シネマ一刀両断

面白い映画は手放しに褒めちぎり、くだらない映画はメタメタにけなす! 歯に衣着せぬハートフル本音映画評!

ゴールデンスランバー

なぜ韓国映画のロケーションは貧しいのか?

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2018年。ノ・ドンソク監督。カン・ドンウォン、キム・ウィソン、ハン・ヒョジュ。

 

強盗から人気アイドル歌手を救い、一躍国民的ヒーローになった誠実な宅配ドライバーのゴヌは、久々に連絡があった旧友ムヨルと再会するが、その時、目の前で爆弾テロが発生。次期大統領候補が暗殺されてしまう。さらにムヨルが「お前を暗殺犯に仕立てるのが組織の狙いだ」との言葉を残して自爆。ムヨルの言葉通り、ゴヌは暗殺犯として警察から追われる身となるが…。(映画.comより)

 

おはようございます。今日はマジで書くことがありません。

『シネマ一刀両断』最大の失敗は前置き制度を作ってしまったことザッツオールである。これにどれだけ苦しめられているか…想像してごらんなさいよ。たまには私のきもちを想像してくれたってよくない?

正味の話、レビューは出来上がってるのに前置きが思いつかなくて更新を休むことなんてザラですよ。私が更新を休む理由は大体以下の3つ。

・前置き書くのがかったるい。

・レビューストックが減ったので更新頻度を落として小出し作戦。

・ルーターが爆発した。

とは言え、そこはふかづめ。生粋の随筆家。「ネタがない」ということすらネタにすることで今こうして騙し騙し前置きを書いているわけですが、すでに使い倒した戦術なのでそろそろ手の内がバレかかっている。なんということだ。またエピソードづくりをするために鴨川を散歩しなきゃならないのか。

何なんだオレの人生。オレのプライベートは前置きの為だけにあるのか。プライベートという名のプレリュード(前奏曲)だとオマエは言うのかっ。

 

急にこんなことを言うのもアレだけど、誰かに作詞提供したいです。

ぼくは昔から歌詞が作りたいと思っているんだ。けっこう良いセンスを持ってると思いますよ。

まぁ、この話はまた次回ということで。あ、そうだ。ひとつの話題を二つに分割すればいいんだ。そうすると前置きを書くのが幾分ラクになるんだ!

すごい気付きを得たところで、本日は『ゴールデンスランバー』をスランバーな感じでレビューしていきます。

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◆また共演してんじゃねえよ!◆

『人狼』(18年)評のなかでも告白しているが、私はハン・ヒョジュのファン・ヒョジュである。

とはいえ『華麗なる遺産』『トンイ』といったテレビドラマは見ていないので「映画女優ハン・ヒョジュ」のファンということになるのだろうな。彼女の映画出演作はなかなかの粒揃いで、いつか『監視者たち』(13年)『ビューティー・インサイド』(15年)の評を『シネ刀』向けに書き直したいという野望を心に秘めているぐらいだ。

そんなハン・ヒョジュの最新作は、伊坂幸太郎の原作小説を映画化した『ゴールデンスランバー』(09年)の韓国リメイクである。彼女が演じるのは竹内結子の役。政府組織に追われる主人公を心配する元恋人だ。

 

そして首相暗殺の濡れ衣を着せられた主人公・堺雅人に代わるのはカン・ドンウォン

ハン・ヒョジュとカン・ドンウォンか…。

『人狼』以来じつに0年ぶりの再共演じゃねーか!

同じ年に2回も共演しやがって! デキてんのか!?

しかも両作品とも日本のコンテンツである。ハン・ヒョジュと日本の縁は思いのほか深く、『ビューティー・インサイド』では上野樹里と共演し、日本映画『MIRACLE デビクロくんの恋と魔法』(14年)では相葉雅紀、榮倉奈々、生田斗真といった日本人キャストのなかに唯一の韓国人キャストとして準主役の座を射止めているのだが、この作品は未見なのでいずれレビューしたいと思っております(ダメ映画の臭いがプンプンするのだが)。


そんなヒョジュ。本作では離婚したてのラジオパーソナリティを演じており、毎朝ドライバーの皆さんに交通情報をお届けするといった素晴らしい仕事をこなしている。ヒョジュの柔らかい声が電波に乗り、「東名高速は193キロの渋滞です」とか「アイテムボックスをゲットして甲羅を引き当てた方は前方車両に発射して頂くことができます」といったステキな情報がドライバーの耳と心をやさしく癒す朝のひと時…。

世の男性におかれては是非ともヒョジュのような善き伴侶と巡り合わんことを。慎ましく日々を暮らし、決して気取らず、伝えるべき甲羅情報はキチンと伝える。

 そんな彼女の冠番組『モーニング★ヒョジュ』を欠かさずチェックしているのがカン・ドンウォン、通称カンドンである。

大学時代の彼は軽音サークルでビートルズの猿真似に興じており、その頃にはヒョジュと恋愛関係にあったのだが後に別れて宅配ドライバーの道に進む。ヒョジュより宅配道を選ぶとは、なかなか見上げた男ではないか。

指定日時に荷物を届けることにかけては他の追随を許さない生粋の配達員であるカンドンは生真面目を絵に描いたような好青年。人気歌手を暴漢から救ったことで一躍人気者になるが、決してチョケたりイキったりせず日々仕事をコツコツとこなしていく働き者だ。ヒョジュが惚れるのもさもありなん。

世の女性におかれては是非ともカンドンのような善き伴侶と巡り合わんことを。慎ましく日々を暮らし、決して驕らず、やるべき仕事をキチンとこなす。

作りかけの鳥の巣みたいなヘンなパーマをかけたカンドンは「失敗しちゃいました」とイメチェンの失敗を認め、仲のいいおばさんから「すぐそこのパーマ屋さん? あそこは下手だからダメよ~!」と忠告されても「あそこの店主はよく配達を頼んでくれるので義理があるんです」と言ってはにかむ。これがイイ男というものではないのか? たとえヘンな頭にされても義を重んじる、その心意気。

そんなカンドンは町内の人気者。彼は荷物を運ぶだけでなく笑顔も届けていたのでした。うまい!


やばー。話がぜんぜん前に進んでない。

読者にとってはまるで読み応えのない愚劣な記事になっている。まぁいいか。大筋はすでに説明してるし…日本版の『ゴールデンスランバー』もだいたい観てるだろ?

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白い歯をここぞとばかりに見せつけるハン・ヒョジュ。


◆堺フェイスのカラクリ◆

日本版との比較論は極力避けるが、2点ほど言っておきたいことがある。

まずはカンドンの演技プランに関してだが、レビューサイトでは「堺雅人に寄せすぎ」といった指摘が非常に多い。まぁその通りで、おそらくカンドンは撮影に入る前に日本版を何度も観返して堺雅人の芝居を研究したのだろう、「デフォルトで半笑い」とか「泣き顔みたいな笑顔」といった堺フェイスを完コピしている。

だからといって「単なるモノマネ」と唾棄する日本の映画レビューサイトはどこまでも程度が低い。

映画後半、政府組織がカンドンを首相暗殺犯に仕立て上げるためにカンドンそっくりに整形した替え玉(彼自身が演じている)を使って証拠捏造を図り、それに気づいた主人公が死んだ替え玉になりすます…といった展開が控えている。つまりカン・ドンウォンという俳優が演じたのは「主人公」と「主人公そっくりの替え玉」の一人二役。

そして替え玉を演じるときの彼は堺フェイスをしていない。

至って真顔である。

ここまで言えばバカでも分かるだろう。彼は一人二役をこなすために、あえて「堺フェイス」と「カンドン・フェイス」を使い分けていたわけだ。これが「単なるモノマネ」? いやいや、むしろ日本版を逆手に取る…というリメイクならではの頭脳プレーではないか!


次に比較したい…というか比較せざるを得ないのが上映時間問題。

日本版は139分。この韓国版は108分

個人的にはどれだけ国や文化が違っても同じ題材で映画を撮って30分以上も差が出るなどあっていいわけがないと思うのだが、話はそう単純ではない。

本作の108分はチェイスシーンやアクションシーンをスピーディに見せる意図がある一方で、ミステリやメロドラマのパートにはそれなりに時間を割いて骨太なドラマを訴求している。この時間感覚の妙はまさにビートルズ。そのタイトな編集も「Golden Slumbers」(わずか1分半の曲)と重なって大変気持ちがよい。

一方の日本版は、139分という冗長でしかない尺を贅沢に使うことでおびただしい数のキャラクターを複雑に処理しながら、堺雅人の疲弊した逃亡生活を観客に追体験させる意図がある。対してこの韓国版ではさまざまな役割を持ったキャラクターが大幅に省略されているため、壮大なはずの物語がずいぶん単純化されてしまっている。

奇しくもビートルズが事実上のラストアルバム『アビイ・ロード』におさめた「Golden Slumbers」がそのあとの2曲とメドレーをなす組曲であるように、本作もまたそれ単体では短すぎて物足りないのだ。


何が言いたいかというと、日本版と韓国版には一長一短あるので相互補完しながら伊坂ワールドを楽しむのが吉、ということザッツオールである。

尤も、私は伊坂幸太郎が大嫌いなのだが。

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大人の流し目で清涼感をアピールするハン・ヒョジュ。


◆カンドン・パラドックス◆

基本的にはお人好しのカンドンと清涼感をまとうヒョジュを眼福としながらそれぞれの置かれた立場に一喜一憂していればよい、といった作品である。

特筆すべきはカンドンで、パルクールみたいなことをして夜叉のように追いかけてくる政府組織からヒィヒィ言いつつ逃げまくるのだが、この主人公はたいして体力もない一般市民なので緩慢かつ不器用な動きでヘロヘロと走るのである。その「一杯いっぱいな身体性」が逆に逼迫した状況を物語っていて、彼がノロい速度で走れば走るほど物語上のスリルが加速していくというカンドン・パラドックス。あるいは「もっと速く走らな追いつかれるでぇー」というカンドン・サスペンス。そういうところを楽しんでもらいたくてノ・ドンソクはわざわざこんな映画を作ったんだと思う。

ノ・ドンソク「違います」

違うか。そうか。


ちなみにこれは本作だけに対するダメ出しではないのだが、2010年代ごろから見られる韓国映画のロケーションの貧しさとはいったい何なのだろう?

どうも近年の韓国映画はソウル市内で撮影した作品がヤケに多いように感じる。もしかするとソウルではないのかもしれないが、いずれにせよ人やビルでごった返した地域でのロケーションが多いという意味で、ここ10年の韓国映画はきわめて都会的だ。

韓国の都会は白い。

ビルも、店も、車も、とにかく白い。

『ウインド・リバー』(17年)評でも述べたが、「白」というのは画面に埋もれてしまう色なのでどうしても平坦になってしまう。

ただでさえソウル近辺は東京なんかと同じく画面情報が煩雑。街の設計が緻密というか、単純に言って部品が多いのだろう。店や会社や信号機などを形作るための部品の数が欧米諸国のそれに比べて遥かに多く、剥き出しになっている。だからスクリーン越しに見ると画面の情報量が増して背景がガチャガチャしてしまうのである(おまけに色彩に乏しい)。

本作もそんな白き都会の呪縛に囚われていて、多くの10年代韓国映画と同じくロケーションの退屈さに満ちている(ホントになんだろうな、これ…。ゼロ年代の韓国映画はもっと自然豊かな田舎や山奥が舞台の作品が多かったように思うのだが)。


とはいえ伊坂幸太郎の原作小説や日本版映画を、研究しながらも翻案するところはキッチリ翻案してリメイクならではの独創性を附与した本作。『人狼』のほかにも『私の頭の中の消しゴム』(04年)『白夜行 白い闇の中を歩く』(09年)など日本原作の韓国映画なんていくらでもあるが、決して日本の顔色を窺うことなく自国の土壌のうえで映画化してみせる思いきりのよさは、たとえばマンガの実写化にセンシティブになる我が国の映画業界にも見倣ってもらいたい。

ちなみにハン・ヒョジュの愛くるしさはあまりよく出ていなかったのでファン・ヒョジュの方々は注意が肝心である。単純なルックスだけなら『セシボン』(14年)がおすすめ!

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 京都を訪れたハン・ヒョジュ。ウチに寄ってくれればよかったのに。