シネマ一刀両断

面白い映画は手放しに褒めちぎり、くだらない映画はメタメタにけなす! 歯に衣着せぬハートフル本音映画評!

現世と冥界の往還者 ー京マチ子追悼ー

 やれやれだ。つい4年前に原節子の追悼文をしたためたというのに、今度は京マチ子を追悼せねばならないとは。今宵はニコラス・レイの『大砂塵』(54年)の評を書くつもりだったが、急遽予定を変更して焼酎の熱燗でも煽りながら京マチ子に想いを馳せるとしよう。

女優・京マチ子が5月12日に東京都内の病院で息を引き取った。95歳の若さだった。大正・昭和・平成をまるっと生きて令和元年に亡くなったので四つの元号を横断したことになる。

戦前・戦時(30-40年代)の日本映画界には山田五十鈴や原節子のようないかにも日本的な顔立ちの女優しかいなかったが、ほとんど第二次大戦の終結と同時に銀幕に現れた京マチ子は、エキゾチックな風貌と豊満な肉体を武器に1950年代の映画シーンを席巻した。

代表作はもちろん黒澤明の『羅生門』(50年)と溝口健二の『雨月物語』(53年)

この二作品はヴェネツィア映画祭で金獅子賞と銀獅子賞をかすめとり、また、衣笠貞之助の『地獄門』(53年)はカンヌ映画祭でグランプリをふんだくった(当時カンヌ映画祭の最高賞はグランプリと呼ばれており、ちょうど翌54年からパルム・ドールという名称に変更された)。

日本映画をやたらに見下す映画好きにはピンとこないかもしれないが、当時、すなわち1950年代の日本映画は世界を牽引していたのだ。アメリカもイタリアもフランスも「日本映画まじやばい」と小便をちびらせ、ばかなウサギみたいに震えていたのである。彼らをそうさせたものこそが『羅生門』『雨月物語』。この両作品でヒロインを飾った京マチ子は、いわば日本映画を世界に導いた天女といったところである。

 

天女と言っておいてなんだが、この両作品で京マチ子が演じたのがファム・ファタール(男を破滅させる妖女)という点こそがこの女優の精髄。どちらの作品でも、初めこそ天女のような奥ゆかしくも清廉な女性として登場するが、映画終盤では化け狐の正体を現し、意のままに男を操って破滅せしむるのである(こわい!)。

エヴァ・ガードナーやジャンヌ・モローをはじめファム・ファタール女優などいくらでも存在するが、その中にあって京マチ子だけが特権的に身にまとっていたのが日本文化の基層をなす幽玄である。この世のものかどうかすら分からない霊のような佇まいで画面のパースペクティブを狂わせ、彼女に惑わされた男たちは幸福な幻を見るうちに黄泉の国へと誘われてしまう…。実際、『羅生門』『雨月物語』も虚構についての映画だ。べつに韻を踏むわけではないが、幽玄を体現した女優なのである。これだけは日本文化にしっかりと根差した山田五十鈴や原節子のような「純日本的女優」にはマネできまい。

映画の神は京マチ子だけに現世と冥界を往還する資格を与えたのだ。

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しかし小津安二郎という珍奇男は、京マチ子から天女や妖女のベールを剥がして「生身の女」を演じさせた。

個人的に京マチ子出演作のなかで最も好きな作品でもあるのだが、松竹で映画を撮り続けてきた小津にとって唯一の大映作品となる『浮草』(59年)。これで決まりさ!

ここでは旅芸人の座長の女を演じているのだが、このときマチ子35歳、半熟女の色香を発散させ、「暑い、暑い」と言いながらうちわを扇ぐショット、その肉感的な顎、首筋、着物、姿勢、所作のすべてに艶めかしさが濃縮されており、こりゃあほとんどポルノと呼んだ方が早いのである。あまりにエロすぎてちょいマチ子なのである。

はじめて小津作品にエロスが宿った瞬間。それは後にも先にも一度きりのマチ子マジック。また、京マチ子は無論のこと、主演の中村鴈治郎や宮川一夫による総天然色など、大映だからこそ実現した異色作と言えるだろう。

『浮草』は小津と京マチ子が組んだ最初で最後の作品。そんな彼女は『あにいもうと』(53年)で成瀬巳喜男とも組んでいる。

勘のいいアナタはすでにお気づきか。

これで小津、黒澤、溝口、成瀬の日本映画四天王からそれぞれ起用されたことになるわけだ。四天王をコンプリートした京マチ子さんには、賞品として『ポケットモンスター 緑』が贈られます。おめでとうございました。

おそらく、この当時は四人全員と仕事することが映画女優にとっての最終目標だったと思う。ちなみに山田五十鈴はそれを実現しており、原節子は惜しくも実現しそびれた。

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山田五十鈴と原節子。先ほどからなぜこの二人を引き合いに出すのかと訝る読者がいるかもしれない。京マチ子を語るなら「大映の看板娘3人組」として若尾文子と山本富士子の名をこそ出すべきではないのか、と騒ぎ立てるシニア層の読者がいるかもしれない。入れ歯洗ってさっさと寝ろ。

しかしながら、若尾や山本と同列に語りうるには京マチ子の格はあまりに高く、それよりも山田や原のようなレジェンドクラスに加えた方が具合がよいと私なんかは愚考するのである。

そして私が山田、原、京の取り合わせに拘泥する最大の理由。それはほかでもなく同時代を生きたこの三者が95歳で天命を全うしたという不思議な共通点で結ばれているからだ。

生まれたときは違えど、死するときも違えど、生きた年数はぴったり同じ。95年。こうなった以上 無理くりこじつけるが、1895年は映画が誕生した年。どうも「95」という数字には映画にまつわる奇妙なサムシングがあるらしい。ドグマ95とかね。それにしてもサムシングって便利な言葉だな。

閑話休題。

私が本稿を通して言いたいことは、天女や妖女といった神秘的なイメージがつきまとう京マチ子を「生身の女」として見てはどないか、ということである。

先ほど挙げた『浮草』が起爆剤となったのか、たとえば市川崑なんかは極めて『浮草』的に(あるいは一層グロテスクに)京マチ子を運用しており、その筆頭が『鍵』(59年)『ぼんち』(60年)。どういう映画かについては説明しないが、生臭いほど肉のニオイに満ちたセクシャルな文芸映画である。

 

京マチ子は紛うことなき伝説の大女優だが、そうは言っても近ごろの怠惰な映画ファンはロクに観てもいないだろうから、本稿に対する読者の無関心ぶりも容易に想像できる。だから先ほどから話を終えるタイミングを窺っているのだが、最後にこれだけは言っておきたい。

いま私は猛烈にヨーロッパ旅行がしたい。京マチ子のことが好きな外国人を見つけては片っ端からハイタッチしたい気分なのだ。

日本国内でこの悲しみを分かち合えるのは本当にごく一部の映画好き、あとはシニア層ぐらいだろうし、お年寄りとハイタッチすると骨を折ってしまって治療費等を負担するはめになるかもしれないから気を遣う。

だがフランスあたりに行けば20~30代の溝口ファンなんてゴロゴロいるだろうし、そういう奴らとハイタッチして「幽玄っていうのはな…」なんてことを滔々と語りながら京マチ子を悼みたいのである。わかるけ。

だけど、シネフィルのフランス人って頭がよさそうだから「おまえなんかに説明されなくても幽玄の意味ぐらい知ってるよ。バゲット食ってさっさと国帰れ」って言われたらイヤだな。一週間は引きずるな。そもそもフランス語が話せないからそんな会話自体起こり得ないのだが。

どうでもいいが、本文で何気なく開発してしまった「ちょいマチ子」は意外と高性能なギャグだと思う。

フォーエバー、マチ子。

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