シネマ一刀両断

面白い映画は手放しに褒めちぎり、くだらない映画はメタメタにけなす! 歯に衣着せぬハートフル本音映画評!

パーティで女の子に話しかけるには

パンクとSFとサイケをミキサーに突っ込んでフルパワーで掻き混ぜたようなアシッドムービー。

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2017年。ジョン・キャメロン・ミッチェル監督。エル・ファニング、アレックス・シャープ、ニコール・キッドマン。

 

1977年、ロンドン郊外。大好きなパンクロックだけを救いに生きる冴えない少年エンは、偶然もぐり込んだパーティで不思議な魅力を持つ美少女ザンと出会う。エンは好きな音楽やファッションの話に共感してくれるザンと一瞬で恋に落ちるが、2人に許された時間は48時間だけだった。2人は大人たちが決めたルールに反旗を翻すべく、大胆な逃避行に出る。(映画.comより)

 

早い遅いを問わず、おはようございます。

敬語も度を越すと慇懃無礼であるよなーって話を今からするわ。

先日、ある人に「行ってらっしゃいです」と言われて「タラちゃんかオマエは」と返しそうになった。

その人は私の後輩に当たるので、「行ってらっしゃい」だと馴れ馴れしく、かと言って「行ってらっしゃいませ」では丁寧すぎると判断したのか、脳死で「です」をつけ足して「行ってらっしゃいです」などという世にもおぞましい敬語という名の不敬語を図らずも創出、かかる畸形的挨拶を省察も躊躇もなしに私にぶつけて来たのである。

そも「行ってらっしゃい」という挨拶はそれ自体がすでに敬語なので、「ませ」を付けてより丁寧にカスタムする以外に触りようがない言葉。だのに「です」を付けるなど蛇足も甚だしく、言ってみれば完成した生け花にペコちゃん飴を突き刺すがごとき愚の振舞い。蛮行の極致。そんなことをしても美との人質交換でちょっぴり生け花が可愛くなるだけだ。萌え華道を開拓すな。

ことによると私、途轍もなき勘違いをしていて、実は「行ってらっしゃいです」ではなく「行ってらっしゃいDEATH」だったのでは…という可能性も仔細に検討。もし私がその人からすこぶる嫌われていたとして、だから相手は「行ってらっしゃい。二度と帰って来るな。できれば道中死ぬのが望ましい」という意味を込めて「行ってらっしゃいDEATH」と言ったのでは…という推論である。そしたらショックだな~。

 

「です」で思い出したが、嫌いな言い回しがもうひとつあります。

例を複数挙げる際に「〇〇ですとか〇〇など~」という言い方をする痴れ者がいる。DEATH。この言い方が無性に腹立つのは私だけではないはず!

こないだYouTubeで料理動画を見ていたとき、調味料か何かを紹介していたユーチューバーが「お肉ですとかお野菜などにも~」と言っていたのを聞いて半ギレ、「トークに脂身が多い」と吐き捨てて即座に視聴をやめた。では「お肉だったりお野菜だったり~」という言い方ならよかったのか。これも贅肉が多くていけない。どうしてシンプルに「肉や野菜」と言えないのか。どうして蛇に足を描き足してしまうのか。

尤も「そういうオマエはどうなんだ」と言われたらぐうの音も出ないのだが。私の日本語は蛇足どころかツノピアスまで描き足してしまうからね。だから蛇蝎のごとく読者に嫌われるんだ!

そんなわけで本日は『パーティで女の子に話しかけるには』です。久しぶりのエル・ファニングに萌エル・ファニング。

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◆可愛い映画かと思ったらアシッドムービーだった◆

性転換手術のミスにより股間に残された「怒りの1インチ」に苦悩するゲイのロックミュージシャンを描いた『ヘドウィグ・アンド・アングリーインチ』(01年)にはファンが多い。

もとはジョン・キャメロン・ミッチェルという男が原作・主演を手掛けたオフ・ブロードウェイのミュージカルで、これに感銘を受けたマドンナは楽曲の権利使用を熱望し、デヴィッド・ボウイはグラミー賞をすっぽかして観劇をキメた。その4年後にミッチェル自身が監督・脚本・主演を務めた映画『ヘドウィグ・アンド・アングリーインチ』は低予算ながらも熱狂的なファンを集め瞬く間にカルト映画になった。

そんなミッチェルがまたしても珍妙怪奇な音楽映画を撮った。『ヘドウィグ』はグラムロックだったが、今回はパンクだ。

先に断っておくと、まるで今にも「ロキシー・ミュージックが好き」などと甘えたことを言いだしそうなアレックス・シャープと男物のコートを着たエル・ファニングが仲睦まじく音楽を聴いているポスターデザインや、『パーティで女の子に話しかけるには』という実に愛らしい題から人が想像するようなボーイ・ミーツ・ガールものではない。

パンクとSFとサイケをミキサーに突っ込んでフルパワーで掻き混ぜたようなアシッドムービーだったわ。

 

1977年のロンドン。パンクキッズのアレックス・シャープは仲間とともに潜り込んだ空き家で奇妙なパーティーに興じる団体と出会う。彼らは厳しい規律によってコミュニティを形成した地球外生命体で、全身タイツで踊ったり口から怪電波を放つなどして自分たちのパーティーをエンジョイしていた。別室では第4コロニーで生まれ育ったエル・ファニングが自由を訴え“保護者”と衝突し、知り合ったばかりのアレックスに「私にパンクを教えて!」と言って彼の手を引きコミュニティから脱出する。

“保護者”たちが必死でエルを捜索する中、彼女は地球退去までに残された48時間を恋とギグに捧げるのだ!

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パーティに興じる宇宙人たち。

 

そうだね、わけがわからないね。

だが現にこういう映画なのだからしょうがない。コミュニティに反旗を翻したエルはパンク好きのアレックスに触発されて音楽の喜びを知る。彼女は自由の意味を教えてくれたアレックスを愛するようになり、アレックスもまたエキセントリックなエルに強く惹かれていった。そんな二人にギグの場を提供する伝説の女パンクスをニコール・キッドマンが演じている(こんな所にもいやがったのか!)。

…と、ここまでなら爽やかな青春音楽映画として人を納得させうる内容だが、やはり気になるのは宇宙人の存在。

彼らは同族の子どもを食べることで大人達だけが栄えていくという世にも恐ろしい種族。だが、もうじき捕食されてしまうエルは「すごく光栄なことなのよ」などと言ってのける。一方、まさかエルが宇宙人だとは夢にも思わないアレックスは「私、もうじき食べられるの」という言葉に驚き、彼女が人喰いカルト集団に洗脳されていると誤解する。

また、エルの仲間たちは、触れただけでエクスタシーを与える「いやらしの手」を駆使して人間を誘惑する。そしてお尻から養分らしきものを吸い取ると身体がメタモルフォーゼして二人に分裂するのである。どういうことですのん…。

 

こうした「宇宙人まわりの描写」がやけにドギツイので皆様にあっては注意が必要です。それ故にこの映画は「近年稀に見る珍作」として一部の物好きを楽しませる反面、米批評家からは軒並み酷評された。

この場合の「ドギツイ」を因数分解するとシュールでショッキングでハイセンスとなる。まるでデヴィッド・リンチとダニー・ボイルとギャスパー・ノエを掛け合わせたような悪夢的映像、麻薬的浮遊感、精神病的暗黒世界。つまりアシッドムービーだ。

エルとアレックスが愛を育むかわいらしいシーンでもCG、早回し、魚眼レンズが使われていて、どこか観客の生理を逆撫でするようなグロテスク趣味が張りついている。丁度あれだわ、『アンダー・ザ・スキン 種の捕食』(13年)に似てると思った。

エル・ファニングはとてもエキセントリックで、アレックスの指を長いこと舐め回したり、キスする直前にゲロを吐きかけたりと、何かにつけてアレックスのことをべちゃべちゃにしてしまう。可愛らしいロマンスの中にもエログロのスパイスがピリピリ利いていて、なんだか『アメリ』(01年)にも似てると思った!

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観る者を置いてけぼりにする独特の映像センス。

 

◆宇宙人の正体とは…◆

クセの強い世界観は物語が進むにしたがって加速してゆく。

ライブハウスを訪れた二人は、そこを仕切るニコール様から「なんか歌え」と無茶振りされて曲を披露することになり、パンクなのか何なのかよくわからない即興ソングを歌ったところ会場は興奮のるつぼと化す。その曲がまた耳に絡みつくような気持ち悪さで「これで興奮のるつぼと化すん?」と困惑すること請け合い。だがニコール様は「売れるわよ!」と大喜びしてエルにメジャーデビューの話を持ちかけます。売れねえよ。

ちなみにファーストシーンのニコール様は歌唱中に我を忘れて盛り上がるパンク小僧をビンタで張り倒してもいる。

唾をまき散らしながら歌う小僧にぶち切れ、演技を忘れて本意気で殴ったらしいのだ。ハリウッドセレブの頂点に君臨するニコール・キッドマンがケバい化粧でFワードを連発しパンク小僧を張り倒す姿には本作の価値の85パーセントが包摂されてます。嘘だと思ったら映画をご覧なさい。嘘だと分かるから。

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ニコさまぁー。

 

さて、映画終盤ではアレックスが捕食の運命にあるエルを救い出すべくライブハウスで知り合ったパンクス軍団を率いて空き家に討ち入り。ラジカセでパンクロックをかけ、超音波で抵抗を試みる宇宙人と世紀のサウンド対決を繰り広げる(両軍ともにダメージなし)。

宇宙人たちが組体操で通路を阻めばパンクス軍団は乳首を攻めてこれを突破。

中でも一際輝いているのがリーダーのニコール様だ。スピーカーで「パンクパンク! パンク!」と怒鳴って適確に指揮を執り、疲れてきたら「ティータイム!」と怒鳴って両軍に休憩を取らせるなど、まさにカリスマならではの完璧な仕切り(休憩中は敵と歓談)。

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ここから先は通さない体操。

 

事程左様に相当おかしな映画だが、それゆえ興味を掻き立てられた。

何と言っても、われわれを翻弄・撹乱・錯迷せしむるストーリーの極めて曖昧なリアリティラインである。

まずもって、この世界観を信じさせるにはあまりにチープな宇宙人の言動・設定・コスチューム。ごっこ遊びにしか見えない宇宙人への明らかな違和は、やがて「本当にごっこ遊びかもしれない」という疑念すら掻き立てる。つまり宇宙人という存在が丸ごとメタファーかもしれないという物語構造の迷宮へと観る者を引きずり込むわけ!

この物語の中では確かに宇宙人は存在するが、映画としては何か別のモノを宇宙人に置き換えただけのメタファーなのかもしれない。ではメタファーによって仮託された「何か別のモノ」とは何か。ひとつはパンクスの敵である「大人」。もうひとつはアレックスの推測通り「カルト集団」である。

まず、エルは保護者なる大人たちに盾突き、最終的にはカニバリズムの文化を持つ同族の未来に革命をもたらすことから、この物語がサブカルチャーにおけるパンクの反骨精神をSFに置き換えたものと読むことができる。

もうひとつ面白いのは、アレックスが思い込んでいたカルト集団説が正しいかもしれないと仄めかす演出だ。実際、アレックスが彼らの集団自殺を懸念していたように、エルたちが地球を退去するクライマックスでは「屋上から一斉に飛び降りる」という不可解な演出がわれわれの胸をざわつかせる。

つまるところエルたちは本当に宇宙人なのか、それともメタファーなのか、はたまたカルト集団だったのか…という三択を残したまま映画は終わってしまうのだ(事実か比喩かの二択はあっても三択はなかなか無い)。

終始ふざけているようで示唆に富んだ、じつに不思議な超音波映画でありました。

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基本はラブストーリーなので安心されたい。

 

パンクあれこれ

最後の章ではパンクが苦手という話をしようと思う。

そうなのよね。そもそも私はパンク・ロックが苦手なので曲が流れてくるたびに苦悶の表情を浮かべながらの鑑賞であった。きつかったわー。

読者の中にはパンク好きもいるだろうから殊更に毒づくことはよすが、つまるところパンク・ロックとは雑音である。

70年代半ばにニューヨークで勃興したパンクは、当時のロックシーンを支配していたハードロック、ヘヴィメタル、プログレッシヴ・ロックの技術性を否定し、ロックンロールの初期衝動を取り戻そうとしていた。粗末な演奏、攻撃的な歌詞、3コードだけで構成されたやかましい楽曲。極めつけは過激なパフォーマンスだ。

客を殴りつけて「マスでもかいてろ」と豪語する者、カミソリで体を切り刻み「ぜんぜん痛くない」と豪語する者、チェーンソーを振り回し「ユーチューバーなめんな」と豪語する者など、多くのカリスマたちが伝説のステージを演じてきたのだ(ロックンロールの初期衝動ってそういう事じゃないと思うんだけど…)。

有名なパンクバンドといえばラモーンズ、セックス・ピストルズ、ザ・クラッシュあたりだ(ゼロ年代だとグリーン・デイ)。

とりわけ失業問題が深刻化していたイギリスではピストルズやクラッシュを中心としたロンドン・パンクが隆盛を極め「政治は腐ってる!」と叫んでアナキズムを貫いた。怒れる若者たちは「俺たちにも出来そう」という理由からこぞってパンクバンドを組み「政治は腐ってる!」と叫んでアナキズムを貫くことを真似た。

また同時期の日本でも、頭脳警察、ザ・スターリン、外道、奇形児、あぶらだこ、村八分、赤痢、the 原爆オナニーズなど「何を思ってその名前にしたの」と思うような物凄い名前のバンドが続々台頭。そして目覚めしTHE BLUE HEARTS…。

街では頭のおかしいパンクスがメタルヘッズをしばき倒す「メタル狩り」が横行したり、逆に頭のおかしいメタルヘッズがパンクスをしばき回す「パンク狩り」が横行した。さぞかし平和な時代だったのだろう。

 

もちろん「パンクは雑音」という言葉にはいささかの批判的なニュアンスも含んではいない。パンク・ロックは「技術」より「気持ち」を優先し、世を嘆き、世に反抗するロック形態なので、いわば雑音に回帰することを自認した音楽だからである(現にポストパンクの一部はノイズ・ミュージックに含まれている)。

ただ、私としては「あまねく表現の自由とは確かな技術の上に保障される」という思想なのでパンクとは相容れないってだけの話だ。

そして本作だが、もっとパンクの激情を感じられる要素があればよかったと思っています。一番パンクしてたのが主演二人ではなくニコール様でした…では示しがつかねえぞ!

とはいえ、エル・ファニングがキャリア史上最高にかわいい映画としてファニング史に刻まれたことを祝福せぬ手はない。エルファ~。

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