シネマ一刀両断

面白い映画は手放しに褒めちぎり、くだらない映画はメタメタにけなす! 歯に衣着せぬハートフル本音映画評!

痴人の愛

「耽美」は「スケベ」と訳される。

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1967年。増村保造監督。大楠道代、小沢昭一、田村正和。

 

精油所の技師・河合譲治は、酒もタバコも麻雀もやらず誰からも無類の堅物と思われていたが、実は密かにナオミという女を飼育しているという、もう一つの顔があった。譲治は自分の理想の女に仕上げるため、ナオミにピアノやイタリア語を習わせるが、肝心の勉強はそっちのけでボーイフレンドと奔放な遊びに興じるナオミであった。嫉妬に狂った譲治はナオミを問い詰めるが、その肉体の前では常に無力であり、いつしか主従関係のバランスは歪んでいく…。(Amazonより)

 

おはーん。

昭和キネマ特集を初めてからというもの、毎日のアクセス数は20%ほどダウンしているのだけど、えらいもんで「ウチの固定読者はこれぐらいだろうな」と見当をつけていた人数と、ここ2週間(昭和キネマ特集をしていた期間)の平均アクセス数がドンピシャで合致しております。

つまり、この2週間は固定読者にしか読まれていないという事です。

普通のブロガーだったら「もっとご新規さんを増やしたい!」とか「もっとアクセス数を伸ばしたい!」とかなんとか言って話題の最新映画をバンバン取り上げるんでしょうけど、私はそういうことには興味ありません。一夜限りの関係よりも、毎晩その日の出来事を報告して一緒に眠れるような読者の皆さんが好きなのです。自ずからアクセス数を下げているのもそのためです。

ブログ運営に関する私の思いは一旦差し置くね。もっとドロドロとした邪悪な思いがあるのだけど、一旦差し置く。この続きはGさんとの『シネ刀 映画対談』が実現したときにお話ししたいと思います。

だから誰か…彼女を説得してください。

数か月前から何度もオファーしてるんだけど何度も断られているのです。むかつくわー。かけがえのない私がこんなにも頭を下げて頼んでいるというのに。なんで断るんだ。断る道理がどこにあるんだ。そんなことをしていいと思っているのか。どんな義務教育を受けてきたのか。来世は何になるのか。

しかも「日本映画に興味がない」という理由でここ2週間まったくウチに現れないし。むかつくわー。現れない道理がどこにあるんだ。どんな情操教育を受けてきたのか。来世は何になるのか。

てなこって、本日は久しぶりのリクエスト回です。『痴人の愛』

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◆文学の屠畜者、増村保造◆

迷惑なぐらい長文コメントを送ってくることでお馴染みのjijicattanさんからのリクエストにお応えして増村保造『痴人の愛』を取り上げます!!

とはいえ、近ごろは増村保造ばかり観ているので…はっきり言ってこの映画はリクエストされようがされまいがどの道観ていたという裏ぎり。

せっかくリクエストして頂いたのに…すでに観るつもりでいてすみませんでした。

まぁ、私の「観たい」とjijicattanさんの「観てほしい」が奇跡的に一致した、とハッピネスに捉えることにしましょうね。リクエスト、アリス。jijicattanさんには賞品として投げキッス(やる気なし)が贈られます。わぁー、ぱちぱち。


さて、谷崎潤一郎の耽美主義が吹雪く『痴人の愛』。これは三度目の映画化でございます。

一度目は木村恵吾が1949年に京マチ子×宇野重吉で映画化しており、二度目は同監督が1960年に撮った叶順子×船越英二のセルフリメイク。そして三度目が本作。原作小説は1924年に書かれたものだが、本作では時代設定が現代(制作当時の1967年)に変更されている。

『痴人の愛』は近代文学におけるエポックメイキングのひとつだが、本を読まない奴のために一応内容をさらっておきましょう。


冴えない童貞サラリィマンの河合譲治が根無し草の少女ナオミと友達以上・恋人未満のファジーな関係を結んで同棲生活をはじめる。譲治はまるでペットのようにナオミを家に閉じ込めて自分好みの女に育て、やがて目くるめく変態プレイに溺れていく。

ところが、ずっと甘やかされて育ったナオミは道楽三昧の我儘女になり、よく譲治の留守中に男を家に連れ込むことから「共同便所」と街中の男たちに渾名されるようになる。

怒りと嫉妬に狂った譲治はナオミを家から追い出すが、嗚呼、忘れがたき肉の悦び! ひとたびナオミのドスケベボディの虜になった譲治はナオミロスに罹って自慰、発狂、気絶。忙しい男である。

もういちど肉の華を咲かせたい! そのためなら幾らも貢ごう! 俺はお前のペットになるぞ! うぉぉぉぉ。ほいさ! ほいさ!

…このように、一人の女に狂わされたオヤジの性的倒錯と独占欲を描き上げた谷崎文学の真骨頂。『痴人の愛』でございます。


ナオミと譲治を演じたのは大楠道代小沢昭一

大楠道代は鈴木清順の「浪漫三部作」すべてに出演したエキゾチックな女優であり、当ブログで取り上げた出演作は『ツィゴイネルワイゼン』(80年)『空中庭園』(05年)など盛り沢山!(この2本だけ)

他方、小沢昭一といえば森繁久彌の『社長シリーズ』で知られるほか、今村昌平の常連俳優でもありました。また、40年近く続けた「小沢昭一的こころ」というラジオ番組が有名らしいのだが…ごめんなさい、なんのこっちゃ分かんねえや。小沢昭一のこころなど知ったことか。

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大楠道代と小沢昭一。


まずこのキャストを見ただけである種のおもしろさを感じるのは、本作が過去2作品よりも卑近かつ風俗的であることが予感されるからだ。より生々しい、ということだね。

最初の映画化の主演は京マチ子と宇野重吉(ルビー歌手にして半落ち俳優でお馴染みの寺尾聰のリアルパパン)。スクリーンに息づく神秘の二大スターといえる。

そのリメイク版で主演を飾ったのは叶順子と船越英二(岬に追い詰め俳優にしてバイアグラ100ml男でお馴染みの船越英一郎のリアルパパン)。これまた美男美女である。

ところがどっこい、美人は美人でもキッチュな雰囲気を湛えた大楠道代はいかにも俗っぽくて、小沢昭一はどこからどう見ても一介の中年オヤジ。きわめて庶民的な二人なのである。なんなら俗物とすら言える。

そんな二人がドロドロの愛憎劇とモンモンたる性欲劇を演ずる増村版『痴人の愛

神話化された谷崎文学を脱構築せんとして神秘のベールを引っ剥がした増村は「文学だかなんだか知らねぇけど…早い話がただのエロじゃねえか!」とばかりに即物的な映画に仕上げてみせた。これぞ文学の屠畜。

悪童・増村の手にかかれば「耽美」は「スケベ」と訳されてしまう。

増村、絶好調である。

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大楠道代が脱ぎまくってます。

 

◆肉と機械◆

映画は小沢が務める工場のけたたましい騒音に始まる。

ゴォ―ン、ゴォ―ン、ゴォ―ン、ゴォ―ン!

シュ~~~~~~~~~~~~~~~~ッ!

キィィ―――――――――――――――ン!

むいんむいんむいんむいんむいんむい―ん!

カメラは工場の外観や内部を次々に捉え、まるで気違いみたいに動き続ける機械の轟音(相当やかましい)が20秒以上も観る者の神経を逆撫でするファーストシーン。

増村はヘヴィメタル。

ちなみに小説版の主人公は電気会社の技師だが、本作では精油所の技師…つまり工場勤めというところが強調されている。些細なアレンジではあるが、これによって映画は音を獲得するのだ(工場の機械音)。

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 開幕の工場ショット。

 

そのあと小沢は昼休みに上司と会い、このようなやり取りをする。

上司「君は稀に見るまじめ人間だねぇ。僕たちみたいに機械に囲まれて仕事している人間は何かで発散しないとノイローゼになってしまうぜ?」

小沢「実は…、気晴らしにペットを可愛がってるんです…」

お察し、ペットというのは大楠道代のことである。

仕事を終えて家に帰った小沢は、急に人が変わったようにハイテンションになって奇声をあげる。小沢はヘヴィメタル。

「ぃぃぃぃやっほーう! 帰ったよ、道代! どこにいるんだい? さてはこの僕とかくれんぼしようと言うのかっ。よーし、見つけちゃうぞ。ここか! ここか! ここかあ!」

すると、やおら部屋の隅から飛び出してきて「ここだよーゥ!」と叫んだ大楠を「可愛い奴め!」といってベッドに押し倒した小沢は、気狂いみたいにケラケラ笑い続ける大楠の太ももを愛撫して写真を撮り始める。

どうやらここまでがアヴァンタイトル(本編前)だったようだ。このあと『痴人の愛』という題がババーンと出るのだが、ここでのタイトルバックがメチャお洒落でかっこいいのである!

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ババーン!

 

工場での小沢と帰宅後の小沢の豹変ぶりは先に述べた通り。

つまり「工場」は「大楠との肉欲の日々」を相対化するための極めて重要なモチーフだったのだ。

仕事と家庭、抑圧と自由、機械と肉体、騒音と喘ぎ声…。すべてが工場と対比されている。

性愛という「フィジカル」な題材を描くために、その対極にある「メカニカル」な仕事場をファーストシーンに選んだ見事な対比である。現に小沢は自宅と工場を毎日往復するだけの単調な日々を送っている。仕事場では冷たい機械に触り、家では大楠の若々しい肉を触るのだ。

この対比を決定づけるように、本編が始まってまず最初に描かれるのは入浴シーンである。大楠の豊満な肉体を愛おしそうに小沢が洗う…という妙にエッチなシーンであり、ひいてはこれは機械についての映画ですよ」ということをハッキリと宣言したファーストシーンとなる。

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大楠の肉を愛おしそうに洗う小沢(端的にキモい)。

 

肉と機械の対比はこれだけではない。

やがて尻軽女となった大楠は、小沢の知らないうちにイタリア語教室で知り合った田村正和倉石功と肉体関係を持ち、イタリア語教師が主催するパーティーの帰り道で車が故障して帰れなくなった田村&倉石を小沢と暮らす自宅に泊めるやることにした。

かかる状況で、日頃から大楠の浮気を疑っている小沢の心中は無論おだやかではない。そりゃそうだろう。真夜中に泥酔した若い男二人を泊めるというのだし、大楠の方も酔っ払っている。小沢が寝ているあいだに間違いがあるかもしれぬ。ヤっちゃうかもしれぬ。

すべては車(機械)の故障が引き起こした患苦…。

いずれにせよ「機械」は二人の肉欲の日々を相対化…いわば邪魔するモチーフ。

つまり小沢の平穏を搔き乱す脅威なのである。

ある日、大楠と倉石が海岩で抱き合っているところを目撃した小沢が、嫉妬に狂うあまり二人が乗ってきたクルーザーを奪って泣きながら帰るシーンも象徴的だ。倉石に「大楠の肉体」を奪われたからこそ、小沢は「倉石のクルーザー」を奪い、その日を境に大楠を見限って家から追い出すことで肉と機械の相対性をスッパリ断つのである(まぁ、のちに大楠ロスを引き起こして再び彼女に振り回されるわけだが)。

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倉石と田村のお泊りにヤキモキする小沢(左)。

 

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倉石のクルーザーを奪い去る小沢。

 

◆女は手綱を握る◆

この映画の微妙な味わいは二人の肉体関係の有無がボカされているというあたり。

小沢は頻繁に大楠の足を舐めてはいたようだが、二人の間に性交渉があったかどうかは描かれないし語られもしない。大楠のヌードシーンはあってもセックスシーンは一度もないのだ。

小沢はオフホワイト。

それでこその足舐めり決死隊といえます。

むしろ小沢は一線を越えなかったからこそ、ほかの男たちと肉体関係を結びまくった大楠に殺意すれすれの嫉妬を抱いたのではないだろうか。

まぁ、いずれにせよ「肉体関係はなかった」とした方がより変態チックなお話になるので、そこをボカした谷崎潤一郎、並びにヘタに翻案しなかった増村保造はさすがであるよなー。


ムッチリした大楠とムッツリした小沢のコッテリとした情痴がペットリと描かれた本作。やはり面白いのは二人のキャラクターです。

小沢が自分に惚れ込んでいることを知っている大楠は図に乗って20万円のネックレスをねだり、「そんな金はないよ」と断られると涙の二段構えで小沢を巧みに攻め落とす。

まず最初は駄々っ子のように逆上して泣きわめき、これに折れた小沢がネックレスを買うと約束した途端、淑女のようにさめざめ泣きながら「こんな駄目なアタシに尽くしてくれるなんて…愛してるゥ!」と抱きついてキスの嵐。結句、小沢は20万のネックレスを買わされてしまった。にも関わらず、やれやれと思うどころか更に大楠のことが大好きになっちゃうンである。実にしたたかな悪女の打算。

そして小沢。「いい人」ゆえに大楠が見せた愛の蜃気楼にコロッと騙され、知らず知らずのうちに金も人生も吸い尽くされ、自覚のうえでは「飼い主」だが実際のところは「ペット」として体よく利用される…という哀れな中年親父なのである。

 

ところが、騙す女・騙される男…という単純なパワーゲームに終始しないのが本作の面白味。

実家を飛び出した根無し草の大楠がようやく見つけた居場所は小沢のもとであり、浮気がばれて小沢に家を追い出されたあとも「荷物を取りに来た」と言ってたびたび家を訪れては思わせぶりな態度で小沢を誘惑するのである。

つまり大楠は小沢を利用しながらも頼っているのだ。

肉体を差し出す代わりに生活を保障してもらう…という利害関係。『痴人の愛』という一見矛盾したタイトルはこうした理由に依る。

「アンタには私しかいないし、私もアンタがいないと困る」

大楠以外に愛を見つけられない男と、小沢以外に生活のアテがない女の悲しき利害の一致。

このような文学性を仄かに残しながらも、先に述べた通り、あくまで増村は「耽美」を「スケベ」と訳す。ラストシーンは半裸の大楠が小沢に跨るお馬さんごっこだ(『女性上位時代』とまったく同じ)。

本来的には利害の一致から対等な立場にある二人だが、それでも女は主導権を握って男を操らねばならない。そうしなければ出会った当初のように「飼育」されてしまう。だから手綱を握って小沢の尻を叩くのだ! ペットにならないために!

小沢の首をギュンギュン絞めながら服従を誓わせる大楠流・洗脳教育がすさまじいので、このシーンを堪能しながらのお別れです。

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耳元で怒鳴られる小沢。

 

「アタシの恐ろしさが分かったか!」

「分かった…」

「これからは何でも言うことを聞くか!」

「聞く…」

「もっと立派な家に住んでうんと贅沢させるか!」

「させる…」

「アタシが言うだけ幾らでも金を出すか!」

「出す…」

「アタシに好きなことをさせるか。誰と付き合ってもいいか!」

「いい!」

アタシの言うことは何でも信じるか!」

「信じる!」

「アタシを呼び捨てにしないで道代さんって呼ぶか!」

「呼ぶ!」

「きっとか!!!」

「きっと!」

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耳元で怒鳴られる小沢。

 

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