シネマ一刀両断

面白い映画は手放しに褒めちぎり、くだらない映画はメタメタにけなす! 歯に衣着せぬハートフル本音映画評!

万引き家族

盗んだもので繋いだ絆。そして6人は見えない花火を見上げる。

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2018年。是枝裕和監督。 城桧吏、佐々木みゆ、リリー・フランキー、安藤サクラ、松岡茉優、樹木希林。

 

治と息子の祥太は万引きを終えた帰り道で、寒さに震えるじゅりを見掛け家に連れて帰る。見ず知らずの子供と帰ってきた夫に困惑する信代は、傷だらけの彼女を見て世話をすることにする。信代の妹の亜紀を含めた一家は、初枝の年金を頼りに生活していたが…。(Yahoo!映画より)

 

 おはようございます。

これは私が小学5年生のときに提唱した万引き論なんだけど、とかく万引きというのは店員の目を盗んでコソコソと鞄の中に入れようとするからバレるのであって、さも「お会計は済んでます」といった顔で堂々と商品を持って店を出れば案外バレないと思うんです。

たとえば服を万引きするなら、試着室で着替えてそのまま飄々と店を出てしまえばいいんですよ。 その際、もともと自分が着ていた服を店員さんに渡して「すみません、これ戻しておいてください」と言えれば100点満点ですね。

もっとも、店に入ったときにこちらの服装を覚えられてしまったら一発アウトですが、店員さんは客一人ひとりの顔や服装なんていちいち気にしちゃいません。

畢竟、商品を鞄に入れようとしてコソコソしたりキョロキョロしたりするから怪しまれるのであって、堂々とパクって飄々と店を出れば「あの人…商品持ったまま店を出ちゃったけどお会計は済んでるのかしら? まぁ、済んでるのでしょう。万引き犯ならあんなに肩で風切って歩かないし」と思わしめ、その先入観を逆手にとって見事に万引き成功、と相成るわけであります。

しかし当の私は万引きなどしたことのないイイ子ちゃんなので、この持論はいわば空論。誰か、私の代わりに証明してください。ってダメダメ。万引きはいけませんよ。盗んでいいものは乙女の心だけです。あと盗塁。

てなこって本日は『万引き家族』です。

当ブログでは過去に『三度目の殺人』(17年)を取り上げていて、これには少し苦言を呈しました。はてさて今作はどうなることやら。はっきり言ってかなり情熱的な文章となっております。昨日とはえらい違いです。参りましょう。

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ブレークスルーとしての麩

限りなくセットのように見えるが東京都荒川区に実在する廃屋。そこでは5人の家族が激烈に質素な生活を送っていた。

狭いコタツのうえで鍋をつつく安藤サクラと、その横でパチパチと爪を切る樹木希林リリー・フランキーは「爪切るんじゃねえよ」とボヤき、松岡茉優は眠そうなアルマジロのように背中を丸めて樹木に甘え、城桧吏は押入れから顔を覗かせる。

リリーが近くの団地で幼い少女・佐々木みゆが凍えているのを見つけて勝手に家に連れ帰ったことで家族は6人になるのだが、やがて映画が進むうちに6人全員が血縁関係にない疑似家族だということが判明する…。


またしても「家族になることの難しさ」という主題をもった作品でカンヌ映画祭からパルムドールを万引きした是枝裕和の新作は食が人と人を繋げる映画でありました。

スーパーで万引きを成し遂げたリリーと桧吏は商店街でコロッケを買い、その帰り道で両親からネグレクトされているみゆを発見してコロッケを分け与える。翌日は白菜だらけの鍋をみんなでつつき、無表情だったみゆが好物の麩を与えられたことで初めて笑顔を見せ、そこでようやく家族の一員となる。ブレークスルーとしての麩。

リリーは「カップラーメンにコロッケ入れるとうめぇぞ」といって門外不出のレシピを桧吏に伝授し、甘味屋ではわらび餅を食べている樹木が松岡のパフェのなかに「あげる」と言ってお餅をぶち込む。そしてリリーと安藤は素麺を食べているうちに気分が高揚してセックスをはじめ、ラムネを飲む安藤は桧吏にゲップ法を指南してカラカラと笑い合うのだ。

血の繋がりはなくとも食事が結ぶ家族の風景がむせ返るような生活感のなかに描き出され、また時には万引きに気付きながらもあえて見逃している駄菓子屋の柄本明が「妹にはやらせるなよ」と言って桧吏にお菓子を提供するといった他者の心遣いも掬っていく。

そして食事の思い出は別のシーンへと継受される。

安藤が家で茹でていたトウモロコシは海のシーンでかじられることになるし、リリーが桧吏に伝授したコロッケ投入ラーメンは少女誘拐が露呈して家族がばらばらになるクライマックスで再登場する。桧吏は安藤と飲んだラムネの瓶からビー玉を取り出して後生大事に保管、押入れのなかでビー玉を眺めてそこに海を見る。「おまえには何が見える?」と言われたみゆはビー玉に宇宙を見出した。このイマジネーション。流石みゆ。

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生活感がすげえ。


このようにエピソードの大部分、またはキャラクター同士を繋げるものの中心には必ず「食」があるわけだが、多くの映画が食事描写に込める「人と人の繋がり」という楽天的なメタファーだけでなく、本作における食は「貧しさ」も同時に意味しているし、もっと言えばこの万引き家族は食を盗むことで家族の繋がりを形成しているような不届き者。一見幸福そうに見える食卓はすべて盗んだものなのである。食材も、子供も…。

本作に不快感を示す観客の「犯罪を美化している」といった言説は一体どういう脳みそをしていたら口から漏れ出るのか分からないが、この映画は決して貧困社会の犠牲者を擁護するような内容ではない。

リリーは「店の商品はまだ誰のモノでもない(だから盗ってもOK)」と小賢しいロジックを振りかざすし、桧吏とみゆの誘拐について警察から尋問を受ける安藤は「誘拐じゃなくて保護したんです」と詭弁を弄する。ろくでもない連中だ。

それでも、安藤の言う「誰かが捨てたものを拾っただけ」というナイフのような言葉は観る者の心をえぐる。小さな子供たちにとっては犯罪者集団のなかで楽しく生きることと実の両親のもとで虐待を受けながら暮らすことではどちらが正しいのだろう?

これまでの是枝作品に一貫する「血が繋がってりゃ家族ですかい?」という静かなる怒りは「血が繋がってない犯罪者集団でも家族ですかい?」というアンビバレントな自問によってクールダウンされる。是枝がライフワークとして扱ってきた「家族」というテーマをわざと自家撞着させて「みなさん、どう思います?」と問いかけたのが『万引き家族』なのだ。作家性の自傷行為。

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◆油絵のような演技アンサンブル◆

是枝は変態的なまでのキッズマニアなので、城桧吏と佐々木みゆの撮影は異様に力が入っている。城桧吏は『誰も知らない』(04年)の柳楽優弥の系譜に連なる美少年で、意図的に女優の撮り方がなされている。劇中でヘアスタイルも2回変わるし、とにかく見ているだけで惚れ惚れしてしまう。

是枝は撮影当初、佐々木みゆにはあえて無表情でいることを指示していて、少しずつ「自由にやっていいよ」という言葉を増やすことで映画中盤から見え始める素のリアクションゆえの頑是なさをカメラにおさめている(本作は順撮り)。わけても散髪シーンで椅子に絡める両足のアップショットのなんと可愛らしいこと! 走り方も完璧(夕立に打たれながら必死で桧吏のあとを追うときのフォーム!)。


そうしたキッズの聖性なり純性なりを引き出しているのは実は大人たちで、リリー・フランキー、安藤サクラ、樹木希林が醸す醜さスレスレの生々しさがこの映画の地べた的なトーンを形成している。

車上荒らしをしたリリー・フランキーが小物感丸出しといった内股走りでちょろちょろと逃げていく情けなさ。食べ方も話し方もだらしない安藤サクラは薄いキャミソールから黒のTバックを透けさせ、汗だくになって素麺をすする。なにより強烈なのが入れ歯を抜いて役に臨んだ樹木希林がねぶるように餅を食べる薄気味悪さ。

芸達者三人がまったく同じ不快指数で「貧困」や「底辺」といった物語環境を彩った身体表現の妙。日本映画が誇る「三色の絵具」を何度も重ね塗りしたかのようなショットのぶ厚さ。まさに油絵のような演技アンサンブルでした。


その中にあって、松岡茉優だけがことによると不協和音にすらなりうる美しさをまとっている。

おもしろいのは、まったく化粧っ気のない安藤サクラに対して彼女だけが家の中でもメイクをしていること。ちなみに是枝作品の女性は基本的にメイクとは無縁(『海街diary』の綾瀬はるか、長澤まさみ、広瀬すずもスッピン同然で、夏帆に至っては体調の悪いトカゲに見えたほど)。

なぜ松岡茉優だけが不自然なほど美しいのか?

それは彼女が桧吏やみゆと同じく「子供」だからだ。

いつも樹木にべったりのお婆ちゃん子で、内向的なみゆと心を通わせた唯一のキャラクターでもある松岡は、実の両親には海外留学とウソをついてこのニセ家族に加わった。だから実質的には家出娘であり、たとえ身体は一丁前でJKリフレに従事していようが中身はガキなのである。

ところが、いつも樹木に膝枕をしてもらっていた彼女が常連客の4番さん(池松壮亮)を膝枕して「痛み」を共有するシーンでようやく子供から脱却する。うまく言葉が話せない4番さんをやさしく包みこむ松岡は赤子を抱く母そのもの。

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そんな疑似家族が警察にとっ捕まって取調べを受ける映画後半では、彼らが万引きや誘拐だけでなく殺人や死体遺棄までしていた過去が厳しく追究される。

このシーケンスで安藤サクラが見せる入魂の芝居にカンヌ映画祭で審査員長を務めたケイト・ブランシェットが半狂乱になるほど感激したというが、パルムドールの決め手となったのは彼女がみゆと風呂に入って腕の傷を見せ合うシーンと、みゆの服を庭で燃やすシーンの情感豊かな長回しだろう。

実際、本作で見られるいくつかのキラーショットには必ず安藤サクラがいる。

その怪物性を改めて文章で説明することはしないから、とりあえず観られたい。観られたい!

また、警官役の高良健吾池脇千鶴もいい。特に池脇の「何を言ってもこの人には伝わらないだろうな…」という断裂感がすばらしかったです。


場面の主語にカメラを向けない

最後の章では気に入ったところや気になったところをアテもなくふらふらと綴ることにする。


私がハッとしたのは縁側に集まった家族6人が見えない花火を見上げる俯瞰ショット。

夏祭りの季節に「ここからじゃ見えないね~」と言いながらも縁側から顔を覗かせて縦の構図にぴったりとおさまった6人が高所に設置されたカメラに視線を送る美しいショットだ。

ここで観客の記憶に蘇るのは『海街diary』の同系ショット。この作品でも夏の花火という絶好の映画的イベントにも関わらず主役の花火をいっさい見せない。夜空を彩るその輝きは水面に映って溶けてしまったり、ビルの谷間で見切れてしまっている。姉妹たちが身を寄せあって二階の窓から梅の木を眺めるショットでも梅の木は決して我々観客のまえに呈されることはない。

場面の主語にカメラを向けないという是枝の態度は、縁側から見上げる「見えない花火」だけでなく、たとえば映画後半で死滅してしまった樹木希林の顔や、床に就いた桧吏に「父ちゃん…ただのおじさんに戻るよ」と呟いたリリーの顔にも顕著である。観客が「いまコイツどんな顔してんだろ?」と思うようなシーンほどその人物の顔を見せないのだ。是枝作品は安易に回答を与えてくれない。


「見えない」という演出に加えて「聴こえない」という演出も本作の特徴ではないだろうか。絶対そうだよね。

海辺で遊んでいる家族を眺めながら樹木が呟いた口パクのセリフや、全力疾走で追いかけてくるリリーに城桧吏がバスの中から呟いた口パクのセリフなど、意図的にミュートされたセリフが観る者の想像力を掻き立てる。なかなか猪口才なことをする。

この意味深な口パクに関しては好みの問題だろうが、個人的には狙いすぎというか、是枝の青さを裏付ける演出だと思う。「多様な解釈を許す演出で深みを出していくで~~」みたいな。日本語を解する観客であれば唇の動きからなんと言っているのか大体想像はつくが、果たしてカンヌ映画祭で本作を絶賛したような欧米人の目にはどう映ったのだろうか?

サウンド面でもうひとつケチを付けさせてもらうなら、近年の日本映画でも群を抜いてセリフが聞き取りづらい。

これは音量ではなく発音の問題でしょう。是枝作品はリアルな日常描写を好むのでボソボソとしたこもった発声をよしとする上に、本作では狭い家に6人家族が犇めき合って複数人が同時に喋ったりするので音が被りまくってしまう。サラウンドに切り替えてヘッドホンを使ってさえ「これ…黒澤映画ですか?」と思うぐらいセリフが聞き取りづらいので要注意である!

とはいえ6人による丁々発止のリズムは楽しく、まるでそれぞれのセリフが謎の民族音楽を奏でているように心地いい。個人的に好きなセリフは、映画序盤、樹木が爪切りをした翌朝に玄関で靴を履こうとしたリリーが「痛っ。爪だよ」と言って靴のなかから爪のかけらを取り出し、それを受けた樹木がまるで他人事のように「あ、爪か」と呟いた一言。

「あ、爪か」じゃないよ。

オマエの爪なんだよ!

ほかにも樹木のすっとぼけた返しが随所で笑いを誘うが、ここはDVDを巻き戻して観返したほど好きな掛け合い。この軽妙な会話劇はエリック・ロメールからの影響と見て間違いないでしょうな~。


意外…なんて言うと失礼だが、是枝裕和はドキュメンタリー出身の監督にしては珍しく「映画」を観ている監督で、バカな海外メディアは「小津安二郎の孫」などと称しているが(さすがに小津を舐めすぎ。恥を知れ)、是枝本人はむしろ成瀬巳喜男からの影響を公言している。

成瀬は日本映画四天王のなかでも「女性映画の名手」として知られる作家であり、その血脈は『万引き家族』でも母系制の家族像という形で受け継がれている。

成瀬のほかにも、下層階級に対する本作の眼差しは黒澤明の『どん底』(57年)を参考にしているのだろうし、万引きシーンのサスペンス演出はロベール・ブレッソンの『スリ』(59年)。屋内ではローポジションが何度か使われているが、まぁこれは小津を穏当になぞったものでしょう。

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小津的ローポジ。テーブルの角もしっかりナメる。

 

そんなわけでこの『万引き家族』。ちょっとヤな見方をすると海外の映画賞を狙いにいったという打算が丸見えなのだが(黒澤はアメリカ、小津と成瀬はヨーロッパでの人気が高く、本作はそのいいとこ取り)、それでも私はこの映画がパルムドールに選ばれた決定打は安藤サクラだと考えるので、引いてはその芝居を引き出した是枝の実力ということになるのかもしれない。ならないのかもしれない。わかんね。

レビューサイトでは様々な意見が飛び交っていて非常に読み応えがありました。まぁでも、せっかく映画としてはすぐれているのに好き嫌いの次元で低評価を下されてしまいがちな…ちょっぴり損な映画ね。それだけ豊かな幅をもった作品とも言えるのだけど。

 

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