残酷な天使のナース。病院からやがて飛び立つ。
1966年。増村保造監督。若尾文子、芦田伸介、川津祐介。
日中戦争さなかの昭和14年、さくらは天津の陸軍病院に従軍看護婦として配属された。狂気としかいいようのない状況の中、彼女はモルヒネ中毒の軍医・岡部に心惹かれていく。しかし、応急看護班として前線に向かったふたりは敵に囲まれ、やがてコレラの巣食う集落に取り残されてしまう…。(Amazonより)
ウン! みんな、おはよう!
ここでの前書きは「皆に語りかける」というつもりで書いているので自ずから口語文となり敬語なんかも使っているのであるが、元来わたしの本領は文語文。いわんや「ですます調」の媚びた敬語などファックオフなのである。したがって今後、いっさいの前書きは文語文をスタンダァドとすることをここに宣言するものである!
まぁ…でもな~、人によっては「堅苦しい」と思うだろうし、その辺は難しいよなー。
あかん。宣言した端から口語文になった。ばかと思われる。
これって、ブロガー諸兄ならびに総ての物書きにとってのひとつの命題だと思うんだよな。文語文でいくか口語文でいくか、「ですます調」にするか「である調」にするか…(ちなみに私は二刀流折衷型)。
かかる文体問題、私なりにメリット・デメリットをまとめてみたので、明日からブログを書くぞという元気闊達な青少年たちの一助になれば此れ幸いである。
口語文のメリット→音で読ませる。だから読みやすい。親しみが持てる。友達になりたいと思える。小鳥も寄ってくる。
口語文のデメリット→チャラい。ゆえに説得力を欠く。述語が長くなるので字数が増える。バカのTwitterはだいたい口語文。
文語文のメリット→論理性がある。修辞的にも無駄がない。「である」、「なのだ」によって説得力が出るので知ったかぶりしやすい。
文語文のデメリット→堅苦しい。文章の自由度が制限される。若者ウケが悪い。友達になってもらえない。小鳥がどっか行く。
以上です。わかりましたね。だから今日は『赤い天使』です。参ります。
◆戦線看護婦物語◆
冗談を言う暇もないほどヘヴィな作品なので、これから読む人はチィとばかり覚悟してくれ。今から書くオレも覚悟している。
そもそも、ここ1ヶ月以上に渡る「昭和キネマ特集」は押し並べてヘヴィである。戦後日本映画はヘヴィメタルなのだ。濃度・密度ともに申し分ねえ。
だから、なるべくライトに…なるべくポップに…と思いながら書いちゃあいるが、こりゃもう無理だ。扱う映画が鎧兜を着た軍神みたいにヘヴィなので、こちらもそれ相応の気合いを込めて斬りかからねば弾き返される。刃こぼれしちゃう。
だからこの約1ヶ月間半…正味結構しんどい。
『卍』(64年)評は文章構成を間違えたせいで完成まで12時間以上もかかってしまい、『黒い十人の女』(61年)評は執筆中にPCが爆砕して急遽書き直し。ただでさえこの2本は鎧兜のうえからプレートアーマーを着たようなヘビメタ映画ツートップだしな。意識が吹っ飛びそうだぜ、まったくよ。
そんなわけで、もうじきランナーズハイならぬレビュアーズハイが迎えられそうな折、あぁ観てしまった…、増村保造の『赤い天使』。濃さ・重さともに申し分のないヘヴィメタルだ。
よろしい。評をはじめよう。
『赤い天使』は日中戦争に参加した一人の従軍看護婦の視点に立った反戦映画である。看護婦サイドから見た戦争というのもなかなか珍しい。
ちなみに日中戦争から第2次大戦終結までの間に医師を含む延べ3万5785人の救護員が派遣され、1187人が戦死した。このうち従軍看護婦が1120人を占めている。なんてこった。なぜ人命を救う側の人間が死ななきゃならんのだ(伝染病が猛威を振るっていた)。
銃声や爆音が鳴り響くなか、日中戦争の惨たらしい記録写真が次々と映し出されるオープニング・クレジット。出演者のクレジットには若尾文子という字の連なりがみとめられる。
彼女は中国・天津の陸軍病院に赴任した従軍看護婦である。病院の婦長から「ここには偽の病人が多いから気を付けるのよ」と忠告された数日後、若尾は深夜の巡回中に患者の千波丈太郎一等兵に犯されてしまう。この病院には、わざと傷を悪化させたり精神疾患を演じては前線復帰を先延ばしにするソルジャーたちが若い看護婦を慰み者にしてのうのうと暮らしているのだ!
あくる朝、昨夜の出来事を報告された婦長は千波一等兵を前線復帰させた。
さらにその二ヶ月後、若尾は戦線近くの分院に派遣され、軍医・芦田伸介のもとで外科手術の手伝いをしていると、以前に自分を犯した千波一等兵が血だらけで担ぎ込まれてきた。ドクター芦田はその傷を見るなり「こりゃ助からん。血ィ出すぎ」と匙を投げたが、瀕死の千波一等兵は若尾の腕を掴んで「こないだは悪かった。どうか助けてくれ。死にたくないんだ!」と命乞いをする。
本来なら「死ねっ!」と顔に唾を吐きかけてピューッと走り去るべき案件であるが、あろうことか若尾はドクター芦田に頼んで輸血をさせたのである。真夜中に芦田の部屋を訪れることと引き換えに…。
ジャン!
ここでクイズ。なぜ若尾は自分を犯したファッキンソルジャーを助けようとしたのか? 次の三つから選べ。
①看護婦の務めだから
②惚れていたから
③輸血マニアだったから
そうです。正解は④の「自分が原因で前線復帰させられた兵士に後ろめたさを感じていたから」です。正解者には血液パック1袋が贈られます。
「私を犯した。ただそれだけの罪でこの男を死なせたくはなかった。私が殺したことになる…」
だが努力の甲斐もむなしく千波一等兵は天に召された。いや、地獄に落ちたのか。
映画はまだ開始15分。このあとも彼女は異常なやさしさで傷痍兵に接し、ときには身体を捧げてまで尽くし、自分の患者が死ぬたびに「また殺してしまった」、「これで3人目…」と自ら十字架を背負ってしまう。
戦場の天使は赤く血塗られてゆく…。
ナース若尾と千波一等兵。
◆若尾は戦場へ行った◆
『赤い天使』は兵士と看護婦の異様な関係を描いた壮絶恐怖映画だった。
これはダルトン・トランボの『ジョニーは戦場へ行った』(71年)と対になる作品である。片や傷痍軍人の視点、片や看護婦の視点から野戦病院での悲惨な生活が描かれた2作品だ。
ちなみに『ジョニーは戦場へ行った』は私のトラウマ映画のひとつで、砲撃で顔を吹き飛ばされたジョーという兵士が野戦病院で両腕両脚を切断され「生きる肉の塊」になってしまう…という世にもおぞましい作品である。手足がなく、目・鼻・口・耳も失ったジョーに残されたのは痛みや暑さを感じる「感覚」と恐怖を想像する「脳」だけ。究極の生き地獄ザッツオールといえます。
この2作品には共通点が多いので、ひとつずつ申し上げる。
まずは画面の暗みであろうか。
戦争映画というのは不思議なもので、その多くの作品で死や暴力が描かれているように「内容は陰性」であるが、戦闘がおこなわれるのは日中の野外が多く「画面は陽性」なのである。「語り方」と「見せ方」の乖離といえば分かりよいだろうか。
一般論として話すけれども、通常、映画というのは語り方と見せ方が一致しているものである。ラブストーリーの場合はキラキラした話をキラキラ撮るし、フィルムノワールであれば渋い話を渋く撮り、コメディならバカバカしい話をバカバカしく撮る。
しかし、この一致性がきわめて曖昧なのが戦争映画で、内容はヘヴィなのに画面を観るぶんには思いのほかポップだったりするわけだ。なんといっても明るい(光学的な意味で)。もちろん戦争映画といっても色々あるので夜戦や森林戦を描く場合はその限りではないにせよ、基本的には明るい画面が娯楽性を担保しているケースが多い(少なくとも『プライベート・ライアン』までは)。
そうそう。以前に映画対談させて頂いたやなぎやさんは、いみじくもこのような事をくっちゃべっておられた。
「私にとって戦争映画は完全な娯楽なのですね(もちろん例外はあります)」
ええこと言やはるわぁー。
これはまさしく正鵠を射た一言で、現に戦争映画は一大エンターテイメントとしてハリウッド神話に裨益してきた歴史を持つ。1950~60年代にかけてのハリウッドなど「戦争の商品化」に勤しむ巨大工場さながらである。
では、スクリーンに映し出された殺戮行為を見て大喜びする観客は異常なのか。あるいはシューティングゲームで人の頭を撃ち抜く行為は狂気沙汰なのか。最近流行ってる虐殺系マンガを読むことは不道徳なのか。
ノン。
「思想」と「生理」は別モノなので何ら異常ではない(むしろ性表現や暴力描写を不道徳と断じて規制することの方がよっぽど不道徳である)。
そしてこの二つ…すなわち「思想」と「生理」を別モノと分けることこそが戦争映画における「語り方」と「見せ方」の不一致(分化)にほかならないのだ。
逆に言うなら、戦争映画でこの二つが一致してしまった作品のことを、人は戦争映画ではなく反戦映画と呼ぶ。
反戦映画とは、それすなわち恐怖映画のことである。ひいては『ジョニーは戦場へ行った』と『赤い天使』のことだ。
翻って本作、病院内のシーンではそこら中に影が濃く落ちていて、ほぼ真っ暗。そのうえ明度自体が低いので光が当たっている部分まで暗い。ゆえに「内容は陰性、画面も陰性」となるので娯楽性ゼロ。思想と生理が一致した結果である。
何が言いたいかというと暗いハナシが暗い調子で続いてボクCryということである。ギャグを言ってすみませんでした。
撮影はベッタリとした黒味を誰よりも得意とする小林節雄。夜空にイカ墨をぶちまけることを誰よりも好んだ男である。
暗い、痛い、怖い。地獄の三拍子。
ドギツイという点でも『ジョニー』と『赤い天使』は共通している。
もっとも『ジョニー』は内容的にドギツイが、本作は内容もさることながら視覚としてまずドギツイ。満身創痍のソルジャーたちが鮨詰めにされた野戦病院は阿鼻叫喚の地獄絵図である。
それに、何といっても若尾が身体を押さえつけた患者の手足をドクター芦田がノコギリで切断するシーン。
ここまでゴア描写に踏み込んだ映画が1966年にあったのか…というほど人体欠損描写をモロに見せており、手術室の脇に置かれたバケツは切り落とした手足で溢れ、患者の傷口には蛆が涌き(本物を使った)、死んだソルジャーはゴミのように死体置き場に投げ捨てられる。死臭すら漂ってきそうなほど凄まじい映画である。
ちなみに、芦田は何かと言うとすぐ手足を切断する軍医として名を馳せている模様。ロクな設備もない野戦病院において重傷を負った手足は切断するほかはないらしい。
そしてこの手術シーンは音の使い方が実に意地悪くて、いかにも骨を切ってますといったギコギコギコ…という漫画的な擬音ではなく、シュッシュッ…という渇いた音を響かせるのである。時おりノコギリが骨に引っかかってゴリッと鳴る瞬間も含めて、そのあまりの生々しさに胃液が逆流しそうになりました。
おねがい。増村。もうやめて。
おねがい。
そして『ジョニー』との共通点、第三!
それは患者の性欲処理が描かれていること。
『ジョニー』では欲情を催しても自ら発散できない主人公に代わって情け深い看護婦が手を使って射精へと導いてやったが、本作でもまったく同じこと…、いや、さらに一歩踏み込んだところに挑戦している。
手術で両腕を切断された川津祐介は恥を忍んで自慰代行を頼むが、この男を憐れんだ若尾はそれ以上の献身的態度を見せる。つまりセックスの相手をするのだ。
身も心も満たされた川津は「本当にありがとう」と書いた手紙を残して病院の屋上から飛び降り自殺した。またしても救うはずのソルジャーを殺してしまった若尾…。
このとき、彼女のなかで何かの糸がプツッと切れた。
血飲みの川津。
◆戦場の天使◆
何にもまして不気味なのは若尾である。
「私を犯した。それだけの罪でこの男を死なせたくはなかった。私が殺したことになる…」というナレーションがすべてを物語っているように、彼女の慎しさと責任感の強さはちょっと普通とは思えない。クレイジーなまでの奉仕精神である。
野戦病院での地獄の生活が続くうち、やがて彼女は同じ苦しみをともに耐え抜くドクター芦田を愛し始める。
これまで「与える側」に回っていた若尾が、初めて「求める側」になった。
その後の若尾は、奉仕のためではなく芦田のために患者に尽くし、死も辞さずに芦田を追って前線の部落について行くが、そこは敵に囲まれ、コレラが蔓延するデンジャーゾーン。Highway to the Danger Zone♬なのである。
味方はコレラに感染してバタバタ倒れていき、残った兵士たちは夜明けの奇襲に備えていた。
長い夜が始まる…。
なのに芦田と若尾だけが部屋でいちゃこいていた。
ドクターとナースのいけない恋。
芦田は毎晩打っているモルヒネの副作用で性的不能になっていることを激白。しかし若尾は「今宵、どうしても抱いてほしいのです!」としつこく食い下がる。
勃たないと言ってる芦田と、勃てろと言う若尾。
僕はなにを見せられているんだろう…と思いました。なにこの勃起論争。なんて不思議な押し問答なのだろう。
結局、数時間に渡ってモルヒネの禁断症状を耐え抜いた芦田は一世一代のミラクル勃起に成功。からの性交。外では極限状態の仲間たちが奇襲に備えてぷるぷるしているというのに、部屋のなかでは芦田と若尾がべつの意味でぷるぷるしています。
また、その間におこなわれたコスプレごっこが実に変態チックなのである。
芦田「ためしにワシの軍服を着てみなさい」
若尾「いいけど、軍服を着たら立場逆転よ。芦田軍医、靴を履かせろ!」
芦田「はっ、若尾殿!」
若尾「キャッキャ!」
僕はなにを見せられているんだろう。
わかんなくなっちゃった。
だが、このコスプレシーンは『赤い天使』の本質を静かに穿っていたのです。
謎の立場逆転ルール。
立場逆転。これはきわめて増村的な主題である。
芦田と肉体的に交わったことで若尾は天使になった。これまでは傷痍兵のために看護婦としての責務を果たし、芦田に惚れてからは女としてその仕事を全うしてきたが、ついに芦田と結ばれたことで戦場の天使…換言すれば「巫女」となったのだ。
つまり若尾はこの物語を通して看護婦→女→天使と昇級していき、それに伴って彼女と関係を持った軍人・軍医たちは相対的に降級、すなわちただの男になっていく。ただの男は戦場では生き残れないので皆死んでいく…という論理である。
千波一等兵も死んだ。川津も死んだ。ついには夜明けの奇襲が描かれるクライマックスで「ワシだって戦闘力あるんだぞー」とかなんとか言って外に飛び出した芦田も秒殺されてしまう。
ただ一人…若尾だけが掠り傷ひとつなく生き残ったのだ。
死ぬはずがなかろう。もはや人を超越した存在になったのだから。男たちの返り血を浴びた赤い天使に。
(C)KADOKAWA