シネマ一刀両断

面白い映画は手放しに褒めちぎり、くだらない映画はメタメタにけなす! 歯に衣着せぬハートフル本音映画評!

22年目の告白 ー私が殺人犯ですー

藤原竜也のアシンメトリーは必然である。

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2017年。入江悠監督。藤原竜也、伊藤英明、仲村トオル。

 

阪神・淡路大震災や地下鉄サリン事件が発生した1995年、三つのルールに基づく5件の連続殺人事件が起こる。担当刑事の牧村航はもう少しで犯人を捕まえられそうだったものの、尊敬する上司を亡き者にされた上に犯人を取り逃してしまう。その後事件は解決することなく時効を迎えるが、ある日、曾根崎雅人と名乗る男が事件の内容をつづった手記「私が殺人犯です」を発表し…。(Yahoo!映画より)

 

はい、おはよう。

私はマンション住まいなのだけど、近ごろ隣りの部屋に住む大学生とおぼしき小僧に新手のガールフレンドが出来たらしく、毎晩のように「ぎゃはははは!」とか「やばばばば!」という爆笑音が漏れてきて、気が散ってしょうがないのです。とっとと別れろ。

あと、エレベーターのすぐ隣りに喫煙スペースがあるのだけど、最近そこでよく煙草を吸っている住人がいて、この人にもちょっと困ってるんですよ。

なぜ困るかというと、私は一人でエレベーターに乗っているときに歌を口ずさむという習性があるので、ドアが開いた途端に熱唱してる私とその住人が鉢合わせしてしまって猛烈に恥ずかしい思いをするんです。

よしんば、私が歌っている曲が米津玄師の「Lemon」とかだったらそこまで恥ずかしい思いはしなかったと思うんだけど、私がよく口ずさむ曲といえばすこぶるキーの高いハードロックナンバー。要するにファルセットで「ヒャ――!」とか「ヒィ――!」とか叫んでるわけです。死にたくなります。

こういうことが週に一回ぐらいあるので、もはや近ごろは恥ずかしさすら超えて怒りの感情が芽生えてきました。

こんなトコに居んな! 煙草ぐらい換気扇の下で吸え!

まぁ、相手も堪ったもんじゃないでしょうけどね。急にエレベーターが開いて、虚ろな顔をした身長183センチの猫背男が「ヒャ――!」って言いながら出てくるんですから。しかも夜ですから。さぞ怖かったでしょうね。

 

そんなわけで本日は『22年目の告白 ー私が殺人犯ですー』

先に謝っておくと、自分でもびっくりするぐらい執筆意欲が湧かなかった作品なので…はっきり言って惰性と義務感だけで書いた失敗回です。やっつけ仕事とはまさにこのこと。

本来ならボツにするところですが、まぁ…書いた時間が勿体ないのでアップしようっていう、そういう高邁な精神で『シネ刀』は運営されています。当ブログがくそブログたる所以を垣間見たね!

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◆ああーっ!ってなる映画◆

韓国映画『殺人の告白』(12年)を日本リメイクしたのは誰。そうです。入江悠です。

『SR サイタマノラッパー』(09年)『劇場版 神聖かまってちゃん ロックンロールは鳴り止まないっ』(11年)でにんきを集めたインディペンデントの雄。その後はメジャー大手に頭を吸われて『日々ロック』(14年)『ジョーカー・ゲーム』(15年)といった 割にどうでもいい作品をお撮りなさった。

そんな入江悠が2017年上半期の邦画実写映画No.1のヒットを出したのがどの作品かと言うとこの作品なわけです。監督は誰。そうです。入江悠です。どういう作品なのか説明しましょうね。


1995年に起きた連続殺人事件が時効を迎えた22年後の2017年。突如「わたすです。わたすがやりました」と名乗りをあげた犯人・藤原竜也『わたすが殺人犯です』という告白本を発表した。藤原竜也といえば日本映画の金字塔『カイジ 人生逆転ゲーム』(09年)で知られる絶叫俳優ですね。

自ら犯人を名乗るカイジに世間はざわ…ざわ…となるが、美貌とカリスマ性を持つカイジは次々と熱狂的なファンを生み出していき、たちまち本はベストセラーに。まさに殺人鬼アイドルと化すわけだ。

カイジの破天荒な振舞いにぷりぷりと怒っているのが警察と被害者遺族。22年前にこの事件を追っていた刑事・伊藤英明もめっちゃ怒ってた。日本映画史に燦然と輝く『海猿』(04年)でお馴染みの筋肉俳優ですね。

だがすでに時効は成立したので誰にもカイジを裁くことはできない。悔しくてたまらない海猿は「いらいらするわー」と言いながら定食屋さんでアジフライなんか食べちゃいます。


まぁ、そんな感じの映画と言えばそんな感じの映画である。さすが2017年上半期邦画実写映画No.1のヒット作。とてもおもしろい作品に仕上がっていたよね。

物語は時効を迎えた2017年から始まっているので、いわばハナシが終わってる状態からスタートするわけだ。連続殺人事件はもう起きない、犯人は自ら現れた、時効成立により捜査は打ち切り。じゃあこの後どうなるの?…ってところがミソで、なんと「わたすです。わたすこそが真犯人です」と言ってカイジ以外にも犯人を名乗る男が登場するのである。

だとしたらカイジは何者なのか。いったい誰が本当の犯人なのか。真実はいつもひとつだったんじゃないのか? そうこうするうちにハナシが二転三転して「ああーっ!」という真相がバッコリ見えてきます。「そんな、まさか…ああーっ!」って。

海猿も海猿で、普通の刑事と思わせて実は…というところで「ああーっ!」って。

非常にユニークなプロットである。韓国映画の「物語る力」を立派に受け継いだリメイクだと思います。ええ。たしかに。

 

…今日なんか調子悪いですね。

ぜんぜん書く気が起きない。第一章はこの辺で勘弁してください。

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マイティ伊藤藤原ロキ

ファーストシーンでは1995年から2017年までの社会情勢を実際のニュース映像やラジオ音声を絡めながらスマートに見せていく。それがやけに生々しいのはこちらの脳裏に阪神・淡路大震災や地下鉄サリン事件の記憶が甦るからであり、この物語の連続殺人事件が神戸連続児童殺傷事件をも彷彿させるからだ(ちなみにリメイク元の『殺人の告白』では華城連続殺人事件を基にしている)

この95年パートは、わざと16ミリフィルムのガサついた映像や、犯人が殺人の瞬間を記録した映像が家庭用ビデオの規格で撮られていて、22年もの月日の経過が「画質の違い」だけで表現されている。

すなわち本作は観る者の皮膚感覚に訴えかけてくる触覚的な映画である、ということが言えると思います。


そうしたフィルムの触覚性は映像フォーマットだけでなく主演二人をも媒介する。

たとえば藤原竜也のビジュアル系のような風貌と、その対比をなす伊藤英明の里芋みたいな相貌。

瞬く間に告白本がベストセラーになったことで派手な印税生活を送り、半笑いで被害者遺族に謝罪して回る藤原竜也の「いけ好かない感じ」というのがアシンメトリーの髪型とか小奇麗な服装によって増幅されているんだ。

一方、22年間もの執念の捜査が時効によって水泡に帰した伊藤英明にはファッションに気を配る余裕などあるはずもなく、小汚い無精髭と伸びたシャツとイガグリ頭が「くたびれ通しの22年」を表している、という具合だ。

ところが「そうです。わたすが殺人犯です」と豪語していた藤原がスケープゴートだと判明する中盤以降でも彼の触覚性は依然変わらないどころか、今度はその「いけ好かない感じ」が説話装置として二次利用されます。つまり、藤原がわざわざ真犯人を演じて世間を騒がせた「真の目的」を達成するためにはあえていけ好かない格好や言動をしなければならなかった、頭をアシンメトリーにするほかはなかった、ということが明かされていくのである。

いわば藤原竜也という存在自体がこの映画のトリック。

シナリオとかストーリーを追うのではなく藤原竜也を見ろ! っていう、そんな映画でございますよ。


ちょっとだけネタバレになるが、映画後半では伊藤と藤原が共闘するという少年ジャンプ的展開が胸アツだったわな。イイ男が肩を並べた画って単純に格好いいんですわ。

敵対関係だった熱血刑事・伊藤と頭脳犯・藤原が意外と近しい間柄だったことが判明して手を組むって…さながらソーとロキである。マイティ伊藤藤原ロキとでも言えばいいというのか。MCUに興味のない方は「海猿とカイジが夢のコラボ」と思って頂ければいいと思います。それさえ興味がない人は…もう知らない。

アゲるところはしっかりアゲていく。韓国映画の「物語る力」を立派に受け継いでおられるよなぁ。前章と同じ締め方やないか。

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結託するマイティ伊藤と藤原ロキ。


◆10分おきに回想シーン◆

ようやく真犯人が判明する終盤に関しては「ズッコケ!」や「尻切れトンボ!」など手厳しい意見が飛び交っているようだが、私はヘッチャラで楽しんだ。

ここでは鏡とビデオ映像が活用されていて、そこに映った像を通してある人物の正体や本性が曝け出されるという映画的な絵解きが心地よい。鏡像や映像にこそ真実が映し出される…という、ある意味ではメディアやジャーナリズムの矛盾すらも撃った演出になっていて、まさにそれこそが本作の主題なのだと言いきるような後味の悪いラストシーンに悪寒全開。フゥ~~! という感じですよ。

 

反面、欠点も多々あって、それは否めないし許せない。

なんといってもフラッシュバック多すぎ。10分おきに回想シーンに突入なさる。いったい何度1995年と2017年を行ったり来たりすることやら。

映画終盤でようやく回想地獄から抜け出したかと思うと今度は説明地獄。お喋りが大好きな真犯人が「冥土の土産に教えてやろう。実はこうだったのさー! つまりこういうことなのさー! わかった?」と懇切丁寧に種明かし、それを聞かされた側も「だからあそこでああなって、こうなって、そうなったのか! どうなってんだ!」と犯人の説明を補足する。すべては観客のために。

しかもお互い重傷を負いながらも懸命に討論を続ける…という非常に涙ぐましいクライマックスが映画から緊張感を削ぎ落としていくことおびただしい。

とはいえ日本の大作映画としては一定以上の水準には達していると思うでね。意外と侮れない。メジャーに突っ走った『日々ロック』にブチ切れてから入江悠の作品は黙殺していたが「メジャー路線もいいじゃん」と思えた作品でした。

ついでに言っておくと岩城滉一の滑舌がめっぽう悪かった。夏帆はめっちゃ夏帆してた。

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 テレビの生放送で藤原を糾弾するジャーナリスト・仲村トオル。

 

(C)2017 映画「22 年目の告白-私が殺人犯です-」製作委員会