拝啓ニコラス・ケイジ様へ
2018年。パノス・コスマトス監督。ニコラス・ケイジ、アンドレア・ライズボロー、ライナス・ローチ。
ある過去を抱えた男レッドは、愛する妻マンディと人里離れた場所で静かに暮らしていた。しかし、マンディに固執するカルト的な集団の凶行により、レッドの前でマンディが惨殺されてしまう。怒り狂ったレッドはオリジナルの武器を作り復讐を誓うが、マンディを死に追いやったカルト集団の雇う謎のバイク軍団が、レッドの前に立ちふさがる。(映画.comより)
おはようございます。
ここ数日ちょっと暑くない? 絶対なめてるよね。気温が。僕たちのことを。
ていうか、みんなって天気予報とか見るん?
天気、気にすん?
僕はたぶん人生で一度も見たことがないと思う。テレビでやってる天気予報をちゃんと見たことがないし、新聞やケータイでチェックしたこともない。そもそも「気温や天候をチェックする」という行為自体がまるで頭にない。
だから、いつも周りの人たちが「夕方雨降りそうだね」とか「明日台風らしいよ」と言ったのを小耳に挟んでそこで初めて知る…というのがほとんどで。
たぶん興味がないんだろうな。天気に対して。基本、雨でも槍でも降ればいいじゃないというスタンスで生きてるから、気象予報士の方々には申し訳ないのだけど、僕は天気とか、そういうのはいいです。どうでも。
空の事情がどうであれ、オレにはオレの事情があるし、キミにはキミの事情があるもんね。たとえ雨が振ってもオレのこゝろは快晴だよ。
そんなこって本日は 『マンディ 地獄のロード・ウォリアー』です。 今回はもはや映画評ですらなくて…手紙です。
◆拝啓ニコラス・ケイジ様へ◆
ニコジさん、お元気ですか。薄い毛髪が汗で張りつく季節までもうちょっとですね。いかがお過ごしでしょうか。
この度はあなたが出演された『マンディ 地獄のロード・ウォリアー』を観たのでお手紙を書いてみました。5年ぶりの手紙になりますね。前回は『グランド・ジョー』(13年)を観たときに手紙で酷評させて頂きました。覚えてらっしゃいますでしょうか?
さて。『マンディ』は数々の映画祭に出品され、米レビューサイトの本命「ロッテン・トマト」では98%の絶賛をマークしましたね。ニコジさんはシッチェス・カタルニア映画祭で「名誉賞」という大変いかがわしい賞を受賞されました。祝福のクラッカーに値する快挙といえるでしょう。
ちょうど世間がこの映画で盛り上がっていた時期に、私は『マッド・ダディ』(18年) を観てニコジ復活の儀に備えていたんですよ。『マッド・ダディ』評は読んでくれましたか? 自分でも絶賛詐欺だと思うほどベタ褒めしていますよ。そうそう、『ドッグ・イート・ドッグ』(16年) も素晴らしかったですね。そんなわけで、とても楽しみにしていた『マンディ』なのですが…
なんですかこれは。
また私に酷評の手紙を書かせるつもりですか?
先に断っておきたいのですが、ニコジさんを責めるつもりは毛頭ありません。詳しくは後述しますが、むしろ素晴らしい芝居をされたとさえ思っております。私が腹を立てているのは、まずは監督、次にロッテン・トマトに絶賛評を寄せたバカな連中です。
ニコジさま。
『マンディー』はカルト集団に妻を殺された木こりの男が復讐に燃えて犯人を皆殺しにする殺戮ロードムービーですよね。
だけど、往々にしてその手のエクスプロイテーション映画に付随する疾走感や爽快感はいっさい無く、混濁した意識をそのまま映像に乗せたようなトリップ感と、まるで夢を見ているような抽象的なイメージを主とした異教的作品に仕上がっています。
一言でいえばアシッドムービーです。
例えるならデヴィッド・リンチとニコラス・ウィンディング・レフンと『エヴァンゲリオン』の最終話を合わせたような極めて観念的な悪夢世界。幻覚や妄想を可視化した浮遊的イメージもものすごく多い(ていうか8割それ)。
ニコジさんは『救命士』(00年)や『バッド・ルーテナント』(09年)といった心身症的作品によく出ているので、方法論としては「そういうのもアリかな」とも思うんですが、ただひとつ問題なのは「復讐の大殺戮」というハイな本筋とロウな映像表現が齟齬をきたしていることです。
特に前半1時間はめっちゃめちゃ眠い。
まるで大自然と歴史遺産をめぐるBSのドキュメンタリー番組を見ているような、それこそLSDをやって幸せな幻覚を見ているときのようなイメージが延々続きますが、端的に言ってこんなものは作り手のオナニーでしかないと思うのです。気持ちよくなってるのは監督だけですから。
監督がリンチやレフンのような誇大妄想的な世界観に憧れてることだけはよく分かりましたが、この「ニコジを使った復讐大殺戮」というコンセプトに求められているものについてはまるっきり分かっていないご様子で。
本来であれば『マッドマックス 怒りのデスロード』(15年)の下位互換をやらなきゃいけないわけですよね。わざとB級テイストに寄せて。つまりタランティーノ×ロドリゲスの『グラインドハウス』(07年)をこの2010年代の締めとして作らなければならなかった。
尤も、わざと70年代エクスプロイテーション映画のような粗く渇いた画質にしているシーンが一部あったので、そこに関しては監督も重々承知していたとは思うのですが、結局趣味が勝ってしまったというか、欲望を自制しないといけない場で公開オナニーをしてしまったわけです。
畢竟、監督だけがスッキリして、こっちは全然スッキリしてないのになぜか賢者タイムを味わうといった馬鹿げた現象が起きてしまっているわけです。
赤いスモークとシルエット。このようなアート風のイメージがひたすら続く。
ファーストショットを観たときから嫌な予感はしてました。
冒頭のクレジットタイトルではキング・クリムゾンの「Starless」が流れるんですよね。選曲はかなりいいです。大抵の映画は『クリムゾン・キングの宮殿』から選ぶけど、この映画は中期の『レッド』から「Starless」を引っ張ってきています。この曲は12分の大曲ですが、3分の1ぐらい使ってるんですよね。ひたすらダラダラ。
これによって「誰だか知らんがこの監督はよほどの音楽通らしい」という情報が開幕一発目に提示されるんですけど、これって言い方を変えれば「好きなものを詰め込むだけの凡愚かも」ってことなんですよ(たしかにジョー・ダンテやタランティーノみたいに好きなものを詰め込むだけの秀才もいますが、必ず開幕一発目には「趣味」ではなく「映画」を提示しています)。
で、案の定というべきか、途中退場するヒロインのアンドレア・ライズボロー(殺される妻=マンディー)はブラック・サバスやモトリー・クルーのTシャツを着て画面に現れるわけです。
そして、構図取りも空間造形も編集のキレもない意味不明な映像群がデタラメに配置され、しかもその映像というのが幻覚、妄想、BSドキュメンタリーの類なので、こりゃもう寝るなという方が無理なのですよ。
にっこりニコジさま。
ただし、先ほども言いましたがニコジさんは最高でした。
目の前で妻を焼き殺されて自らも深手を負ったニコジさんがブリーフ姿でウイスキーをラッパ飲みしながら激怒とも発狂とも慟哭ともつかぬ雄叫びをあげて大暴れする長回し。ずっと叫んでおられましたよね?
「ふんぐゥゥゥゥ。ふんぐゥゥゥゥ。ふんぐゥゥゥゥ…。
アァァァァァァァァァァァァァァァァッ!
ハァ――――――――――ッ!
ア……アァァァァァァァァ!
ふぅ、ふぅ、ふぅ…。
……………………。
……………………。
ヒャアァァァァァァァァァァァァ!!
ハァ――――――――――ッ!
ハァ――――――――――ッ!
ふぅ、ふぅ、ふぅ…。
アッ…!
ん?
アアアアアアアアアアアアッ!!
アアアアアアアアアアアアッ!!
アアアアアアアアアアアアッ!!
もいっちょアアアアアアアアアアアアッ!!!」
「もいっちょ」は言ってなかったかもしれません。
とにかく素晴らしい芝居でしたよ。こんなことをしてお金が貰えるんですね、俳優って。
しかも虎がデザインされた服がビックリするほどダサいんですよ。このダサさを引き立てているのはキューブリックを連想させるお洒落な内装。この内装にその格好はミスマッチですって。
「アァァァァァァァァッ! ハァ―――――――ッ!」と絶叫するニコジさま。ブリーフ。
ひとしきり叫んで「ふぅふぅ…」と息を切らすニコジさま。猫背(服はトラだけど)。
で、完全にブチギレたニコジさんが愛用のクロスボウ(別名ニコジボウ)を用意して、オリジナルの斧(別名ニコジアックス)を自ら鋳造。カルト集団を追って車をかっ飛ばし、一人ずつ惨殺していくんですよね!
ここはニコジイズムが炸裂したハイボルテージのシーケンスでなかなか楽しい。恐らくロッテン・トマトで絶賛した人たちもこのシーケンスだけで評価していて、その結果が98%という驚異的な満足度に繋がったのだと思います。
鋳造シーンは無駄に格好よく、完成したニコジアックスを背中に装着して、手にはスコープ付きのニコジボウ。惜しむらくはハゲ散らかしているのが玉に瑕ですが、チョイワル風のサングラスでどうにかカバー。2つのウェポンを使い分けながら一人ずつ敵を始末していきますね。最高にクールですよ、ニコジさん!
ニコジアックスの鋳造に成功なさるニコジさま。服の「44」にはじわじわくる可笑しさがあります。
特にユニークなのは敵の首をへし折ったニコジさんがブルース・リーの顔真似をするショット。好きですもんね、あなた。
そして本作の目玉ともいえる世紀のチェーンソー対決。
木こりのニコジさんにとっての商売道具であるチェーンソーで敵をバラバラにしてしまおう…という動機から、ついに第3のウェポン「ニコラチェーンソー」が登場するわけですが、なんと敵もチェーンソーの使い手で。
しかも敵のチェーンソーがめっぽう長い。
リーチでは勝てないと判断したニコジさんはフットワークを活かした頭脳戦を展開しますよね。あつき戦いでした。
長過ぎチェーンソー男に果敢に立ち向かうニコジさま(画面手前)。それにしても長ぇな。
事程左様にバカ炸裂にしてニコジ爆裂のハード・アクションが展開されるわけですが、その間もトリップ感は依然そのままで、強烈なライティングや突拍子のないジャンプカットが「オシャレ映画」をドヤ顔で担保しています。
監督のパノス・コスマトスは『ランボー/怒りの脱出』(85年)や『コブラ』(86年)など80~90年代のアクション映画を手がけたジョージ・パン・コスマトスのせがれですが、タフでバカな父とは違ってオタッキーな人なんでしょうね。今回の作品でよく分かりました。
それと、映画を観たあとに知ったんですが、当初ニコジさんはカルト集団のリーダー役をオファーされていて、「それは出来ない」と断ったあとに「でも主人公役ならやるよ?」と逆オファーを掛けて逆の逆に断られてるんですよね。監督から。それで後日、妥協したコスマトスが「やっぱり主人公を頼む」と言って再度あなたにオファーしたことで実現した『マンディ』。
マンディというのが殺された妻の役名というあたりが面白いですね。普通は主人公の名前を冠しますから。で、主人公のあなたの役名はレッド。「Starless」が入ったキング・クリムゾンのアルバムタイトルと同じ…というオタッキーなネーミングセンスに呆れ返って。
敬具。絵の具。
プログレといえばやはりキング・クリムゾン。名曲「Starless」です。
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