シネマ一刀両断

面白い映画は手放しに褒めちぎり、くだらない映画はメタメタにけなす! 歯に衣着せぬハートフル本音映画評!

名探偵ピカチュウ

ピカチュウの苦虫噛み潰し顔が憎たらし可愛い。

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2019年。ロブ・レターマン監督。ジャスティス・スミス、キャスリン・ニュートン、ビル・ナイ、渡辺謙。

 

子どもの頃にポケモンが大好きだった青年ティムは、ポケモンにまつわる事件の捜査へ向かった父ハリーが家に戻らなかったことをきっかけにポケモンを遠ざけるように。ある日、ハリーの同僚だったヨシダ警部からハリーが事故で亡くなったとの知らせが入る。父の荷物を整理するため、人間とポケモンが共存する街「ライムシティ」へ向かったティムは、自分にしか聞こえない人間の言葉を話す“名探偵ピカチュウ”と出会う。かつてハリーの相棒だったという名探偵ピカチュウは、ハリーがまだ生きていると確信しており…。(映画.comより)

 

おはよう、重力に屈した地上人たち。

重力といえば、メンズのヘアースタイルには毛を逆立てるパータンと逆立てないパータンがあるよね。短髪の男は逆立てがちだし、長髪の男は下ろしがち。

ことロックンロールの世界においては髪を逆立てるのがパンクスで、下ろすのがハードロックだ。パンクスたちは髪を逆立てることで「俺たちは重力に逆らっていくよ?」と反骨精神をアピール、ハードロッカーは下ろした髪にパーマネントを当てたり不潔なほど長く伸ばすことで「俺たちは社会に逆らっていくよ?」と不良分子であることをアピールするのである。

そも、髪型とは社会に対するアティチュードなのだ。

エルヴィス・プレスリーはリーゼント頭にすることでロックンロールの不良性を演出した。だが、のちにビートルズがマッシュルームカットで登場したことでロックにつきまとう「不良」のイメージは一変した。ビートルズのヘアースタイルは決して重力に逆らわない。しかもエアリーだ。

ちなみに私、ビートルズ自体は好きだが、日本のバンドマンや韓国の若手俳優に多いマッシュルームカットの人間が大嫌いで、そういうアタマを街で見かけるたびに男女問わず後ろから思いきりシバきたくなる。

「感情」ではなく「衝動」としてシバきたくなるのだ。わかるよね。目の前にチョコエッグがあったらとりあえずチョコを破壊して中のオモチャを見ようとするでしょ? それと同じだよ。とりあえずシバくんだよ。

あと「頭がそもそも丸いのにヘアースタイルまで丸い必要あるのか?」とも思う。自分でもよくわからない理屈だが、これが今の素直な気持ちだ。どうか遠慮せず受け取ってくれ。

ていうかマッシュルームカットのみんな、ごめんな。でも我慢できない。シバきたい。

そんなこって本日は『名探偵ピカチュウ』です。ピカチュウもシバきたい。

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◆映画ほったらかしてポケモン話◆

ピカチュウが嫌いだ。人に媚びる生き方を選んで野性のハングリー精神を忘れ、任天堂を儲けさせるためのマスコットになり下がった田吾作だからである。

ゲーム版・第一世代の鳴き声は「デンジャラジャラ…」みたいな電子音だったのに『ピカチュウバージョン』以降は「ピッカッチュ~♡」などとヤケにラブリィな鳴き声に変わった。人語でハッキリ発音してやがる。

あと進化の流れに逆らってるのも腹立つ。ライチュウに進化すると自我が消滅すると思っているのだろうか?

逆らうといえば、アニメ版ではモンスターボールに入らないという特別扱いをサトシに認めさせることでトレーナーとポケモンの主従関係を真っ向から否定。「僕はポケモンなんだ」というアイデンティティに逆らって人間と対等に渡り合おうとしています。このポケモン風情が!

また、気に入らないことがあるたびに「でんきショック」という大変危険な技でサトシを感電させてはしたり顔を浮かべるなど傲岸不遜の極み。あまつさえ感電したサトシは「トホホ…」などと情けない声を発するばかりで一向に叱る素振りを見せないのだ。そんなことだからピカチュウがつけあがるんだぞ。

そういえば昔、友人とタッグを組んでダブルバトルをしたとき、友人のピカチュウを「じしん」で敵もろとも沈めてやったことがある(ピカチュウは「じしん」で沈めるに限る)。その友人は「ひどい。なぜそんなことをするのか」と言ったが、その質問にはこう答えざるを得ない。

「私にとってピカチュウは抹殺の対象なのだ」と。

 

そんなピカチュウ嫌いの私が唯一受け入れられたのが本作のピカチュウだった。

ちなみにアニメ版のピカチュウは、見るたびに「今こいつに『ぶんまわす』をしたらどんな顔するだろう」とか「『すなかけ』をして困った顔を見たい」などと良くない想像をしてしまうのだが、『名探偵ピカチュウ』ではかかる邪悪な想像をすることもなく、むしろその渋い声と皺くちゃの顔に好感すら持ったのである。

さらに話は逸れるが、本作のピカチュウ像は「KAWAII」を理解しつつも「萌え」には依然無理解な欧米的感覚の産物であります。

あえて「あざとい」という語を誤用するが、現在のハリウッドではピカチュウ本来の媚びたような「あざとさ」は描出できない。本作を観た日本人観客の反応を見るにつけ「ピカチュウ超かわいい!」ともっぱらの評判だが、厳密にはピカチュウがかわいいと言うよりかわいいものに敏感(あるいは貪欲)な日本人がその一挙手一投足の中にかわいさを見出しているだけ。たとえば仲睦まじそうな俳優同士のツーショット写真を「萌え」に変換する楽しみ方を知っているように。

つまりKAWAIIリテラシーが高い人ほど楽しめる作品。ピカチュウは「…もぅ!」と言いながらも抱きしめたくなるような憎たらし可愛い顔してるし…毛サラサラだし…(この国では毛のある動物は自動的にかわいいとされます)。

ピカチュウの眉間に皺がグニュ~と寄ってる苦虫噛み潰し顔がたまらない。

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このグニュ~っとした苦虫噛み潰し顔、すてき。

 

反面、他のポケモンは結構きしょい。

毛のあるポケモンは総じてフェルトマスコットみたいな妙な質感だが、かわいさはまだ保っているとして…問題は毛のないポケモンたちだ。ベロリンガ、ゲンガー、ドゴーム、リザードン…。

なんというか、身体がヌルヌルしていて…皮膚の色素がモーレツに毒々しいのだ。「何かアカンもん吸ったん…」というぐらい体調悪そうな色をしている。あとミュウツーも顔きしょいです。

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誰がここまでリアルにせえ言うた。

 

それではここで『本編に登場した中で私がかわいいなと思ったポケモンランキングTOP3』をざっくばらんに発表。

 

3位 ブースター

映画後半でイーブイからブースターに進化する様子が一瞬だけ映る。

ポケモンを知らない人のために説明すると、イーブイというポケモンには8種類の進化先があって、これを称してブイズと呼ぶ。進化系8種は、タイプ、特徴、戦術がそれぞれ異なるが総合的な強さはだいたい同じ。

だが、総じて高い能力を持つブイズにおいてブースターだけが長年不遇な扱いを受けており、戦闘でもほとんど役に立たないことからネット上では「唯一王」の蔑称で呼び親しまれている。

そんなブースターだが見てくれだけは他のブイズに引けを取らない。本作ではわずか2秒の出演を許された! ぶぶい!

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毛もふもふの犬ころ。戦闘では「じしん」で沈められがち。

 

2位 カラカラ

本作で一番最初に登場するポケモンで、物語の世界観を説明するためのファーストシーンを立派に務め上げた。この子は1996年の第一世代(赤・緑)からずっといる古参。死に別れたママンの骨を被っていつも独りぼっちで泣いている孤独ポケモンだ。

不憫。ただただ切ないよ。なんて悲しいバックボーンなんだ。骨だけに。

また、ポケモンの世界にも「死」という概念があることを知らしめたのがカラカラである(第一世代のトラウマ、ポケモン霊園!)。

そんなカラカラはLv28でガラガラに進化、闘志溢れる孤高のファイターに育つ。なお、ポケモン図鑑にはこのようなガラガラの説明文があります。

母親に会えない悲しみを乗り越えたカラカラがたくましく進化した姿。鍛えられた心は簡単にくじけない

泣く。

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英語圏では「CUBONE」という名前なので劇中では甲高い声で「キューボーン! キューボーン!」と鳴きます。

 

1位 フシギダネ

映画後半に群れで登場、傷ついたピカチュウをミュウツーのもとまで導いて救ってあげた夢先案内人。第一世代においてゲーム開始時にパートナーに選ぶことのできる「御三家」の1つである。

背中に大きい種を背負ってのそのそ動くかわいい奴だが、最終進化系のフシギバナは難波のおばはんみたいな風体をしている。

懐かしいなぁ、フシギダネ。第一世代ではビジュアル重視&オラオラプレイング派のキッズは炎タイプのヒトガケを選び、予備知識のある賢いキッズはジム戦と四天王戦に有利な水タイプのゼニガメを選んだ。

他方、草タイプのフシギダネは進化にともない毒タイプが加わったことで弱点がやたら増え、さらには他の御三家の最終進化系であるリザードンとカメックスが覚えるような威力95の技を持たず、メインウェポンが威力55の「はっぱカッター」のみという随分な仕打ち(しかも命中率95%なのでたまに外す)。「だいもんじ」や「ハイドロポンプ」に相当する威力120の大技「ソーラービーム」もなぜか溜め技。

ふざけ倒せ。

それでもトリッキーな技で敵を翻弄するフシギダネは、当時小学生だった私に駆け引きのおもしろさを教えてくれました。ポケモンのゲーム性は知れば知るほど奥深くて…ふしぎだね(言うてもうた)

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短い足でぽちぽち歩くフシギダネたち。ちょくちょく後ろを振り返りながら歩く子や、天気を気にしながら歩く子など、じつに個性が豊かなんだ。

 

◆前半ノワール、後半アドベンチャーの謎構成◆

ようやく映画の話に入る。

簡単にあらすじを紹介すると、事故で生死不明のパパンを追う少年ジャスティス・スミスが、パパンの相棒であるピカチュウと協力して事故前のパパンが追っていた怪しい薬品をめぐる陰謀にぐいぐい迫る…といった激しくどうでもいい中身である。

ライアン・レイノルズが声とモーション・キャプチャーを務めたピカチュウは愛嬌こそないが愛想があります。中年特有のくたびれた哀愁をまとっていて、歩きたくないという理由からジャス坊の肩に乗って横着を決め込むようなふてこい奴だ。記憶喪失により電気技も出せなくなってるので「みんなが知ってるあのピカチュウ」としては完全に機能停止している。ピカチュウのイメージをゆるい感覚で脱臼させた新解釈おっさんピカチュウ。悪くないじゃないのサ!

また、『エブリデイ』(18年)では心にまったくジャスティスのないくそがきを演じていたジャスティス・スミスだが、本作でも特にジャスティスを見せる素振りはない。ただのスミスだった。

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ジャスティスなきスミス(左)、右は仲間のキャスリン・ニュートン

 

そんなジャス坊が訪れた「ライムシティ」はネオンに彩られ、煙に覆われた怪しい街。映画前半はナイトシーンに支配されている。事件、陰謀、夜の影…。

『名探偵ピカチュウ』はフィルムノワールを彷彿させる渋い映画だった。なんやこれ。

ピカチュウの顔なんてほぼエドモンド・オブライエンだしな。

エドモンド・オブライエン知りませんか。なんでよ。『殺人者』(46年)『都会の牙』(50年)といったノワール作品で活躍した俳優ですやんか。

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ピカチュウ俳優エドモンド・オブライエン。

 

まぁエドモンドの話はいいとして、往年のノワールが持つ暗く怪しいムードの中で『ブレードランナー』(82年)に代表されるSFノワールの街並みが描き出されていく。エイパムに襲われるまでのシーンはボガート×バコールの『脱出』(44年)を思い出したし、いかがわしいサングラスをかけた社長秘書に至っては『深夜の告白』(46年)のバーバラ・スタンウィックがモデルだろうか。

事程左様にポケモンというコンテンツの中にノワールの世界観を生み出す試みに「すごいことしよんな」と関心すると同時に「でも元々ポケモンってノワール要素あったよね」と思ってみたり。そこをうまく抽出したところにアメリカ映画の矜持を見たような見ないような見たような見ないような。

わけても白眉だったのはバリヤードのパントマイム尋問シーン。ノワールと笑いを融合させつつ、物語上のブレークスルーにもなっていて、最後は強烈なブラックジョークで落とす鮮やかさ。

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妙にきしょくわるいバリヤード。

 

そして映画後半は陽射しが降り注ぐ中でのアクション・アドベンチャーのつるべ打ち。

アドベンチャー廃絶論者の私には眠くてしょうがないシーケンスが続くが、世間的にはウケてるようなので結果オーライというか、俺以外オーライなのだろう。

研究所でゲッコウガに襲われる『エイリアン』(79年)的密室ホラーのあと、超巨大化ドダイトスの甲羅の上を舞台にした天変地異スペクタクルへともつれ込み、決戦の舞台はポケモンパレードがおこなわれる都市の中心部へ。無理くりノワールと言えなくもない『バットマン ビギンズ』05年)よろしく特殊な毒ガスが街を覆う。

ピカチュウとミュウツーの空中戦はスマブラを観戦してる気分になれます。

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そしてこの顔である。

 

◆ビル・ナイ、やるせナイ◆

少し気になる点もある。賞賛の声が多い中、一部では「単純なストーリーなのに分かりづらい。キャラも掘り下げ不足」と指摘されているが、問題はそこではない。大体ノワールの筋なんてわざと難解に作られているし、キャラなんてもんは掘り下げないことが鉄則だからな。

先述したライムシティの都市造形やバリヤード尋問シーンのように、ポケモンとノワールの一見ミスマッチな感じを巧みに異化しつつも、時おりただのミスマッチに終わっている点が残念だったんだ。たとえば非合法でおこなわれている地下バトル。あれなんかはシーン単体として見れば楽しめるが前後の映像的脈絡からはずいぶん遊離している。やたらフラッシーだし。だけどポケモンバトルを見せる以上はどこかのタイミングでこういうシーンをねじ込まねばならないという大人のジレンマ。

結局、映画はジレンマを解消できずアドベンチャー路線に舵を切る。だから後半はガラッと雰囲気が変わって普通のポケモン映画に汎化する。急に大地が割れ始めたと思いきやドダイトスの甲羅の上だった!というスペクタクルシーンでは「もうノワールやめ。むり」という製作側の声が聞こえたような気がしたな。

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どんどん「普通のポケモン映画」になっていく。

 

黒幕のビル・ナイ過去の出来事をホログラムにする技術をやたら多用して説明台詞をくっちゃべる。このホログラムは演出上のフラッシュバックに当たるものなので、そこに凭れ掛かったストーリーテリングは自ずと鈍重になります(これとは別に本来のフラッシュバックも多用される)。

また、編集がモタつき気味なので一つひとつのシーンが恐ろしく間延びしている。研究施設でゲッコウガに襲われるまでの冗長なこと。それにグッタリしたピカチュウがフシギダネの群れに運ばれていく場面だけで何分使うんねん、みたいな。

上から降ってきた小石を腹に受けただけでグッタリするピカチュウも脆弱すぎていやだった。「その程度で瀕死になってたらこの先やっていかれへんで」と余計なことを思ってしまいました。だって小石て。。。

 

車椅子のビル・ナイがミュウツーの精神を乗っ取ることで健康な身体を獲得しようとする独特な野望は面白かったけどね。

しかもビル・ナイは、吸引することで人間とポケモンの精神が入れ替わる独特なガスをまき散らす。これによって人類をネクストステージに押し上げるという独特な理論を振りかざすのだが、理屈がさっぱり分からないという独特の悪役であった。

また、物語後半ではピカチュウの身体にも「ある人物」の精神が封じ込められていることが明かされ、ラストシーンでは身体と精神がちゃんと元通りになるので、どうやら本作には「身体の獲得」という押井守やクローネンバーグみたいな裏テーマが底流しているようです。どうでもいいけど。

そんなビル・ナイが頭に付けた「精神乗っ取り装置」という独特な装置をあっさり外されてブッ倒れるシーンは最高だ。脇甘すぎて笑う。たとえミュウツーの身体で暴れても本体がガラ空きなんじゃあねぇ。ビル・ナイ、やるせナイ。

 

そんなわけで、本作の楽しみ方は次々にフレームインするポケモンを「あ」とか「お」とか言いながら見つけては喜ぶ。以上。

あとはピカチュウの一挙手一投足にかわいさを見出しておけばよい。さらに余裕のある人はジャスティス・スミスと渡辺謙のまったく噛み合わない芝居を楽しもう(あくまでラフに演じるジャス坊に対してケン・ワタナベは弩シリアス)。

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「くらァ!!!」

 

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