シネマ一刀両断

面白い映画は手放しに褒めちぎり、くだらない映画はメタメタにけなす! 歯に衣着せぬハートフル本音映画評!

ヘルファイター

皆さん一人ひとりがヘルファイターなのです。

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1968年。アンドリュー・V・マクラグレン監督。ジョン・ウェイン、キャサリン・ロス、ジム・ハットン。

 

油田火災の消防稼業の第一人者であるチャンスは仕事の鬼であるが、妻は夫がこの危険な仕事に就くことについて行けず一人娘を連れて出て行ってしまっていた。やがて有能な部下であるグレッグがチャンスの後継者として部隊を率いることになり、チャンスは引退、グレッグが娘婿となり平穏な日々を送るようになる。しかしベネズエラ油田の大火災が発生、グレッグら若手だけでは手に負えない状況のもと、チャンスは再びヘルファイターとして立ち上がることを決意する。(Amazonより)

 

たとえ朝が来なくても「おはよう」と言っていく。

本日からしばらくは古めの映画ばかり取り上げるオールド・キャンペーンが始まりますよー。

あと皆さんにとってはすこぶるどうでもいい報告だけど、年が明けて『シネマ一刀両断』はシーズン2を迎えました。

それ以前のシーズン1では「書きたいこと」より「書いた方がいいこと」を優先的に書いてきたけども、シーズン2では枷をひとつ外して書きたいことを少しずつ書いていこうっていう、まぁそういう季節です。

それに伴ってピリ辛な文章になることが予想されますし、時には「奴ら」とか「連中」という言葉で不特定多数の人民の批判もするでしょうが、具体的に誰かを仮想敵に見立てた批判ではないので、たとえ当てはまっても「バカがまた何かを言っている」と思って読み流して頂ければ此れ幸いに存じます(もちろん反論は大歓迎。基本的に反論に対する反論はしないスタンスなので遠慮なくどうぞ!)。

あと、そうそう。これまでの読者諸兄の反応を見るにつけ、どうやら「ふかづめに攻撃された」と思っている人がポツポツいらっしゃるのかなという気が致しておるのですが、全然そんなことないですよ、ということを高らかに表明するものですオレは。

まあ攻撃したのは事実だけど、別に「あなた」を攻撃したわけではない。私が書いた「こういう人むかつく!」という言葉の中にたまたまあなたが含まれていたとしても、私はあなたにむかついているわけではない。あなたは爆風に巻き込まれただけなのです。手当てをしたらすぐ治るから頑張っていきましょう。

そもそも誰かをピンポイントで攻撃するほど人に興味がない。

喩えるなら、そう、「世の中バカばっかり」と嘆いたとして、じゃあ知人や家族のことを個別でバカと思っているのかといえば断じてノンなように。私は「誰か」じゃなくて「世の中」に対してキレているの!

とはいえ、私の言葉は爆風の範囲がやけに広いので、みだりに人を傷つけぬよう気をつけて参る所存なのだけど(とはいえシーズン2ではちょいちょい毒を吐きだすつもりなので確実に読者が減っていくであろうことが予想されてしまう!)。

そんなわけで本日は『ヘルファイター』を見て参りましょう。ちょうどこの評を書いてる途中に2020年を迎えました。ろくでもない人生です。

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◆消防コンテンツの先駆け!◆

2010年メキシコ湾原油流出事故を描いた『バーニング・オーシャン』(16年)が思いのほかつまらず「そういえばジョン・ウェイン主演で似たような映画があったな。まだ観てねーや」と思い、口直しに鑑賞。油田火災に立ち向かう男たち=ヘルファイターの熱き雄姿を描いた油田火災映画の金字塔である。

油田映画といえばアンリ=ジョルジュ・クルーゾーの『恐怖の報酬』53年)が有名だが、一般には『エクソシスト』(73年)のウィリアム・フリードキンが77年にリメイクした同名作の方が評価が高い。私はクルーゾー版擁護派なのだが。

その一方で、パニック映画という大枠の中には火災映画も存在する。皆大好き『タワーリング・インフェルノ』(74年)『バックドラフト』(91年)だな。

また、漫画大国日本では『め組の大吾』や『炎炎ノ消防隊』といった消防コンテンツが定期的に人気を博し、テレビやネットの世界では「炎上」という俗語がメジャー化、そして可愛いモノには誰もが「もえる」。

文化としての火災。

語弊があったら申し訳ないけどな。

だが実際、現代人はポップカルチャーの炎に包まれている。たとえ火災映画を一度も観たことがなくても、ブログが炎上した奴はヘルファイターだし、二次元にもえた奴もヘルファイター。恋人がいながら火遊びする奴もヘルファイターなら、FXに手を出して火傷した奴もヘルファイターなのだ。

そういう意味では皆さん一人ひとりがヘルファイターなんですね。やったじゃん。

 

さて、この映画。油田消防稼業のジョン・ウェインは仲間とともに世界中の油田火災に対処する鎮火の鬼であった。妻のヴェラ・マイルズは死と隣り合わせの消防稼業についていけず離縁したが今でもウェインのことを愛している(仕事を憎んでウェインを憎まず)。

そんな折、二十年ぶりに再会した娘キャサリン・ロスがウェインの一番弟子であるジム・ハットンと出会ったその日に結婚。以降、彼女は父の反対を押しきって火災現場に同行するようになる。すっかり頭を抱えたウェインは娘婿のジムを危険から遠ざけようと楽な仕事を与えたところ、プライドを傷つけられたジムがこれに反撥。

果たして娘夫婦を思う親心は二人に伝わるのだろうか。そして元妻ヴェラとの関係修復の顛末やいかに!

 

至って平和なホームドラマやないか。

Amazonの内容紹介では「痛快娯楽超大作!」、「スペクタクル巨編!」、「豪快ジョン・ウェイン・アクション炸裂!」などと書かれているが真っ赤なウソです。元妻、娘、娘婿との家族関係を掘り下げた内容で、豪快ジョン・ウェイン・アクションとやらは炸裂しない。一応、鎮火作業がアクション要素に当たるのだろうが、油井から噴き上げた火柱にニトログリセリンを突っ込んで小走りで避難するだけである。それも笑いながら。

監督は『シェナンドー河』(65年)『ワイルド・ギース』(78年)アンドリュー・V・マクラグレン。ジョン・ウェインを起用した活劇を得意としたため「フォードの後継者」と期待されていたが、以降のパッとしないキャリアを見ればこれが過大評価だったことは火を見るより明らかだ。

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笑いながら鎮火作業をするウェイン(服どうにかなれ)

 

◆夫を心配する妻は毎日大変なのです◆

ウェインは娘を危険に晒したくないという思いからキャサリンの現場同行を反対し、娘婿になったジムにも安全な仕事だけ与えるようになる。

つまり男=心配される側だったウェインが父=心配する側に回るという心的変化が描かれてゆくので、どう控えめに見てもホームドラマにしか映らないわけだ。

ヴェラは消防稼業への理解が示せずにウェインと離婚してしまう。彼女は油田火災の恐ろしさを知っていたからだ。何より「行ってきます」と言ったきり二度と帰ってこないかもしれない夫を待ち続ける恐怖に耐えられなかったのである。

だからこそ娘のキャサリンは火災現場に同行することで「私は母とは違う。ヘルファイターの妻として覚悟できてるわ!」と猛アピールするわけだが、作業中の事故で死にかけたジムを見て顔面蒼白、ヴェラと同じくこの仕事の恐ろしさを目の当たりにするのであった。

事程左様に夫を危険な仕事に送りだす妻の心が裏テーマとして描き込まれているので、この手の災害映画にしては珍しく女性目線のストーリーがお楽しみ頂けます。

ずっとヴェラに心配されていたウェインが、いつの間にか「ヴェラ化」して娘夫婦を心配する構図もいい。つまるところ「大事な人を危険なところに送りたくない」という、この上なくシンプルな愛が描かれていたのです。

『ヘルファイター』は愛に満ちた映画だった。

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左から父ウェイン、娘キャサリン、娘婿ジム。

 

ウェインたちは電話が鳴るたびに出動するが、映画が進むにしたがって火災レベルがどんどん上がっていくさまが面白い。

一度目は楽に片付く通常火災。二度目は2本の火柱を同時に消さねばならないダブル火災、ベネズエラ入りした三度目は有毒ガス漏れによる毒々火災。そして四度目はゲリラに襲われながらの戦場火災。むちゃむちゃである。消火活動だけでも命懸けなのに、毒ガスは漏れるわ流れ弾は飛んでくるわと踏んだり蹴ったりのチーム☆ウェインは、ちょっぴりガスを吸っちゃったり尻を撃たれるなどの災難にもめげず、ここぞとばかりにニトログリセリンを使って火災を鎮めるのでありました。

私イチオシの見所はチーム☆ウェインが現地の消防隊と乱闘騒ぎを起こすシーンだ。酒場にやってきたウェイン一行は、そこで宴を開いていたベネズエラ消防隊に「飲み過ぎじゃないか?」と注意した直後、特にこれといった理由もなく隊長を殴りつける。ジムも「その通りだ!」と言ってベネズエラ消防隊に殴りかかり両チーム入り乱れての乱闘騒ぎに発展。

血の気が多すぎやしまいか。

なんですぐ人殴るん…。「腐ってもジョン・ウェイン映画だし、どこかにはアクションシーンが欲しいよなー」と考えた脚本家が無理やりねじ込んだとしか思えないような不自然さである。さすがヘルファイター、ノーロジックで人を殴りつけていく。

ただただウェインが頭のおかしい人にしか見えない迷シーンをどうもありがとうだよ。

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元妻ヴェラ・マイルズには優しいウェイン。ヴェラは『サイコ』(60年)でジャネット・リーの妹を演じた女優です。 

 

◆火について私から皆さんにお話があります◆

出来は至って凡庸。観ても観なくてもキミの明日は変わらないが、この映画には不思議な魅力があるということだけ言い添えておく。

全盛期のキャサリン・ロスも少なからず見所になっているよ。本作は『卒業』(67年)『明日に向って撃て!』(69年)の間に撮られた作品で、独特の髪型をキメたキャサリン・ロスが愛する夫のために有毒ガスも気にせずベネズエラの森林地帯まで同伴する男勝りのヒロインを演じている。

そういえば、美大時代に『明日に向って撃て!』を愛してやまない美術講師がキャサリン・ロスを美人だ美人だと褒めそやしていたが、もちろんキャサリン・ロスは美人などではない。たしかに魅力的な容姿だが、アメリカ西海岸特有の俗っぽさをまとった彼女を美人と呼ぶことは、たとえばスカーレット・ヨハンソンやエマ・ストーンなどを「美人」という語で安易に括ろうとする現代人の語意表現の貧しさにも通じる語の濫用にほかならない。

大体において、ルックスのいい人間を褒める際に「イケメン」と「かわいい」しか語彙を持たない欠語的現代人が多すぎるのだ。決して二枚目ではないが映画を観ればたちどころに惚れてしまうジョン・ウェインの性的魅力を表わしうる言葉も持ち合わせていないような連中が映画レビューなどと称してサイバースペースに落書きしているのだからまったくおめでたいわけだが、兎にも角にもキャサリン・ロスの鳥の巣を思わせる髪型と西海岸的微笑には、60年代後期の――つまりハリウッド神話が崩れ去ったあとの“映画の貌”を見た気がした(現に70年代は本作のキャサリン・ロスみたいな格好をした女優がぞろぞろ現れたのだ)。

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抜群の鳥の巣ヘアーにおさまるキャサリン・ロス。

 

火についても語っておかねばなりません!

油田火災シーンを彩る大迫力の噴火。結局のところ本作のMVPは火ということになる。最も力強く優雅にアクションしていたのはウェインでもジムでもなく火だ。

映画製作の過程において、火は水以上に作り手のコントロールから離れた元素である。

つまりミニチュア撮影が利かないってこと。家屋を全焼させうるような業火を撮りたくば実際に家屋を全焼させねばならないし、マッチを擦ったときのような丸く柔らかい火を撮りたくば実際にマッチを擦るしかない。だから『タワーリング・インフェルノ』では全高30mもの超巨大セットが作られた。デカい炎を撮るためにはデカい炎を起こすしかないのだ。よってスタジオ撮影が主となる古典映画や特撮映画では基本的に火は使われない。映画が最も持て余すモチーフだからである。

では火を撮るためには何が必要なのだろう。潤沢な資金である。燃やしてもよいセットや建物を揃えられるだけの資金があれば火は点け放題だ。ヘルファイターだ。

推測だけでモノを言うと、火が映画の道具になったのは1980年代以降である(ビッグバジェットの商業映画)。

だが『ヘルファイター』は1968年の時点ですでに業火を飼い慣らしていた。やばー。その後の火災映画の走りとも言えるし、言えないともいえる。

油田火災の取材に来たテレビレポーターに「何故あなたたちは赤い作業着を着用しているのか」と訊かれて「赤がいちばん目立つからだ。俺たちは仲間に色んな合図を送る」と答えるシーンがあるが、これは「映画における火の存在意義」そのものを言い当てたセリフでもある。なぜ映画は燃えるのか。目立つからだ。クライマックスで火が燃え盛ることが現代活劇の条件だからである。

ジョン・ウェインの往年の西部劇では風がクライマックスを支配していたが(馬のチェイスな)、それ以降の劇映画では火こそがエンターテイメントの要なのでござる。

というわけで、本日は火について語っちゃいました。

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背景がすごすぎて前景が霞むわ。