「コピー」に込められた3つの意味。
1995年。ジョン・アミエル監督。シガニー・ウィーバー、ホリー・ハンター、ダーモット・マローニー。
猟奇殺人に詳しい心理学者ヘレンは大学での講演後、カラムという青年にトイレで襲われる。辛くも一命を取り留めたものの、ヘレンはこの事件が契機となって“屋外恐怖症”になっていた。それから一年後、サンフランシスコ郊外では女性ばかりを狙った猟奇殺人が多発していた。事件を担当する女刑事モナハンは、自宅に閉じこもりっきりのヘレンに協力を要請。分析の結果、犯人は過去に起きた様々なシリアルキラーの手口を真似ている模倣犯(コピーキャット)だと断定される…。(Yahoo!映画より)
おはん。
来月あたりにアップできるように何か特集記事を書きたいのだけど何も思いつきません。アイデアが枯渇しました。
一応、いまは10選シリーズの新作として「レビューを書くときによく聴く音楽10選(ほぼハードロック)」という流石にこればかりはマジで誰も興味ないであろう記事をちょこちょこ執筆してるのだけど、行き詰ってます。
企画モノとか特集系の記事って普段の映画評を書くより遥かにラクだけど(文章全体が一貫した論理性を必要としないのでノリだけでペロッと書ける)、その反面モチベーションがないとなかなか書けないんですよね。
たとえば若尾文子にハマってる時なら「キャワオ特集」なんてステキな記事が書けるけど、そうでない時に書こうとしてもただただ面倒臭いわけです。すでに自分の中の若尾ブームは去ってるので、改めて若尾をリサーチする作業ひとつ取っても億劫に感じてしまう。もしこれがハマってる時期なら大喜びでリサーチするんですけど。
そんなわけで、特集記事は着手するまでが厄介だなーと感じつつの『コピーキャット』。評は2ヶ月半前に書いたものです。観たのが昭和キネマ特集を始める直前だったので、アップできずに2ヶ月半も「下書き一覧」の中で冷凍保存したままになっていたってわけ。ようやく解凍できて何よりです。
そういえば電子レンジに付いてる解凍用の200Wって使ったことないわ。
◆配役、逆でしょ◆
「キャット」と名のつく映画タイトルは大体おしゃれということが言えると思います。
『キャット・ピープル』(42年、81年)とか『皆殺しのスキャット』(70年)とか。おしゃれだよね。
それこそ『おしゃれキャット』(72年)とか。
まぁ、中には『ファスター・プシィキャット! キル!キル!』(65年)のようにこれはどうかなと思うタイトルもあるけれど。
そして今回取り上げる映画は『コピーキャット』。かっくいいなぁ。映画タイトル界のファッショニスタだなぁ。
そんなネーミングセンス抜群の本作だが、公開時期が『セブン』(95年)とダダかぶりしてしまった不運な作品である。内容的にも『セブン』や『羊たちの沈黙』(91年)と似通っていることから比較されてしまい、瞬く間に人々の記憶から忘れ去られて映画史の藻屑と化した哀れな残骸、それが『コピーキャット』。世知辛い。ファッショニスタの行く末がこれ…?
さて内容は、広場恐怖症の犯罪心理学者が二人組の刑事と協力し、過去のさまざまなシリアルキラーの手口で人を殺めていくコピーキャット(模倣犯)を見つけ出す…というサスペンス・スリラーである。犯罪心理学者をシガニー・ウィーバー、女性刑事をホリー・ハンターが演じており、その相棒役をダーモット・マローニーが務めている。今となっては特に有難くもないキャストである。
この映画の特徴は、主人公のシガニーが広場恐怖症で家から一歩も出られないというキャラクター造形にある。かつて講演会場のトイレで殺人鬼に襲われた恐怖から重度の引きこもりになってしまった彼女は、毎日自宅のコンピューターでチャット遊びをしたりバスローブ姿でチーズをかじるなどして暮らしております。
一方のホリーは射撃の腕にはチョイとばかり覚えのある男勝りな敏腕女性刑事で、相棒のマロニーとともに連続殺人事件を阻止すべくシガニーに協力を仰いで犯人逮捕に精を出す。
エイリアン駆除を得意とするハリウッド切っての大女シガニー・ウィーバーが弱い女を演じ、小柄童顔のホリー・ハンターが強い女を演じるって…どう考えても逆でしょ。
まぁ、おそらくホリーの役は『羊たちの沈黙』でジョディ・フォスターが演じたクラリスに着想を得たものと思われます。犯罪者の気持ちがわかるサイコロジストと女性刑事のタッグという点でもこの映画をパクり倒しているのは明らか。
そして殺しの手口に法則性があるという点では、奇しくも同年公開の『セブン』ともぴったり重なってしまった。まさにコピーキャットである。
監督はジョン・アミエルという中年男性。
女泥棒のキャサリン・ゼタ=ジョーンズがセクシーポーズをキメながら赤外線レーザーを掻い潜るシーンを唯一の見所とするゴミ映画『エントラップメント』(99年)や、ある日とつぜん地球のコアが止まっちゃったもんだからアーロン・エッカートとヒラリー・スワンクが「怖っ。コアだけに」とかくだらないことを言いながら地底探検に繰り出すポンコツ超大作『ザ・コア』(03年)といった箸にも棒にもかからない映画を量産してきた大馬鹿野郎である。
部屋から一歩も出られないシガニーは新聞取るのも一苦労。
◆犯罪プロファイラーなのに「例外」とか言うな◆
さて。どうやら世間の評価はかなり低めだが、そう悪い映画ではないと思う。
低評価の原因はプロットにある。まぁ…たしかに筋を追うぶんにはメチャ退屈な映画だと思う。
犯人が模倣犯だと気付くまでがやけに長く、シガニー&ホリーはただ手をこまねいて「また犠牲者が出ちゃったね」とか「いい加減にしてほしい」なんつって肩を落とすばかり。ようやくシガニーが「手口が一緒だ。模倣犯だ!」と気づいても、ホリーは次なる犯行を予想して先手を打つといったことはせず、ただ手をこまねいて「またイかれてもうてるやん」なんつって肩を落とすばかり。
ウダウダしてる内に死屍累々。
主人公サイドが後手後手に回って犯人に翻弄されるばかりで、そこに何の駆け引きもないのです。
この二人がしたことと言えば、犯人につけ狙われたシガニーが「あちき怖い!」とパニック発作を起こすたびに「まかしとき!」と言ったホリーが自宅警備を強化してあげたことぐらい。将棋でいうなら穴熊の囲い。守りに徹するばかりでまったく攻めません。セコムと提携しとんのか?
シガニーがプロファイリングで犯人を絞っていく過程もじつにグダグダである。
「この犯人はパターンを好む。決して手口を変えることはないわ!」とシガニーが豪語した通り、犯人は過去の大物シリアルキラーの犯行スタイルを何度も繰り返す模倣犯だと判明するのだが、なぜか途中から別のシリアルキラーの手口を模倣し始める。これを疑問に思ったホリーが「あなた、この犯人は手口を変えないって言ったじゃない」と言うと、シガニーはバツが悪そうにこう返した。
「何事にも例外はあるのよ…」
それ言うてまうん?
犯罪プロファイラーなのに「例外」とか言うなよ。
キャラクターの運用も下手っぴのピッピで、ホリーの相棒マロニー、同僚の刑事ウィル・パットン、シガニーの助手ジョン・ロスマンといった男性陣はいっさい説話的役割を担っておらず、ただ冷やかしのように意味もなく画面を出入りしてはあっさり魔の手にかかって「あかーん」と言いながら死んでいくだけ。合掌。
マロニーは犯人とまったく無関係の凶悪なアジア人に撃たれて殉職を遂げ、同僚のウィルパはホリーに片想いしているだけのタダのハゲ、そして助手のジョンはゲイだったことが明かされます。もちろん本筋とは無関係。
要するに主演2人と犯人役以外べつに居なくていいわけだ。
3人いれば成立するぜ、この話。
プロファイラーのシガニーは人嫌いで冷たい性格(私みたいだ)。シガニーだけに刑事2人を歯牙にもかけない。
◆トリプルミーニングとしての「コピー」◆
このようにプロットの粗さが目立つ作品ではあるけれども、意外や意外、演出面はなかなかに手堅く、辛うじて鑑賞に耐えるものであります。
何といってもポスターにも使われた首吊りのイメージ。シガニーはファーストシーンとクライマックスで二度に渡って女子トイレで襲われる。
また、射撃場でのファーストシーンではめったやたらに的を連射するマロニーに対して「銃を捨てさせるには肩を狙うのよ」とアドバイスしていたホリーは、犯人と対峙するクライマックスできちんと肩を狙っていました。
まぁ、その直後に「亡きマロニーの復讐!」とかなんとか言って銃を連射して犯人殺しちゃうんだけどね(しかもマロニーを殺したのはまったくの別人)。
結局わたしは何を褒めているのかと言うと、ファーストシーンで提示された「首吊りのイメージ」と「肩を狙う射撃シーン」がそっくりそのままラストシーンで反復されている点を褒めているのである。
『コピーキャット』だけにシーンを「コピー」してるわけ!
タイトルにある「コピー」という言葉がトリプルミーニングになっていることにお気づきだろうか。よう考えられたあるで。
1 犯人は他のシリアルキラーの殺害方法をコピー(模倣)する。
2 映画自体が『羊たちの沈黙』や『セブン』をコピー(剽窃)したような内容。
3 冒頭のシーンが後のシーンでコピー(反復)される。
トリプルミーニン♪ トリプルミーニン♪
トリプルミーニン♪ トリプルミーニン♪
そして吊られるシガニー・ウィーバー。
また、シガニーの広場恐怖症の設定・演出もよし。
広場恐怖症という設定自体がヒッチコックを思わせるオブセッションで、それゆえにシガニーは安楽椅子探偵として密室劇を保証するキャラクターにもなっているのだ。
安楽椅子探偵…部屋から出ることなく事件を推理する探偵、またはそうした作品の総称。デンゼル・ワシントンとアンジェリーナ・ジョリーの『ボーン・コレクター』(99年)がこれに当たる。
シガニーがパニックを起こすときの視感ショットの不思議な揺れや、『殺しのドレス』(80年)を思わせる鳥瞰の長回しもいい。赤がシンボルカラーになっていることからもデパルマへの傾斜が認められます。音楽の使い方も適切なら窓越しのショットも豊富で、とにかく手練手管を尽くして緊張感を生みだしている。
『羊たち』や『セブン』ほど殺傷力のある映画ではないが、ヒッチコックの命脈を継いだ立派なアメリカ映画ですよ、これ。
もっとも、この手のサスペンス・スリラーを好む人種は「変化球」とか「騙し討ち」にばかり期待しているので、本作のように正直なサスペンスはそれだけで評価を落としてしまう宿命にあるのやもしれぬ。
ひとつ残念だったのは、いい年ぶっこいて女学生みたいな髪型をしたホリー・ハンターと、バカみたいなネクタイに終生固執したダーモット・マローニーのこの上なく間抜けなルックス。なぜこんなバカみたいな格好をしなければならなかったのだろう。唯一まともなのはシガニー・ウィーバーだけだ。
近年のシガニーはラストシーンでちょろっと顔を出すだけの黒幕役とか特別出演ばかりですっかり省エネ女優になってしまったが、この頃は『デーヴ』(93年)とか『ギャラクシー・クエスト』(99年)でさまざまな顔を見せてくれていました。お腹の中にエイリアンを植え付けられたりね。
バカ丸出しのホリー・ハンター&ダーモット・マローニー(画像上)。
対するシガニー、この頃は美人でした(画像下)。