シネマ一刀両断

面白い映画は手放しに褒めちぎり、くだらない映画はメタメタにけなす! 歯に衣着せぬハートフル本音映画評!

シェラマドレの決闘

覇王マーロン・ブランドの失笑西部劇。

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1966年。シドニー・J・フューリー監督。マーロン・ブランド、アンジャネット・カマー、ジョン・サクソン。

 

主人公のバッファロー・ハンターは、西部に名高い名馬を山賊に奪われてしまった。彼は馬を奪い返し、追ってきた山賊たちと戦う。メキシコ国境を舞台にしたアクション西部劇。(Yahoo!映画より)

 

おはようございます。連続ブログ小説『モヘアさん』第3話です。

 ~前回までのあらすじ~

ノミ粛清魔法「スチナブル」と引き換えに美容院に辿り着いた私は、受付けのお姉さんから「施術を始めるには夢2つと希望1つが必要です」と言われたので、なけなしの夢と希望を支払い、心が絶望した。このお姉さんは客から夢や希望を騙し取る悪女、その名もディザイア・ウィッチだったのだ。彼女を倒す方法はスチナブルしかない。スチナブル返してくれ、おひょんど!

 

さて、前回の続きである。

私の髪を受け持ってくれた斜め被りは、こちらが話しかけんなオーラを発しているにも関わらずがんがん話しかけてきた。問題はその内容で、私の頭を見るなり「お兄さん、歳のわりには白髪が目立つよねえ?」、「毛染めをした方がいいっすよ」、「染めるなら市販の毛染め剤より美容院で染めた方がいいっすよ」、「つまりウチで染めるのが得策ですっすっすす」みたいな純度100%の営業トークを矢継ぎ早に仕掛けてきて、少々イラついた私が「白髪は気にならないので染めません」とハッキリ断ると、こんだ「髪に動きをつけたいと思うよねえ?」、「パーマネントを当ててはどないですか」、「なにも全体に当てなくても、一部だけ当てる方法もあるんですからね、今は」、「みんな当ててるよ、今は」なんつってパーマネントの今を力説。まあまあイラついた私が「動きはつけたくありません、今は」とハッキリ断ったら、しまいには「カラーリングをしたいと思うよねえ!?」。

なんで食い下がってくんねん。

セットメニューの押し付けがすごいわ。こっちはカット料金以外ビタ一文払うつもりはないので「カットだけでいいです」と言ったが、なおも斜め被りは「炭酸ヘッドスパならしたいと思う!?」と執拗に話しかけてくる。…精神が分裂しているの?

さあ困った。さすがの私も事態を重く受け止め、これだけはしまいと思っていたが…ついに死んだフリをしてしまった。だがそれが功を奏した。斜め被りは私が死んだと思い込み、ようやく無駄話をやめてカットに集中してくれたのだ。やれやれだ。

さて、物語もいよいよ佳境。次回『モヘアさん』は感動のフィナーレ!(つづく)

そんなわけで本日は『シェラマドレの決闘』でーす。

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◆イキってるやん◆

れっきとしたアメリカ映画だがイタリアの土臭さに満ちた疑似マカロニ・ウェスタンにマーロン・ブランドほどの大物が出演した理由は当時のブランドが落ち目だったからである。

『欲望という名の電車』(51年)で夢のハリウッドに初めてを持ち込んだブランドは、間もなくして『革命児サパタ』(52年)『波止場』(54年)でカンヌ映画祭&アカデミー賞の主演男優賞をかすめ取り、『乱暴者』(53年)では革ジャンとジーンズでオートバイにまたがるロックなイメージが無名時代のエルヴィス・プレスリーやビートルズのようなフォロワーを生み、ブランドが確立したメソッド演技はジェームズ・ディーンやポール・ニューマン(およびロバート・デ・ニーロのような下の世代)に多大な影響を与えた。

わずか30歳にして演劇界の頂点に君臨した覇王なのでした!

どっこい、60年代頃からブランドの覇道が翳りはじめる。パパンが投資を失敗したために手当たり次第にオファーを受けねばならなくなったブランドは、極めて大味な映画に出演し「ブランドのブランドが落ちた」などと揶揄された。撮影現場では見境なく人と衝突するトラブルメーカーで、チャップリンに盾突いたりキューブリックを解雇して自らメガホンを取るなどして業界一の嫌われ者になってしまう。

その後『ゴッドファーザー』(72年)で大復活を遂げ、『ラストタンゴ・イン・パリ』(72年)で物議を醸し、『スーパーマン』(78年)で「世界一ギャラの高い俳優」としてギネス認定され、『地獄の黙示録』(79年)では謎の王国を築きます。

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米演劇界の覇王マーロン・ブランド

 

そんな覇王マーロン・ブランドがグズグズの落ち目だったころに作られたのが『シェラマドレの決闘』である。

どういった中身か。牧場経営に必要な愛馬を盗まれた覇王がシェラマドレで決闘して馬を取り返すんである!

馬を盗んだ一味の大将ジョン・サクソンは札付きのワルだが、元はといえば覇王がふてこい顔で「オレに関わると死ぬぜ!」と煽ったことでサクソン軍団が腹を立てて愛馬を盗んだので基本的には覇王が悪いといったストーリーの前提があります。

馬を盗まれたとき、覇王はグデグデに泥酔していて「酒の気持ちよさと馬を盗られた怒りの同居!」とわけのわからないことを叫んでフラフラになりながらサクソン軍団に発砲するも命中精度が終わりきっているのでちくとも当たらない。爆笑したサクソン軍団は覇王を縄で捕えて荒野を引きずり、木に吊るしあげた。屈辱にまみれた覇王は「ぜってーぶっ殺す」と復讐を誓うが、どうも私の目には逆恨みに見えて仕方がない。むしろ命を取らなかっただけサクソン軍団はやさしいとすら思った。

それと同時にふてこい顔で煽ったわりには覇王弱すぎ問題というのが私の中で持ち上がりました。いかな酒に酔っていたとはいえ弾を全然当てられず、縄で引きずり回されて砂まみれになるような醜態を見せられてはどうにも擁護に困るというものだ。

なまじ馬を盗まれる前の覇王はオレ只者ではありませんよオーラをむんむんに放ちながら教会を訪れ「大勢を殺してしまった…」と懺悔する。つまり観客に対してオレ大勢殺せるほど強いですよアピールをしっかりキメたわけだ。そして、その直後に「オレに関わると死ぬぜ!」と煽る。で、縄で引きずり回される。

イキってるやん。

さんざっぱら見得を切っておいてズタボロに痛めつけられる覇王にうっすら漂う反笑い感がすごい。このあと名誉挽回できるのかしら、この人…。

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泥酔状態でサクソン軍団に銃を向ける覇王。

 

◆覇王先生の目も当てられぬ醜態◆

さて、敵の根城に着いた覇王は、サクソンの情婦にされているアンジャネット・カマーに「勝ち目ないから逃げて」と諭されたことで心が折れてすごすご逃げようとする。

もう諦めるん?

「ぜってーぶっ殺す」と言って復讐を誓ったのに、ちょっと諭されただけで自信失って引き返そうとすなよ。しかも逃げようとしたところをサクソン軍団に見つかってあっさり捕われてしまうというミジメなオマケ付き。覇王先生…。

 

捕らえた覇王先生を手厚くもてなしたサクソンは、二人分のテキーラを注いでサシ飲みの場を整え、覇王先生とじっくり語り合う。

やはりサクソン軍団はやさしい連中だと思った。

すぐ暴力に訴えるのではなく話し合いで解決しようと努めるサクソンはきわめて理知的な人物だし、いかなアウトローとは言え、真のカリスマというのはこういう人間のことを言うのだと思う。今はっきりした。サクソン軍団はイイ軍団だ。

だが覇王先生はサクソンの心配りを無下にして「馬を返してくれたら命は取らずにおく」などとハッタリをかまし、サクソン軍団を不快なきもちにさせる。この発言にはさすがのサクソンも腹を立てたが、やはり紳士! 寄ってたかって覇王先生をなぶり殺すのではなく腕相撲対決を申し込む。テーブルにサソリ2匹を固定して、負けた方が手の甲を刺されて死ぬ…というデスマッチだ!

サクソンに「おぬし、自信は?」と訊かれた覇王先生は「ある」と答えた。

結果、覇王先生が惨敗します。

ちょお頼んますわ、先生ぇ…。

あっさり負けた覇王先生はサソリに刺されて「あっぎゃー!!」などと騒いでピクピクなさる。なぜ「自信は?」と訊かれて「ある」なんて答えたのだろう。「ある」と答えたからにはフツーに負けるなよ。

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サソリ相撲で敗れた覇王先生(わりにあっさり)。

 

サクソンの部下に「そこで死んでろ!」と表に放り出された覇王先生はアンジャネットの粋な計らいで羊飼いの家まで連れていってもらい、特殊な治療を受けてどうにか一命を取り留める。

後日、アンジャネットを探すサクソン軍団が羊飼いの家を訪れたが、羊飼いは二人を墓の中に隠してシラを切った。墓の中では覇王先生が「負けて、死にかけて、墓の中とは…我ながら情けない」と自己評価した。その通りだよ。

このあと遂に覇王先生が反撃に転じるが、その活躍ぶりが別人のように雄々しいので違う映画を観ている気分になれます。急に覚醒してサクソン軍団を蹴散らすのだ。たしかに「惨敗からの勝利」は西部劇の鉄板コースだが、惜しむらくはそこにロジックがないから困る。それにサクソン軍団がそう悪い連中ではないので、覇王先生に殺されるたびに「かわいそうだなー」って気持ちになること請け合いである。

とりあえず覇王語録を付記しておくわ。

 

「オレに関わると死ぬぜ!」→このあと辱めを受ける。

「馬を返してくれたら命は取らずにおく」→むしろこっちの命が取られてもおかしくない状況での発言。

「自信は?」と訊かれて「ある」→このあとフツーに負ける。

「負けて、死にかけて、墓の中とは…我ながら情けない」→ザッツライ。

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覇王の余裕。

 

◆マーロン・ブランドは英雄願望なき英雄なのです!◆

事程左様に本作のマーロン・ブランドは観る者を失笑させずにおかないが、技術面ではなかなかどうして馬鹿にできない逸品なのである。

望遠レンズを使ったシネマスコープの鮮烈さには他の西部劇と一線を画すアーティスティックな味わいがあり、本作の存在価値はほぼほぼこの一点に集約されると言っても過言ではないほど唯一無二の映像世界を築いている。

とりわけ手前の被写体を画面端に寄せる構図

これはインディーズ系の芸術映画でたまに見かける洒落たフレーミングで、一般的に美しいとされる左右対称性をあえて崩すところがポイント(木下惠介がごく稀にやる)。

まるで決してセオリー通りの構図におさめないという命題に取り憑かれたように、すべてのショット/カットを王道から僅かにずらしていく手つきが実にスリリングで、一手先のショットが読めないのである。洗練された奔放さとでも言うのか、つまるところ「スタイリッシュ」とはこういう映画を褒めるときに使う言葉なのだろう。

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アンジャネットを右寄せしたオシャレ構図。

 

実際、私がこの映画に興味を抱いたのも、ホークスの『赤ちゃん教育』(38年)を手掛けたラッセル・メティの撮影と知ったからである。ほかにもメティはキューブリックの『スパルタカス』(60年)も手掛けているが、こちらはいかにもキューブリックの指示通りに撮ったというお行儀の良さがやや退屈な一品。

翻って『シェラマドレの決斗』では監督のシドニー・J・フューリーが無能なので実質的にメティとブランドがイニシアチブを握り「あんなこといいな。できたらいいな♪」と二人で相談しながら撮影したのか、“演技者マーロン・ブランド”と“撮影者ラッセル・メティ”のいいところが全面に出た作品であった。

ちょっと続きを歌いますね。

 

あんな夢こんな夢 いっぱいあるけど

みんなみんなみんな 叶えてくれる

メティがカメラで叶えてくれる

空を綺麗に撮りたいな

「ハイ、望遠レンズ!」

 

まあ、そういうことです。

 

「イタリアの土臭さに満ちた疑似マカロニ・ウェスタン」というあたりもポイント。

劇中のブランドはメキシコ人に育てられたという設定で、人種的にはアメリカ人でも心はメキシカンという熱き男を演じている。『革命児サパタ』でもメキシコ人革命家エミリアーノ・サパタを演じているし、『地獄の黙示録』ではアメリカ軍人でありながらカンボジア奥地に独立王国を作った狂気の覇王に扮するなど、普通なら生まれも育ちもアメリカのハリウッドスターがあまり演じないような役を積極的に演じてきた俳優なのである。

また、ブランドは公民権運動にも深く関わっており、『ゴッドファーザー』でアカデミー主演男優賞に選ばれた際は「インディアンを差別すなカス!」とぶち切れて受賞拒否。インディアンを野蛮民族として描いてきた米西部劇に対する積年の恨みが『シェラマドレの決斗』を作らせたのだろうか。

マーロン・ブランドは、決してジョン・ウェインやジェームズ・スチュワートのように格好良くはないし、イキってボコボコにされたりサソリに刺されたりもするが、この男の「辛酸を舐め倒すミジメさ」こそがマカロニ・ウェスタンの地べた的活力なんである。さすが覇王。

地位も名誉も手にしたハリウッドの覇王マーロン・ブランドは、生涯で一度も“アメリカン・ヒーロー”にはならなかった。

歓声の代わりに鳴るのはスパニッシュギターの静かな音色だけ。

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覇王の名は伊達じゃない。