シネマ一刀両断

面白い映画は手放しに褒めちぎり、くだらない映画はメタメタにけなす! 歯に衣着せぬハートフル本音映画評!

ゴールデン・リバー

アホ満開のウエスタン・ファンタジー。

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2018年。ジャック・オーディアール監督。ジョン・C・ライリー、ホアキン・フェニックス、ジェイク・ギレンホール、リズ・アーメッド。

 

ゴールドラッシュに沸く1851年、最強と呼ばれる殺し屋兄弟の兄イーライと弟チャーリーは、政府からの内密の依頼を受けて、黄金を探す化学式を発見したという化学者を追うことになる。政府との連絡係を務める男とともに化学者を追う兄弟だったが、ともに黄金に魅せられた男たちは、成り行きから手を組むことに。しかし、本来は組むはずのなかった4人が行動をともにしたことから、それぞれの思惑が交錯し、疑惑や友情などさまざまな感情が入り乱れていく。(映画.comより)

 

毎度おおきに。

見ててイライラするダンスはパラパラ。おちょくられてる気がするのだ。

もし買い物帰りの私の前にギャルが現れてこれ見よがしにパラパラを踊り始めたら大根で殴りつけてしまうと思うし、もし私がパラパラコンクールの審査員を務めたらEメールで全員失格の旨を主催側に伝えると思う。きっとギャルたちは悲しむだろうけど、悲しみの先にこそ喜びがあるとオレは思ってる。

そもそもギャル自体がめっきり減ったでございますな。巷ではギャル絶滅論なるものがまことしやかに囁かれているけれども果たして本当にそうなのだろうか。

ちなみに私が思い描くギャルのイメージは「あまり品がない、とんだ跳ねっ返り、写真を撮るとき俯く」。これらすべてに該当する人物が一人いる。私であった。品のない跳ねっ返りだし、写真嫌いゆえにすぐ俯く。うむ、私で間違いない。ギャルとはほかならぬ私自身だったなあ。ちょべりばー、とか言った方がいいのだろうか。とりま渋谷でオケってくる。

そんなわけで本日は『ゴールデン・リバー』です。どうでもいいけど、たった今ゴールデンレトリバーを抱きしめたいと思った。

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全ライリスト、全ホアキニスト、全ジェイカー必見の作◆

ゴールドラッシュを題材にした映画といえば私の生涯ベスト30にも入っている『黄金』(48年)しかあるまい。一攫千金を狙う採掘者たちの腹の探り合いを胃痙攣起こすような迫力で描いたジョン・ヒューストンの最高傑作だ(あのハンフリー・ボガートが姑息で強欲な男を演じている)。

ゴールドラッシュとは新たに発見された金脈に人々が群がる現象のこと。いわば早い者勝ちの金採りゲームのことだな。

ゴールドラッシュは19世紀頃に世界中で発生したが、最も有名なのは1848年にエルドラドで砂金が発見されたことに端を発した「カリフォルニア・ゴールドラッシュ」だろう。このニュースはたちまち世界中に広まり、一攫千金を夢見るアメリカンドリーマーが30万人以上カリフォルニアに殺到した。坑夫、商人、ならず者、いちびり…。命知らずのドリーマーたちは金脈のためなら虐殺行為や環境汚染も厭わない。金に狂って欲望を剥き出しするさまはアメリカンドリーマーというよりゴールデンクレイジーであった。

そんな人間の醜さを炙り出した『黄金』のほかにも、チャップリンの『黄金狂時代』(25年)や、ペキンパーの『昼下りの決斗』(62年)などもゴールドラッシュを背景をした作品だ。

押し並べて言えることは人々が掘ったものは金じゃなくエゴだったということだな。

 

そこで本作『ゴールデン・リバー』。アメリカ西部になんの思い入れもないであろうフランス人のジャック・オーディアールが監督を務めていることから分かるように西部劇正史からは大きくかけ離れた作品である。

主要キャストはジョン・C・ライリーホアキン・フェニックスジェイク・ギレンホールリズ・アーメッド

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そしてもう一人…

 

 

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ジョン・C・ライリー。

 

ようやくライリームービーを扱う日がきましたか。

まずこれだけは言っておく。人はジョン・C・ライリーを見るために働いたり結婚したり家を建てたりする。

つまり人生の意義とは「ジョン・C・ライリーを見ること」にほかならないわけだ。低俗なJ-POPでは「キミに会うために生まれてきた」などと狂ったことを歌ってるが、違う、ジョン・C・ライリーを見るために生まれてきたのだ(認めた方がいい)。

独特の味わい深さが売りのジョン・C・ライリーはかつてブラウン管テレビの上に置かれていた熊の置物を思わせる俳優であり、90年代以降のアメリカ映画には欠かせないバイプレーヤーである。そのおはぎみたいな風貌とドッシリした巨体から「一人鉱山」の名を欲しいままにしており、あえてカテゴライズするなら「鉱物系男子」に分類される。

そして本作は、原作小説に惚れ込んだライリーが自ら映画化権を買い取り「おれを出せ」と条件を付けてオーディアールに監督を依頼した。したがって紛うことなきライリー映画なので全ライリスト必見の作となっているが、それだけではない。嬉しいことに全ホアキニストおよび全ジェイカーにとっても必見の作となっているのだ。なんて嬉しいんだ。

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リヴァー・フェニックスの弟として知られるホアキン・フェニックス(左)、リヴァー・フェニックスとは赤の他人として知られるジェイク・ギレンホール(右)。

 

さて、気になる中身を紹介しよう。

殺し屋兄弟のホアキン&ライリーは「提督」とよばれる権力者から化学者のリズ・アーメッドの確保を命じられてオレゴンを発つ。黄金を識別する化学式を発見したリズをふん捕まえて化学式を聞き出そうという腹だ。

ちなみに提督役は2019年7月に亡くなったルトガー・ハウアーのおじき(代表作は『錆びた黄金』『ヒッチャー』『グレート・ウォリアーズ/欲望の剣』など。なに『ブレードランナー』? 聞こえなーい)

一方、マートル・クリークの街では提督に雇われた伝令係のジェイクがリズの動向を観察していた。ジェイクの仕事は殺し屋兄弟にリズの居所を知らせること。ところがリズに話しかけられたことで思わず意気投合してしまったジェイクは、提督や兄弟を裏切ってリズと共にカリフォルニアを目指すことに。リズは民主主義思想に基づいた理想郷を実現するために金を採ろうとしており、その立派な志に触発されたジェイクは兄弟に誤情報を流してリズを救おうと一計を案じた。

…と、ここまで読んで、おそらく読者諸兄の脳内におかれましては「ジェイクとリズVS殺し屋兄弟」という敵対構図が出来上がったかと思います。理想郷を実現すべくカリフォルニアを目指すジェイク&リズとそれを追いかける悪逆無道のホアキン&ライリー…という西部劇正史に適った追跡劇の構図がな。

崩していくよねぇ

オーディアールは。西部劇の正統性を。フランス人だから。

迎撃作戦に出たジェイクは、兄弟がイビキをかいて野宿しているところを闇討ちして拘束することに成功したが、翌朝リズを狙う刺客が大挙襲来。助かる道は兄弟の縄を解いて4人が力を合わせることだけだった…。

といった中身である。はっきり言ってむちゃむちゃ面白いです。

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端的に画面が濃い。

 

◆アホばっかりでした◆

西部劇には明確に「撮るべきもの」が3つある。馬、時代、風景。この3つをカメラにおさめることでフロンティアが亡霊化され、アメリカ人の郷愁となる。それを人は西部劇と呼ぶ。

だがフランス人監督のオーディアールからすれば「おれ関係あれへんがな」てな具合だったのだろう。それでなくともライリーに「撮って」と言われて撮っただけの雇われ監督なのだ。

したがって本作では馬も時代も風景も撮られていない。オーディアールが撮ったものはただひとつ…。

人。

…人間のこと。僕たちのこと。人生をより良くするために健康に留意しながら日々労働に汗したり趣味や色恋に没頭しては泣き笑いのエブリデイを意欲的に重ね、あわよくば嫌いな人間を陥れたり濡れ手で粟を狙うようなこざかしいマネをする生き物。好きな言葉は「愛」、「希望」、「信じる」、「半額」、「初回特典」など多数。

 

そう、この映画で撮られているのはメイン4人のみである。もはや西部劇というよりヒューマンドラマの範疇だ。

とは言っても見てくれだけは一丁前で、バカがボーッと見て「一風変わった西部劇だなー」と思うほどには一端の西部劇を装ってはいるが、その実態は追う者/追われる者をカットバックしながら「4人の人間性」を描いた反西部劇なのである。

たとえば、殺し屋にも関わらずホアキン&ライリーの人好きのする人物造形はどうか。

大酒飲みのホアキンは事あるごとに意識を失ってボテッと落馬したり、刺客に囲まれ絶体絶命の状況だというのに「気持ち悪い…」と言って景気よく嘔吐するようなひょうろく玉。

その酒癖の悪さにウンザリしているライリーはひとまず常識人と言えるが、やはりどこかズレている(殺し屋に常識人というのもおかしな話だがな)。初めて目にした歯ブラシが大層気に入ったライリーは隙あらば歯をみがいて虫歯予防の鬼と化す。また、山で野宿をすれば蜘蛛が口内に忍び込んで翌朝パンッパンに顔が腫れるなど、口周辺のエピソードには事欠かない大マヌケ。

事程左様に鈍臭い二人であるが、撃ち合いになると急に目つきが変わり、自慢の早撃ちと抜群のコンビネーションで幾度となく死地を潜り抜けてきた百戦錬磨のガンマンなのだ。このギャップがたまらなくいい。魅せるじゃないのさ!

f:id:hukadume7272:20191222205504j:plain親の仇みたいに歯をみがき散らすジョン・C・ライリー。味わい深いな~。

 

縄を解いてもらった兄弟はジェイクに加勢して瞬く間に刺客を全滅させた。その気になれば標的のリズと裏切者のジェイクを殺すことなど朝飯前だったが、情に厚いのか、それともただのバカなのか、もはや兄弟の頭に二人をどうこうするという発想はなかった。

かくして4人は「金を見っける」という同じ目的のもとに連帯を築き始める。山にテントを張り、川で泳ぎ、夜は焚火を囲う。なんなら酒も回し飲みする。ホアキンとジェイクは犬猿の仲だが、リズとライリーが二人の間を取り持つことで辛うじてチームワークが維持されているようだ。お前らはエアロスミスか?

まぁ、こんな調子で映画中盤が過ぎ去っていく。

事ここに至って「追う者/追われる者」という西部劇的構図は息絶えて、敵対関係にありながらも互いを信じて協力し合う…という世にも不思議なマジカル西部劇が始まるのである。

要するにほぼ『サンダーボルト』(74年) です。

そして『黄金』のアンチテーゼでもある。

この映画は、有史以来ひとびとの欲望が最も肥大化したゴールド・ラッシュという狂った時代にあって「私利私欲」とは対極の価値観が押し出されたウエスタン・ファンタジーなのだ。

 

さて。リズが見つけた化学式とは川底に眠った金を化学反応で光らせる薬品のことだった。夜間に川に流し込めば水中の金がピカピカ光り出すという優れものだが、いかんせん皮膚が爛れるほどの劇薬。手早く金を回収せねば全員死ぬる。

回収作業が始まると、川に足を浸けて「皮膚いってー」とわめきながらも金をザクザク取った一同だったが、欲を出したホアキンが薬品をドラム缶ごと川に流そうとして中身をぶちまけてしまい「痛ったぁぁぁぁい」と絶叫。原液を浴びてしまったのだ(笑うべきシーンではないが…なんか笑った)。その液体は川に浸かっていたジェイクとリズも蝕み、ライリー以外の全員が瀕死の重傷を負ってしまう。

 

ま、こんな感じの映画だな。

※最後まで喋ってしまうと勝手に観た気になって映画を観ない奴が出てくるので(Gさんみたいに)、ここから先の展開は詳しく書かないことにする。気になるなら映画を観ろ。Gさん。こら。だめでしょ。Gさん。こら。観ろ。G。こら。

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楽しそうに焚火囲っちゃって。

 

西部劇をルーツに持たぬ監督ならではのポップさ

本作はジョン・フォードの『捜索者』(56年)の裏返しだと思った。

戦う契機を奪われた兄弟は拍子抜けしたまま我が家に帰る。「安寧を得たアウトロー」という語義矛盾のうちに映画は終わりを迎えてしまうのだ。物語上はハッピーエンドだが、戦いに身を投じる二人にとってはアンハッピーエンドなのかもしれない。

理想郷を夢見たリズと、その理想論に呑まれたジェイクの末路も憐れ極まりない。この物語には一応のハッピーエンディングが用意されているが、実のところは誰一人ハッピーになっていないという苦味がエンドロールに瀰漫している。たとえば身体の欠落。ライリーの愛馬は熊に左目を潰され破傷風で死んでしまうし、ある者は片腕を失い、またある者は皮膚がボロボロに焼け爛れる。馬や腕を失ったガンマンなど生ける屍同然であり、この「機能障害」が第一幕で元気よく追いかけっこをしていた追跡劇のコントラストとなっている。

こうしたフォード的正統性に対する意趣返しには現代の西部劇に見た光明と同時に過去の西部劇を見捨てたかのような身振りが窺える。ことによるとオーディアールは我々が思っている以上に西部劇に無関心だったのかもしれない。

私が気に入ったのはメッセージ性があるようで無いことだ。

もっとも、終始人間しか撮っていないのでメッセージもヘッチーマもないわけだが、とにかくこの映画は純度100パーセントの人間ドラマである。やれ映画の背景だのメッセージ性だのといったケバい装飾品で映画本来の姿が汚されることはない。

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千度いちびった末に薬品をぶちまけたホアキン(やけにグッタリ)。

とはいえ鬱々とした映画ではないので安心されたい。

第一幕では適度なユーモアを絡めたバディムービーとして、第二幕では射幸心に満ちたほのぼのシーケンスが観る者に朗らかな笑顔を提供します。それゆえに悲惨な第三幕が強いインパクトを残しもするが、ラストシーンでは我々の顔に再び朗らかな笑顔が舞い戻るであろう!

いかにもデタラメな足取りでフィルムを徘徊するような変態テリングと、ライリー×ホアキンの漫才コンビのごとき掛け合いが抜群に心地いい。すでに西部劇が撮り尽くされたから現代だからこそこんな変態テリングが成立したんだろうな。

そして西部劇をルーツに持たぬ監督ならではのポップさ!

これが本作最大の魅力だと思う。もともと西部劇というのは自閉的かつ排他的な映画ジャンルで、一見さんを寄せつけない様式と格調がある。あまつさえレオーネやイーストウッドが「みだりに撮るな」と殺気を放ったことで、人はますます西部劇正史への接近を躊躇ってしまうのだ(フォード観ない問題)

そうした西部劇的殺気とは無縁のところで陽気にブギを踊っているのが『ゴールデン・リバー』なのである。

たとえばホアキン・フェニックスとジェイク・ギレンホールのいがみ合いがとことん微笑ましい。ぶきっちょな手つきで歯を磨き続けるジョン・C・ライリーがヤケに愛くるしい。ていうか話が単純におもしろい。そんな語彙全壊のドグサレ賛辞に対して「サンキュ!」と愛想よく手を振ってくれるほどポップな映画なのである。

いやはや、西部劇を背負わぬ監督の撮った西部劇とは斯くも自由闊達なものなのかー。

 

ルトガー提督は死体役でのみ登場します。

提督暗殺を企てたライリーが棺の中の提督を見て「死んどるやないか」と拍子抜けするも、もしかして死を偽装しているのでは…と勘繰って遺体をドン!って殴るシーンは全ライリスト必見。

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クテクテになりながらの昼飲み。

 

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