シネマ一刀両断

面白い映画は手放しに褒めちぎり、くだらない映画はメタメタにけなす! 歯に衣着せぬハートフル本音映画評!

スターマン/愛・宇宙はるかに

SFホラー界のウォルト・ディズニーが贈る愛のロードムービー!

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1984年。ジョン・カーペンター監督。ジェフ・ブリッジス、カレン・アレン、チャールズ・マーティン・スミス。

 

最愛の夫スコットを亡くした悲しみが未だ癒えないジェニー。そんな彼女が暮らす田舎町に宇宙船が飛来。人類の呼びかけに応え、友好のためにやってきた宇宙人はジェニーの家に忍び込み、スコットそっくりの姿に変わる。ジェニーは宇宙人と一緒に旅をするうちに、彼に好意を寄せるようになる。一方、政府も宇宙人の追跡を開始していたが…。(映画.comより)

 

お願いマッソー。めっちゃモテたーい♬

今期の夏アニメがそろそろ終わりを迎えますね。かつてはアニメ覆面調査員として暗躍していた私ですが、ここ2~3年は異世界ファンタジーブームにうんざりしてアニメ全般から遠のいていたのだけど、今期はなかなか豊作でした。

現在、Amazonで3つの作品を視聴しています。OP曲がクセになる筋トレアニメ『ダンベル何キロ持てる?』、オフビートな笑いが心地いい日常系シュールアニメ『女子高生の無駄づかい』、性の壁にぶちあたる少女たちの葛藤を描いた『荒ぶる季節の乙女どもよ。』

いずれの作品も「異性との恋愛」を対象化したヒロインたちの奮闘記になっていて、これはゼロ年代に始まったオタクカルチャー(ホモソーシャルな馴れ合い)の保守的閉鎖性とも言える病理へのカウンターになっています(その種撒きと刈取りを同時におこなったからこそ京アニは日本アニメ史を塗り替えたわけですが)。

なんにせよ、アニメを通して「オタク」の生態を研究していくと日本人の国民性とかサブカルチャーの位相が見えてきて、なかなか面白いんですよ。いまの日本映画を観ても日本の実態なんてまったく分からないからね。

そんなわけで本日は『スターマン/愛・宇宙はるかに』です。日本の話をしたあとに宇宙の話をしていく運びとなります。スケールがスゲーる!

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◆「ジョニー・B・グッド」から「サティスファクション」へ◆

というわけで『スターマン/愛・宇宙はるかに』である。この映画を観てみんなで幸せの彼方に飛んでいきましょうね。

監督は『ハロウィン』(78年)『遊星からの物体X』(82年)で知られる大家ジョン・カーペンター。デヴィッド・クローネンバーグを100倍分かりやすくした作家である。奇怪なクリーチャー造形が特徴のホラーやSFを多く手掛ける通俗映画の名匠だが、そんなカーペンターが「金のため」と割り切って撮ったのが本作。実際、自身最大のヒットを記録したこのSFラブロマンスは「カーペンターの隠れた傑作」とされる一方で「らしくない映画」とも評された賛否両論バッコリ映画なのである。

この「らしくない問題」については後述するが、とりあえず内容を教えてあげるね。

宇宙人が地球に来て人間の女と恋しちゃうといった中身です。

最後は宇宙人が宇宙に帰っていきます。おわり。

 

映画は地球外生命体が無人宇宙探査機に搭載された「ボイジャーのゴールデンレコード」を発見するシーンに始まる。

「ボイジャーのゴールデンレコード」というのはNASAが1977年に打ち上げたボイジャー探査機に搭載したレコードのことで、そこには地球外生命体に地球の文明を伝えるための様々な音楽、画像、言語が収められている(当時の大統領ジミー・ カーターのすてきなメッセージ付き♡)。

もしも将来、人類と宇宙人が接触した場合に友好関係を結べたらいいよね…という願いを込めてこのようなレコードを搭載したわけだ。

アメリカ政府もなかなか可愛いことするじゃないのさ。

ちなみに、そのレコードに収められた音楽は西洋・東洋問わずさまざまなクラシック音楽や民族音楽がベストアルバムみたいに90分にまとめられている。これぞ「地球ベスト」。人類が誇る音楽の総決算だ。

そして、そこに収録されている唯一のロックンロールがチャック・ベリーの「ジョニー・B・グッド」である。異議なし。つまり打ち上げから約40年…ボイジャー探査機は今もアホみたいに宇宙を漂い続けているが、もし将来的に異星人がこれを発見した場合、奴らにとって初のロック体験が「ジョニー・B・グッド」になるわけだ。異議なし!

あんな奴らにハードロックやプログレはまだ早い。まずは古典ロックをしっかり勉強しろ。


で、この映画がおもしろいのは、異星人がボイジャー探査機を発見したファーストシーンで流れる曲が「ジョニー・B・グッド」ではなくローリング・ストーンズの「サティスファクション」なのだ。

勝手に変えんなよ!

ここはどう考えてもチャック・ベリーの「ジョニー・B・グッド」を流すべきなのに、もうカーペンターの趣味で「サティスファクション」を流しちゃってるわけ。NASAの選曲を無視して。

百歩譲って勝手に曲を差し替えるにしても、凡百の監督ならデヴィッド・ボウイの「スターマン」「スペース・オディティ」あたりを使っただろう。現にリドリー・スコットは『オデッセイ』(15年)「スターマン」を使っているし、リュック・ベッソンも『ヴァレリアン 千の惑星の救世主』(17年)「スペース・オディティ」を冒頭で流している。SF繋がりというだけで。

だがそこはジョン・カーペンター。2015年にはミュージシャンとしてソロ・アルバムすらリリースしたジョン・カーペンター。ビートルズでもボウイでもなくローリング・ストーンズなんですねえ。

それではお聴きなすって下さい。僕も大好きな名曲中の名曲中の名曲中の名曲です。

ローリング・ストーンズで「サティスファクション」

ザ・ローリング・ストーンズ「サティスファクション」。

ゲッノー!  ちゃらら♪  ゲッノー!

 

◆愛のロードムービー◆

さて。ボイジャー探査機を発見して「地球に招待しまーす!」というカーター大統領の音声を聴いた異星人=スターマンは「いっちょ行ったろやないか。地球人と友達になれるかな♪」とルンルン気分で宇宙船に乗って地球観光にやって来るが、謎のレーダー反応に焦った米軍は「ええええ、 なにこれ!?」、「怖い怖い怖い!」、「とりま撃て撃て!」と大騒ぎして親の仇みたいにミサイルを連発、米軍の猛攻撃を受けた宇宙船は「あかんもうだめ」と言って墜落してしまう。

なんでそんなことすーん…。

自分たちから誘っておいて来たら来たらで攻撃するという裏ぎり。むちゃむちゃですやん。可哀そうにさぁ、スターマン…。宇宙船ひっくり返ってるやん。カメムシみたいに。

ひっくり返った宇宙船から這う這うの体で脱出したスターマンは「もういや。帰りたい…」と半ベソかきながら田舎道を彷徨っていると一軒の家が。そこには最愛の夫ジェフ・ブリッジスを事故で失って悲嘆に暮れている未亡人カレン・アレンがいて、思い出のアルバムに貼りつけたジェフの毛髪のDNAを読み取ったスターマンはジェフそっくりの姿になりカレンの前に現れる。

戸惑いながらも「これは夫ではない!」と勘づいたカレンに対して、ジェフ(中身スターマン)は3日後にアリゾナ州のクレーターから母船に帰艦することになっているのでアリゾナまで連れていけと言う。

そんなわけで、半ば誘拐に近い形でジェフ=スターマン(まどろっこしいからジェフーマンって呼ぶわ)はカレンを案内人にしてアリゾナを目指すのだが、その道中で文化も文明も超えた二人の相互理解がやがて愛に変わる過程がハートウォーミングに描かれていく。その一方、異星人来訪を知った政府は科学者のチャールズ・マーティン・スミスを雇ってジェフーマンを捕獲しようと軍隊を差し向けちゃう!

ま、こんな映画である。

なんだか面白いのか面白くないのかよく分からん筋書きだが、これがヤケに面白いのであった。何といってもジェフーマンが面白いのだ。暇さえあればカレンの家の外で空中浮遊を楽しむような剽軽なヤツなのである。

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某カルト宗教の教祖よろしく空中浮遊をたしなむジェフーマン。


何といっても人好きのする主演二人のチャーム!

ジェフーマンもといスターマンを演じたジェフ・ブリッジスは、イーストウッドと共演したマイケル・チミノの『サンダーボルト』(74年)で出世したあと、同監督の『天国の門』(81年)で辛酸を舐め、今回はそのリベンジを懸けた大作映画というだけあって全身全霊である。ニワトリのようにぽきぽきした首の動きと「萌え」すら誘うジェフ・スマイルで愛嬌たっぷりの異星人を演じている。どうやらダイナーで食べたアップルパイがお気に召したようだ。

そんなジェフーマンに亡き夫(本当のジェフ)を重ね合わせてしまうカレン・アレンの女心もまた可愛く。

カレン・アレンといえば『レイダース/失われたアーク《聖櫃》』(81年)のヒロインだが、いかんせんスピルバーグは女が撮れないので…カレンのアレンはいまいち出し切れていなかった。アレンと言われてもドレン?みたいな。だが本作ではカレンのアレンソレンもばっちり押さえているぞ!

当初、カレンはジェフーマンを恐れて逃げ出そうとしていたが、彼が死んだ鹿を宇宙パワーで生き返らせる瞬間を目の当たりにしたことで心境の変化が訪れ、少しずつジェフーマンに協力的になっていく。そしてこの異星人を少しずつ愛するようになっていくのだ!

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ジェフ・ブリッジスとカレン・アレン。


こうした両者の交流がカーペンター作品とは思えないほど穏やかに描かれているのがヒットの要因ではないかと思う。

この映画が作られた80年代前半といえば『E.T.』(82年)『フラッシュダンス』(83年)のようなエモい映画が量産されていた時期で、そうした時流にもカチッとハマった本作は「愛と感動」というカーペンターとは最も無縁な評価を引き出すことに成功したのだ。

また、ジェフーマンとカレンのロードムービーとしても本作は優れている。

カルチャーギャップを交えたアメリカ横断珍道中が大らかに描かれ、思いがけぬところでカレンが警察の流れ弾を受けて死んじゃったりもする。そこでジェフーマンは彼女を生き返らせるために謎のパチンコ玉を使うのだが、どうやら彼が持っている6つの玉は超能力を発動させる魔法のアイテムらしい。消耗品なので大事に使わねばならないが、無計画なジェフーマンは喧嘩腰のトラック運転手を脅かすために魔法で木を燃やすといった実にしょうもないことに使ってしまい、旅の3日目では残り1つまで減ってしまう。アホだろ。

また、本作のなかで最も感動的なのが貨物列車でのラブシーンだ。

列車内セックスして不妊症のカレンに命を宿したジェフーマンは「生まれくる子供は僕の記憶を受け継いでいる。だけど遺伝子は生前の夫のものだ。だから僕の子でもあり、キミの夫の子でもあるのだな」と不可解なことを言って残り1つのパチンコ玉をカレンに託す。

カレンは目を輝かせて「すてき。この子が生まれたらアナタとの3日間の出来事を語って聞かせるわ!」と言った。

まぁ…「生まれくる子供は記憶を受け継ぐ」って言ってるんだから、わざわざ語って聞かせるまでもないのだが。

カレン「それにしても、このパチンコ玉はなんなの?」

ジェフ「それは生まれくる子供が知っているよ」

アレン「ふーん(まぁいいや。あとで捨てよう)

そして3日目の正午、クレーターを目指す二人を戦闘ヘリで射撃する米軍が「スターマンが倒せない」とかわけのわからないことを言っていると鏡面状の宇宙船がむい~~んと降りて来てジェフーマンを吸い上げてとっとと帰っていきました。空を見上げるカレンの寂しそうな顔とともに映画は終わっていきます。

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ジェフを事故で失い、今度はジェフーマンとも別れてしまうカレン…。

 

◆カーペンターはSFホラー界のウォルト・ディズニー◆

じつに捉えどころのない作品だが、鑑賞後はちょっぴりおセンチな気分に浸れるカーペンター異色作。

まさかカーペンターを観てほっこりするとはな!

ゆえに「らしくない」という言葉で語られる作品だが、よく見るとそんなことはなく、いつも通りのカーペンターがチラチラとお尻を出しております。

なんといってもファーストシーン。光に覆われた球体型のスターマンがジェフのDNAを読み取って人間の姿に変容するSFXをお楽しみ頂けるのだが…これがめちゃめちゃキショい。

まず最初に人間の赤ちゃんに姿を変えたスターマンが見る見るうちに急成長、肉とか骨がゴキゴキッ!ボキッ!と変容してジェフの姿に擬態する過程は『遊星からの物体X』を思わせるほどグロテスク。いつも通りのカーペンターであります。

二人が米軍の銃撃をかわしながらクレーターの中心地に向かってちょらちょら走るシーンもカーペンター印の空撮で押さえているし、ラストシーンでは空を見上げるカレンに対して宇宙船から見下ろす構図はなし。この映画理論を脱臼させる不思議な手つきこそがカーペンターなのです。

 

ともすると個性派監督に数えられるジョン・カーペンターは謙虚な作家である。

なんといっても省略技法。

夫ジェフが事故死するシーンはただの一度も回想されない。異星人来訪に対応するのはもっぱら米軍だけで大統領は一瞬たりとも姿を見せない。6つのパチンコ玉についてもロクに説明されず、この小道具をアクションやスペクタクルに活用することすらしない。

普通の監督なら「ここはしっかり見せないと」と執着してしつこく描き込むところを、カーペンターはさらりと素通りしてしまうのだ。

この「説明責任の放棄」とも言える大胆な省略技法はカーペンターが敬愛しているハワード・ホークスからの影響なのだろうが、実際カーペンター作品はこの上なく喉越しがよく、見応えはあるのに鑑賞後の疲労感はまったくない。『遊星からの物体X』『ゼイリブ』(88年)に見られる社会風刺も押しつけがましくないし、あくまでエンターテイメントの範疇だ。本作でも「知性があるのに野蛮なのは人間だけ」という鋭い人間批判のあとに「でも人間にも良いところもある」とスターマンに言わせて人間賛歌に転じている。テーマが簡潔だ。

おそらく、この作家は我を通すことの厚かましさを知っているのだろう。

たとえばカーペンター作品は18作すべて120分未満におさまっている。これにはぜひ驚愕して頂きたい。キャリア45年、18作も撮って全作120分未満なんて。そんな現代メジャー作家が他にいるか?

映画が肥満化する=120分を超える理由はだいたい以下の3つなのだが、カーペンターの前では通用しない。そんなもんは効かねえ。

①監督が無能。

②編集技師が無能。

③監督と編集技師が有能でも映画会社や出資者のあーせーこーせーという要求を呑むうちに長尺化。

良くも悪くも120分から先は作り手のエゴなのだ。

謙虚なカーペンターは絶対に120分をオーバーしない。チャッと観れてパッと楽しめる映画を提供してくれる。そのサービス精神たるやディズニー以上にディズニーである。

あえて言おう。カーペンターを「娯楽映画」という括りの中で語るならスピルバーグをも超える賢才だと。ちょうど本作は『未知との遭遇』(77年)をクルッと裏返したような作品なので、ぜひ合わせてお楽しみください。

スターマ~ン、ウェイティンインザスカイ♬

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超せつなくて好い映画でした。笑いどころもいっぱい!