シネマ一刀両断

面白い映画は手放しに褒めちぎり、くだらない映画はメタメタにけなす! 歯に衣着せぬハートフル本音映画評!

アンダー・ザ・シルバーレイク

都市伝説、陰謀論、カルト宗教。なんでもござれのLA地獄巡り!

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2018年。デヴィッド・ロバート・ミッチェル監督。アンドリュー・ガーフィールド、ライリー・キーオ、トファー・グレイス。

 

セレブやアーティストたちが暮らすロサンゼルスの街シルバーレイク。ゲームや都市伝説を愛するオタク青年サムは、隣に住む美女サラに恋をするが、彼女は突然失踪してしまう。サラの行方を捜すうちに、いつしかサムは街の裏側に潜む陰謀に巻き込まれていく。(映画.comより)

 

おはようございます。

葡萄を貰いました。食べました。美味しかったです。でも指先が青くなりました。ザナドゥです。

今の私はビタミンが豊富なのでいい文章が書ける気がします。ちょうどいま書いてるのは『グリース』(78年)という映画です。たいへんお気に入りの映画なので大事に書いています。そこへ葡萄のビタミンが追い風になるわけです。ザナドゥです。

でも『グリース』評をアップするのは1ヶ月後ぐらいになりそうなんだ。それぐらいレビューストックが溜まってるので、一つずつ出していかねばなりません。葡萄を一つずつ摘まんで食べるように。そうですね。もちろんザナドゥです。

そういう事情もありまして、本日は『アンダー・ザ・シルバーレイク』です。これはノット・ザナドゥです。

ワッツ・ザナドゥ? 知るかザナドゥ。

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◆果てしなき脱線映画◆

や~、少々厄介な映画だけど…やっていきましょうか。

本作は『イット・フォローズ』(14年)で注目されたデヴィッド・ロバート・ミッチェルの最新作である。

物語の舞台はロサンゼルス・ダウンタウンの北西に位置するシルバーレイクという町。ここには映画スターやミュージシャンを目指す若者や売れないアーティストが多く住んでおり、主人公のアンドリュー・ガーフィールドも悠々自適にアパート暮らしを送っている33歳の独身男。その彼が一目惚れした隣家の美女ライリー・キーオが突然失踪したことで捜索を始めるが、行く先々で奇妙な人物に関わるうちにLAの闇に足を踏み入れていく。

犬殺しの男、殺人フクロウ女、陰謀論、暗号解読、LA地下帝国、カルト宗教…。

失踪したライリーを捜すはずがどんどんハナシは脇に逸れ、主人公のガーフィー君でさえ自分がどこへ向かっているのか分からなくなってきて…といった悪夢のネオノワールである。

レビューサイトでは「むずかしい」とか「わからない」といったかけがえのない意見が多く脱落者続出の様相を呈しているが、いいかよく聞いてくれ…こういう意見が多い映画というのはだいたい話自体はシンプルなのだ。観客が勝手に難しく考えてドツボに嵌ってるだけ。

本作もこの上なくシンプルな話だが、ただひとつ難儀しうるとすればポップカルチャーのおびただしい引用であろう。

本作にはさまざまな映画・音楽が散りばめられている。なんなら『スーパーマリオ』とか『ゼルダの伝説』も出てきちゃう。しかもそれらはノリで引用されているものではなく、物語や主人公の状況を代弁しているため、こりゃあ確かに知らないとキツい。「話を追う」のではなく「引用に気付いてテクストを分析する」ことでようやく理解できるタイプの映画というか。

そうだね。うんざりだね。

なんとなくコーエン兄弟の『ヘイル、シーザー!』(16年)を思い出したよ。オールドハリウッドを知らない人には何一つ伝わらないという意地悪な映画です。

本作も完全にそれ。

まぁでも、なるべく砕けた調子で書いていくから安心してね。

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失踪したライリー(上)と未完作品『女房は生きていた』(62年)のマリリン・モンロー(下)。


まず主人公のガーフィー君に着目せねばならない。彼は何をしている人物なのかと言うと何もしていない人物なのである。

部屋には大量のマンガとビデオとゲームとレコードが散らかっている。要するにオタクだ。いつもアパートのベランダから双眼鏡で隣家を覗いており、気が向いたときに女友達を呼んでファックする(テレビを見ながらファックする)。部屋にはカート・コバーンのポスターや『ネヴァーマインド』のレコードがあるのでニルヴァーナの大ファンなのだろう。もしかするとミュージシャンを目指しているのかも。大家からは家賃滞納でドヤされているが、かなりいい車に乗っているので金には困ってない様子。そして母親からは頻繁に電話が掛かってくる。

「今日テレビでジャネット・ゲイナーの『第七天国』(27年)がするのよ。彼女はすばらしい女優よ。録画するからビデオを送ってあげる!」

オーケー。親の仕送りで毎日を無為に過ごす放蕩息子(33歳)というわけだ。もっと分かりやすく言ってやろう。クズだ。

この人物造形は本作を楽しむためのキーになります。

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放蕩息子としてのアンドリュー・ガーフィールド。


さて。この映画を観ていると主人公のガーフィー君に対して劇中10回ぐらい「おまえ何してるの?」と思うわけだ。私は正確に12回思った。

消えたライリーを捜し出すことが目的なのに、ガーフィー君ときたら大好きな漫画家に会いに行ったりセレブのパーティーに参加したりするのね。「いや、ライリーは?」って。

ガーフィー君が大ファンだという漫画家の男は誇大妄想に取り憑かれた都市伝説マニアで、「この町には犬を殺して回る男がいる」とか「フクロウの仮面をつけた全裸の女が夜な夜な人を殺して回る」とまくしたてるようなクレイジー野郎である。さらには暗号研究もおこなっており、ガーフィー君に向かってこういうことを言う。

「世の中はサブリミナルに満ちている。われわれは無意識のうちに政府や巨大企業に操られているんだ。意味を解き明かせ!」

ガーフィー君は彼の大ファンなので「わかった、意味を解き明すよ!」と熱く誓った。

謎解きに取り組むガーフィー君。

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いや、ライリーは? って。

ライリー捜しはどうなったのか。どこに情熱を傾けているのか。パトスの発射方向を間違えてやしないか。

そうこうしている内にガーフィー君の周囲で奇妙なことが起こり始める。夜道を歩いていたガーフィー君は犬の死骸を見つけ、怪しい男に付け回された。そして漫画家が自宅で殺害された。家中に取り付けられた監視カメラにはフクロウの仮面をつけた全裸の女…。

ととと…都市伝説は本当だったのか?

どきどきしてきたガーフィー君は「こりゃ解くしかねえぞー」と言って謎解きに取り組みます。

謎解きに取り組むガーフィー君。

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だからライリーはつって!!!

このあとの展開はワケワカメ。一気に書きますよ。

スカンクに屁をこかれて悪臭まみれになったガーフィー君は「イエスとドラキュラの花嫁たち」というバンドの歌詞が暗号になっていることを突き止め、ゲーム雑誌に載ってた『スーパーマリオ』のマップ図を使って暗号を解いた。どうやらグリフィス天文台でジェームズ・ディーンの胸像の頭を撫でれば道が切り開けるらしい。さっそくグリフィス天文台に行ってジェームズ・ディーンの頭を撫でると「乞食の王」が現れてガーフィー君を地下帝国に導いた。

そのあと「イエスとドラキュラの花嫁たち」の曲を書いた大物ソングライターの屋敷に行くと、その人物が「世の中の有名な曲はだいたいワシが書いた。おまえの好きなニルヴァーナもワシが書いた」と豪語して色んな名曲をピアノで弾き出したので、頭にきたガーフィー君はカート・コバーンのストラトキャスターで老人を叩き殺した。

そしてLA巡りの果てに辿り着いた山奥でオウム真理教みたいなカルト集団と出会ったガーフィー君は信者になったライリーとビデオチャットをします。「元気?」、「まあまあ」。どうやら彼女は近いうちにポアされるらしい。「そっかぁ、ポアされるのかー」と思ったガーフィー君はトボトボとアパートに帰り、向かいの部屋のヌーディズムを貫くおばさんとセックスをします。おわり。うそーん…。

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失踪したライリーちゃん。

 

◆夢を追おうが追うまいが報われない◆

もう言っちゃうね。

『アンダー・ザ・シルバーレイク』は人生の意味を見出せない男がシルバーレイクという「アメリカンドリームに最も近い場所」に住みながら何の努力もせず、人捜しを口実に現実逃避し続ける映画である。

ザッツオールだ。この上なくシンプルだろ?

ある意味では人がこの主人公に抱く「おまえ何してるの?」という疑問自体が答えだったとも言える。ガーフィー君は何もしていない。夢も希望もないし、そもそも無職だ。ガーフィー君はパーティで出会った友人に愚痴をこぼす。

「人に会うたびに『仕事はどう?』とか『何の仕事を?』って訊かれるんだ。あれマジでやめてほしい」

だから一目惚れしたライリーが失踪したのは好都合だった。何の目的もなく生きてきた彼は「ライリーを見つける」という目的に向かうことで空虚な自分をゴマかすことができたのだから。

この感覚、分かるけ? たとえばキミが会社や学校をズル休みしたとする。家でダラダラ過ごすうちに罪悪感を覚え始める。気分は晴れない。ちょうどそんな時に日用品が切れてることに気付いた。買いに行かねばならない。用事ができたわけだ。かくしてズル休みは多少なりとも有効活用され、キミはちょっとだけ罪悪感を棚上げして気が楽になる。

ガーフィー君にとっての「用事」とは探偵ごっこである。

ライリーを捜すという目的はいつの間にか陰謀論や都市伝説にすり替わってしまうが、これは「すり替わった」のではない。彼自身が無意識理に「すり替えた」のだ。自ら用事を増やすことで空虚な人生をゴマかし続け、そこに意味を持たせ、延命し続けた。

そんなガーフィー君もふとした時に強烈な不安に駆られ、友人にこのような思いを吐露する。

「たまに思うんだ。違う世界では成功した人生を生きている僕がいて、今の僕は失敗した人生を生きている、ってね」

 

大物ソングライターはザ・フーやオジー・オズボーンを弾き狂い、遂にはニルヴァーナの「Smells Like Teen Spirit」をピアノ演奏しながら「全部ワシが作って奴らに歌わせた。すべては金のため。ロックの反骨精神などまやかしだ!」と豪語してガーフィー君を発狂させた。

このシーン、あながち絵空事ではないから怖い。

もちろん本作はフィクションだが、こういうソングライターは現実に大勢いるわけで。超わかりやすい例を出すと、ただ純粋にAKB48のガーリーな歌詞世界に共感していた女の子が秋元康の作詞だったと知ったとき。あるいはエアロスミスの「I Don't Want to Miss a Thing」を作詞作曲したのがわけのわからない音楽プロデューサーだったと知ったとき!(これは私)

まぁ、AKBやエアロスミスに関しては作詞/作曲者が明示されているものの、この世にはノンクレジットで創作や事業に携わっている人間が大勢いるということだ。政治なんて最たるものでしょ。誰が裏で糸を引いているのやら。

ニルヴァーナ「Smells Like Teen Spirit」(91年)

ガーフィー君のような鬱屈した若者の思想まで変えた歴史的名曲。それまでのハードロック、ヘヴィメタル、プログレッシブ・ロックはこのたった一曲によって恐竜のように滅亡した。

 

だから私にはガーフィー君の不安感が何となく理解できる。

とはいえ甘ったれは甘ったれです。彼が出会った女たちは夢に向かって努力をしている。女優を目指すコールガールは「女優だけじゃ食べていけない」と言ってガーフィー君に跨り、別れた恋人はモデルになって街の看板に掲載されるも数日後には別の広告に張り替えられてしまった。「夢のない男」の惨めさと「夢を追う女たち」の苛烈さが同時に描かれているのだ。

結論、夢を追おうが追うまいが報われない。それがLA。

本作が『マルホランド・ドライブ』(01年)『ラ・ラ・ランド』(16年)と比較される点はまさにここです。

ちなみに本作の主演アンドリュー・ガーフィールドと『ラ・ラ・ランド』のエマ・ストーンは婚約間近で破局した元カップル。しかもどちらの映画でもグリフィス天文台が出てくる。ロマンティックに宙を舞ったエマは『ラ・ラ・ランド』でオスカーを手にし、かたや本作のガーフィー君は乞食に誘わるまま地下世界に潜ってスカンクに屁をこかれた。皮肉!

そんな二人の交際は『アメイジング・スパイダーマン』(12年)での共演がきっかけ。だがこのリブート版スパイダーマンは2作で打ち切られた。そしてエマと破局。

本作ではガーフィー君がスパイダーマンのコミックを思いきり壁に投げつけます。

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アンドリュー・ガーフィールドがアンドリュー・ガーフィールドを演じた実人生ほぼそのまま映画。

 

◆リスは木から落ちる◆

もう少しだけ続けましょうね。

本作の主人公は36歳までLAで腐っていた本作の監督デヴィッド・ロバート・ミッチェル自身でもあるのだろう。映画のトレーラー編集という大しておもしろくもない仕事を長年しており、『イット・フォローズ』で注目を集めた頃にはすでに40歳。今年で45歳だ。

だが、いたずらに馬齢を重ねていたわけではない。長年のボンクラ生活で培ったオタク知識を武器にしたガーフィー君のように、ミッチェルはおびただしい数の映画体験を本作に注ぎ込んだのだ。

 

すでに散々指摘されているのはヒッチコックのパスティーシュである。隣家を覗く主人公が誇大妄想に囚われていくプロットは『裏窓』(54年)、美女の幻を追っちゃうのは『めまい』(58年)。パンの仕方や影の作り方、バーナード・ハーマン風の劇伴まで完コピしておりました。

ただし「ヒッチコックの模倣」ではなく「ヒッチコックの模倣の模倣」というあたりを見誤ってはいけない。あくまでヒッチコックの現代アレンジというか、例えるならクラシック音楽をエレキギターで演奏したような肌触りなのよね。顔の撮り方ひとつ取っても、ヒッチコックではなくむしろデ・パルマなのである。

実はこの映画って『ブラック・ダリア』(06年)の係累だと思うのです。

ゆえに本作はフィルムノワールではなくネオノワール。チャンドラーの原作をドン無視した『ロング・グッドバイ』(73年)をさらにドン無視し、猫のかわりに犬が出てくるという何じゃこりゃな世界がペロッと舌を出していますぞ。

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顔だけにライトを当てている(古典映画の照明技法)。でも古典映画には見えないよね。


そして劇中で引用される数々の映画は本作の難解とされるストーリーを露骨に暗示している。

ライリーがいつも見ている『百万長者と結婚する方法』(53年)は売れないモデル三人が玉の輿を狙うロマンティック・コメディ。彼女はこの映画に出てくるマリリン・モンローによく似ている。LAにはライリーのような若い女性が大勢いて、いかがわしい男にほいほい付いて行ってエラい目を見てるんです!

また、ガーフィー君のママンが大好きなジャネット・ゲイナーの『第七天国』。これは下水掃除夫(地下世界)から道路掃除夫に出世(上昇)する夢を持つ主人公の物語。この男は下宿先の屋根裏部屋を「第七の天国」と称してあらぬ夢に浸りきっている。いつも部屋に閉じこもり、外に出たかと思えば地下世界に誘われるガーフィー君そのもの。

そして陰謀論に取り憑かれたガーフィー君は自宅のテレビで『ボディ・スナッチャー/恐怖の街』(56年)のラストシーンを見ちゃいます。人々が未知の生命体に身体を乗っ取られていることに気付いた主人公が「信じてくれ!」と必死で訴えるが誰も信じてくれない…という暗澹たるシーンだ。社会に対するガーフィー君の孤独や疎外感をケヴィン・マッカーシーが代弁してくれました。

 

また『アンダー・ザ・シルバーレイク』は、ひとまず「上昇と下降」が主題化されている。ひとまずな。

頭上の木から落ちてきたリスのティルトアップ/ダウンに始まるファーストシーン。ガーフィー君がそのリスを見上げる/見下ろす…という構図もきわめて示唆的である。現に彼は、まるで自分が王様にでもなったかのように悠々とアパートのベランダから地上の人々を見下ろしており、対するライリーは心に迷いを抱えたような人物で、いつも何かを見上げている。

二人が夜空の花火を見上げた翌日にライリーは失踪した。彼女は花火を見上げながら浮かない顔をしていたが、ことによるとあの花火はカルト集団の合図だったのかもしれない。こわい。

さて。ここからガーフィー君は(物理的な意味でも、比喩的な意味でも)地下へと下降していき、クソみたいな現状を打破するために山を登ったり塀をよじ登ったりする。いつも高見から人を見下ろしていた男が汗だく汁だくになって「見上げる男」と化していくわけだ。

一般に「見上げる」という所作は決意・対峙・努力を表すガッツのモチーフだよね。だが先に述べたように、LAでは努力しようがしまいが才能のない奴は報われない。

ゆえに本作において「見上げる」ことは必ずしもポジティブなモチーフではない。

たとえばライリーを洗脳したカルト集団は魂をより高次に導くために信者を殺害し、その行為を指して「上昇させる」と表現するのである。こわい!!

何が言いたいかというと、上昇しても下降しても同じこと。見上げても見下ろしても何も変わらない。必死で登ってもどうせ落ちる。くすぶっているガーフィー君も努力を惜しまない女たちも結局おなじだ。才能がなければ夢は叶わない。リスは木から落ちる。湖に沈んだ女もいる。

 

『イット・フォローズ』にも感じたが、この人の撮る映画には現代映画への不信感がまとわりついている。自虐的に「こんな時代に映画監督やってます。たはは」って。奇しくも『ラ・ラ・ランド』のデミアン・チャゼルも同様。事実、この二人にはオールドアメリカを題材にした映画が多い。

今回もニヒルな映画だと思ったよ。もはやアメリカン・ドリームなどタダの「夢」でしかなくなったのだろうか。

いずれにせよ、ガーフィー君のように何者にもなれない自分に懊悩した経験のある人間にはグサッとくる映画であった。主人公越しに自分の情けなさを垣間見たようで…非常にバツの悪い映画でした。

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花火を見上げる二人。

 

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