。だけど地中海沿岸の街並みとスペインの海峡が美しく広がっていて、虹村兄弟が暮らす古屋敷の雰囲気も日本離れしている。なんと力任せな和洋折衷。郷ひろみで言うところのエキゾチックジャパン。

日本とスペインを無理やり合体させたような気持ち悪さは、しかしその不自然さゆえに奇妙な世界観を生み出していて目が飽きない。これはこれで楽しいですよ。

ただし二度に渡る戦闘シーン(かなり長尺)がどちらも屋内のため、せっかくのスペインロケや建物のセットが堪能しきれないのが玉に瑕。

スタンドバトルなんてどうでもいいからロケーション見せてくれよ!

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ツッパリリーゼントがこういう所をぶらぶらする映画。留学旅行気分を味わって頂ければと思います。


三池崇史なのでサスペンス演出など望むべくもないのだが、それを差し引いても気になる箇所がいくつかある。

ひとつは間の悪さで、118分がヤケに長く感じる。対話する二者を長回しでダラ~~っと捉える「三池流・手抜きテリング」が今回も炸裂しているので、会話シーンになった途端にカメラ・被写体ともに静止してしまう。文字通り映画が止まってる状態。三池は「ザ・ワールド」の使い手。

そして肝心のバトルシーンだが、ドタバタと暴れ回るのはもっぱらCGで作られたスタンドだけで、その本体、つまり役者陣は大いに身体性を欠く。身体なきところに映画はあり得ない。

スタンドへのダメージは本体に伝達するという設定にも関わらず、山崎賢人らが派手に吹き飛ぶこともなければ痛がることもないという…。重力や感覚表現を放棄するのであればそれこそ生身の人間が演じる意味がない。

また、CGで作られたスタンドは半透明仕様のうえに一瞬しか姿を見せない。まぁ、スタンドとは霊体のような存在なのでその設定を考慮したうえで「はっきり見せない」という措置が取られているわけだが、はっきり見えなさすぎて何が何やらわからない。せっかく力を入れたであろうバトルシーンなのに、何が起こっているのかさっぱりわからないのだ。

俺は花京院か?

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そしてクライマックスでは醜悪な姿をした虹村父の死ぬほどどうでもいい愁嘆場に20分近くも時間を割く。めちゃくちゃキモい虹村父を長尺で見せつける…という三池の趣味炸裂シーンだが、今回に関してはただ退屈なだけで上滑りしているという印象。

まぁ、コスプレ映画として半笑いを浮かべるぶんには十分な作品ではないでしょうか。

何度も言うが唯一の収穫は國村隼の筋トレシーン。

ひとまずこの美しいショットを撮っただけでも本作は称賛に値する。それではハイライトとなるシーンをもう一度どうぞ。

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「その血のさだめー!」と叫びながらダンベルを持ち上げる國村隼(62歳)。


記1

山崎賢人と神木隆之介の肌荒れが気になって仕方がない。伊勢谷友介の肌もパサパサしていた。

逆に、いちばん肌に潤いがあったのは國村隼である。岡田将生も随分ぷるぷるしていたが、國村の潤いには一歩及ばずといったところか。10~20代のヤングたちが62歳の肌に負けていた。『肌の奇妙な潤い 國村スキンは渇かない』


記2

ラストシーンで虹村兄(岡田将生)を殺害したのは「レッド・ホット・チリ・ペッパー」ではなく「シアー・ハート・アタック」だった。そしてエンドロール中のおまけ映像で出てくる切断された手首。

続編で吉良吉影をブッ込むつもりでいやがる…。

ただし「シアー・ハート・アタック」で爆死したのは虹村兄だけではない。この映画も爆死している。

いちびって『第一章』なんか付けて続編に繋げる気満々だが、興収10億円にも届かなかったため早くもシリーズ化のプロジェクトは凍結しております。

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©LUCKY LAND COMMUNICATIONS / 集英社