スマホ依存症のバカタレがどんな目に遭おうが知ったことか!
2018年。中田秀夫監督。北川景子、田中圭、千葉雄大。
いつものように彼氏に電話をかけた麻美は、スマホから聞こえるまったく聞き覚えのない男の声に言葉を失うが、声の主はたまたま落ちていた彼氏のスマホを拾った人物だった。彼氏が落としたスマホが無事に戻ってきたことに一安心する麻美だったが、その日から麻美の日常は一変する。まったく身に覚えのないクレジットカードの請求、それほど親しくない友だちからの執拗な連絡……それらは麻美のさまざまな個人情報が彼氏のスマホからの流出を疑う事象の数々だった。一方その頃、ある山中で若い女性の遺体が次々と発見される事件が起こる。すべての遺体には、いずれも長い黒髪が切り取られているという共通点があり…。(映画.comより)
おはようございます。
昨日、当クソブログのお問い合わせフォームに嬉しいメッセージが届きました。
さすがに全文は載せませんが、そのメッセージの中に「恐らく言葉の選び方にとても気をつかっていると思われるのですが、どうやって学ばれた(習得した)のでしょうか? 」という質問があったので、それにお答えしたいと思います。前置きのネタを提供して下さってどうもアリスね!
国語っていいっすよね。わたしは小学生の時分から国語の授業を毎回楽しみにしていたんですヨ。
えらいもんで、人間の精神というのは恐ろしく複雑多岐であるよなー。だから自分の考えや心持ちを他者に伝えるためには言葉の力に頼らねばならないし、その力がなければ言いたいことが十全に表現できずに他者からあらぬ誤解を受けるといった憂き目に遭う。それってメチャ悲しいじゃん。
また、言葉というのは頭の中にあるものをアウトプットする為だけのツールではなく、むしろ言葉によって思考が形成される場合もあると思うんです。私の映画評のスタイルなんかはまさにそれで、頭の中の考えを言葉にしているのではなく言葉に導かれながら考えを生み出していくというイメージなんである。言葉が先に立って思考は後から付いてくる…というバカならではの書き方。
で、質問なんだっけ。言葉をどうやって学んだか?
基本的には読書だと思います。それは。やっぱり。どうしても。
今でこそまったく本を読まない怠惰なブタと化したわたくしですが、学生のころは純文学に狂っていて。太宰とか井伏とか。そういうのはちょっと文体をマネするだけで「文章力ありますね!」ってチヤホヤされるからオススメですよ。それっぽいことを書いていれば人はコロッと騙されるんだ!
あと、これは私の隠れ趣味でもあるのだけど、語彙収集。人と話したり音楽を聴いたりテレビを見てるときにピンときた単語や言い回しがあると必ずメモするようにしてます。映画評を書くときの武器は自作の語彙ノート。
それと、これは私のこだわりなのだけど「語の誤用」って面白いと思うんです。わざと意味や文法を間違えるという高等技術! 諸刃の剣! 格式ばった文章を崩すためにあえて俗語を放り込んだりさぁ。
以前書いた『映画好きが一生され続ける質問TOP10』の中に「今すぐやめろ! もう二度とやめろ!」って一文があるんですけど、これに対して「もう二度とやめろ、って日本語おかしくない?」というブクマコメントを頂いたんですが…おかしいですよ、そりゃ。これに関しては「正確な文法」よりも「ユニークな言語感覚」を重視したので積極的に文法を誤ってるわけです。
…あかん。この話はとても前置きのスケールに収まるものではない!
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てなわけで本日は 『スマホを落としただけなのに』。わぉわぉわぉわぉ!
◆ネット犯罪を扱ってるのに最後は直接対決(肉弾戦)◆
スマホを落としたことから個人情報を抜き取られてどえらい目に遭うアベックを描いた自業自得サスペンスである。ご苦労さん。
北川景子と田中圭は結婚を視野に入れ始めたごく普通のアベック。しかし田中がタクシーのなかにスマホを置き忘れたのが運の尽き。スマホは無事に田中のもとに戻ったが、その間に拾い主が田中の個人情報を根こそぎ抜きとり、その恋人である北川に目をつけたのである。爾来、彼女は拾い主からサイバー攻撃を受け、怒涛のネットストーキングに苦しむことになる。
気の毒といえば気の毒だが 身から出た錆といえば身から出た錆。
時を同じく、若い女性が次々に殺されるというヤケに悲しい事件が発生。これは本当に気の毒だと思うし、被害者各位には心よりご同情申し上げる。これを受けて、警部補の原田泰造と新米巡査の千葉雄大は「こんなことは許してはいけないんだ!」とか次元の低いことを言いながら捜査に乗り出す。
ネットストーキングと連続殺人。このふたつの物語がカットバックで同時並行されていくわけだが、もちろん北川をつけ回すネットストーカーと連続殺人鬼は同一人物。したがって観る者は劇中で浮上する怪しいキャラクターを検分しながら、やがて犯人との直接対決に立ち会うことになる。
ネット犯罪を扱ってるのに最後は直接対決(肉弾戦)というあたりがなんともハリウッド的で『ブラックサイト』(08年)や『ザ・コール 緊急通報指令室』(13年)あたりを連想してしまうのだが…。若い女性が犯人に殺されるシーンで『サイコ』(60年)のモンタージュを模倣しているように、今回の中田秀夫はアメリカ映画的なサスペンスを志向しているのは明白でしょう。
中田秀夫といえば『リング』シリーズで知られるJホラーの立役者だが、根底に流れているのはアメリカ映画の血。その血がカットバック主体の構成やヒッチコックオマージュ、あるいは決戦の大舞台に選ばれる夜の遊園地のメリーゴーランド前(いかにも90年代ハリウッド的舞台装置!)といったハリウッド様式に流れ込むのだろう。そしてその主演に日本人離れした美貌を持つ北川景子が選ばれたのも半ば必然。
したがって、色々と大味な映画ではあるのだが…ハリウッド映画として観ればあんま気になんないっす。
そう、これはハリウッド映画なんだ! 舞台はニューヨークで、北川景子と田中圭はアメリカ人!
そう思い込んで観るとよいでしょう。
ちなみに私は絶対にスマホを落とさない自信がある。なぜならスマホを持ってないから。
ハリウッドスターのKITAGAWAとTANAKA。
◆バカを前提とした物語◆
犯人はあの手この手で嫌がらせを繰り返して北川と田中のラブ・コミュニケーションを引き裂こうとするのだが、その猛ラッシュぶりが非常に楽しい作品となっている。
まずは手裏剣一発、田中のカード番号を使いアマゾンでポチりまくって高額請求。続けざまに二人のスマホにウイルス投下。そして北川のSNSアカウントを乗っ取ってプライベート写真をばらまく。極めつけは二人がべつの異性と撮ったツーショット写真を互いのスマホに送りつけることで疑心暗鬼を誘発。
北川「あなた浮気してるでしょ!?」
田中「おまえこそ、この写真なんだよ!?」
これは完全に『三国志』における「離間の計」である。
おれにはわかる。
211年の「潼関の戦い」において馬超と韓遂の連合軍をまえに曹操軍は窮地に立たされ、それを見かねた参謀の賈詡(カク)が「曹操はん、曹操はん、離間の計っちゅう策略を思いついてんけど試してみぃひん?」と提言。果たしてその計とは、曹操が敵対する韓遂にやたらフレンドリーな手紙を送りつけ、それを見た馬超が韓遂を裏切り者と決めつけて仲違いを誘発するというものだった。
北川と田中はまさにこの計にハマったのだ。人の信頼関係など第三者の指先ひとつでかくも儚く崩れ去ってしまうもの(賈詡だけに)。1800年前から人類はなにひとつ進歩していないのである。
と、まぁ、このようにして追い詰められていくアベックをへらへらしながら観ていた私なのだが、こうした過剰なネットストーキングを荒唐無稽だと笑い飛ばせないのは近い将来に起こり得るからであろう。正直言ってかなり現実離れしたハッキング描写のオンパレードだが、やがて時代がこの映画に追いつくようになるかもしれないよね。まだストーカーという言葉や概念がなかった時代にストーカーの恐怖を描いた『恐怖のメロディ』(71年)のように(イーストウッドの処女作)。
とはいえですよ。
とはいえスマホを嫌悪している私には対岸の火事!
関係あるかあ! 四六時中スマホに張りついてるようなバカタレがどうなろうと知ったこっちゃないのである。むしろ犯人目線から観てしまうンである。
いきなりパスワード変更を要求されてまんまとスマホをハッキングされてしまう北川、それにウイルス感染したスマホを北川がSNSで知り合ったサイバーセキュリティ専門家の部下などという素性の知れない人物にうかうかと預けてしまう田中の不用心さを真正面から活写する本作。ほんのわずかなネットリテラシーを持ってさえいればかかる災難になど遭わずに済むものを、無知であるがゆえに命の危機に晒されるほど事態が悪化していくストレスフルな展開に溜息、辟易、二の句が継げぬ。
つまるところ、バカを前提とした物語というか…バカだから成り立つサスペンスのつるべ打ちはそもそも論として非常にヌルいもので、「ちょっと考えれば分かるでしょ?」というこちらの小言を無視して加速度的にバカを増幅させていく…そんな映画なのですよ。だから余計にイライラする。
でも現実世界にはこういう人たちがきっと沢山いて、かくいう私もバカの一人かもしれないわけで。
まぁ、なんだ…、危機意識を持ってみんなで楽しいネットライフを送ってこー!っていう。そんな映画っすね。あい。
こんな目に遭ってなお「スマホは宝箱!」と言って憚らないKITAGAWA。
◆スマホを捨てよ、町へ出よう◆
ここからはいっちょ褒めますか。
スマホ描写とかストーカー描写以上にツイストの利いた人物造形にこそ独創性を秘めた作品である。
単なる悲劇のヒロインだとばかり思っていた北川の正体が明かされる映画後半。ここでは犯人が探偵役となって北川の過去に迫る。正体を明かされる側の犯人が北川の正体を明かすという作劇の二重構造化によってキャラクターの役割が分裂し、ある意味犯人が2人存在するという奇妙な状態に…。
それに拍車をかけるのが新米巡査の千葉雄大。彼は持ち前のITスキルを駆使して犯人を追い詰めていくが、次第に犯人との共通点が次々と浮かびあがっていく。ITに対して高い知能を持っていることや、幼少期に虐待を受けていたことから他の女性に母親を重ね合わせてしまう…などなど。そして二人が相まみえるクライマックスで犯人は千葉に同種の臭いを嗅ぐ。
「アンタは俺とおなじタイプの人間だ…」
さぁ、いよいよ犯人が3人に増えた。
念のために言っておくと、これはあくまで「作劇上の犯人」であって「物語上の犯人」ではないので、べつに北川と千葉は犯罪者でもなければ加害者でもないのだが、正体を明かされる側に立つという意味では北川は「犯人の役割」を担い、犯人と同種という意味では千葉もまたその役割を担わされてしまうわけだ。
要するにこの映画の犯人はスマホやPCを持つすべての現代人を映しだす鏡像=自分自身だということ。
高度情報化社会においては誰もがこの犯人のようにネットストーカーになりうる。いわばこの犯人はネット社会が生んだ普遍的な怪物なのである。私であり、あなただ。
被害者にも加害者にもなりたくなければ寺山修司の言葉を思い出そう。
「スマホを捨てよ、町へ出よう」
確かこんなんだったかな?
サイバー犯罪を得意とする犯人。いかにもな感じがいささか恥ずかしい画作りである。
劇中のあちこちに仕掛けられたミスリードは総じてヘタ。北川にアプローチをかける上司(バカリズム)は露骨なほど怪しいし、北川の過去の男(要潤)、仲のいい同僚(高橋メアリージュン)、それに田中の知人(筧美和子)に至っては怪しさすらチラつかせない。
ていうかキャスト…なんでこんなにしょうもないの?
捜査パートでは千葉の名推理でとんとん拍子に事が進んでいき、上司の原田泰造が完全に空気と化していて大いに笑う。笑うといえば、恐怖に引き攣りすぎてヘンな顔になっていた北川と、角材で足を叩かれて悶絶する田中の芝居がちょっぴり面白かった。
演出面に関しては先に述べた通りヒッチコックの影響下にあるので、中田秀夫ならではの映画術は遠慮気味。要するにつまらん。
唯一ハッとさせられたのは横顔になったときの千葉雄大の佇まいで、彼が多くの映画に起用される理由がなんとなく分かった気がした。ていうかずっとジャニーズと思ってました、この人。
ちなみに主題歌は、いくつかのアルバムを約3週間ほど聴いてみて「好きになろうかな」と考えた末に一旦きもちを保留しているポルカドットスティングレイの「ヒミツ」。この曲を聴きながらお別れです。
ポルカドットスティングレイの「ヒミツ」。ギターカッティング好きは必聴のバンド!
(C)2018映画「スマホを落としただけなのに」製作委員会