シネマ一刀両断

面白い映画は手放しに褒めちぎり、くだらない映画はメタメタにけなす! 歯に衣着せぬハートフル本音映画評!

さよなら、退屈なレオニー

無内容だがヤケに透き通った映画くんな。

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2018年。セバスチャン・ピロット監督。カレル・トレンブレイ、ピエール=リュック・ブリラント、フランソワ・パピノー。

 

ケベックの海辺の街で暮らすレオニーは、高校卒業を1カ月後に控えながら、どこかイライラした毎日を送っていた。退屈な街を飛び出したいけど自分が何をしたいのかわからい。口うるさい母親も気に入らず、母親の再婚相手のことは大嫌い。そんなレオニーが頼りにできるのは離れて暮らす実の父親だけだった。そんなある日、レオニーは街のダイナーで年上のミュージシャン、スティーブと出会う。どこか街になじまない雰囲気をまとうスティーブに興味を持ったレオニーは、なんとなく彼にギターを習うことになり…。(映画.comより)

 

おはよう諸君。

毎度毎度、前書きに時間を取られるのが本当に癪なので「らー」とだけ言い添えておく。

 

らー。

 

そんなわけで本日は『さよなら、退屈なレオニー』です。

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◆われわれを癒しながらヒロインを苛立たせる二重都市「ラ・ベ」◆

「観ても評を書かない映画」にはいくつかのパターンがある。

話の広げようがないほど底の浅い映画。私の感想と世間の感想があまりに合致した映画。いちいち「すごい」とか「ひどい」と言う必要すらない映画。誰にも教えたくない映画。そして無内容だがヤケに透き通った映画です。

この「無内容だがヤケに透き通った映画」は実に語りにくい。なんせ透き通ってるからね。これといって大した出来事は起きず、話の筋道や目的もなく、示唆も教唆もない。技法に目を見張る点もなければ思わずハッとする映画的瞬間もない。ただし透明度だけは高く、なんとなくいいものを観たような気がするのだが、その「なんとなく」を明確化する言葉が見つからないのだ。

ブログを始めてからは『スウィート17モンスター』(16年)『ライフ・ゴーズ・オン 彼女たちの選択』(16年)がまさにこれだった。印象論でよければいくらでも撒き散らせるが、傑作性なり非傑作性なりを理詰めで説明できなければ批評する意味がないので、しょうがないので「ちぇ」と舌打ちをして評を見送ったのである。

爾来、それらしい映画を観るまえには「無内容だがヤケに透き通った映画くんな、無内容だがヤケに透き通った映画くんな」と念じながら鑑賞に臨んでおり、今回の『さよなら、退屈なレオニー』も鑑賞前にしっかり念じたはずなのだが…

無内容だがヤケに透き通った映画きたー。

やめてって言ったじゃなああああああああい。念じたのに何でくんのおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおお。

キリッ。そんなわけで『さよなら、退屈なレオニー』をやっていきましょう。

 

カナダ・ケベックの海辺の街に暮らす女子高校のカレル・トレンブレイは、のろまな街とママン再婚相手に苛立ち、よく学校をサボってぷらぷらしていた。ママンの再婚相手は地元では有名なラジオDJで、ジョークがつまらない割には無根拠な全能感を抱いている。要するにバカだ。

ある日、カレルはダイナーで出会った年上のひげ男・ピエール=リュック・ブリラントと親しくなる。ひげは老いたママンと暮らしながら実家の地下でギター講師をしており、なんとなく興味を抱いたカレルは中古のダマしみたいなアコギを買ってひげに師事する。週に1、2回、地下の密室で二人きり。だが、それで世界が輝くわけでも恋に落ちるわけでもなく、相変わらずとしか言いようのないもっさい日々が陽炎のようにゆらゆらと続いてゆくのであった!


まあ、およそこのような内容である。なんも起こんね。

無内容だがヤケに透き通った本作は、17歳の少女の多感な感性をリリカルに描くこともしなければ青春の蹉跌や輝きを瑞々しく活写することもなく、また15歳ぐらい年の離れたカレルとひげの友情とも愛情とも取れぬきわめて曖昧な関係性が何らかの劇的変化を契機にその均衡を崩すこともない。

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無内容だがヤケに透き通っている。

 

よろしい。ならば「風景」と「人物」に目を向けてみよう。そっちがその気ならこっちはこの気だ。

本作は純度パーセントのカナダ映画で、舞台はケベック州である。

と言ってもケベックは広く、一般的にはモントリオールが有名だが、とても残念なことにカレルが住んでいるのはサグネという中途半端な都市の「ラ・ベ」というさらに中途半端な街である。適度に自然が多く、適度に気候もいいが、適度に疲れきった住民たちは「よそへ行く気力がないからここに住み続けているだけさ」といった仏頂面を引っ提げて道をペタペタ歩いている。よく見ると建物もけっこう歪んでいた。

だがそう悪い景観ではない。いわばアカの他人の目にはすてきな街に映りもするが、この地で毎日退屈している少女にとっては忌々しいことこの上ない街なのだ。

街というのは、そこに「住む者」と「住まざる者」とで180度別の顔を見せる。そのあたりの感覚がよく描き出されていて、つまり二重都市「ラ・ベ」はわれわれを癒すと同時にカレルをひどく苛立たせるのである。難儀なこったな。

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適度に難儀な街ラ・ベ。

 

◆身につまされた◆

次に人物を見ていこう。

友達に恵まれたカレルはそれなりに楽しく仲間とつるみながらも、そこにわずかな隔たりを感じている。笑いの感性や思考の次元がいまいち噛み合わないもどかしさは、やがてカレルに「気のいい連中だけど一生付き合う友達ではない」と見限らせるのだ。

それにしても、グループの中で爆笑が起きたときにカレルだけが笑うタイミングを一瞬逃すショットが馬鹿に身につまされたなぁ…。

私なんかは見ての通りこんな人間なので大体の人とはチャンネルが合わない。会話が噛み合わなさすぎて間に人を立てて通訳してもらいながら雑談したことすらある。

授業中に「この問題について意見がある人?」と教師に訊かれて周囲のクラスメートが挙手する中、カレルだけが手を挙げなかったことを延々問い詰められるシーンも辛かったな。

女教師「なぜアナタだけ手を挙げないの?

カレル「なぜって…特に意見がないからです

女教師「みんな意見したがってるのに?

カレル「そうですね、でも私は…

女教師「みんな手を挙げてるのよ?

カレル「手を挙げることは強制なんですか?

女教師「いいえ。でもみんな挙げた

ア~ハァァァァン? なんだこの教師は。スットコドッコイか?

意思がないから意思表示しないというカレルの意思をことさらに侮辱し、クラスメートの前で晒し者にした挙句、まるで迎合を称揚するかのごとき身振り。集団に意思を預けて右へ倣えすることが貴様の教育だと言うのか! くそがッ!

いいよ、だったらそのゲームに乗ってやるよ。ヘイみんな、この教師がくたばった方がいいと思うなら挙手してくれ。お、読者のほとんどが挙手してくれましたね。ハイ多勢に無勢ー。おっやーおやおや? チョイとそこの教師さん。なぜオマエだけ手を挙げないの?

みんな手を挙げてるのに。

もちろん強制はしないよ。

でもみんな挙げたぞ?

くたばれファシスト!!!

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スットコ教師に追い詰められたカレル。

 

ぶち切れてしまったことを謝罪します。学校教員に対しては積年の恨みがあるのでつい取り乱してしまった。気を取り直して次は「ひげ」ことブリラントを見ていこう。

ギター講師のひげはヘヴィメタルを教えている街一番の速弾きギタリストだが、多くのメタルヘッズ同様に引っ込み思案で非社交的、カレルの言葉にもぽつぽつとしか返事しない物静かな男だ。これにも身につまされた(メタル好き=荒っぽいは大いなる誤解。激しい音楽を好む奴ほど根暗なのである。※そもそも荒っぽい人間は真面目に音楽など聴かない

どうやら内心ではカレルに惚れているようだが、貧乏、実家暮らし、おまけに歳の差を気にしてアタックを仕掛けられぬまま心のうちに持て余した恋の炎を自ら消してしまったひげは、どこか『ゴーストワールド』(01年)のスティーヴ・ブシェミを思わせる悲しきおっさんであった。

ひげが老いた母親の代わりにボロボロの犬を散歩させるシーンが味わい深い。たしかマルチーズだったか、そんな感じの犬だったと思うが、まるで何かに敗北したように見すぼらしく、いつも苦虫を噛み潰したような顔をしていた。まさに負け犬って感じの犬だな。その犬がまるでひげ自身と重なるようで実に悲哀に満ちていた。満ち満ちていた。

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自己評価低すぎて恋にも奥手なひげ。だめだこりゃ。

 

◆目覚めていない◆

詩には論理が必要です。映像詩にも論理が必要です。われわれは詩的な雰囲気に満ちた映画を「おしゃれ映画」と呼んでしまうが、ジュネもジャームッシュもハートリーもすぐれて論理的だ。その意味で本作は限りなくおしゃれに見えるが到底詩的とは呼びがたく、喩えるなら、そうだな、フィルムの表皮に化粧水や乳液や美容液をめちゃくちゃな順番で塗りたくった10代のスキンケア映画といえる。つまり論理がない。

実父の過去の過ちにショックを受けたカレルは、それまで仲のよかったひげを急に拒絶し、継父の車を『ストリートファイターⅡ』のボーナスステージさながらにバットで破壊する(理不尽すぎ)。

まぁ、唯一こころを開くことのできるパパンに失望したことで全てに嫌気が差したのだろうが、この行動は「17歳のリアル」ではあっても「映画の論理」ではない。あまりにお粗末だ。ひげとの関係を悪化させたり継父と訣別させるのであればもっとうまいやり方を考えないと。ボーナスステージで車壊してる場合とちゃうぞ。

これが長編処女作となるセバスチャン・ピロットのインタビューを読んだのだが、なんというか…目覚めていない奴だった。

世界に対して覚醒していないのだ。心の中に「独立国オレ」を築き、移民も外交も拒否、対外的な論理交換にも興味を示さず、王国の外側に世界が広がっていることを認めようとしない。とかくこのタイプは「これでいく」と言ったら頑として譲らず、「ひょっとしたら違うかも」とは考えない。そしてジョークがつまらない(この映画も肩がこるほど糞真面目)。

インタビューではインテリジェンスな言説をこねくり回していたが、どれだけインテリでも根本がバカというか、無知について無知なんだろうな。

 

挿入歌はヴォイヴォドやアーケイド・ファイアなどカナダのロックが中心。ただしトミー・ジェイムス&ザ・ションデルズの「Crimson and Clover」みたいなアメリカン・オールディーズも流れるので多分テキトーに選んでいるんだと思う。

そしてラッシュの「Spirit of Radio」に合わせてエアードラムに興じるひげの輝き。本作はこのワン・ショットを見てもらうためだけに生まれてきた映画といっても過言ではないほどここだけ特出していた。

そんなわけでセバスチャン・ピロットの映画を観るのはこれが最後になると思いますけど、「一服してくる」と言ってダイナーの外でキャンディーを舐めだしたカレルが店内にひげを残したまま走り出してバスに飛び乗るラストシーンは忘れがたい。ファーストシーンでもバスに飛び乗っていたので綺麗な円環構造を成している。当然ながら、ヤケに透き通っております。

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