シネマ一刀両断

面白い映画は手放しに褒めちぎり、くだらない映画はメタメタにけなす! 歯に衣着せぬハートフル本音映画評!

6才のボクが、大人になるまで。

撮影手法には疑問符が付くが極上のイーサン・ホーク映画ではある。

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2014年。リチャード・リンクレイター監督。エラー・コルトレーン、ローレライ・リンクレイター、パトリシア・アークエット、イーサン・ホーク。

 

米テキサス州に住む6歳の少年メイソンは、キャリアアップのために大学に入学した母に伴われてヒューストンに転居し、その地で多感な思春期を過ごす。アラスカから戻って来た父との再会や母の再婚、義父の暴力、初恋などを経験し、大人になっていくメイソンは、やがてアート写真家という将来の夢を見つけ、母親のもとを巣立つ。12年という歳月の中で、母は大学教員になり、ミュージシャンを目指していた父も就職し、再婚して新たな子が生まれるなど、家族にも変化が生まれていた。(映画.comより)

 

おはようござり・ござられ。人生は、ござったり、ござられたり。その繰り返しです。がんばっていきましょうね。

ていうか来年2020年じゃないですか。10年代のディケードが終わるわけでしょう。たぶん年末になると映画好きはこぞって「2010年代ベスト映画」とか発表し出すと思うんだよね。2010年の最高傑作はこれ、2011年はこれ…という感じで10本挙げてく、みたいな。いわば10年代の総括だわな。

ここだけの話、僕もそれしたいなーって憧れてるんだけど、あたら年末には『ひとりアカデミー賞』とかいうくそ忌々しいイベントが控えてるので忙しくなりそうでイヤです。でもしたい。善処します。年末なんて言うてる間ですからね。もう4ヶ月切ってるんですよ。4ヶ月前の今頃は何してた? ぼくは竹槍の訓練をしてました。どうせ信じてくれないでしょう? いいんですよ。嘘だから。

ちゅうこって、本日は5年遅れでようやく鑑賞した『6才のボクが、大人になるまで。』です。

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◆人とともに時代も歳をとる◆

ひとりの少年の6才から18才までの成長を実際に12年間かけて撮影した本作。たいへんな労作である。というかもはやバカである。

2002年に製作が始まり、毎年数週間ずつ撮影すること12年。その間にキャストが問題を起こしたり引退したり死んじゃったりなんかすると全部オジャン…という超リスキーな製作スタイルを採っており、現に監督のリチャード・リンクレイターは、もし自分が製作中にくたばった場合は監督経験もある出演者イーサン・ホークに映画を完成させるように頼んでいたという。

ちなみにリンクレイターの代表作『ビフォア』三部作は9年置きに新作が発表され、劇中のキャラクターも9才ずつ年を取っていく。本作と同じく現実時間と映画内時間が同期した実験作である。

 

さて、本作は6才のエラー・コルトレーンが18才になるまでの青春の過渡期を定点観測した内容なのでシーンが進むごとにエラー坊の背丈や顔つきはどんどん変わっていく。パトリシア・アークエットとイーサン・ホーク演じる離婚した両親も映画が進むごとにシワが増えていくし、蓮っ葉な姉ローレライ・リンクレイターもがぜん色っぽくなっていく。

なにしろ撮影期間12年をギュッと圧縮したホームドラマなので当然映画はジャンプカット主体で進んでいきます。12年分のエピソードをエッチラオッチラ描いてる暇はないのでね。

したがって細かいエピソード群がモザイクのように配置されていて、まぁ、ホームドラマとは言ったもののドラマが絶えず寸断されている状態よ。これは突き詰めて考えるとゴダールに辿り着く。もちろんゴダールほど意味不明ではないけれど、やってることはゴダールでござーる。

このシャッフル感覚のストーリーテリングがおもしろいのは時間経過による人や物事の変化がダイレクトに伝わることだ。当たり前の話だがな。

ママンの再婚相手はシーンが変わるごとに傲慢な人間になり、ドラゴンボールが好きだったエラー坊も学年がひとつ上がった途端にパッと趣味が変わる。

最も印象的だったのはママンことパトリシア・アークエットの体型。時は残酷と言うか…えらいもんで少しずつずんぐりむっくりしていくの。

母と子供たちはファッションやヘアースタイルもしょっちゅう変わる。外見的変化でその時々の内面を表しているわけだ。

そんな中、イーサン・ホーク演じるパパンだけが変わらない。性格も外見も12年間まったく同じ。毎日ジプシーのようにぷらぷらしており、気の向くままに音楽活動をおこない、週末には必ず子供たちと会ってガキンチョのように遊ぶ。

この映画にはさまざまな大人や子供が出てくるが、このパパンは全キャラ中ダントツで精神年齢が低い。なにしろキャンプに行った息子と焚火を囲いながら『スター・ウォーズ』の展望を大真面目に語るようなパパンだからな。

色んなキャラクターが人生の壁にぶつかるクライマックスでも、このパパンだけがひとり飄々としており、悩める息子に示唆を与えては風のようにどこかへ消えてしまう(神出鬼没なのだ)。

ここで観客は思う。実はこのパパンが一番まともなんじゃないかと。

「変わらない」ことは「強さ」なのかもしれないな。

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パパンのイーサン・ホークと二人の子供(エラー坊、ローレライ嬢)。

 

変化するのはキャラクターだけではなく、2002年から2014年までのアメリカ現代史やサブカルチャーの変遷がビッシリと後景に描き込まれていた。すべてを拾遺できぬほどに。

やはりその筆頭はブッシュ政権のイラク派兵からオバマ政権での戦争終結だろうか。パパンはポテトを貪りながら子供たちに反ブッシュ政権をまくしたて、イラク戦争の愚かさを説く。

そして2008年の大統領選ではオバマを勝たせるために対立候補の看板を人家の庭から勝手に引き抜いた。

メチャクチャしよるで、このおっさん(ちなみにオバマ本人はこの映画を観て「2014年の最もよかった映画」に挙げている)。

また、社会の移り変わりはテクノロジーによっても視覚化されている。子供たちが夢中になるビデオゲームはGAMEBOY→Xbox→Wiiへと変わっていき、旧型のiMacを使っていたエラー坊もやがてノートパソコンでFacebookをたしなむまでに成長。

それだけじゃない。月日の流れは耳で感じることもできるぞ。そう、音楽だ(イェイ)

ファーストシーンではゼロ年代初頭に流行ったコールドプレイの「Yellow」や、シェリル・クロウの「Soak Up the Sun」が流れていたが、いつしか時は過ぎ、姉のローレライはレディー・ガガのコンサートに行くといい、エンドロールではアーケイド・ファイアの「Deep Blue」が流れる。

ちなみに私のお気に入りはホームパーティーのシーンで近所の女の子が弾き語りしていたピンク・フロイドの「Wish you were Here」。これは1975年の曲なので完全にリンクレイターの趣味。その時々の流行歌をタイムリーに流すというコンセプトがブレブレになっちゃってるが、わかる、わかるぞリンクレイター! この曲が収録されたフロイドの名盤『炎~あなたがここにいてほしい』には私も相当な思い入れがあるので―…

って、こんな話はいいや。

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離婚してるとは思えないぐらい楽しそうな家族です(特にイーサン)。ちなみに緑の服着たおっさんが監督のリンクレイター。

 

◆手段が目的化した革新的手法について◆

大陸的な性格を持った映画だと思う。とても伸びやかだがキメが細かい。在りし日の自分に思いを馳せながら鑑賞するとちょっぴりメランコリーな気分になるかもしれませんぞ。

だけどこの章では批評の名のもとに少し苦言を呈さねばならない。 

 

家族の一大叙事詩を描き上げた12年間の密着ドキュメント。この革新的な撮影手法はアメリカの批評家筋からは絶賛されたが…どうなのかしらね、これね。私なんかは「アメリカの批評家って相変わらずマヌケ揃いだなー」なんて思ってしまったのだけど。

だいたい「革新的な手法=スゴい」というものでもないだろうに。要するにそのスゴさが有効であるかどうかが大事なわけで。私はこの映画の革新的な手法はまったく有効ではなかったと思う。

この映画は本当に12年間もかけて撮影されねばならなかったのだろうか?

レビューサイトを覘けば「6才の子供が18才になった! すごい!」って、いやいや…そりゃあ12年間も撮影すりゃ6才の子は18才になるし、背も伸びればニキビもできるでしょうよ。その成長過程に感慨深さや面白さを感じることはあっても、それが手法を肯定しうる理由にはならないと思うのよね。

第一、映画というのは「編集」によって物語内の時間を随意に操作する映像媒体であるが、これを拒否してまで実時間をそのまま切り取ったことにあまり意味を感じないのだ。なぜ二人一役や老けメイクではいけなかったのか?という素朴な疑問に対する回答がなーんにも得られないので撮影期間12年? 何の為にそんなことを…という身も蓋もない雑感に囚われながらの166分はヤケに長かった。


キャスト陣の成長を実時間で視覚化したことの疑問はまだまだ尽きない。

主要キャストのイーサン・ホークはもともと「老けない役者」なのでマジあまり意味なかった。

コンセプトクラッシャーとしてのイーサン・ホークだよ。12年スパンで撮っても12ヶ月スパンで撮ってもほぼ同じ。体型が変わるパトリシア・アークエットはシーケンスに応じて増量すればいいだけだし、子役二人は幼少期と青年期で役者を代えればいい。

なぜリンクレイターがこれをしなかったかと言うとハナから「12年かけて撮る」という手段が目的化していたからでしょう。当時流行っていた音楽をオンタイムで映像に乗せるというリアル志向、時代の空気。そういうものを記録したかったわけだよね、キャストの成長と共に。

でもその「リアル」とか「空気」って目に見えないものだからなぁ。

で、目に見えないものを可視化するのが映画。いわばマガイモノをそれっぽく見せるハッタリの産物である。この映画に欠けているのはハッタリだ。とにかく退屈なほど馬鹿真面目である。ここまで本物志向にされちゃうと映画として本末転倒というか「手段はすごいね。理に適ってはいないけど」って感想を呟かざるをえない。

もちろん制作陣の努力や姿勢には感心するし、事実、ぶったまげる作品であることには違いないので「一見の価値あり」ってやつだが、そこと映画の評価をイコールで結んで「だからスゴい」と結論するのは性急、早急、白血球てなもんではないかしら。

久しぶりに言うが…映画は頑張った大賞ではないよ。

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家族、12年間の歩み。


◆ビートルズを無理やり再結成させた男◆

前章では少し厳しいことを言いました。別に悪い映画でもないのに。罪悪感に襲われてきた。

気分を変えるために当ブログ定番の「好きなシーンを3つ挙げよう!」のコーナーをします。勢いで「定番」と言ってしまったが、やるのは初めてだ。

いや、やっぱりよそう。3つじゃなくて1つだけ挙げることにする。数えてみたら3つもなかった。

というわけで、いきなり第1位の発表だ!

 

☆好きなシーン第1位☆

誕生日プレゼントにコンピレーションCD

パパンがエラー坊の誕生日に「ブラック・アルバム」なるCDを贈るシーンです。

これは解散後のビートルズ4人のソロ楽曲をパパンのセンスで勝手に詰め込んだコンピレーションCDである。もちろん「ブラック・アルバム」というネーミングは同バンドの『ホワイト・アルバム』(68年)をもじったもの。

「オレが無理やり再結成させてやったぞ!」

ワーォ、なんて素晴らしいパパンだよ! ウチにも欲しいぜ!

だけどこれをもらったエラー坊はちょっと有難迷惑みたいな顔をしてるのね。まぁ、コンピレーションCDなんて趣味の押しつけが物質化したようなものだし、大概は嫌がられるもんだ(苦い経験あり)。

だけどこのパパン、息子にぜんぜん喜ばれてないことにも気付かず、ひとりで盛り上がってアルバム構成(選曲や曲順)の意図や狙いをベラベラ喋り、独自のビートルズ論を展開。

「ソロアルバムは一人のだけをずっと聴いてると退屈だが、組み合わせて聴けばそれぞれが高め合う。わかるか?」

わかるよ! 要するにアウフヘーベンってやつだろ!?

しかしエラー坊は「どうかな。僕はずっとポールが一番好きだ…」と言った。

「いいや、違う! そういうことじゃない。俺が言ってるのはつまりバランスだ。バランスこそが彼らを世界一のロックバンドにしたんだ!」

息子の誕生日だというのに論破しにかかる父親。

さらにパパンのビートルズ講座は続く。

「最初の4曲を見てみろ。『Band on the Run』『My Sweet Lord』『Jealous Guy』『Photograph』だ。どうだ、完璧な流れじゃないか! まずポールがパーティにいざない、ジョージが神について語る。そしてジョンが愛と苦しみを説き、最後にリンゴがこう言う。『今この時を楽しもう』…。いいCDだ

エラー坊は仕方なく「いいね…」と話を合わせた。

「嬉しいか? 嬉しいだろ!!」

 

まるでおまえの誕生日か?ってぐらいパパンが一番イキイキしていました。話半分で聞いてるエラー坊の死んだような顔もまた可笑しく。

こんなもん、もらった側にとっては堪ったもんじゃないが、映画の良さというのはスクリーン上の出来事が客体化されていること…つまりしょせん他人事ってことだ。しょせん他人事だからこそ客観的にこの父親を見ることが出来、息子のために夜な夜な必死で選曲・編集したであろうパパンが無性に愛おしく思えるんだ!

 

子供たちが大学生になるまで立派に育て上げたのはママンだ。男を見る目がなかったせいで子供たちには少しつらい思いをさせたが、それをカバーするように二人の成長を遠くから見守り続けたパパンが子供たちの心の痛手をうまくケアした。たとえ離婚していても親の務めは果たせるのだなと思いました。

そんなわけで、この映画は母子3人の「成長」と世の中の「変化」を楽しむ作品であると同時に、パパンの「変わらなさ」に敬意を表するべき作品でもある。少なくとも私にとって本作の主役はイーサン・ホークであった。

 

余談だが、パパンが息子にあげたコンピレーションCD「ブラック・アルバム」は、かつてイーサン・ホークが元妻ユマ・サーマンとの間に生まれた娘の13歳の誕生日にプレゼントしたものだという。

ガチでイーサン選曲だったのか。

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成長した息子と男同士の時間を過ごすイーサン!!

 

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