シネマ一刀両断

面白い映画は手放しに褒めちぎり、くだらない映画はメタメタにけなす! 歯に衣着せぬハートフル本音映画評!

青空娘

元気印の二の腕。そこから繰り出されるキャワオ・ロックに心掴まれ。

f:id:hukadume7272:20190629090516j:plain

1957年。増村保造監督。若尾文子、菅原謙次、川崎敬三。

 

伊豆の祖母に育てられていた有子は、祖母の死を機に上京し、父の許へ赴くが、そこで継母から女中のような扱いを受ける。しかし彼女は、かつて美術教師の二見からいつも青空のように明るく生きることを教えられていた…。(Amazonより)

 

おはようございます。

本日よりAmazonプライムの「シネマコレクション by KADOKAWA」で鑑賞した作品を取り上げて参ります(前回までは全部DVDで観ておりました)。最近ずっとAmazonプライムで日本映画を観ていますね。うれしい。たのしい。だいすき。

さすがAmazon、このハッピー提供能力。やってくれる。

 

そうそう。ちょっと聞いてよ、奥さん。

いま書いてる映画評が難航しすぎて心身ともに消耗してきました。かれこれ9時間ぐらい書いてます。映画評と一口にいっても書きやすい映画と書きづらい映画があって、書きづらい映画を観てしまうと鑑賞後に頭を抱えちまうわけです。さぁ、どうしたもんかな…って。

私には幾つかの批評スタイルがあって、映画に合わせてその都度パターンを変えております。料理によって鍋や包丁を使い分けるように。だけど書きづらい映画というのは切り口が見つからないというか、どの批評スタイルにも合致しないんですなぁ。まるで困った局面の将棋みたいなもの。どこに何を打っても好手にならない。

そうした状況の中で、最善の方法を採り、どうにか形にして、苦心の形跡を消し、仕上げの装飾を施して、ようやく皆様のもとへ届けられるわけであります。そして「またバカなこと書いてら」と一笑に付されてしまうのです。

嗚呼、ボクはなんていじらしいんだ! 一銭の得にもなりゃしないのに心身衰弱してまで映画評を書き続けるこの生き地獄の中でこんなにも幸せそうに笑っている! もしかしてタダのバカなのか?

否、青空だ! ボクこそが青空小僧なんだ!

そんなわけで、本日は『青空娘』なんだ!

スマホばかり触って下を向いてる人民たちよ。たまには青空気分で顔をあげなさいな。

f:id:hukadume7272:20190629094844j:plain


◆朗らかなり青空イズム◆

連日のように若尾文子を観ているからか、だんだん好きになってきました。

若尾文子には原節子の気品も、京マチ子の色香も、高峰秀子の愛嬌もなく、まぁ没個性とまでは言わないまでも、顔が覚えにくいというか…「薄い女優」といった印象を漫然と抱いていたのであるが、まさしく若尾の魅力は存在の薄さにこそあった!

たとえば、原、京、高峰らは一度見たらまず忘れない貌をしている。この三者が伸びやかな存在感で映画を膨らませるタイプの女優なら、若尾は見えない力でフィルムを引き締めるタイプの女優。スクリーンに映し出されたその貌が「若尾文子」であってはいけないのだ。

そして『青空娘』。これは増村保造の長編2作目にあたり、はじめて若尾文子と組んだ作品。どうもおめでとうございました。

当時24歳の若尾が高校を卒業したばかりの18歳を演じていて、その「どこにでもいる可愛いお嬢さん」という佇まいが抜群にいい。これが100年に1人の美少女だと具合が悪い。このヒロインに必要なのは「庶民的なかわいさ」なのだから。そこをクリアした若尾文子さんにはキャワオという渾名を贈りたいと思います。

かわいい

きゃわいい

きゃわいい+若尾

キャワオ

f:id:hukadume7272:20190629093748j:plain

キャワオといいチャーミー若尾といい、よく渾名される若尾文子さん。

 

さて、増村とキャワオのマリアージュとして名高い本作は日本版シンデレラとも言える内容でした。

伊豆で祖母と暮らしているキャワオは押しも押されぬ青空娘。青空のようにのびのびと生きているのです。ところが死に際の祖母から自分が父の不倫相手との子供だと知らされ、やがて上京して父親の家族と暮らすようになるが、キャワオは父の愛人の子という理由でイジワルな継母や義姉から女中扱いされて虐め抜かれる。それでもキャワオはめげない、泣かない、腐らない。それが青空イズムなのだ!

イジワルな義姉のボーイフレンド・川崎敬三KAWASAKI)に惚れられたキャワオだが、彼女が秘かに恋慕していたのは高校時代の恩師・菅原謙次だった。キャワオはKAWASAKIに惚れられたことで義姉から一層嫌われてしまい、また父の寵愛を受けたことで継母からも憎まれてしまう。

いよいよ家に居場所がなくなったキャワオは本当の母親を捜す旅に出ます。「ちょっと好いかな♡」と思い始めたKAWASAKIに大事なヒールを預けて…。

シンデレラを大幅に翻案した『青空娘』は、日々を意欲的に生きるキャワオの青春映画であると同時にさまざまな人間模様が織り込まれた複合的なドラマであった。発色のいいカラー映像でぽんぽんと進んでいくハッピーな88分。

キャワオは生粋の青空娘であるから、毎朝窓を開けて「青空さん、コンニチワ」と空に向かって挨拶をします。なんて可憐な習慣なんだ。なんてステキな一日の始まりなんだ。それでこその青空娘だとおまえは言うのかっ?

でも雨や曇りの日はどうするのだろう。

f:id:hukadume7272:20190629092145j:plain

青空にむかって挨拶かますキャワオ。

 

◆必殺キャワオ・ロック!◆

この映画の原風景は伊豆の岬。

ここでのロケシーンは正確に4回あり、キャワオの成長過程を記録するための儀式の場として、折に触れて彼女はこの岬を訪れる。

一度目は仲よし三人組と卒業写真を撮るファーストシーン。ここではキャワオが「女学生」から「ひとりの女性」になったことを告げる。二度目は上京が決まったキャワオが行方不明の実母を思って「おかーさーん! おかーさーん!」と青空に向かって連呼する情感豊かなシーン。上京と母捜しの決意である。三度目は継母・義姉と揉めて故郷に帰ってくるシーン。これは挫折だ。そして四度目がラストシーン。ようよう見つけ出した母、川崎、菅原とともに岬でピクニックを楽しむ大団円である。

この4回におよぶ岬シーンは典型的な反復技法。

通常、反復というのは人物の「所作」や「台詞」によっておこなわれるものだが、本作のように伊豆⇔東京の往還…つまり各地を行ったり来たりするような映画では「場」そのものが反復装置たりうるわけです。たとえば『ニュー・シネマ・パラダイス』(88年)におけるシチリア島の映画館のように。

f:id:hukadume7272:20190629091859j:plain

素晴らしいショットです。スカートが奇跡的な揺れ方をするで。


先に断っておくが、私は二の腕フェチではない。違うからな?

その上であえて言うが…本作は紛うことなき二の腕映画である。

夏の映画なので女優陣はみなノースリーブを着用しており、全編これ二の腕の嵐。すごくぷにぷにした映画です。

とりわけキャワオの健康的かつ肉感的なチャームが映画の身体性になっているが、その象徴として二の腕が大々的にフィーチャーされているのである(なお、ぷるぷると揺れもする)。まさに増村のフェティシズムがぷるりと弾んだ二の腕映画の金字塔。

二の腕フェチには堪えられないショットが満載なので、しょうがないからスペシャルフォトを作ってあげました。

f:id:hukadume7272:20190629091109j:plain

キャワオの二の腕スペシャルフォトです。各自、よく拡大して楽しむこと。

 

また、増村という作家は溝口同様に風景や台詞ではなく身体で映画を語るので、キャワオが実によく動く。

たとえば、キャワオを嫌う小学生の息子・岩垂幸彦(以下いわたる君)から「やい、女中! ボクが勝ったらこの家から出て行けよう!」と庭で決闘を挑まれたキャワオは、いとも容易くいわたる君の腕を掴んでホールドする。

されども男児の意地か、一度はキャワオ・ロックから抜け出したいわたる君であったが、今度はあっさりとマウントを取られ、またぞろ腕を掴まれ「折っちゃうわよ?」と言われて遂にギブアップした。勝負あり!

f:id:hukadume7272:20190629091643j:plain

いわたるくぅぅぅぅん。

 

完敗したいわたる君はキャワオを女中扱いしなくなり、それどころか「姐さん」として慕うようになった。憎たらしいガキも素直になれば可愛いものである。

しかし強敵は義姉・穂高のり子。のり子はボーイフレンドのKAWASAKIを盗られたという被害妄想からキャワオを目の敵にしており、キャワオが父からもらった実の母の写真(キャワオにとって宝物であり、母捜しの手がかりでもある重要アイテム)を目の前でビリビリに破いて高笑いするようなクズ女なのである。まさに調子のり子といえる。

激怒したキャワオは「あんたの血は何色よぉ!」と某南斗水鳥拳伝承者のごとき怒号を発し、調子のり子の腕を掴んでホールドする。

で、出たぁ~、奥義キャワオ・ロック!

すさまじい握力で相手を拘束すると同時に激痛も与える…という攻防一体と化したホールド技。ちびっ子ファイター・いわたる君を庭に沈めた必殺技である。

さっきまであんなに調子乗っていたのり子は「やめてよゥ! 痛いじゃないのよゥ!」と泣き叫びながらいやんいやんするばかり。勝負あり!

f:id:hukadume7272:20190629091656j:plain

調子のり子ぉぉぉぉ。


このように、キャワオの身体性が遺憾なく発揮された作品なのである。キャワオ・ロックが火を噴くたびに豊かな二の腕がぷるぷる揺れもする。いわたる戦は二人が友情を結ぶ契機となり、のり子戦はキャワオが家を出ていく契機となるので、キャワオの身体性はストーリーテリングの推進力になっているわけだ。

いわば二の腕によって語られていく映画。

それが『青空娘』だというのか。もはや『二の腕娘』ではないだろうか。

 

◆青空娘のために!◆

映画後半ではキャワオが学生時代から片想いしていた恩師・菅原としつこく猛アプローチしてくるKAWASAKIのどちらを選ぶか…という恋の顛末が描かれるのだが、このシーケンスは単なるラブコメに終始していない。

最終的にキャワオは(別の映画で彼女の首を絞めた)KAWASAKIに惚れるのだが、その理由は母捜しを真剣に手伝ってくれたから。映画最終盤ではキャワオと母の再会が感動的に描かれており、この親子を再会させたからこそKAWASAKIは白馬の王子様に選ばれたというわけだ。

つまりキャワオがKAWASAKIに惚れたことに説話的な必然性がある上、「ロマンス」と「親子愛」という2つのテーマに明確な因果関係があるからこそ本作はすばらしい。なかなか粋な脚本である。

さらに粋なのは、人知れず教え子のキャワオに惚れていた菅原が、あえて母捜しをKAWASAKIに押しつけることで手柄を譲り、自分はあくまで「キャワオの恩師」として静かに身を引く…という切ない男心。恋を諦めた菅原がバーのマダムと乾杯するシーンが実に気持ちよい。

菅原「青空娘のために!」

マダム「そしてアナタの武士道精神のために!」

f:id:hukadume7272:20190629092306j:plain

恋のライバル同士、菅原謙次(左)と川崎敬三(右)。


映画前半はキャワオが継母と義姉に虐め抜かれるという少々暗い展開が続くが、決して陰気な映画ではない。なにしろキャワオはポジティブシンキングの青空娘なのだ!

なにより清涼剤となっているのが女中と魚屋。この二人はいつもキャワオの味方で、丁々発止の漫才を繰り広げては観る者の笑いを誘う。その女中役が女漫才師のミヤコ蝶々

f:id:hukadume7272:20190706070924j:plain

ロケーションも見所で、当時の東京の景色や人々のファッションも堪能して頂けます。

そして言葉遣い。本作には「ファイトが出る」という台詞が何度か出てくるけど、言葉マニアの私にとって昭和初期~中期の平民が日常会話で口にする外来語の使い方が無性に愛おしいのだ。もうひとつ使い慣れてない感じとか、わざと横文字を使ってちょっぴり気取ってる感じとか。わかって頂けるけ?

そしてキャワオの実母を演じたスペシャルゲストは三宅邦子『麦秋』(51年)『東京物語』(53年)などで知られる小津作品の常連俳優である。

さらに小津作品の常連がもう一人…。『東京物語』で不憫なババアを演じた東山千栄子! 小津や木下作品に錦上花を添えた名バイプレーヤーである。

そんな東山が、キャワオの継母を演じた沢村貞子(こちらは溝口作品の常連)と共演するシーンが一ヶ所だけあって、ものすごい迫力で火花を散らし合っている。互いに柔和な笑みを浮かべて楽しげに談笑する…という実にほのぼのしたシーンなのだが、映画好きなら二人の背後に「ゴゴゴゴゴ…」という擬音を感じ取るような緊張感が漂っていた。まさに芝居と芝居の斬り合い。ババアとババアの意地の衝突。


血の通ったショット。発色のよい総天然色。簡潔にして明朗快活な筋運び。撮られるにしたがって活き活きしてくるキャラクター。これだけのステキ味をわずか88分におさめてみせた増村保造のソリッドな快作。

伊豆と東京の違いを示すために都会のビルや人波をカメラにおさめていくといった野暮なことはせず、東京駅に降り立ったキャワオの不安感をアオリの構図だけで表現する手つきも見事。

別の余計なショットを撮らずとも、今あるショットの角度を変えるだけで映画は目覚める。

f:id:hukadume7272:20190629091315j:plain

 東京駅で人に道を尋ねるキャワオを長回しで捉えるアオリ構図。

 

(C)KADOKAWA