シネマ一刀両断

面白い映画は手放しに褒めちぎり、くだらない映画はメタメタにけなす! 歯に衣着せぬハートフル本音映画評!

おかえり、ブルゴーニュへ

ワインなんて一滴も飲んでないのに頭クラクラ、クラピッシュ。

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2017年。セドリック・クラピッシュ監督。ピオ・マルマイ、アナ・ジラルド、フランソワ・シビル。

 

フランス・ブルゴーニュ地方のワイン生産者=ドメーヌの家の長男として生まれ育ったジャンは、世界を旅するため故郷を飛び出したが、父親が末期の状態であることを知り、10年ぶりに故郷ブルゴーニュへ戻ってくる。家業を継ぎ、ワイン作りに励む妹のジュリエット、そして別のドメーヌの婿養子となった弟のジェレミーと兄弟3人の久しぶりの再会を果たすが、間もなく父親が亡くなってしまう。残された葡萄畑や相続などさまざまな課題に直面する中、父親が亡くなってから最初の葡萄の収穫時期を迎え、兄弟たちは自分たちなりのワインを作るため協力し合う。その一方で、長男は離婚問題、長女は醸造家としての方向性、次男は義父問題と、それぞれが打ち明けづらい悩みや問題を抱えていた。(映画.comより)

 

おはようございます。

深夜のコンビニ店員はいつもバックヤードにいてなかなかレジスターに来てくれません。チンベルがないので呼び出すこともできず、店員が来るのをレジスターの前でひたすら待たねばなりません。大体は1分もしないうちに来てくれるのだけど、昨日の店員は7分待ってようやく現れました。

おまえはいつまで経ってもライブが始まらずファンを延々待たせるガンズ・アンド・ローゼズか?

7分長かったなー。ガンズの「Paradise City」が聴ける時間ですよ。

とはいえ、深夜のコンビニは大体ワンオペなのでバックヤードに行くことだってあるだろうし、待たされること自体は一向に構わない。問題はレジに舞い戻って来たときに「すみません」とか「お待たせしました」の一言があるかどうかだ。

だがこの店員、詫びの一言もなく、まるでそう、低血圧の有閑マダムの午後のひとときみたいなアンニュイさでダラダラとレジ操作をおこなっておられました(タクマって感じの顔なのでタクマと呼ぶ)。

タクマときたらいつもこんな感じで、商品を渡したあとの「ありがとうございました」もなし。レシートもくれない。そんなわけで、いつも私はタクマに苛々を募らせておりました。しかしこの度の7分待たせ&詫びなしのミラクルコンボは、いかな聖人君子の私とて看過できぬ。タクマはいけない子。素行不良にも程があったので軽く叱責しておこうと思って、私。

「ここは…何かな、無礼を売りにしたコンセプチュアルな店ですか?」

タクマはレジを打つ手を止めて鳩が豆鉄砲を食ったような顔。

「あのね、こういう時はまず最初に『お待たせしました』と言うのがヒューマニズムというものですよ」

したところ、ようやくこちらの意図を理解したタクマ、「あっ、あっ。お待たせしました…」と言ってくれたので「うん、どうもありがとう」とする必要のない感謝をしてしまったが、心のなかでは「言ってくれと頼まないと言ってくれない『お待たせしました』に一体どんなヒューマニズムがあるというのでしょう。神は死んだ」とか思いながら店を出ました。

まったく、この街はParadise Cityだ。

タクマの住む街、Paradise City…。

そんなわけで本日は『おかえり、ブルゴーニュへ』です。タクマに捧げたい。

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◆ブドウ園の映画なのに畑より顔が勝っている◆

ブドウ園の1年間が定点撮影されるファーストシーン。父が倒れたという報せを受けてこの地に戻ってきたピオ・マルマイは、ワイナリーを経営している実家で妹アナ・ジラルドと弟フランソワ・シビルと数年ぶりに再会する。

ワイン造り一筋のパパンをもつ三人は幼少期からワインに親しんでおり、現在は家業のドメーヌ(ブドウ畑の区画)は妹のアナが引き継いでいる。弟のフランソワはべつのワイナリーを経営する義父のもとで修行中だが、どうも馬鹿舌らしくテイスティングにも苦闘している様子。そんな妹と弟は、母が死んだときに葬式に現れず十年間も世界中をふらふらと旅していた長男ピオを恨んではいない。

映画は「兄妹弟の関係」や「父の死」といったドラマ部分に焦点を当てず、もっぱらワイン造りの工程だけを淡々と見せていく。ワイン造りのプロセスの中で交わされる事務的なやり取りやさまざまな問題解決を通して「家族のドラマ」が後天的に浮かび上がってくる…みたいな渇いた構成なので、スチールやコピーから連想するような「父を失った三人兄妹がワインを通じて絆をギュンギュン深める」みたいなコクのあるメロドラマはほとんど希薄である。

 

監督は『スパニッシュ・アパートメント』(02年)シリーズをしつこく撮り続けたセドリック・クラピッシュ

『スパニッシュ・アパートメント』はさまざまな人種の若者が集う学生寮を舞台にした青春映画で、『真夜中のピアニスト』(05年)のロマン・デュリスや『アメリ』(01年)のオドレイ・トトゥ、それに『少年と自転車』(11年)のセシル・ドゥ・フランスなど当時注目されていたヨーロッパ俳優がわんさか出ている楽しい作品なのでヨーロピアン志向の人民は観たらいいと思う。

そんなセドリック・クラピッシュは、日本でも紳士淑女層を中心に人気を得ているようだ。

偏見だけでモノを言うが、クラピッシュの映画を好むのは都心でインテリアデザイナーとか何かのコーディネーターをしていて休日はよくわからないビーチの写真が壁に掛かってる家でチーズでも食べながらDVD鑑賞を楽しむような何故か海外の地理や文化についてムダに詳しい40代独身男女(腕時計にこだわりがち)である。

少なくともシュワルツェネッガーがM134ミニガンで警察車両を爆破するのを見て大喜びする私のような人間にはイマイチ魅力が分からない作家だ。

私はそんなクラピッシュのことを「下の中」ぐらいにしか思っていないのだが、顔の選び方に関してだけは一日の長がある。『スパニッシュ・アパートメント』のケリー・ライリーや『フランス、幸せのメソッド』(11年)のカリン・ヴィアール。そして『家族の気分』(96年)のカトリーヌ・フロをキャリア初期に発掘したのもこの男だ。

そして本作のピオ、アナ、フランソワの三人兄妹もズバ抜けて顔がいい。

もちろん「顔がいい」というのは男前とか美人って意味ではなくスクリーンに映える顔という意味だ。

本来、この映画の主役は「ぶどう畑」であらねばならないはずだが、顔が画面の求心力になってしまっていて「畑より三人の顔が見たい」なんてあらぬことを思ってしまうのだ。これってどうなのかしらね。

この手の観光映画でロングショット(畑)よりアップショット(顔)の方が魅力的なのは大いに問題だと思うのだが。

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左から順に弟フランソワ、兄ピオ、妹アナ。

 

クラピッシュは「しない」作家◆

やはり大きな見所はワインが作られていく工程である。

まず三人は畑を歩きながらブドウを摘まみ食いする。といっても食い意地が張ってるわけではなく成熟度を確かめているのだ。話し合いの結果「ええんちゃう?」ということになると、次に収穫日を見定める。収穫が1日前後するだけで味は大きく変わってしまうらしい。そのうえ同じワイナリーでもブドウの成熟度にムラがあるので、味を均等にするために畑の列に「収穫する順番」を決めて時間差で摘み取っていかねばならない。なお、雨が降るとすべての計算が狂ってしまう。

いよいよ収穫という段になると季節労働者を30人ほど雇って一斉に房を切り取っていくが、中にはブドウを投げあって騒ぐようなバカヤローが紛れ込んでいるから要注意だ。おまけに隣接するドメーヌの連中が領土侵犯してくるのでケツを蹴り上げねばならない。

ようやく収穫が終わるとワインパーティで盛大に打ち上げ。楽しいひとときだ。だが翌日からは醸造作業が始まる。除梗率を決めて破砕機にかけ、伝統芸のブドウ踏みにも精を出す。そうして発酵させ、ようやく熟成期間に入るのだ。

そりゃ華のある仕事ではないけれど、ワイン醸造の知られざる裏側が仔細に描かれているので、この辺はワイン好きならずとも大いに楽しめると思います。伊丹十三スタイル*1だよね。

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ブドウを摘まみ食いして「おいしい」などと評する三人。

 

ワインの醸造工程と並行して描かれるのが三人兄妹のドラマである。

と言っても、主に描かれているのは「長男ピオの結婚生活の危機」と「父の死によるドメーヌの相続問題」である。

オーストラリアに妻子を残してきたピオは毎日電話で嫁はんと言い争いをしているが夫婦関係や不和の原因がなにひとつ明示されないままピオが勝手に憔悴していき、最終的には何となくいい感じになって元の鞘に収まる…というずいぶん人をナメた着地点へと至る。なんやそれ。

また、父の遺言で三人に譲られたドメーヌは遺産分割ができない…という深刻な問題が映画後半のセカンド・ターニングポイント(いわば山場)となる。つまり畑を売る売らないで三人が揉めるわけね。だがそれもピオが妥協したことでアッサリ解決。妥協するに至った心境の変化はいっさい描かれない。昨日まで「売る」と言ってたヤツが掌を返したように「売らない」と意見を変えたことで三者が合意してハッピーエンド…てなもんである。なんやそれ。歯ぁ折ったろか。

 

そう。ファンには申し訳ないが…私はクラピッシュの歯を折ってやりたいと考えている。

この人の悪い癖は薄っすいエピソードを無理くり詰め込もうとすること。

たとえば伊丹十三に倣って「ワインの醸造工程を徹底的に見せます。それだけの映画です!」といって専門性だけを追求した職業映画路線の方が遥かにおもしろくなったと思うのだが、夫婦関係がドータラとか遺産分割がコータラとか、大して面白くもない要素をゴテゴテ張りつけて夾雑物満載の鈍重な映画になっちゃってんだよね。

脚本が書けないならシナリオライターに書かせればいいのに…意地でも自分で書こうとするでしょ、この人。

そのド厚かましい身振りが、あちきイヤ!

そんなわけで、113分という一番気持ちのいい尺なのに体感時間のまあ長いこと。

人が映画を観ていて長いと感じる理由の多くは「作劇が退屈だから」だが、より正確を期すなら「作劇を志向してる割には退屈だから」である。

極端な話をすると、たとえばタルコフスキーやヘルツォークなんかはもとより作劇を捨てた作家である。ストーリーを楽しむような映画ではないですよ、ということだ。そういう映画には作劇的な退屈さは存在しない。作劇自体が存在しないのだから。

だがクラピッシュのように「作劇にも一丁噛みするピッシュ!」というハンパな態度は、とかく犯罪的な退屈さを観る者に強いる。作劇を重視するのか軽視するのか。それすら明確にせず重視もしないし軽視もしないという曖昧な態度を取った結果がこれなんピッシュ!

クラピッシュは「しない」作家なのだ。

どちらかを「する」作家ではなく、どちらも「しない」作家である。40代独身男女のファンに怒られてしまいそうだが、私に言わせればきわめて官僚主義的な消極的表現者である。きらいだね!

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ワインを飲んでへらへら笑う兄ピオ(右)と弟フランソワ(左)。こいつらは実に可愛いです。

 

まさかの反復失敗

演出面も総じてガタピシです。

同一画面に「現在の自分」と「少年時代の自分」が出てきて、大人になった自分が過去の自分を抱きしめちゃう…みたいなくそ寒いメロドラマも一度だけなら大して気にならないが何度も繰り返される。「そもそもセンスのない演出なのにそれを反復するなんて何重にセンスがないんだ…と。

もはや私のイライラはスクリーンのブドウ畑を駆け回るほどに自律しかけていたのだが、そんな私が決定的に「ダメだこりゃ」と思ったのは、幼少期の3人がパパンからワインのテイスティングをさせられる回想シーン。このシーンでは左から順にアナ、ピオ、フランソワが横並びになっている。そしてラストシーンでは大人になった現在の3人がこれとまったく同じ構図でワインを試飲するわけだが…なぜかアナとフランソワの立ち位置が入れ替わっちゃってんの。

そこは一緒にするピッシュ!!!

せっかくの反復技法なのにまさかの反復失敗だよ。なにこれ。撮影ミス? だとしたら凡ミスにも程があるでしょう。それともハナから反復など意図してなかったのか。だとしたら しようよ。意図。意図はしていこうよ。映画監督なんだから。

ワインなんて一滴も飲んでない私がなんでこんなにクラクラせねばならないのか。頭クラクラ、クラピッシュとはよく言ったものだよ。迎え酒だ、ワイン持ってこい!

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なぜか配置が入れ替わっちゃう反復ショット(反復になってない)。

 

そんなわけでこの映画。よかった点は三者の顔とワイン醸造工程のおもしろさ。

よくない点は顔に畑が食われていたことと醸造工程の隙間にねじ込んだ下手なドラマ。

こうして整理してみると美点と欠点が紙一重だったことがわかる。まあ、こういうのも映画の醍醐味でしょう。「○○だからダメだ!」と非難されていた映画が「○○だからイイ!」と再評価された例などゴマンとあるしな。美点と欠点は表裏一体。ゆえに私は100点の映画か0点の映画だけを好む。べつに本作が0点と言っているわけではなく、いわば「適度に退屈な映画」というのが最終的な私の結論なのだけど、それゆえにタチが悪いわけでもあります。

なお、摘みたてのブドウはとても美味しそうでした。

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(C)2016 - CE QUI ME MEUT - STUDIOCANAL - FRANCE 2 CINEMA

*1:伊丹十三スタイル…特定の業界をさまざまなトリビアやあるあるを交えながら描くという伊丹十三お得意の内幕映画。葬儀の流れを淡々と追った『お葬式』(84年)、税務署の仕事ぶりを専門的に描いた『マルサの女』(87年)、スーパーマーケットの営業戦略を紹介した『スーパーの女』(97年)など。