シネマ一刀両断

面白い映画は手放しに褒めちぎり、くだらない映画はメタメタにけなす! 歯に衣着せぬハートフル本音映画評!

アイ・フィール・プリティ!

愛すべき肉の振動体。コンプレックスをぶち殺せ!

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2018年。アビー・コーン、マーク・シルヴァースタイン監督。エイミー・シューマー、ミシェル・ウィリアムズ、ロリー・スコベル。

 

容姿にコンプレックスがあり、何事にも積極的になれないレネーは、ある日、自分を変えようと通い始めたジムでハプニングに見舞われ、頭を打って気を失ってしまう。目が覚めたレネーは、自分の見た目が絶世の美女になっていると思い込むようになり、性格も超ポジティブに。すっかり自信に満ち溢れた彼女は、仕事も恋も絶好調になるのだが…。(映画.comより)

 

おはよう、日本のみんな。

音楽について語りたすぎるので今度そういう記事を書きます。

あとアレなんす、2~3ヶ月前から『ジョジョの奇妙な冒険』を一日一冊ずつ読み返していて、これについても本当は大いに語りたいと思っているんだ。ジョジョといえばジョジョ立ち、独特な台詞や擬音、あと音楽ネタで有名だけど、実はそれ以上に映画と密接な関わりを持つマンガで。

書きたいと言いつつ多分書かないだろうから今ここで書いてしまうけど、ジョジョのベースにあるのは手塚治虫的な「マンガ理論」ではなく「映画理論」。ジョジョは“紙で読む映画”です。フォロー・フォーカスやドリー・ズームといった数々の映画技法が「絵」で…それも西洋絵画的に表現されているのですね。純粋なマンガ的表現なんてほぼゼロ。マンガと映画と絵画の融合によって構成されたまったく新しい芸術なのであります。

言いたいことを50分の1に圧縮してパッと語ったので、はい、もう満足しました。さようなら。

そんなこって本日は『アイ・フィール・プリティ! 』だよ。

正式な邦題は『アイ・フィール・プリティ! 人生最高のハプニング』だけど、アラスカ級にサムい副題が癪に障ったので省略しております。まったく、一体どんな軍事教育を受けてきたら『人生最高のハプニング』なんて小っ恥ずかしいタイトルを思いつくのだろう。お陰でコピペで済ませられたがな。

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◆サクセスぽっちゃりロマンティック腹振りストーリー◆

2010年代のコメディシーンは総じてナヨナヨであったが、その一方で肥満体型のコメディエンヌたちが大躍進した。

『ブライズメイズ 史上最悪のウェディングプラン』(11年)のメリッサ・マッカーシー、『ピッチ・パーフェクト』(12年)のレベル・ウィルソン。渡辺直美とゆりやんレトリィバァも海外進出したというよ。

そして本作のエイミー・シューマーだ。

2010年代に頭角を現したこのぽっちゃり体型の女芸人は、初主演作『エイミー、エイミー、エイミー! こじらせシングルライフの抜け出し方』(15年)がいきなり大ヒット、次作『クレイジー・バカンス ツイてない女たちの南国旅行』(17年)ではコメディエンヌ界のラスボスことゴールディ・ホーンと共演。

私は『エイミー、エイミー、エイミー!』を観て一発でエイミー・シューマーのフアンになった。毎回新作が楽しみな女優である。

彼女の魅力はやがて人に食われることを知らない子豚のような愛嬌と、思わず槍で突きたくなるようなボッテリした腹。この土手っ腹をぶるぶる振って熱心に踊ったりするのである(とても幸せそうに)。評価せぬ手はない。それによく見るとなかなか可愛らしい顔をしているのですよ。

あえて言おう、エイミー・シューマーとは愛すべき肉の振動体であると!!

ほとばしる肉のバイブレーションにして駆け巡る喜びのセレブレーションというわけだ。わかったか、コノヤロー!

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ぽっちゃり体型にも関わらず飛び跳ねることを良しとする美しい生きざま。エイミー・シューマーであります。

 

そんなエイミー・シューマーの最新作が『アイ・フィール・プリティ!』。日本語吹替えでエイミー役を担当したのは渡辺直美。どちらも腹振りを得意とする女である。

初主演作『エイミー、エイミー、エイミー!』との共通点が多い映画で、どちらも会社勤めのエイミーが恋と友情と仕事に燃えるサクセスぽっちゃりロマンティック腹振りストーリーなんである。

またエイミーの上司役には豪華なゲスト女優が参加していて、『エイミー、エイミー、エイミー!』ではティルダ・スウィントン、そして本作にはミシェル・ウィリアムズ

そして最後の共通点は自意識美醜問題をテーマに持つこと。どちらの作品も「コンプレックスなど気にせず自分らしく生きろ!」という結論に着地するのだ。たとえそれが綺麗事でも、スクリーンの中のエイミーを見ていると元気が湧いてくる。エイミーは僕たちの心に元気を配りました。

 

さて内容だが、外見にコンプレックスを抱える内気なエイミーが一念発起してフィットネスクラブでダイエットを始めるもエアロバイクの事故で頭を強打。したたか強打。目が覚めると自分がスタイル抜群の美人になっていると錯覚して自信満々に。

さっそく大手化粧品会社の受付嬢になったエイミーは無能な社長ミシェル・ウィリアムズにさまざまなアイデアを出して会社を盛り上げ、私生活ではクリーニング店で出会った冴えない中年(ローリー・スコーヴェル)が自分に惚れていると勘違いして逆ナンをかけていく …といった感じである。

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鬼の棍棒みたいな二の腕を晒すことすら良しとする大胆な生きざま。エイミー・シューマーだね。

 

◆自信過剰で何が悪い◆

エイミーは頭を強打したことで自分を楊貴妃やクレオパトラのような美女と思い込むようになるが、もちろん外見は以前のまま。「セクシー過ぎてごめんなさいね」とばかりにモデル歩きをしても傍から見れば子豚の二足歩行。あまりのイタさに周囲の人たちはドン引きする。

要するに自己評価と他己評価のギャップで笑うコメディだな。

だが映画は、そんなエイミーを嘲笑するどころか肯定します。自信を持つことの何がいけないの? と。

たとえ自信過剰だろうが自意識過剰だろうが、自分自身を好きになって楽しく生きられるならそれに越したことはない。だから事故後のエイミーは順風満帆で、恋も仕事も思いのままにゲットできたのだ。

臆することなく美人揃いの化粧品会社に乗り込んでいって受付係に応募する度胸。その度胸の源は確たる自信である。自分を愛することのできる奴だけが成功するよね、なんか人生って。

街に出づれば、すげぇブサイクな男がスッとした美人を連れて歩いている姿を目にすることがある。そんなとき我々は「なぜこんなブサイクが美人に愛されるわけえ?」と小首を傾げるが、なんてこたぁない、この男は美人に愛される前に自分自身を深く愛しているのだ。多分な。

自分のコンプレックスをぶち殺した人間は向かう所敵なしである。弱点がなくなるわけだからね。そしてなんか…すげえ輝いたはるわ。それこそ渡辺直美でしょ? エイミー・シューマーでしょ!?

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ボテ腹を晒すことさえ良しとする誇り高き生きざまエイミー・シューマーなん。

 

反対に、たったひとつでもコンプレックスに囚われた人間は内側から腐り果ててドロドロになっちゃいます(私とかね)。

エイミーが憧れているミシェル・ウィリアムズは大企業を動かす美人社長だが、マリリン・モンローみたいなスウィート・ウィスパーボイスにコンプレックスを抱えている。要するに猫撫で声のことで、とかくこういう声の持ち主は「頭のトロい女」という偏見を持たれてしまうのだ。

ゆえにミシェルの人生は失敗続き。創業者の母とスーパーモデルの弟にいつも引け目を感じており、自分の声を気にするあまり人前で思うように話せず「あっ、あっ…」などとクルクルするばかり。心の弱さは化粧では隠せない。

『マリリン 7日間の恋』(11年)でモンローを演じた時とはまた違ったミシェル・ウィリアムズの低血圧演技がとても素敵であった。

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ミシェル「私の生きざまって何かな…」

 

チェチェチェ、チェ、チェンジズ

とはいえエイミーのように滅多矢鱈に自己評価が高いのも考え物であるよなー。

「自信」と「慢心」をはき違えて高飛車女と化したエイミーは、自分と波長が合っていた非モテの親友2人に「男の口説き方」だの「自分磨き講座」だのを一方的に指南して嫌われてしまうのだ。巷で噂の「価値観の押し付け」ってやつだな。

そんなエイミーへの天罰か、映画後半でついに錯覚魔法が解けてしまう。ホテルのシャワーブースで再び頭を強打したことで元の内気なエイミーに戻ってしまったのだ。

新作発表会の準備を任されていたエイミーは自信全滅により会社を長期間サボり、親友からは嫌われたままで、ブスな自分を見せたくないあまり恋人のローリーまで遠ざけてしまう。このあと映画は新作発表会のクライマックスを迎え、エイミーは再び同じ事故を起こして錯覚魔法にかかろうとするが…。

 

いずれにせよ、このクライマックスに至る流れは大団円が読みづらい展開だと思います。

もし二度と錯覚魔法が起きずに元の内気なエイミーのままだと一度は手にした恋や仕事を失いかねない。仮にまた錯覚魔法にかかれば恋と仕事はうまくいっても親友との関係が決定的に壊れてしまうし、そもそも本来の自分じゃない状態で幸せになったところで…という根本的な問題も残る。どうにかせにゃなるまい。

この映画の前では「キミはキミのままでいい」だとか「ありのままの姿見せるのよー」だなんて人をナメたJ-POP的クリシェなどクソの役にも立たんのだ。

エイミーのようにコンプレックスの怪物みたいな人間に対して「ありのままでいい」って…そんなわけねえだろ!

だから彼女は、自ら変わることを決意する。

オバマ風に言うならチェンジだ。デヴィッド・ボウイ風に言うならチェ、チェ、チェ、チェ、チェンジズだ。わかるだろ?

だもんでこの作品、承認欲求がドータラコータラなんて甘えきった時代にはうってつけの映画だと思います。「自分らしさ」を免罪符に努力を怠り変化を嫌う甘ったれどもはヒィヒィ言いながらエアロバイクを漕ぐエイミーを見習うべきだ。

まぁ、そのあとサドルが外れてパイプがケツにぶっ刺さっちまうのだが。

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ケツから血が出ることすら良しとする気高き生きざま。エイミー・シューマーだよな。

 

米批評家からは本作に含まれた体型ネタがボディ・シェイミング(体型侮蔑)として批判されたが、知ったことかと思います。

コスモポリタン誌の批評によると「エイミー・シューマー本人から大柄の女性に至るまで、ありとあらゆる人に対する侮辱である」だってさ。さすがコスモポリタン誌、そういう見方をすること自体がエイミー・シューマー本人や大柄の女性に対する侮辱であるとは考えないらしい。

まぁとにかく、人はただエイミー・シューマーがシューマーするさまに目を向けていればよい。彼女の挙措や表情が無性に可笑しく、渡辺直美の吹替えも相まってすばらしいキャラクターに仕上がっているからね。

このヒロインにはこれといった特技もカリスマ性もないけれど(あるのは無根拠にして圧倒的な自信だけ)、不思議と誰もが彼女に引き寄せられていく。そのチャームを的確に捉えたカメラには真実味がありました。

エイミーを無理やり「愛されキャラ」に仕立て上げるのではなく、彼女自身から発せられた「愛され素地」をうまくキャッチした映画といえるんだ!

数々のファッションやマンハッタンの街並みも目に楽しく、サブキャラクターたちもエイミーが巻き起こすオフビートな笑いによく絡む。トマトソースのようにな。

そんなわけで『インスタント・ファミリー』(18年)に続いてオススメのコメディ映画です。たぶん映画を見終える頃にはエイミーのことが大好きになっているだろう。サングリアのゲロをよく吐き、たまにケツを負傷する彼女のことを。

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コスモポリタン誌から批判されることすら良しとする伸びやかな生き様。エイミー・シューマーだっつってんの!

 

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