オフィスモノと成り済ましモノの安易な融合。
1986年。ハーバート・ロス監督。マイケル・J・フォックス、ヘレン・スレイター、リチャード・ジョーダン。
成功を夢見て、カンザスからNYに出てきた青年ブラントリー。叔父が社長をつとめる大企業に就職したものの、仕事はメール・ボーイだった。そこでブラントリーは、あの手この手のサクセス大作戦を開始する。(Amazonより)
どうもおはよう。
現在、私のデスクにはパーソナルコンピューター略してパソコンが置かれており、本が散乱していて、灰皿や羽箒や各種ペンの類が転がっている。そしてなぜかポッカレモン100とキューピーフレンチドレッシングがふてぶてしく居座っている。
本来キッチンにあるべきものが何故デスクの上にあるのか。そんなことは私に訊かれても分からない。本人たちに訊いてみないと分からないことなのだ。私はポッカレモン100とキューピーフレンチドレッシングにインタビューをおこなった。
ふかづめ「おまえはなんでここに居るんですか」
ポッカレモン 「きのこに私を掛けたでしょう」
あ、そうだった。2日ほど前にきのこを食べようと思って、きのこ料理を制作、それにポッカレモンをしこたま掛けたんだった。私はいつもパソコンで作業をしながらご飯を済ませるので調味料の類をよくデスクに置きっ放しにしてしまうのだ。いま一方のキューピーフレンチドレッシングにも同じ質問をしてみた。
ふかづめ「おまえはなんで居るん」
ドレッシング「サラダに私を使ったでしょう」
ふむ、なるほど。3日前に食べたサラダにキューピーフレンチドレッシングを使用して、そのまま片さずにデスクの上に置き去りにしてしまっていたのだ。
二人はぷりぷりしながら「いつまでもこんな所にいたくないよ。早く片付けてよ」と言ったが、私は「まぁ、ゆっくりしていっとくんなはれや」と言って二人の要求を突っ撥ねた。ことによると今晩また使うかもしれず、もしそうならキッチンに仕舞ってまたぞろ取りに行くのは手間だと考えたからである。
かかる私のズボラな態度に「使用後はとっとと冷蔵庫に入れた方がよい」とする向きもあろうが、基本的に私は「要冷蔵」という注意書きを信じていない。何でもかんでも冷蔵庫に放り込もうとするのはバカのすることだ。我々は太陽の下で生きているのだから!
ずいぶん要領を得ない話をしたところで本題に入る。今日という今日は『摩天楼はバラ色に』です。
◆The Secret Of My Success◆
摩天楼と書いてニューヨークと読むことでお馴染みの青春サクセス・ストーリーである。
主演は『バック・トゥ・ザ・フューチャー』(85年)の脱糞級ヒットで向かう所敵なしのマイケル・J・フォックス。恋のお相手は『スーパーガール』(84年)におけるスーパーガールでお馴染みのヘレン・スレイターさ。
監督のハーバート・ロスは本作の2年前に『フットルース』(84年)を世に送ったヒットメイカー。80年代ポップカルチャーの一翼を担った男ともいえる。
本作『摩天楼はバラ色に』もバカみたいにヒットしたが、実はわたくし今回が初見であります。摩天楼と書いてニューヨークと読むことがどうしても許せなかったので長年無視しておったのです。
鑑賞に至ったきっかけは、ある晩、ナイト・レンジャーの『ビッグ・ライフ』(87年)という4thアルバムを聴き直していたときに不意に訪れた。
ナイト・レンジャーはツインボーカル&ツインギターを売りにしたアメリカン・ハードロックの雄。私のお気に入りバンドのひとつなのだけど『ビッグ・ライフ』はどうしようもなくポップなアルバムであまり聴き応えがないので黙殺しておりました。ところが久々に聴き直してみるとこれはこれでなかなか好い。
そしてアルバムのリード曲「The Secret Of My Success」が『摩天楼はバラ色に』の主題歌なのである。当時流行していたビートの利いたシンセポップ。個人的には苦手な音なのだが、コーラスワークとソングライティングは相変わらずよろしいなぁ。ビッグライフだなぁ。かなり有名な曲なので人民のみんなも知っているかも。
ナイト・レンジャー「The Secret Of My Success」。
さて、映画が始まるといきなりこの曲が流れます。フル&大音量で。
大学を卒業したフォックス坊は「成功して大物になる」というあまりに漠然とした野望を胸にカンザスの田舎町からニューヨークに移住。公衆電話でカンザスのママンに電話したフォックス坊はとても心配されます。
ママン「ニューヨークは危険な街だから気を付けるのよ。油断してると死ぬわよ!」
坊「まさか。とてもいい所だよ」
そんな話をしていると電話ボックスの近くで警官と強盗犯が撃ち合いを始め、飛んできた銃弾がフォックス坊の顔をかすった。
ママン「ニューヨークには血の気が多い奴らがわんさかいるんだからね。よそ見してると死ぬわよ!」
とかく母親の言うことは正しいわけです。
翌日フォックス坊はスーツに着替えて意気揚々と出社したが、内定していた会社がLBO(買収)を仕掛けられて初出勤からわずか10分で失業。ニューヨークの洗礼を受けた。
その後、叔父が経営する大企業ペンローズ社に配送係として入社したフォックス坊がちょっとしたトラブルから架空の重役をでっち上げて経営に参加、社内で一人二役を演じながら出世街道をひた走る…といった成りすましコメディが展開します。
一目惚れした美人重役ヘレンとの恋路。社長夫人とのアバンチュール。そして社長とヘレンの不倫を知ってしまったフォックス坊は、今日もオフィスを駆け回り、偽名を使って配送係と重役を演じ分ける! 摩天楼はいま何色!?
ま、そんな映画だな。
マーティとスーパーガールの共演作。なんじゃそら。
◆なぜか誰も秘密を疑わない◆
悲しいお知らせです。
意識飛ぶほどつまらなかった。
むしろよく飛ばなかったなと思った。意識が。さすが俺の意識。飛びそうで飛ばない。この粘り強さ。
フォックス坊は毎朝出社すると配送係の仕事を抜けだして他階に勝手に拵えた重役室に向かうのだが、配送係と重役では制服が違うのでエレベーターを緊急停止させてスーツに早着替えする。
ちなみにこのシーンは本作一押しのギャグになっているようで。秘書がエレベーターを開けた瞬間にパンツ一丁のフォックス坊がボディビルのポーズを取ってゴマかす…といった代物だ。ビタイチ面白くないわけだが、まあいい。そもそも話の設定があまりに荒唐無稽だが、これもまあいい。
この映画、まず絵的につまらないのは空間処理が出来ていないからだと思う。オフィス全体を使ったスラップスティック・コメディだというのにオフィスの見取り図がぜんぜん思い描けないんだね。
フォックス坊がせっせと往復する配送部と重役室がどこにあってどれだけ離れているかがさっぱり分からんのだ。また、いつも慌てている様子から何かしらのタイムリミットに追われているはずなのだが、それが何かも分からない。たとえば「重役会議があるから10分以内に服を着替えて会議室に直行せねばならない」みたいな明確な目的もなくただ闇雲に走り回っているだけなのでスリルもサスペンスもない。スリルもサスペンスもないところに笑いは起きないとおもいますっ!
着替え中に秘書に見つかってボディビルでごまかすフォックス坊。これ、おもしろいの?
作劇も壊滅的だ。まずもって物語の推進力たりうるものがない。
フォックス坊の役職詐称、ヘレンのスパイ活動、社長と社長夫人のダブル不倫など…主要キャラクターがそれぞれに「秘密」を抱えているわけだが、それを怪しむ人間がびっくりするぐらい一人も出てこないのだ。
フォックス坊が架空の重役を演じていることは誰からも疑われないし、むしろ社長は彼をライバル会社のスパイだと勘違い(別のベクトルで怪しんじゃう)。そんな社長にそそのかされてフォックス坊のファイルを盗んだヘレンに至っては彼を産業スパイとすら疑わない。
誰も何も疑わないので成り済ましコメディの命脈とも言える「バレるかバレないかサスペンス」が心肺停止しておられるのじゃ。
ていうか、何なんこの会社。人を疑うことを知らない高潔なビリーヴァーしか採用されない会社なの?
逆にすてきやん。
ヘレンとの恋も進展中。
◆激烈に下手なワイルダー◆
畳み掛けるように貶していくが、この映画は下品でしつこいと思いましたっ。
フォックス坊を誘惑する社長夫人マーガレット・ホイットン(決して美人とは言えないおばはん)は真っ赤な唇で煙草を吸い、ちょろちょろと足を組み替える。Yelloの「Oh Yeah」という気味の悪いエロス・サウンドが爆音で流れている3分間、この性的イメージがアップショットでひたすら映されるのだ。
しまいにはマーガレットの股間を映した直後に庭のスプリンクラーへと繋げる手つき。
あまりに露骨な性的メタファーだ。露骨と書いて下品と読みます(このあとフォックス坊は夫人に犯されてしまう)。
アパートの隣人は24時間セックスしていて、フォックス坊は隣から漏れてくる喘ぎ声とベッドの振動音に合わせて指揮をする…というビタイチ笑えないギャグもある。もはやメタファーですらない直球の下ネタに顔を引き攣らせながらの愛想笑い。
Yello「Oh Yeah」。
あぁ、この曲むりだぁ。耳がぞわぞわする。おう、おう。チェクチュカー。
映画終盤では、フォックス坊、ヘレン、社長、夫人の4人がホームパーティーを終えた夜に社長邸をウロウロ徘徊して全員が鉢合わせする…というよく分からないクライマックスが控えている。このシーケンスで4人全員の秘密が説明台詞によって露呈するわけだが、その無粋さよりも罪深いのは徘徊シーンである。
妻が眠っているのを確認して静かにベッドを抜け出した社長はヘレンの部屋に向かい、寝たふりをしていた妻が忍び足でこれを追う。そのころフォックス坊とヘレンも自分たちの部屋を抜け出してお互いの部屋をめざす…というニアミスだらけのサスペンス・コメディが展開するわけだが、先述した通り空間処理がグチョグチョなので誰がどこにいて誰を追っているのかまったく分かんねえ。
あまつさえ先程も使われたYelloの「Oh Yeah」がまた爆音&フルで鳴る。
この曲、気持ち悪いんだよ!
社長夫人と関係を結んでしまったフォックス坊。
ラストシーンではデウス・エクス・マキナみたいなことが起きて色んな問題が一気に片付いて都合よくハッピーエンディングを迎えます。ふざけるなこの野郎。
おそらく今これを読んでくれている読者は「結局どういう内容なの…?」と薄ぼんやりした気持ちを持て余していることだろう。雲を掴むような文章でしょ、これ?
まさにその感覚が味わえる映画なの。
俺と同じ気持ちになれ!
ストーリーの交通整理、キャラクターの行動原理、ショットの空間処理といったものが曖昧模糊のもこみちなので「物語の流れ」というのが理屈では理解できても感覚的にピンとこないのである。
いわんや大音量の挿入歌やしつこい下ネタがノイズになっているので、ただでさえピンとこない内容なのに余計に気が散るというか。そんな物語が惨めなビスタサイズにおさまっています。
本作が作られたのは1986年だが、その前後にはオフィスモノと成り済ましモノがえらく流行した。
オフィスを舞台にしたお仕事系映画には『9時から5時まで』(80年)や『ワーキング・ガール』(88年)などがあり、主人公が別人のフリをする成り済ましコメディの筆頭は『トッツィー』(82年)や『デーヴ』(93年)など。どちらも元を辿ればビリー・ワイルダーに行き着くのだけど。
そして「単純計算でおもしろさ2倍!」とばかりに当時のトレンドを両方摂取した本作は2倍どころか製作費の約10倍もの興行収入を記録した!
だが内容の質はそのへんの失敗作の2分の1。
わが敬愛する映画評論家ロジャー・イーバートは「まるで1950年代から引き出しに入れたまま誰もアップデートをしなかった脚本のように、ある種のタイムワープの中に閉じ込められている」といって酷評している。やっぱええこと言やはるわぁ、ロジャーのおじき。
本当におじきの言う通りで…激烈に下手なワイルダーなんだよね、これ。
マイケル・J・フォックスの中型犬のような可愛らしさと、ヘレン・スレイターの不機嫌な文鳥みたいな佇まいだけが辛うじて魅力的と言えなくもない作品でした。
追記
エンドロールでも「The Secret Of My Success」が爆音で鳴っていた。どうして何もかもを爆音で鳴らすのだろう。監督のハーバート・ロスは耳が遠いのだろうか?
フォックス坊とヘレンは十分にかわいい。