刺身好きなら垂涎必至の魚民ムービー。
2018年。ジェームズ・ワン監督。ジェイソン・モモア、アンバー・ハード、ウィレム・デフォー。
海底に広がる巨大な帝国アトランティスを築いた海底人たちの王女を母に持ち、人間の血も引くアクアマンは、アーサー・カリーという名の人間として地上で育てられた。やがて、アトランティスが人類を征服しようと地上に攻め入り、アクアマンは、アトランティスとの戦いに身を投じていく。(映画.comより)
おはよう、陸の民たち。
昨夜はサバの味噌煮を食したのだが、本当のことを言うと刺身が食べたかったんだ。というのも、昨日の時点で『アクアマン』評を明日アップするつもりでいたので、すっかり刺身の口になってしまっていたのだな。なぜなら『アクアマン』には大量の魚が出てくるからである。
正直言って、この映画を観ながら私が思ったことの80%以上は「美味しそう」というアホみたいな感想である。
だが評の中では必死に食欲を抑えて、極力まじめに論じるよう努めた。これぞプロ。好き勝手なことを書くのが映画評ではない。滅茶苦茶なことばかり書いてる世の映画レビュアーたちに「もっとまじめに書け」と言いたい。それが私の高潔な気持ちである。
◆第一次魚民戦争はじまるぞぉー◆
ウィレム・デフォーの『アクアマン』を観た。
本作は『ジャスティス・リーグ』(17年)でアクアマンを演じたジェイソン・モモアの単独主演作だが事実上の主演はデフォーである。そういう見方もできる。
思えばデフォーと海には奇妙な縁がありました。出演作の『スピード2』(97年)、『ファインディング・ニモ』(03年)、『ライフ・アクアティック』(04年)はいずれも海が舞台。また、水繋がりとしてデフォーが水風呂に浸かる作品も存在するし。
もはやデフォーこそアクアマンと言っても差し支えないと思うのだが、どうだろうか。差し支えるだろうか。
そんなデフォアm…『アクアマン』のあらすじを説明しよう。
デフォーは海底に広がるアトランティス帝国に生まれた海底人(通称魚民)である。なお、デフォーは深海魚みたいな顔をしているが決して魚類ではない。あくまで魚民なのだ。
魚民は水陸両用の特異体質を持ち、とりわけデフォーのように優秀な魚民は魚雷みたいな速度で泳ぐことができた。
また、デフォーは江戸時代の日本人に憧れているのか丁髷のようなヘアスタイルを好む奴であり、また文武両道の俊傑であった。海底経済学や水中兵法をよく学び、鍛錬のために矛をよく振り回した。その際「うおー!」と叫んだが、これは魚(うお)と掛けたデフォーなりの言葉遊びである。
ある日、事件が起きた。デフォーが仕えるアトランティス王国の女王ニコール・キッドマンが許嫁との政略結婚を拒否して灯台守の人間の男と結ばれたのだ。まさに水魚の交わり。やがて二人の間には人間と魚民の混血児が生まれ、これをアクアさんを名づけて可愛がっていたが、王女がいなくなったというのでアトランティスは大パニック。故郷のゴタゴタを解決するために海底に戻ったニコさまは結婚ドタキャン罪で処刑されてしまう(実は生きてます)。
爾来、アクアさんは灯台守に育てられ、ニコさまに忠誠を誓ったデフォーはアクアさんの師として魚民泳法や魚民戦闘術を伝授した!
アクアさんに魚民の心得を説くデフォー。
それから数十年の時が経つ(灯台守はハゲた)。
アクアさんはすくすくと育ち、それを演じる役者が無名子役からジェイソン・モモアに代わったことでモモアマンに名を改める。皆さんが言うところのアクアマンである。
ヘビメタバンドのギタリストみたいな風貌のモモアマンは海賊討伐に精を出していた。デフォーの指導により鋼の肉体と魚民泳法を手にしたほか、お魚さんを意のままに操れるというメルヘンな能力まで開花させていた。私情を挟んで申し訳ないが…この能力は羨ましすぎる。私は刺身が大好物なので、たとえばモモアマンなら「食べさせて」と念ずるだけで魚たちは喜んでその身を差し出してくれるのである。モモアマンばっかりずるい。
一方そのころ、ちょっぴり老けたデフォーはアトランティスの現王者パトリック・ウィルソンの参謀に就いていた。パト王はモモアマンの異父弟であり、人間の暮らしを送る兄をひどく憎んでいる。そして海を汚染する地上の人間に第一次魚民戦争を仕掛けようと企んでいた。釣りをする人間も気に喰わない様子なのでたぶん西田敏行のことも嫌いだと思う。
実は海底にはアトランティスの他にも6つの王国があり、パト王は友好関係にあるドラゴ国の王様ドルフ・ラングレンと同盟を結…いや、炎の友情を結ぶ。
で、かかる魚民戦争を阻止しようとするのがモモアマンである!
協力者はドラゴ国の皇女アンバー・ハード。ジョニー・デップと結婚1年で泥沼離婚したセレブ女優だ。ジョニーからDV被害を受けたと訴えていたが、同氏が離婚に応じた途端に訴えを取り下げ、和解金700万ドルで離婚バトルは終息した。水心あれば魚心。
モモアマンとアンバー嬢にヒントを教えるマスター・デフォー。
◆思わずギョッとする全編クライマックス化◆
この映画を観ていて、まず思ったことはジェイソン・モモアがモモアしてるってことだ。
敵を倒したあとにニヤッと笑う見得、海面から上がったあとに髪を振る仕草、フォーク状の矛の隙間から両眼をギラッと見開く瞬間。
モモアしてる!
ブレイドやデアデビル並みにフィジカルなヒーロー像を体現した『アクアマン』には、どこかMCU・DCEU以前のアメコミ映画を思わせる大らかさがあった。
俳優陣もいい。この手の大作映画にはまずオファーが掛からないドルフ・ラングレンの鮮魚のごとき新鮮さ、および赤髪のゆらめき。パトリック・ウィルソンは相変わらずうまい。『ウォッチメン』(09年)ではナイトオウル(梟男)というインポのヒーローを演じていたけれど。
作品に箔をつけたニコさまはデジタル修正でより美しく、デフォーもまた回想シーンでモチモチの美肌をゲット(丁髷ヘアーでしっかり笑いも取っていく)。水を得た魚のようだ。
ジェイソン・モモア(上)、ニコール・キッドマン(左下)、ウィレム・デフォー(右下。なんていい顔をするんだ)。
だがモモアマンが魚民エクスカリバーを手にしたことで名実ともに「海の王」になるシーンは嫌だった。コスチュームが金色に変わってシャチホコみたいな風体になるからだ。
それに海の王といえば加山雄三でしょ。
「海よー 俺の海よぉー」などと歌って勝手に海を私物化することでお馴染みの若大将である。あの曲は好きだが、聴くたびに「いや、おまえの海ではない」と思ってしまう。
数多く作られた若大将シリーズのうち『ハワイの若大将』(63年)、『海の若大将』(65年)、『南太平洋の若大将』(67年)など海を舞台にした作品が異常に多い。加山雄三こそアクアマンでしょう。
かと思えば『俺の空だぜ!若大将』(70年)ではついに空まで私物化する始末。
アクアマンとしての加山雄三。
ここからはちょっぴり真面目に論じて参るね。
本作はDCエクステンデッド・ユニバース(DCEU)の6作目に当たる。
6作目ともなれば流石に学習したようで、DCに招聘されたジェームズ・ワンはDC過去作の失敗から全編クライマックス化を狙う(マーベルに倣って)。
モモアマン誕生秘話が描かれるアバンタイトルからニコさま(51歳)が激しい技斗を演じ、その後はモモアマン大暴れの巻が延々続く。潜水艦内で海賊を殴りつけ、異父兄弟であるパト王とシバき合いを演じ、サハラ砂漠に向かってスカイダイビング、シチリアの民家をぶち壊しながら怪奇ブラックマンタをやっつけ、海溝の妖怪から逃げまくり、伝説の怪獣カラゼン(もう何が何やら…)に殴りかかって魚民エクスカリバーを奪取、アトランティス軍との最終決戦では暴走地獄&お魚天国。ギョッとするスペクタクル!
怪奇ブラックマンタ。誰やこれ、ふざけとんのか。
なかなか威勢のいい作品であるぞ。
というのも本作の場合、モモアマンは既に完成されたヒーローとして登場するのよね。ヒーローになるまでの変身のプロセス(出自、葛藤、修行、挫折、試練、承認)を丸ごとスキップしているので作劇上の序破急を必要としないのである。いわば急、急、急の急展開の連続。
ともすると一本調子になりがちな構成だが、これを回避しているのが動線豊かな映像です。
アバンタイトルでは「いつか必ず戻ってくるわ」と約束したニコさまが愛する夫と子を残して灯台の桟橋から海に飛び込み、ラストシーンではすべてに決着をつけたニコさまが海から桟橋にあがって年老いた夫と抱擁する。この海面を使った落下と上昇は全編に通底するイメージとして反復されます。
モモアマンの初登場シーンでは潜水艦という降下的なモチーフを一度海上にぶん投げることで「上昇と落下」が生まれる。苦難の冒険は落下の連続だ。スカイダイビングで地上に落下したモモアマンとアンバー嬢はサハラ砂漠の穴に吸い込まれていくし、シチリアの民家を屋根伝いに疾駆するアンバー嬢は真下からの攻撃に撃ち落とされ、モモアマンに撃破されたブラックマンタもまた崖から真っ逆さまに落ちていく。海溝王国に向かって真下に潜行(落下)したモモアマンはそこでニコさまと再会、魚民エクスカリバーをゲットしてニコ様とアンバー嬢のもとに戻ってくるが、このシーンは海面からザバーッと上昇はせず滝の向こうから静々と現れる。彼が上昇するのは「人は彼をアクアマンと呼ぶ」みたいなボイスオーバーに合わせて海面から跳ね上がるラストシーンだ。
活劇の基本「上昇と落下」に満ちた豊かな運動性(やってることはバカ)。
跳ねたり潜ったりする魚のようにカメラ全体が「上昇と落下」を繰り返すトビウオ映画『アクアマン』であります。
また、世間の絶賛は『ソウ』(04年)で一世風靡したジェームズ・ワンに集まるが、真に讃えるべきは撮影監督のドン・バージェス。そこら中で同時多発する戦闘を被写体を変えながら縫うように捉えていく長回し、あるいは水に濡れた役者の色気を見逃さない眼識。鑑賞後、これは三流ではないと思ってカメラマンを調べたところ『フォレスト・ガンプ/一期一会』(94年)、『スパイダーマン』(02年)、『ミッション: 8ミニッツ』(11年)などを手掛けたベテランだったことが判明。失礼しました。
ジェームズ・ワンはある時期から積極的には追わなくなったが、確かにいい作家だと思う。『狼の死刑宣告』(07年)でケビン・ベーコンが階段の手すりをぶち抜いて二階から一階に落下するショットが滅法すばらしく、『アクアマン』の活劇はその変奏なのかなと思ってみたり。
惜しむらくはCGが過剰で本物の水があまり使われていない(アクア感に乏しい)ことと水中シーンがビデオゲーム映像の域を出ないことだが、ハナからDCEUに水が撮れるなんて思っていないので難詰するつもりもない。それにしても音楽が弱ったので、なにか盛り上がる劇伴なり挿入歌でもあればよかったかも。
余談だが、監督ジェームズ・ワン、脚本デヴィッド・レスリー・ジョンソン、撮影監督ドン・バージェスは『死霊館 エンフィールド事件』(16年)のトリオでもある。三者の連携を追い風にモモアマンは海底を爆進する。デフォーもちょっと爆進する!
水中自動車スイムカーで海を謳歌するモモアマン&アンバー嬢。
◆話が尽きたので魚民の雄姿を発表◆
あえてケチをつけるなら 『マン・オブ・スティール』(13年)、『バットマン vs スーパーマン ジャスティスの誕生』(16年)、『ワンダーウーマン』(17年)と同じく140分オーバーという点は少し頂けない。
もっとも(死霊館トリオは時間の使い方がうまいので)本作の140分は特に悪くないが、これが常態化するとアメコミ映画は今よりさらに「映画」から遠ざかってしまうだろう。『ワンダーウーマン』とかマジで酷かったもんな。なんでもそうだが全体を見通せない奴ほど作品を長引かせるのだ。文章もそうで、文才がない奴ほど文字数が多い。ってオレのことじゃねえか!
どうやらDCEUは140分を基本としているようなので今後も140分台の肥満体的作品が続くだろうが、これだけは覚えておいてください。120分から1分増えるごとに強欲です。97分でスポンと終わった『スポーン』(98年)が懐かしい。どうしようもない映画だけど。
疲れてきたのでそろそろ評を終えるが、最後に各主要キャストの見せ場=魚民の雄姿を発表します。ひとつだけウソが紛れているよ。キミにそれが見つけられるというのかな?
魚民列伝① モモアマン
酒場で渋々ファンと記念撮影するうちに楽しくなってビールで乾杯。また、水をぶっかけると起動する装置に対して小便をかけるという妙案を思いつく(かしこい)。
魚民列伝② アンバー嬢
水を自在に操る能力で津波を堰き止めたりモモアマンを窮地から救うなど面目躍如のご活躍。花を食す。なおシチリアではワイン倉庫をだめにした。
魚民列伝③ デフォー
矛をぐるぐるさせて攻撃を弾き返す防御法「デフォガード」をモモアマンに伝授、パト王との決闘でその技を使ってくれたので嬉しいきもちがした。
魚民列伝④ ニコさま
開幕早々、水槽の金魚を丸呑みしてのける。コーヒーを与えられて美味しそうに飲む。灯台守と同じベッドでぐっすり眠る。というかニコさま出演シーンはすべて見せ場。ニコさま可愛い。ニコさまは永遠。ニコさま。ニコさま。
魚民列伝⑤ パト王
兄モモアマンと二度に渡って決闘する。デフォーとは監禁のさせ合いっこをした。「めざせオーシャンマスター」の作詞作曲をこなし、アトランティス民の前でリサイタルをおこなった(チケット料金は4500パトとさすがに高額)。
魚民列伝⑥ ドルフ・ラングレン
見せ場なし。
一番アクションしたがってるはずのドルフ・ラングレンだけ悲しいぐらい見せ場がなかったです。ざんねん。ただ水中で髪が揺れてただけ。
あと魚民のくせに水中で息苦しそうだった。
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