シネマ一刀両断

面白い映画は手放しに褒めちぎり、くだらない映画はメタメタにけなす! 歯に衣着せぬハートフル本音映画評!

鳥を撮りまくる鳥ッキーな演出にうっトリ。

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1963年。アルフレッド・ヒッチコック監督。ティッピ・ヘドレン、ロッド・テイラー、ジェシカ・タンディ。

 

サンフランシスコのペットショップで「ラヴ・バード」を探すミッチと出会ったメラニー。ミッチにからかわれたメラニーは彼の鼻をあかしてやろうとしてカリフォルニアのミッチの実家まで「ラヴ・バード」を届けに行くが、その道中で一羽のカモメがメラニーを襲う。その日を境に、狂暴化した鳥が人間を襲い始めて…。

 

また朝がきた。おはようございます。

そうそう。昨日ね、イエモン仲間でもあるあっさなる友人が「買いました!9999!」といってイエローモンキーの新譜『9999』の画像を送ってきたんだけど…

 

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6666になっとるやないか。

 

思いっきり上下逆さや。なんやこの悪魔を彷彿させてやまない不穏なジャケットは。絶対中身ブラックメタルやんけ。

撮影ミスに気付いたのか、そのあと友人は正しい向きで再度撮影した写真をわざわざ送ってくれました。律儀か!(でもそういう所が好きョ♡)

ハイ、というわけで本日はヒッチコックの『鳥』です。

改めて語るまでもない名作中の名作ですけど、改めて語らねばならないほど映画好きのヤングどもはヒッチコックすらろくすっぽ観てないんじゃないか…と上から目線で懸念してもいるので、いま一度みなさんとヒッチコックの世界に浸ってみたいと思います。気張っていくでー。

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◆映画前半は鳥関係あらへん◆

アルフレッド・ヒッチコック。言わずと知れたサスペンスの神様だが、大抵の人はサスペンス映画の神様だと誤解している。違う。ヒッチコックが撮るのはサスペンス映画ではなくサスペンスだ。

サスペンスはいかなる作品にも欠かせない映画元素で、決してジャンルを指す言葉ではない。例えば…そうね、男女が唇を重ね合わせようとしたその瞬間に思わぬ邪魔が入って慌てて身を引き離す。これとてサスペンスである(唇が触れ合おうとする瞬間の緊張感)。

一般的に、犯罪や殺人を扱った映画は「サスペンス映画」と呼ばれるが、それはあくまでジャンルという概念によって「映画の外見」を規定したものに過ぎない。現にサスペンスが撮れていないサスペンス映画などゴマンとあるわけだ。

ヒッチコックもまた犯罪、殺人、陰謀、謎解きといったモチーフをサスペンス的手法で撮ってきた作家だが、キャリア後期にしてそのいずれのモチーフにも該当しない「動物パニック映画」というジャンルに手を出した。それが『鳥』である。

この映画を一言で要約するなら鳥が人間を襲う。おわり。

まじ?

まじである。ただそれだけの映画なのに、ホラー、サスペンス、アクション、ドラマ、ロマンス、コメディ、特撮といったさまざまな要素をミックスして純ヒッチコック作品に仕上げてみせた。もはやこうなってくると映画をジャンルで規定することの馬鹿馬鹿しさに溜息をつくばかりザッツオールである。「純ヒッチコック作品」とは、取りも直さず純サスペンスという意味にほかならないのだから。

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鳥が人間を襲う映画やで。


物語は、サンフランシスコのペットショップにやって来たティッピ・ヘドレンがラヴ・バードを求めて店を訪れたロッド・テイラーに店員のフリをして鳥を紹介するシーンに始まる。

いとも容易くテイラーに嘘を見抜かれた上に「キミも鳥かごに戻してやろうか」とからかわれたヘドレンは、目当ての鳥がいないことに肩を落として帰っていった彼に鳥を届けようとしてカリフォルニアの実家を訪ねることに。

この開幕シーンの見事さは、ヘドレンの人物造形が簡潔に描かれていることだ。

彼女は見知らぬ男に店員のフリをして却って無知を晒してしまうような上流階級のお嬢様であり、自分をからかうテイラーに「憎たらしい男。鼻をあかしてやる!」などと口では言うものの本心ではテイラーに惹かれているからこそ彼の住所を調べて実家まで鳥を届けに行ってやるのだ。その鳥がラヴ・バードという呼称のインコであることも後の伏線になっている。

さて。オープンカーをすっ飛ばしてカリフォルニアへやってきたヘドレンが一羽のカモメから奇襲を受けたところをテイラーに救われる。ホラー映画や動物パニック映画におけるファースト・アタック(前触れ)というやつだ。

カモメに頭をつつかれて血みどろになったヘドレンは、傷を手当てしてくれたテイラーから老いた母親と妹がいる実家に招かれる。テイラーの母親ジェシカ・タンディは夫に先立たれた不安から息子を呪縛しており、テイラーが女性と交際するたびに「息子を奪われる」という恐怖心からその女性を敵視するような厄介なババアである。

かつてこのババアに恋路を邪魔されたスザンヌ・プレシェットは、今でもテイラーのことが忘れられずに彼の実家の近くに住んでいる孤独な女教師。宿無しのヘドレンを自宅に泊めてやり、同じ男を愛する者同士の奇妙な友情を育んでいく。

 

って、なんの映画やねんコレ。

鳥 関係あらへんやないか。

なんて思っていると、夜にプレシェットとヘドレンが仲良くワインを飲んでいるところに玄関の方からドン!という音が響くが、ドアを開けても誰もいない。カメラがゆっくりティルトダウンすると床には一羽の鳥の死骸が。

「可哀そうに。暗くてぶつかったのね」と言うプレシェットに、ヘドレンはすこし怪訝そうに「今夜は満月だからぶつかりっこないのに…」と言って二人して顔を見合わせる。セカンド・アタックだ。「もう少しで盛り上がるから今しばらく辛抱してね」というヒッチコックからのサイン。


映画前半で描かれるのはこうした人間模様であり、とりわけヘドレンとタンディマミーの関係性が描き込まれている。ヘドレンは高慢にも見える金持ちの令嬢だが、幼き日に母親が駆け落ちして消えてしまったトラウマを抱えていて、つっけんどんな態度のタンディマミーに不快感を示しながらも身の周りの世話をして疑似親子の関係を築いていくのだ。

息子をそばに置くことで孤独から逃れているタンディマミーのオブセッション。そんな母に構って一向に自立しないテイラーのマザーコンプレックス。そして過去という牢屋に囚われ続けるプレシェットの片想い。唯一テイラーの幼い妹だけが、彼をめぐる女三人の愛憎や連帯など知る由もなくヘドレンが持ってきたラヴ・バードと無邪気に戯れているのだった。

おもしろいことに、愛に関するシーンではつがいのラヴ・バードのショットが必ず挿入されていて、のちに狂暴化する鳥との対比構図におさまっている。

さて。いよいよ鳥たちが騒ぎ始めます…。

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テイラーと愉快な家族たち(feat.ティッピ・ヘドレン)やで。


◆鳥かごに囚われていたのは人間だった◆

妹の誕生日パーティーの襲撃を皮切りに、鳥たちは日ごとに数を増して人々を襲うようになる(パーティーに出席した児童らが逃げ惑ってずっこけたり突つかれたりする。爆笑)。

この襲撃シーンの不気味さは音の使い方にあって、鳥のギャアギャアという鳴き声と羽の音だけがけたたましく鳴り響き、襲われた人間は一度も悲鳴をあげることなく沈黙を守ったまま死んでいく。また、本作では劇伴もいっさい使われていない。

まるで「言葉と暴力」を特権とする人間とそれを持たない動物の立場が入れ替わったような演出だ。


タンディマミーが知人の死体を発見するシーンのサスペンスもいい。

知人の家を訪れたマミーが名前を呼んでも返事がないことを不審がって家にあがると室内がめちゃめちゃに荒らされており、キッチンを通ったときにこれが強盗の仕業ではないことを確信する。割れたティーカップの取っ手だけが鉤にぶらさがっていたのだ。あまりに奇妙な光景に肝を冷やしたマミーが恐る恐る寝室に行くと、そこには目をくり抜かれた知人の死体が…。

この取っ手だけのティーカップは、いくら知人とはいえ他人の家に無断で上がりこんだマミーの非常識さを観客に感じさせることなく寝室の奥まで歩かせるためのモチベーションとして登場した小道具。このショットで一気に緊張感が張り詰めるのでサスペンスとしても白眉だが、それと同時に円滑なストーリーテリングのための小技でもあるわけだ。なんて鳥ッキーな演出なんだ。

だがこれだけではない。ヒッチコックはこのカップに三つ目の機能を持たせる。

マミーは知人の死体よりも奇妙な割れ方をしたカップを見たことで精神に不調をきたしてしまう。のちにマミーの家が鳥の襲撃に遭ったあと、駆けつけた警察に状況を説明するテイラーとヘドレンをよそに、まるで強迫観念に憑かれたようにマミーだけが床に散らばった食器の破片を一心不乱に拾い続けるのである。

「食器の破片」がマミーにとってのオブセッション(トラウマ)となるわけだ。

だから彼女はバラバラになった家族を必死で元通りにするかのように破片を拾い続ける。

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奇妙な割れ方をしたティーカップ(画像上)と知人の死体(画像下)やで。怖いよな。


ヘドレンが小学校の校庭のベンチに座ってテイラーの妹を待っていると背後のジャングルジムにカラスが集まる…という有名なシーンも特筆大書に値する極上のサスペンスだ。

パタパタと飛んでくるカラスを見たヘドレンが「一羽ぽっちだと怖くないわね。夕焼け小焼けー」などと歌いながら妹の授業が終わるのを待っている間に、飛んできたカラスは彼女の真後ろのジャングルジムに一羽また一羽と止まる。

「それにしてもドンドン飛んできよるなぁ…」と不審に思ったヘドレンがパッと後ろを振り返ると…そこにはカラスで埋めつくされて不夜城と化したジャングルジムが!

ここでも劇伴の類は使われず、衝撃の光景を目の当たりにしたヘドレンも「ぎゃあ!」などと叫ばない。このおぞましいショットには無音だからこそのインパクトがある(このあと小学校から避難した児童らがずっこけたり突つかれたりする。爆笑)。

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不夜城と化したジャングルジムやで。ゾッとするな。


真綿で首を締めるような不穏なサスペンスのつるべ打ち。

かと思えばヘドレンがテイラーと落ち合ったレストランではコミカルなキャラクターたちが笑いを誘う。二人の話を聞いて「鳥が人間を襲うなんてあり得ませんよ」と論破しにかかる鳥類学者、何かといえば「世界の終わりだ!」と騒ぐ酔っ払い、「みんなで議論ばかりして何になるの!」と苛立ちを爆発させる子連れのお母さん。

すると、そこへまたしても鳥が襲来して人々をアグレッシブに突つく。

ガソリンスタンドの給油係が鳥の攻撃に倒れ、地面に落としたホースから漏れたガソリンが道いっぱいに広がり、通りすがりの紳士が火のついたマッチを捨てたせいでガソリンスタンドが吹き飛ぶ…というピタゴラスイッチのごとき大惨事が巻き起こるのである。

また、このレストランのシーケンスには『鳥』の本質に肉薄したすばらしいシーンが2つある。

ひとつは、「鳥が私たちを襲い始めたのはアンタがこの町に来てからよ。すべての元凶はオマエだ、この悪魔!」とヒステリーを起こした店内の客からヘドレンが魔女狩りの対象にされてしまうシーン。危機的状況のなかで人間本来の残忍さが剥き出しになり宗教が生まれる…といったシニカルな人間観察はその後のホラー・サスペンスに多大な影響を与えた。ちなみにヒッチコック自身も本作の20年前に『救命艇』(43年)で同じモチーフを扱っているので『鳥』はその変奏とも言える。


ふたつめは、レストランを飛び出したヘドレンが数メートル先の電話ボックスに逃げ込むシーンだ。

おびただしい数の鳥が電話ボックスのガラスにバンバンぶつかり、ヘドレンが恐怖に顔を引き攣らせる様々なショットが約3分に渡ってひたすら繋げられていく。360度鳥に囲まれた孤立無援の状況で人間がいかに無力であるかを思い知るヘドレン…。

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 ティッピ・ヘドレンin電話ボックスやで。鳥あえず落ち着け。

 

要するにこの電話ボックスは鳥かごの比喩なのだ。

再びテイラーの家が襲われるクライマックスにも重なるのだが、ヒッチコックは「密室空間に閉じ込められた人間」「空を舞って自由を謳歌する鳥」という構図を通して鳥と人間の旧来の関係が逆転するさまを描いている。

ヘドレンは初めてテイラーと出会ったときに「キミも鳥かごに戻してやろうか」とからかわれたが、奇しくもそれが現実になってしまったのだ。

だが家を襲撃されるクライマックスで、それぞれに心の弱さを抱えた疑似家族は協力して困難を乗り越え、ついに家を飛び出す。どうにか車に乗り込んだ4人は大量の鳥に睨まれながら家を後にするところで映画は終わる。問題はなにひとつ解決していないし、事態は今後さらに悪化するのかもしれない。

だがテイラーの妹の手には狂暴化を免れたラヴ・バードがいる。

「希望を信じるしかない」という絶望だけがあとに残された。

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ボロボロになりながらも何とか頑張るみんなやで。

 

『サイコ』の次作というハードルをあっさり乗り越えた男◆

お疲れさまでした。がっつり語ったので第三章はサクッと済ませるつもりでいる。

本作は『フェイズIV 戦慄!昆虫パニック』(74年)『ジョーズ』(75年)のような動物パニック映画に先鞭をつけた説明不要の名作である(死ぬほど説明してしまったが)。ヒッチコキアンのなかでもかなり人気が高い。焼き鳥を食べながら観るにはピッタリの映画である。

鳥が人を襲い始めた原因は最後までわからないのでそこに様々なメタファーを読み込むことができる…という不条理劇になっていて、人間模様も繊細かつ複雑。そもそもトリックやミステリを扱うことが多いヒッチコックが不条理劇を撮った…ということ自体がひとつの事件だが、これについて論考するとさらに長くなりそうなので割愛するよ。


ヒロインのティッピ・ヘドレンはヒッチコックの次作『マーニー』(64年)とチャップリンの『伯爵夫人』(67年)で巨匠二人のキャリア後期を支え、70年代にひっそりとフェードアウトしていった女優。酒焼けしたようなハスキーボイスが激烈に色っぽい。知らない人も多いと思うが、娘はメラニー・グリフィスで、『フィフティ・シェイズ・オブ・グレイ』(15年)のダコタ・ジョンソンは孫。私も最近知ってびっくらこいた。

『ジャイアンツ』(56年)で知られるロッド・テイラーはアゴが妙にぷっくりした俳優として名を馳せ、チャーチルを演じた『イングロリアス・バスターズ』(09年)が遺作となった。

ヒステリックマミーを演じたジェシカ・タンディは激烈に遅咲きの女優で、54歳のときに出演した本作でブレークして以降は『コクーン』(85年)『ドライビング Miss デイジー』(89年)『フライド・グリーン・トマト』(91年)などで米映画ババアシーンを席巻。はっきり言ってヒロインのヘドレンより美人である。

 

かの『サイコ』(60年)の次作ということで相当な期待をかけられていた本作だが、そのハードルをいとも容易く乗り越えて『サイコ』ともども不朽の名作リストに蹴り込んだヒッチコックは、全盛期(1940年代)をとうに過ぎてカラー映画が主流になっても自己ベストを更新し続け、新たな手法でヒッチ流サスペンスを開発した映画の発明者の一人といっても過言じゃあるめえ。

今の時代、ヒッチコックの影響下にないサスペンス映画などただの一本も存在しない。

なお、『サイコ』から『鳥』へと至る製作秘話は『ヒッチコック』(12年)という伝記映画に詳しいのでそちらもチェケラである。アンソニー・ホプキンスが腹をボテボテにして同監督を演じておられます。

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宣伝写真にて鳥と戯れるヒッチコック&ヘドレンやで。カラスかわいいな。