シネマ一刀両断

面白い映画は手放しに褒めちぎり、くだらない映画はメタメタにけなす! 歯に衣着せぬハートフル本音映画評!

盲獣

奥さん、触覚芸術が狂い咲きますよ!

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1969年。増村保造監督。船越英二、緑魔子、千石規子。

 

盲目の彫刻家・蘇父道夫は女性タレント・島アキを拉致し、彼女の彫刻を作ろうとする。初めは抵抗していたアキも、次第に彼との奇怪な同居生活にのめり込んでいく…。(Yahoo!映画より)

 

おはよう、スマホ依存者のみんな。

かくいう私はコンピュータ依存だからイーブンだな。勝負はここからです。

年末の予定がぐちゃぐちゃになってきました。予定が出来たり、潰えたり、復活したり。入違ったり、取違ったり、勘違ったり。韓国の宮廷ドラマかってぐらい目まぐるしいです。

あと、私は京都在住なのだが…最近この街の人間が私に対してすごく温かい。

近所でたまに見かける人民たちとほくほくした交流を築いているのです。

街でよくすれ違う二重のおっさんとは軽く挨拶する間柄になったし、スーパーのおばちゃんは3割引きの商品を5割引きにしてくれるようになった。こないだなんかはコンビニエンスの姉ちゃんがチキンを無料にしてくれたのだぞ(あのチキンをだぞ!)。

なんてハートフルな街なんだ。祇園祭の喧騒でイラついてるときは 戦車を使ってどうこうとかヒドいことを言ってしまったけど、基本的にこの街の人民は温かいです!

それともアレか、すべて私の圧倒的人徳のなせる業なのかなー。サイバースペースでは「バカなのに気難しい男」として嫌われている私ですが、最近はサイバーよりリアルが充実しております。

大体なぁ、ネットとかブログとかくだらないのよ。そんな閉じた世界で身をやつすぐらいなら外に出よう。生身の人間と交流しよう。It's A Beautiful World!

…と思ってウキウキしながら街に繰り出した途端、チーマーに絡まれて袋叩きにされました。生身の人間はこわい。

そんなわけで本日は『盲獣』です。

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◆触覚芸術論◆

増村保造リターンズ第二弾だよ。文句あるなら来て。まぁ、それも今回で終わりだから安心するがよい。 しばらく増村とは距離を置きます。

さて、本作は江戸川乱歩の原作を映画化した1969年の作品である。

この時期の増村は『痴人の愛』(67年)『でんきくらげ』(70年)など、いかにも俗っぽい低予算アングラ映画に傾斜、キワモノ監督として大いに鳴らしたが、全盛期のようなフィルムの殺傷力は失われていた。それもこれも大映倒産による若尾文子とのタッグ消滅が原因であろう。

そんな増村のアングラ路線を代表するのがこの『盲獣』

主演の緑魔子は「若尾の季節」以降の増村作品でミューズを務めた安田道代や渥美マリを圧倒する存在感を見せつけた。緑魔子という字の連なりの蠱惑的な響きといったらない!

共演は増村作品の常連・船越英二(当時46歳)。トウが立ってやや老けたが、本作では甘いマスクを脱ぎ捨ててキャリアハイの怪演を見せつけております。

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60年代末から世界中でキッチュな役者が流行り出す。緑魔子もその系譜。

 

ごく控えめに言って狂った映画である。

盲目の彫刻家である船越英二はマッサージ師として人気モデルの緑魔子に接近、ママン・千石規子の協力のもと魔子を自宅アトリエに監禁した。彼の目的は何か。

身代金? ノン。

快楽殺人? ノノン。

健常者への逆襲? ノノノン!

「触覚芸術」なる思想を具現化するためである!(イエス!)

だが魔子は「パードゥン?」と呟く。理解できないのも当たり前だ。

生まれながらの盲ゆえに社会からハミゴにされてきた船越は、残された感覚機能のなかで最も愉悦を感じられ、かつ自分と世界を結びうるものが「触覚」だと結論した。とりわけ生き物の肌触り、それも女の肌こそ至高と考えた船越は、この世に「触覚の芸術」が存在しないことに疑問に思う。目で楽しむ絵画や、耳を使う音楽は存在する。また料理は味覚や嗅覚を大いに悦ばせる。しかし触覚を通じて悦びを得る芸術は存在しない…。

触覚の可能性を追求すべく彫刻家となった船越は、手の感覚だけを頼りに作りあげた女体の彫刻=触覚芸術の創造・確立を目指すのだったッ!

だが作品制作のためには生身の女に触れねばならない。船越は熟考の末、タダで女の肌を触れるマッサージ師の副職を得、数々の女を触ってはその記憶をもとに彫刻を制作した。

そんな折、人気モデル・魔子の存在を知った船越は「か、彼女こそ…ボクが長年追い求めてきた究極の肌…アルティメット・スキンの持ち主だ。彼女を彫刻のモデルにしたい!」と欲望する―…。

で、ラチった。

魔子を閉じ込めたアトリエの壁は、目、鼻、耳、口、腕、足、乳房といった女体パーツの彫刻で埋め尽くされていた。そして部屋の中央には横たわる女の巨像。

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気の触れたアトリエ。

 

り、理解できる…。俺には船越の芸術思想が十全に理解できるぞ。触覚を介した芸術分野の確立とは恐れ入る。船越の芸術論はたいへん興味深く、聞けば聞くほど「アリじゃね」と思えてきちゃうンである。

だが魔子は相変わらず「パードゥン?」などと首を傾げており、「やめてよ、帰してよ、解放してよォー!」と騒いで犬ころのように逃げ出そうとする。だが船越は、まるで目が見えているかのように正確無比かつ迷いのない動きでシュババババっと高速移動をして魔子の行く手を遮る。

逃がしませんよ。貴女のアルティメット・スキンを活かせるのは僕だけなんだ

ここで船越のスペックを紹介せねばならない。

 

~触覚芸術のパイオニア・船越英二~

【攻撃力】A   【防御力】B

【素早さ】A   【変態性】A

【 嗜好 】女の肌 【 人物 】マザコン

【 弱点 】ママン 【 備考 】童貞

・盲ゆえに全身の神経がやたら研ぎ澄まされている。触れただけでそのモノの様子や有様がすべてわかる(船越感覚)。

・皮膚の匂い、呼吸の音、空気の流れを読むことで魔子の位置が正確にわかる(船越レーダー)。

・彫刻刀を所持していることから高い攻撃力が期待される(とりわけ最も殺傷力の高い三角刀を好む)。

・好きなパーツはおっぱいかと思われるが、必ずしも性欲によるものではない。

・ママンのことを深く愛している。

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なかなかの強敵である。

魔子は無事にアトリエから逃げ出すことができるのか? 触って楽しい、観て楽しい、脱出ゲームの始まりだ!

 

◆触覚の本質は痛みと快楽にあり!◆

物語の屋台骨がこんな感じなので必然的に密室劇となる。舞台はほとんど船越の自宅。

船越がママンと暮らす居間とアトリエの中だけで繰り広げられる脱出劇なので、ひとまず『パニック・ルーム』(02年)『SAW』(04年)のようなシチュエーション・スリラーを想像してもらえばいい。

とはいえ乱歩×増村、凡百のシチュエーション・スリラーに終わるはずもなく。本作は脱出を試みるヒロインを通して「状況」を描いた作品ではなく、あくまで「状況によって変わる人間」を描いた文芸作品なのである。

 

この映画がおもしろいのは二転三転する物語の主題だ。

当初の魔子は逃げ出したい一心で船越親子をあの手この手を騙しては脱出の隙を窺うが、それが叶わぬと知った途端、態度を変えて船越を誘惑する。船越親子を毎日観察していた魔子は、やがてママンが船越のことを狂的に溺愛しており、船越もまたママンに依存していることを看破する。この親子はまるで愛し合う恋人同士なのだ!

ゆえに魔子は、女性経験のない船越をたぶらかすことでママンの嫉妬心を煽り、二人の連帯を突き崩そうと企むのである。これぞ増村作品の醍醐味。若尾文子が幾度となく体現してきた悪女の処世術だ!

秘策は功を奏した。ママンは乳繰り合う船越と魔子にすっかり機嫌を損ね、ついには船越が留守の間に魔子を逃がそうとする。

おまえは息子を堕落させる。どこへでも行っちまいな!

これ好機とばかりに魔子が逃げ出そうとした矢先に運悪く船越が帰宅したことで、物語はシュールな修羅場を迎える。ママンの裏切り行為に戸惑う船越、親子を仲違いさせようとする魔子、逆上して魔子の首を絞めるママン。

その後、魔子に侮辱されて暴走モードに入ったママンを制止しようとした船越は思わずママンを突き飛ばしてしまい、後頭部を柱にしたたか打ちつけたママンは「にゃ」と言って事切れてしまった!

もうむちゃむちゃやんけ。

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特に必要はないがママンのスペックも紹介しておく。

 

~親ばかパトロン・千石規子~

【攻撃力】B     【防御力】C

【素早さ】C     【変態性】C

【 嗜好 】息子の幸せ 【 人物 】度し難い親ばか

【 弱点 】後頭部   【 備考 】「にゃ」

・息子のために全財産を投じてアトリエを作り、創作活動のみならず拉致まで手伝うきちがいばばあ。

・愛する息子がほかの女にたぶらかされるのが我慢ならず、次第に魔子を憎悪するように。

・朝晩二回、アトリエに二人の食事を運んでくる炊事担当。

・魔子と口論して「息子を手元に置いて自立を阻む、独占欲だけの害悪ばばあ」と論破されたことにブチ切れ「ちくしょー」とわめきながら魔子の首を絞める。ばばあとは思えぬ凄まじいパワーで魔子を圧倒するも「やめろー」と割って入った船越に突き飛ばされ壁に頭をしたたか強打したのち速やかに昇天。

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魔子VSばばあのハードアクション。

 

映画も後半に差しかかったが、ここから物語はよりドラマティックになる。

ママンの死によって船越はマザコンから解放され、魔子は魔子で脱出が叶わないと諦め、二人は真っ暗なアトリエでセックスに狂った。セックスこそが触覚を使った究極の営為だ。昼夜問わず暗いアトリエで肉欲に溺れるうち、やがて船越は作品制作のことを忘れ、魔子は視力が衰えて盲と化した。目と引き換えに全身の神経が研ぎ澄まされた魔子は船越と同じ境地に達し、モノに触れただけでそのモノの様子がすべてわかる「触覚の天才」となった。

やがてセックスでは飽き足らなくなった二人は互いの身体を激しく傷つけ合うことに悦びを見出すようになる。痛みこそが究極の触覚エクスタシーなのだと言わんばかりに!

はじめこそ互いの身体から血が出るほど噛んだり引っ掻き合っていた二人だが、そのうちセックスをしながら顔が腫れるまで殴り合うようになり、やがて際限を知らない欲望は、ついに二人に彫刻刀を握らせた…。

切る! 突く! エグる!

女の巨像のうえで息も絶え絶えの二人は出血多量で衰弱しながらも、なお快楽を求め続ける。

完全に飛んだ魔子は「楽しい! 楽しい! 楽しい!」と絶叫しながら血だらけになり、ついに船越に対して「私の手足をバラバラにして! 究極の快楽の中で死んでいきたいの! ははは!」と懇願する。合点まかせろと二つ返事の船越は、出刃包丁を魔子の身体に押し当て、その上からハンマーを振り下ろし四肢を切断。乱歩の『芋虫』よろしく達磨状態になった魔子はオーガズムに達しながら絶命! そのあと船越も包丁で自害し、あとには暗闇だけが残った―…。

すばらしいハッピーエンドですね。まさに盲の獣と書いて『盲獣』。ぜひ小さなお子さんと一緒に鑑賞されたい乱歩×増村ワールド! ぐちょぐちょ!

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 ハイになって 灰になって 死ねるのが最高!

 

◆増村保造は観ても観なくても幸せ◆

先ほど「この映画がおもしろいのは二転三転する物語の主題」と言ったように、監禁に始まった本作はサスペンスフルな脱出劇変態的な芸術論屈折した親子関係性的倒錯を経由したのち自虐/嗜虐の快楽という地獄の終着点に辿り着く。

密室が舞台にも関わらず、ここまで生臭い人間の業を描破した増村入魂の後期傑作『盲獣』はあまりに目まぐるしい。それぞれに役割を担った物語の主役は、船越(芸術)→魔子(社会)→ママン(家族)と順繰りに入れ替わり、最終的には愛の自閉的世界へと収斂されていく。

かかる自閉世界で描かれていることは「快楽のために互いを傷つけ合う関係性」である。これって色恋の本質ではないかしらね。自らの欲望のために他者を傷つける行為が美徳という名のオブラートに庇護されているのが恋愛なのだから。

したがって本作は究極の恋愛映画である。

そこに至るまでに「セックス」を描いているのが偉大だと思った。ママン殺しのあと、二人は肉欲に溺れる。船越に至っては、あれほど声高に叫んでいた触覚芸術を忘れるほどセックスにのめり込む。

このシーンの船越を見て、私はとてもガッカリしたのね。色に狂い快楽の奴隷と化したとき、彼は凡人に堕ちたのである。芸術の敗北。映画冒頭では「船越の芸術思想が理解できるゥー」などと騒いでいた私もさすがにこれにはドッチラケだ。

色に狂って芸術の道から逸れるというのは、とかく表現者を失格させる落とし穴である。

映画、音楽、文学…それに芸能界を見ても明らかだろう。一体どれだけの才人が性のスキャンダルで破滅したことか!

畢竟、性に溺れて失格した船越は真の芸術家にはなれなかった。

一方、スーパーモデルの魔子は、元来「芸術の素材」として画家や写真家に使われる身だが、結局は船越とともに破滅し「芸術の生贄」と化してしまう。

もっとも、諸悪の根源は船越のママンなのだが。あまりに倒錯した親バカゆえに、その支援が表現者とその素材を殺してしまったのである。

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フランシス・ベーコンの絵画のように絡み合う肉体。

 

撮影は『妻は告白する』(61年)『赤い天使』(66年)小林節雄『陸軍中野学校』(66年)『痴人の愛』(67年)『でんきくらげ』(70年)も手掛けており、中期以降の増村作品を支えた名カメラマンである。

四肢を切断される魔子を直接映さず、彼女をモデルにした彫刻像の同部位が切断の振動で床に落ちる…という比喩法を用いて彼女の死を劇的に演出した。怪演を見せる二人を粘り気のある長回しと肉感豊かな構図におさめる手腕も確かだ。

また、乱歩のエログロをどこまで視覚化するべきか…という線引きを商業ベースで考える脳もある。これ以上グロを見せてしまうと客が入らない…という寸でのところでゴア描写を回避するスリル。わかるけ。緑魔子の乳首は見せるが四肢切断は見せない。血糊はこの角度からこの量だけ撮る。船越のきちがい演技はこれ以上使わない…など細かく計算されていて、絶妙なバランスの上に「ギリギリ誰でも観れる映画」に仕上がっている。だから小さなお子さんも積極的に鑑賞されたい。

 

最後にこれだけ言い添えておくが、増村作品は危機的におもしろい。

迷惑なほどおもしろいとも言える。増村作品が迷惑なのは、連続的に観ていると感覚が麻痺するためである。「これをおもしろいと感じてしまうと他のいろんな映画が退屈に感じてしまうぞ」という妙な危機感に襲われるのだ。

増村作品を観た人間は観たことのない人間よりも確実に幸せだが、と同時に、観たことのない人間もまた観た人間よりも幸せなのだ。

結論、増村保造は観ても観なくても幸せ。

どういうことだろうか。

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