シネマ一刀両断

面白い映画は手放しに褒めちぎり、くだらない映画はメタメタにけなす! 歯に衣着せぬハートフル本音映画評!

最高殊勲夫人

キャワオとキャワグチがひたすら可愛い、待ったなしの爆走ロマコメ!

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1959年。増村保造監督。若尾文子、川口浩、宮口精二、船越英二。

 

三原家の兄弟と野々宮家の姉妹は、それぞれ長男と長女、次男と次女が結婚していた。残るは三男・三郎と三女・杏子を結び付けるのみ。若いふたりはそんな周囲の思惑に反発し、お互い恋人がいる事を宣言してしまうが、実は杏子にはまだ恋人はいなかった…。(Amazonより)

 

おはすーん。

こないだ本を買ったのだけど、何の本を買ったかについては教えないこととする。

私は本を読むのが異常に遅い。1ページに2分も3分もかかる。ばかのくせに専門書とか純文学を好むので、これは当然の理といえる。動体視力と脳理解が齟齬をきたすのだ。つまり目は文字を追っているが、頭が理解していない。だからじっくり咀嚼しながら同じところを何度も読み返さねばならないのだ。感覚としては「1ページ読む」というより「1ページずつ攻略していく」といった具合である。あまつさえ「気に入った文章にペンで線を引き、ページの端を折る」という癖を持つので余計に時間がかかるのだ。

開き直るわけではないが、ビジネス書やノンフィクションの類を例外として、速読の必要性をまったく感じない。速読の極意とは「情報の取捨選択」にあるから、ハナから情報を求める読書体験においてのみ速読は有効であるが、それ以外の読書体験、すなわち「フツーに楽しみたい」という動機の上に、速読は却って読書体験の芳香を妨げるのではないかしら。

経験則からモノを言って申し訳ないが、斜め読みばっかりしている奴はだいたい薄っぺらいということが言えると思います。カサブタみたいな知識と割り箸みたいな思想だけでコーディングされており、自分の言葉を持たないというか。

とは言いつつ、実はもう少し早く読めるようになりたいと願っている俺もいる。なにぶん頭がトロいもので、人がなにか言ったことを10秒経ってようやく理解することがままあるのだ。

そんなわけで本日、そち達の心にお届けするレビューは『最高殊勲夫人』です。タイトルが覚えにくい上に発音しづらい。困った映画だ。

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◆「厚かましい映画」とそうでない映画の違い◆

DVDジャケットに使われたスチールの愛らしさ。若尾文子は下手なウインク、川口浩は「アーッ!」という顔。本作を観た多くの人民と同じく、このおどけた二つの顔に一撃必殺された私も、本編を観るまえから『最高殊勲夫人』に恋をしてしまった。

むやみやたらに重苦しい作品ばかり撮る増村保造の初期作である。『青空娘』(57年)を彷彿させるハッピィな中身であるが、驚くべきは息もつかせぬロマンティック・コメディの乱れ撃ち。軽快と呼ぶにはあまりに神速、爽やかと呼ぶにはいかにも濃密。メシに例えるなら豚骨ラーメン大盛を1分で胃に流し込むがごとき魔術である。大勢のキャラクターと大量のエピソードをまとめて咀嚼し嚥下する、待ったなしの爆走ロマコメ95分。

この映画がやっていることは『アベンジャーズ/インフィニティ・ウォー』(18年)のような全編クライマックス化にほかならない。相変わらず常連俳優たちはそれぞれの増村作品のキャラクターを引きずったまま登場するし、いよいよMCUの前身と言わざるをえない。

増村・シネマティック・ユニバースとしての『最高殊勲夫人』です。


筋は単純明快。結婚を強いられた若尾文子(キャワオ)と川口浩(探検隊)が「何があっても結婚しない」と言いながらも結婚しちゃう…といった実にくだらない代物である。無論このくだらなさがいい。

そもそもDVDジャケットが盛大に結末をバラしてしまっているわけだが、この手のロマコメは結ばれたという結果よりも「結ばれるまでの過程」こそが醍醐味なのだ。

否、ロマコメに限った話ではない。映画とはやがて結末へと至る川の流れだ。私にとってラストシーンほど瑣末なものはない。流れ着いた先よりも流れることそれ自体に映画を感じるからである。そんなものより遥かに大事なのはファーストシーンなのだが、どうやら浮世にはファーストシーンを覚えていない人民が多いらしい。

馬鹿の一つ覚えみたいにオチだネタバレだと騒ぐ連中は可及的速やかにB'zの「ultra soul」を聴き直す必要があると思います。

結末ばかりに気をとられ この瞬間(とき)を楽しめない! メマイ!

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キャワオと探検隊(ほぼ二宮やん)。

 

映画のメインキャラクターは野々宮家の三姉妹と三原家の三兄弟。キャワオは野々宮家の三女、探検隊は三原家の三男である。

キャワオの2人の姉は三原家の長男・次男と結婚しており、次は三女のキャワオと三男の探検隊をくっつけようと画策する。それに抗う二人は反結婚同盟を結び、何が何でも結婚しないと誓い合うのだ。

ところがキャワオが三原商事の社長・船越英二(三原家長男)の社長秘書の仕事に就いた途端なぜか社内で爆モテ。全男性社員からプロポーズされたことで全女性社員から妬まれ、オフィス全体を巻き込んだ大恋愛ゲームに発展してしまう。そうこうするうちに反結婚同盟を結んだはずの探検隊は少しずつキャワオに惹かれていき、キャワオもまた探検隊のことが気になりだすのであった。


これが本作の大筋であるが、そもそもなぜ二人は反結婚同盟など結んだのか?

もちろん互いに恋愛感情がなかったから…というのが大前提にあるわけだが、もうひとつの理由が野々宮家長女(丹阿弥谷津子)への反抗。キャワオのお姉さんである。

船越英二と結婚して社長夫人になった長女は大の恐妻家で、夫を尻に敷いて会社をコントロールしている女傑フィクサー。次女にも同じ道を歩ませて「ダブルプレー婚」を成し遂げた。トドメにキャワオと探検隊を引っ付ければトリプルプレー達成。三姉妹揃って会社を乗っ取ろうという作戦なのである。

また、探検隊は兄が経営する三原商事を抜けて大島商事というライバル会社に勤めているため、キャワオと結婚すれば三原商事に連れ戻されるかもしれないと危惧している…というわけだ。

この時点で登場人物が6人もいるので、一寸ややこしいでしょう?

その上、三姉妹の父・宮口精二や、探検隊の婚約者・金田一敦子とその家族…、そしてキャワオに猛アプローチをかける三原商事のエリート社員3人もメインキャラクターに躍り出る。ほかにも脇役がぞろぞろ出てくるのでテンヤワンヤここに極まれりといった具合だ。

 

ここからは本作とは関係のない愚痴タイム

 

ちなみに私はキャラクターが大勢出てくる映画を忌み嫌っているが、正確を期すならば「顔と名前を覚えねばならないキャラクターが大勢出てくる映画」を嫌っている。

「映画なんてたかだか1時間半~2時間程度の付き合いなのに、なぜおれが架空のキャラクター10人分の顔と名前を必死こいて覚えねばならないのか。その苦労に見合うほど面白いものを見せてくれるの?」なんて思ってしまうのである。

キャラが大勢になったのは作り手の都合なのに、顔と名前を覚えないと筋が追えないなんて完全になめていやがる。なぜ作り手の都合に合わせなければいけないのでしょう。厚かましいにも程がある。付き合ってられるかあ!

だもんで、私、基本的に映画を観るときはキャラクターの顔・名前・肩書き・立場等は一切覚えません。「覚えないと筋が追えない」と言うのなら筋を追うことをやめる。しょせんその程度の映画だったと唾棄するまでだ。

だいたい、好い映画というのはこっちが覚えなくてもキャラクターの方から観客の脳裏に焼き付いてくるものなんだよ!(それが俳優のお仕事でもある)

 

もうひとつ言うと、すぐれた作家は覚えなくていい顔を撮る。

たとえば、よほど何度も観返したファンでもなければ『ファイト・クラブ』(99年)のヘレナ・ボナム=カーターと聞いても、人はその相貌を克明には思い出せない(わざと思い出せないように撮ってます)。現にこの映画は男性自我について物語なので、その中にあって彼女が演じた「マーラ」というキャラクターは「マーラ」としてではなく、もっぱら無記名性を帯びた「女」として曖昧な相貌におさまっているわけだ。

翻って本作『最高殊勲夫人』の場合、映画は両家の次男(北原義郎)と次女(近藤美恵子)の結婚式のシーンに始まるが、このファーストシーンを唯一の出番とする両者はセットアップ(状況説明)の為だけに拵えられたキャラクターなので、あえて無性格な顔、すなわち忘れていい顔として撮られている。

したがって、顔が撮れる監督の作品ではどれだけ登場人物が多くても決して混乱することはないし、ましてや観る者に顔と名前の記銘を強いることもない。

「厚かましい映画」とそうでない映画の違いはこういうところにあります。

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左から三原家次男(北原義郎)、長男(船越英二)、野々村次女(近藤美恵子)、長女(丹阿弥谷津子)。

 

増村保造は金魚すくいの名人

さて。この映画の見所は「いちばんの見所が見所になっていない」という点である。

通常、ロマコメというのは主演カップルが結ばれる過程、もしくは結ばれる瞬間こそが見所なわけだが、この映画はわざとそこをスポイルしていて、キャワオと探検隊の関係性にはほとんどスポットが当たっていないのである。キャワオは言い寄ってくる男たちを振ったり女性社員の恋の手助けをすることに忙しく、一方の探検隊も親友がキャワオに惚れたのでその手助けに東奔西走。

したがって二人きりでゆっくり話すシーンはたったの4回。とてつもない数のサブキャラが現れては、その都度カメラはあっちにフラフラ、こっちにフラフラするので、主演二人の共演シーンが10分ほどしかないというムチャな有様なのだ。

 

すでにこの映画を観ている人(渋谷あきこさんとか)ならお分かり頂けるだろうが、ちょっと常識では考えられない映画なのである。

物語、人物、設定、画面…。すべてにおいて情報量が膨大をきわめ、とても95分で描き切れるはずのないモノを描き切ったアンビリーバボーな作品なのであるるるる。

余計なお世話だろうが、映像作品の撮影・編集を学んでおられる方、もしくはそういう業界に携わっている方は絶対に研究しておいた方がいい作品だと思います。おそらく研究しても分析不可能なぐらい高度なフレーミングやカット割りを駆使したうえに成り立っている作品なので、映像を生業にしている方には徹底的に追究して頂きたいのです。

この映画の異常性をちょっと極端に例えると、およそ次のような課題となる。

・500ページの長編小説を5ページにまとめろ

・なんでもいいから料理30品を3分以内に作れ

・捨て猫100匹の里親を1日で探せ

・地球に向かってくる隕石10個をおまえ1人でどうにかしろ


これを増村保造はクリアした!

隕石を止める男、増村保造。

 

何しろキャラクターとエピソードの流星群なのである。

長女が三原商事を乗っ取ろうとするのは貧乏生活に戻りたくないから…という野々宮家の悲しきバックグラウンド、そして三原商事社長・船越の不倫劇(またか)、野々宮家の父・宮口精二のキャワオへの愛情と定年退職物語、探検隊の婚約者・金田一敦子の変人エピソード、TVプロデューサーを勤めるその兄・柳沢真一のテレビ業界あるある、キャワオにフられていく男性社員たちと彼女に嫉妬する女性社員たちの恋模様etc…。

ここでは書ききれないほど多くのキャラクターの悲喜こもごもを、たった95分でスパパパパッと捌いていく増村の包丁捌き。

いやいや、すごいと感心する暇もなく、ただ呆気にとられてしまう。フィルムがオーバーヒートしそうだ。

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キャワオと探検隊にもそれぞれの家族とのエピソードがある。

 

この神業を私なりに研究したところ、「フレームの使い方」に秘密があるのではないかと結論したのです。

本作にはおびただしい数のキャラクターがいるので同一フレーム内に複数の人物が出入りする。扉や曲がり角を使ってさまざま人物がフレームイン/アウトを繰り返すのだ。ちょうど『赤線地帯』(56年)の第三章で論じた「縦・横・奥・手前の空間操作」のように。わかりますか。

たとえば3人のキャラクターを撮る際に、まず1人目にカメラを向け、次に2人目にカメラを向ける…といったやり方ではなく、3人まとめて同一フレームにおさめてしまうという欲張りショットを実践するのである。そうすると画面前景では男性社員がキャワオを口説いており、その後ろには男性社員に片思いする女が嫉妬している…といった画ができる。

このたった1つのショットだけで「3人の人間」の「2つの恋」が同時に描写されることになる。

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キャワオを口説く男性社員とそれに嫉妬する女性社員。

 

ゆえに情報量がえげつないのだ。ピントが合っているところだけでなく、その前後左右…ひいては画面の隅々に映るさまざまなキャラクターのドラマも同時進行しているので、そっちも目で追わねばならない。せっかくキャワオが映ってるのに彼女を見ている暇もない。

まるで高度な金魚すくいを見ているようだ。

一度に3匹も4匹もすくい上げてしまうショットの強度。そして鋭敏なカット(金魚すくいでいう「腕の動き」に当たる部分)。

結論、増村保造は金魚すくいの名人。

 

その中でも増村の遊び心が(金魚のように)跳ねております。

ソール・バス風のオープニングクレジットの格好よさ。それに豊富な丸の内ロケが考現学的な見所にもなっている。元気に並び建つビルヂング。元気に営業しているトンカツ屋。東京都民が元気いっぱいに歩いております。腕をしゃきしゃき振って。今日も元気だ、タバコがうまい!

あと、軽食屋でサンドイッチの具をボタボタこぼしながら食べるキャワオがすてきです。

牛乳もよくこぼします。

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サンドイッチをもりもり食べるキャワオ(ドリンクに牛乳をチョイスするあたりが可愛い)。

 

◆愛の絶叫 スウィートハートベイビー◆

そうそう。すっかり言うのを忘れていたが、若尾文子と川口浩探検隊がすこぶるかわいいよ?

若尾がキャワオなら川口の方もキャワグチと呼ばねば不公平だよなぁーと思うぐらい男女ともにかわいいのである。ふとしたときに見せる顔や仕草、それに掛け合い! 謎の掛け合い!

キャワグ「頼まれると断れないのが俺の性分だ!」

  キャワオ  「浪花節的ヒロイズムね!」

浪花節的ヒロイズム。

この言語感覚である。

そんな二人の関係性は画面配置によっても可視化されております。

互いに恋愛感情のなかった映画序盤は隣り合わせで座り、徐々に惹かれ合いながらも反結婚同盟を結んだ手前 本心を隠し続ける中盤では反対向き。

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「アタシ何とも思ってないんだからね!」、「僕もだよ!」と言わんばかりの本心隠しの構図。構図までかわいいな~。

 

ところが、二人が初登場するファーストシーンでは左右対称の配置になっており、ちょうど向き合うように撮られている。まるで結ばれる運命かのように。もちろんこの左右対称は、ついに二人が愛を告白するクライマックスで繰り返されることになる。

やかましいバーのカウンターで向かい合った二人は、お互いの告白が周囲の音にかき消されては何度も聞き返し、徐々に声のボリュームをあげて愛を絶叫する!

「好きなんだ…」

「なぁに!?」

「オレ、好きなんだ。キミが…」

「聞こえないわよォ!」

「結婚したかったんだ。好きで好きでたまんねえんだよ!

「…私もなのよ」

「エッ、なんだって!?」

「あなた大好きよ…」

「聞こえないよォ!」

「結婚したいわ。だって好きなんだもの! あなたが!

 

エンダーイヤーといえる。

ついに結ばれたるキャワオ&キャワグチの前途を私は祝しました。

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しかし、その傍ではキャワオにプロポーズして目下返事待ちの社員・野口啓二がこっそりと失恋していた。

野口といえば社内随一の歌唱力を誇る男で「スウィートハートベイビー」という謎の洋楽を誰よりも得意とする奴である。キャワオを無理に誘ってデートした帰り道に意気揚々と「スウィートハートベイビー」を歌っているときに車に轢かれそうになった男でもある。

そんな野口が二人の愛が結実する瞬間を目撃してしまったのだ。当然、野口のスウィートハートは粉微塵と化し、「うわああああ」とヤケを起こしてバーのステージに乱入。司会者が「はい、飛び入り大歓迎! 賞金は500円。なに歌いますか!?」と言ってマイクを渡すと言わずもがなみたいな顔をした野口…

「スウィートハートベイビー!!」

これっきゃないね!!!

やおら始まる野口の歌唱シーン(ばかに長い)。

 

ワン! ツー! ワンツースリーフォー!

スウィートハートベイビ~♪

ズンチャカズンチャカ♬

オーマイラブ♪

アイキャンフォゲッ♪

アイラビューウ♪

スウィートハートベイビ~♪

スカチャカポコポコ♬

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スウィートハート野口。

 

めちゃくちゃな英語発音であった。いい加減にしろと言いたい。

スウィートハート野口が必死こいて歌いまくっていると、以前から野口を恋慕していた女性社員が「スウィートハート野口~♡」と言いながらステージに上がってきた。そして熱烈なキスを見せつけた二人! またしてもここにカップルが成立した。まぁ、エンダーイヤーといえる。

この映画の気持ちいいところは「恋の噛ませ犬」がいないところだ。失恋する脇役は多いが何かしらの救済措置があるので胸糞悪くならない。配慮が行き届いたロマコメは最高だ。

ラストシーンはキャワオとキャワグチの結婚式。ファーストシーンが両家の次男・次女の結婚式に始まっているので綺麗に反復している。

そして二人の前にカメラ小僧が現れた瞬間、キャワオは下手なウインクを、キャワグチは「アーッ!」という顔をした。パシャリ☆

最後の最後までかわいかったな、こいつら。

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 「ぎゅっ」という鈍い音が聞こえてきそうなほど下手なウインク。

 

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