シネマ一刀両断

面白い映画は手放しに褒めちぎり、くだらない映画はメタメタにけなす! 歯に衣着せぬハートフル本音映画評!

坂道のアポロン

無作為鑑賞法のすべてを教えましょう。

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2018年。三木孝浩監督。知念侑李、中川大志、小松菜奈。

 

親戚が住む長崎県佐世保市のとある町へと越してきた、高校1年生の西見薫。周囲に心を開かずにいたが、ひょんなことから同級生で町のレコード屋の娘・迎律子と、素行の悪さで有名な川渕千太郎と言葉を交わすようになる。律子に恋心を抱き、千太郎と固い絆を育む薫。充実した日々を過ごす中、薫は千太郎を通じてジャズと出会い、その魅力に取りつかれ…。(Yahoo!映画より)

 

ハイおはよう。座右の銘は「人に厳しく己に甘く」。ふかづめです。

昨年12月26日更新の『恋は雨上がりのように』(18年)あたりから『ひとりアカデミー賞』の片手間に書いてた評を順次出しているので映画評としての質がずるずるに落ちております。そもそも映画の話をあまりしてないっていうか…ほとんど与太話だからね。

かかる低空飛行はもうしばらく続くが、そのあとは古典映画をたっぷり語るという嫌がらせみたいなキャンペーン期間に入るので安心されたい。

そんなわけで本日は『坂道のアポロン』。ナンパな映画ばかり続いてごめんなさいね。

だけど観もしない内からナンパの烙印を押して嘲笑・黙殺するシネフィルに比べれば、どんな映画もキチンと観てしっかり取り上げている分だけ『シネマ一刀両断』は良心的なブログだと思います!!!

ただし半分以上は与太話。

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◆無作為鑑賞法◆

動画配信サービスのタイトル一覧を開き「何を観ようかな」と逡巡、選ぶのに疲れてきたので目をつむって好い加減にクリックしたら『坂道のポロロン』を引いてしまった。観るか…。

これぞ我が最終奥義 無作為鑑賞法の精髄である。

私が折に触れて口にする「観る映画は選ばない」という思想信条を極限まで突き詰めた大技だ。なお、目をつむって映画を選ぶ行為を運命のつむりと命名している。

無作為鑑賞法のいいところは、自分の意思や趣味をすべて排除して映画を選ぶため「普段なら絶対に観ないであろう作品」や「むしろ観たくない作品」と巡り合えることである。ひいては世界が広がるわけだな。洒落た言い方をするなら知の拡大ってやつ?

逆に無作為鑑賞法の困ったところは「普段なら絶対に観ないであろう作品」や「むしろ観たくない作品」を観なければならないことだ。

興味のない映画を引いてしまったからといって運命のつむりをやり直すことは許されない。まだ未熟だったころの私は「3回までやり直しOK」という甘えきったルールを作っていたが、やがて4回までOK、5回までOK…と回数が増えていき、しまいには観たい映画が出るまで際限なく運命のつむりをおこなう無限ルールを導入して「選び放題だー」と大喜びしたものだが、すぐさま「作為じゃん」ということに気付くに至れり。観る映画を無作為に選ぶからこその無作為鑑賞法なのに、当時の私は思いっきり作為によって映画を選んでいたのである。

だがそんな私も、甘えや煩悩を振り払い、強く逞しく成長しました。見てくれてますか、お母さん。

「やり直しルールの撤廃」および「運命のつむりで選んだ映画は必ず観なければならない」という自己強制力を発動した私は、ついに作為から解き放たれ、究極の映画ファンとなったのだ!

 

~以下は数少ない例外~

・過去に観た映画は観なくてよい(運命のつむりをやり直す)。

・大嫌いな監督や俳優が関わった映画は観なくてよい(運命のつむりをやり直す)。

・どうしても観たくない場合は体調がすぐれないフリをしながらそっとパソコンを閉じる(劇場やレンタル店にいる場合は速やかに退店する)。

土日祝日は薄目で運命のつむりをおこなうことができる。

 

どうじゃ、これが運命のつむりじゃあ。 この奥義によって私はあまねく映画を分け隔てなく観ることができryうなtnr……オラァ!

だいたいなぁ、見たいものしか見ない奴の世界など底が知れているのだ。好きなものだけ皿に取るビュッフェ野郎と言わざるを得ないのじゃあ。

以下、ビュッフェ野郎の言い分、および私からのお返事です。

 

ビュッフェ1私、映画好きです。邦画は見ないけどね!

じゃあ映画好きじゃなくて洋画好きだろ!

 

ビュッフェ2僕、映画好きです。古い映画はあまり見ないけど!

おまえが見るべきは映画じゃなくてニュースだろ! 新しい情報が盛り沢山だぞ!

 

ビュッフェ3おいら、映画が好きなんだ。でも2時間も見続ける忍耐力がないんだあ!

おまえはもうスポーツとかやれ。

 

私にはもうひとつ分かりかねるのだが、なぜ人民はこれほどまでに「選ぶ」という行為に固執するのだろうか。自分の意思で物事を決定しても想定内の結果が待っているだけなのに。それほど自分の意思が大事なのだろうか。私に言わせれば選ぶことは驕りなり。ましてや映画などたかだか2時間の付き合いなのだから、なにも血眼になって選ぶ必要もあるまい。

この際だから言わせてもらうが、映画好きというのは「映画を観ることが好きな奴」のことなのに映画を観ない奴が多すぎる。「古いから」とか「白黒だから」とかウダウダと観ない理由を探し回っちゃってサ。あまりに意味不明で白目を剥いてしまうよ。

だって…「見ない」とかあるん?

「忙しくて見れない」だったら分かるけど「見ない」ってさぁ…揺るがぬ心で言い切ってもうとるで。鉄の意思やん。

本当になんだこれ。どういうメカニズムなの。映画好きに「見ない」という意思は必要なくないか? どうせ俺たちの意思なんてそう大した値打ちもないんだ。映画好きなら四の五の言わず、まず見ようじゃないか。映画を見ることは二択ではない。「見る」の一択なんだよ!

 

さて、一球目から暴投してしまったがようやく本題に移ります。

無作為鑑賞法によって運命が決定した『坂道のペペロン』を批評しなくてはいけないのだが、悲報です。

さっぱり興味ねえわああああああああああああああ。

本来なら即決で評を見送るところだけど、レビューストックが底を尽き始めたから書くしかあらへん。無作為鑑賞法とかわけのわからないことをせず、ウォッチリストに入れてた『女は女である』(61年)を観ておくんだったなぁ…。

ごめん、「見ない」という選択肢はあったわ。

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◆ただ鳴ってるだけの音楽&ただ図式化されただけの人物◆

ほとんどやる気がないのでビャーっといきたい。

本作は小玉ユキの人気マンガ『坂道のアポロン』三木孝浩というトドみたいな顔した監督が映像化した作品である。2012年にはアニメ化もされていて、当方そちらは既に堪能済みであります。

主要キャストは、平成が終わってどうなっちゃうんだろうと誰もが思ったHey! Say! JUMPの知念侑李、顔が瓜二つなことから福士蒼汰の影武者候補No1の呼び名高い中川大志『恋は雨上がりのように』評のなかで私から小松菜の食べ方に関する話題を引き出して評を引っ掻き回した罪科を持つ小松菜奈

さらには元ハロプロの真野恵里菜と、存在自体がイマイチよくわからないディーン・フジオカが出演交渉に応じております(ハロプロもわからない。会社?)。

 

時は1966年。長崎県・佐世保市の高校に転校してきた知念が福士蒼汰と友達になります。小松菜とも友達になります。音楽がとても好きな3人は小松菜の実家のレコード店の地下でいつもジャズセッションをしています。福祉はドラム、知念はピアノ、小松菜は左右にゆらゆら揺曳しながら二人のセッションを聴く係です。

そこへ、東京で学生運動をしていたディーンが佐世保市に帰ってきます。ディーンはトランペット奏者で、何だかすごくえろいです。そこへハロプロも混ざってきます。ハロプロは知念たちの先輩です。

知念、福祉、小松菜の青春がきらきらと描かれていきます。でも実はいろいろ複雑です。

知念は小松菜に片想いしていて、小松菜は福祉に片想いしていて、福祉はハロプロに片想いしていて、ハロプロはディーンに片想いしているのです!!!

この四角関係を図にするとこのようになります。画像がなかったので自力で描きました(手こずらせやがって)。

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一目瞭然とはこのこと。

 

物語は彼らの恋模様を追うのに手一杯で音楽要素がネグレクトされている。この作品のテーマ曲みたいになってるアート・ブレイキーの「Moanin'」はそこかしこで反復されるが、ただ鳴っているだけ。音楽が3人を結び付けていく感覚には乏しい。

ディーンとハロプロを含めた5人の関係性も原作に沿って相関図を視覚化したものに過ぎない。ここで描かれているのは人間関係ではなく相関図である。AはBに片想いしていて、BはCに片想いしています…みたいな図式が「図式として」描かれているだけなので、そんなものにドラマが生起する余地もなく。

そしてハンパ極まりない昭和ノスタルジー。

セットや美術にもあまりやる気が感じられないが、何よりうんざりするのはキャストの衣装がシワひとつない下ろし立ての一張羅という点。いかにも「衣装さんが用意してくれたのを初めて着ました」という感じで、こりゃあもう服を着てるというより服に着られてるな。昭和の生活感がまったく伝わってこない。拭いきれないHey! Say!感。これなら『ALWAYS 三丁目の夕日』(05年)の方が幾らかマシだ。

また、ロザリオ、ドラムスティック、麦わら帽子など、いくらでも活用できそうな小道具があるにも関わらずどれひとつ使わないという演出放棄が怠慢でないのだとしたら一体何なのかご説明願いたい。

 

思えば三木孝浩の映画はどれもこんな感じだった気がする。

『ソラニン』(10年)『僕等がいた』(12年)『陽だまりの彼女』13年)『ぼくは明日、昨日のきみとデートする』(16年)…。

温もりと切なさに満ちたキレイキレイな青春をぽわんと描いてその辺の女子高生から適量の涙を効率よくむしり取る人畜無害な三木作品は、演出よりもムードを重視した空気系青春映画として客から金を巻き上げている。

本作においても「ムードの醸成」には三木ポテンシャルが十二分に発揮されていて、まぁ脳死状態で眺めてる分には大変心地よい作品に仕上がっております。

男女混成3人組の青春してます感に「羨ましいなー。こんな青春をおれも過ごせたらなー」と臍を噛みながらも清々しい気持ちになりつつ、佐世保弁を話す福祉と小松菜のチャームに「かわいいな、おまえら。もうくっ付いちゃえよ!」と冷やかし交じりのエールを送りながら、ついでにディーンの髪型を愛でるといったハイソサエティな嗜み方に悦びを見出すこともできるのだ。これ以上なにかを求めるのは酷。オーケー、現状に満足しよう。『坂道のピョロロン』おもしろかったです!

 

どうでもいいけど、三木作品に出た役者ってどれも同じカラーになっちゃうよね。

宮崎あおい、高良健吾、吉高由里子、松本潤、上野樹里、能年玲奈、本田翼、東出昌大、新垣結衣、土屋太鳳、 福士蒼汰(本物の福士蒼汰ね)…。

まるでウディ・アレンだよ。三木孝浩はウディ・アレン。

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ディーンがえろいです。

 

◆気になるMVPの発表◆

さて。第三章だが、特にこれ以上書くこともないし、たとえ書くことがあったとしても書いたところで何がどうなるわけでもないので終わる。そもそも書く気がないのだからな。

ちなみに、誰もが気になっていたであろうMVPは福祉福祉と誤記していた中川大志くんです。

福士蒼汰よりよっぽど上手いですね、この子。とりわけイーストウッドみたいに広く大きい背中がいい。海のようだ。ぜひとも背面俳優として新境地を切り開いて頂きたいと思います。

中川大志はクリント・イーストウッド。

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外見上は福士蒼汰としての中川大志は事実上のイーストウッド。

 

(C)2018 映画「坂道のアポロン」製作委員会 (C)2008 小玉ユキ/小学館