シネマ一刀両断

面白い映画は手放しに褒めちぎり、くだらない映画はメタメタにけなす! 歯に衣着せぬハートフル本音映画評!

今日も嫌がらせ弁当

映画とは関係ないけど篠原涼子のあの曲名が思い出せない。

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2019年。塚本連平監督。篠原涼子、芳根京子、松井玲奈。

 

幼いころは「大人になったらお母さんと一緒にレストランをやる」と言っていた双葉も、最近ではすっかり反抗期に突入し、生意気な態度で何を聞いても返事すらしない。そんな娘への逆襲にと、かおりは双葉の嫌がる「キャラ弁」を作り続けているのだが、やがてそのお弁当は、会話のない娘への大切なメッセージへと変わっていく。(映画.comより)

 

はい、オハヨマス。

私は幼少期から「自分以外の人間は哲学的ゾンビかもしれない」と疑っている。私以外の人間は私と同じように「意識」を持った「同じ人間」なのか? という素朴な疑問だ。

また、「私の視界に映っている『ここ以外の場所』なんて本当は存在していないのではないか」とも思っている。本当は曲がり角の先には何もなくて、私が角を曲がった瞬間に都合よく景色が現れているだけではないか?ということである。

中二病の戯言みたいに聞こえるだろうが、まあ、ピンとこない人には全くピンとこない感覚だろう。要するに世界に対する根本的な疑問だな。

こういう話を友人にしたら、その友人は共感を示してくれた。

友人「わかる気がするな。電車に乗ってると車窓の景色がビュンビュン変わっていくけど、本当は動いてるのは電車の方じゃなくて景色の方じゃないか?って。そういうことでしょ?

おれごめん。なにをいってるかぜんぜんわからない

友人「ズコーッ!

そんなわけで、中学生のときに哲学に目覚めたのだが、難しい用語がいっぱい出てくるのですぐやめた。そもそもロジックで解決しても腑に落ちないような疑問を抱いてるのだから学問に頼っても無駄だと判断したのだ。極論、哲学なんて論理ゲームだからね。この世はむずい。

そんなわけで本日は『今日も嫌がらせ弁当』です。

実は「そ」で変換するだけで「そんなわけで本日は『』です。」と出るように単語登録してます。

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◆今日も一刀両断シネマ◆

よく考えたら私は篠原涼子のことをほとんど知らなかった、という衝撃の事実に直面した。

まあ、さすがにダブルミリオンを記録したあの曲ぐらいは知っているが、どうも曲名が思い出せなくて苦しんでる(あえて調べないという強情スタイル)。

たしか「愛しさと切なさと力強さと」みたいな曲名なんだよな。かなり近い気もするけど、なんか違うよね。

「悲しさと切なさと糸井重里」だっけ。そんなわけないか。じゃあもう分からん。

 

いかに自分が篠原涼子について無知蒙昧か、改めて思い知らされたなぁ…。

この人って米倉涼子と同じくドラマ女優だと思うんだけど、私はテレビドラマを見ないので『アンフェア』『ハケンの品格』も知らん。

しかし、なぜかここ最近になって『SUNNY 強い気持ち・強い愛』(18年)『人魚の眠る家』(18年)と主演映画が立て続いている(どっちも観てないが)。

そんな何ひとつ篠原涼子を見てこなかった私が、とある知人に「篠原涼子を知らないのはちょっとマズいっしょ」、「いまや『篠原知らない見たことない』が罷り通る世の中じゃないっしょ。生き恥っしょ」とメッタメタに責められ、「そっかぁ、このまま現代人として生き恥を晒すのも癪だしなー」と逡巡した果てに鑑賞を決めたのが『今日も嫌がらせ弁当』です。

でも観る気しないなぁ…。

正直、べつに篠原涼子なんてどうでもいいんだよな、およそ私の人生において。でも「篠原知らない見たことない」じゃ罷り通らないと言うのだしなー。

あ、でも芳根京子ちゃん出てるの?

じゃあ観る観る。

涼子への無関心を京子で補填する男。そうなのだ、私は『累 かさね』(18年)を観て芳根京子のちょっとしたファンになったんだよ。

うおおおお、今ならあの曲名が思い出せそうだ!

切なさと寂しさと心強さと!(確認はしないが多分合ってるだろ)

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涼子と京子。

 

この映画は、月間約350万アクセスを記録する人気ブログ『kaori(ttkk)の嫌がらせのためだけのお弁当ブログ』が基になっており、のちに書籍化されたエッセイを原作とするブログ発信の映画である。

たしか『劇場版 ファイナルファンタジーXIV 光のお父さん』(19年)もブログの映画化だったよね。まったくとんでもねえ世の中だな。パンピーの書いたおもしろブログが映画になる時代かー。ふーん…。

じゃあ『シネマ一刀両断』は?

映画化に耐えうるおもしろブログなんて『シネ刀』をおいて他にあるか? 坊ちゃんとかキャサリンとか、まさにお誂え向きじゃない。キャラ作る手間省けるし。いつも載せてる前書きをいい感じに繋げてエピソードにすれば体裁整うじゃない。僕の役は松田龍平くんにお願いしたいと思うな~。

例えばこういう感じ!(これ企画書ね)

 

『今日も一刀両断シネマ』

2021年。監督、脚本:石井裕也

原作:『シネマ一刀両断』(はてなブログ)

ふかづめ役:松田龍平

元気100パーセント坊ちゃん役:5年前の寺田心

キャサリン・キャサリン・ランデブー役:水野美紀

インタビュアー純役:加賀賢人

G役:尾野真千子

やなぎや役:木村佳乃

CONMA08役:酒井敏也

とんぬら役:風間俊介

 

~あらすじ~

映画好きの青年ふかづめは、友人に騙されて『シネマ一刀両断』というブログを立ち上げた。最初の数ヶ月は調子よくアクセス数を伸ばしていったが、『映画好きが一生され続ける質問TOP10』という記事が変なバズり方をして袋叩きに遭ったり、Gという人からストーカー被害に遭うなど災難の連続。また本人もつまらないギャグばかり言うので読者からは軽蔑され、自分でやり出した前書きに苦しめられたりと八方塞がり。

そんな折、ふかづめが作り出した架空のキャラクター、元気100パーセント坊ちゃん、キャサリン・キャサリン・ランデブー、インタビュアー純がブログから飛び出してふかづめの目の前に現れる!

キャサリン「切り盛りしましょうよ!」

かくして4人一丸となって『シネ刀』の立て直しを図ろうした矢先、以前からふかづめに付きまとっていたGが『シネ刀』を乗っ取って養豚ブログにしてしまうという未曾有の危機が…。読者離れに拍車が掛かる中、ふかづめたちは無事にブログを取り返すことができるのか…!? (映画.cqmより)

 

クソくだらねえわ。

なんじゃこの茶番。

真面目に考えてはみたものの、こんな内容じゃ当たるもんも当たらない。そもそも5年前の寺田心をどうするか問題が横たわってるわ。

f:id:hukadume7272:20200318032949j:plainだが私は諦めてないぞ。『シネ刀』は映画化されるべき。

 

◆弁当が親子の絆を繋ぐで!◆

ごめん、映画のことすっかり忘れて夢中で妄想書いてた。

何かを挽回するように急いで話を戻すと、この映画はシングルマザーの篠原涼子が反抗期を迎えた高校生の娘ちゃん・芳根京子に嫌がらせみたいなキャラ弁を作り続ける3年間の戦いを描いてるんやで。

「態度を改めるまで嫌がらせを続けますからね!」と宣戦布告した母は、学校ではクールキャラで通っている娘の弁当にさまざまなイタズラを仕掛ける。幼稚園児が喜ぶようなキャラ弁から、海苔で書いた「皿は片せや」という説教弁当まで。母が作る弁当はたちまち校内で評判になり、みんなの前で赤っ恥をかいた娘は態度を改めざるを得なくなる…みたいな母娘関係が描かれていくわけ。

とはいえ、観客から「これって虐待じゃん…」と思われたら一発アウトの結構デリケートな物語なのだが、その緩衝材となっているのが篠原涼子だと思うんだわ。

とっ散らかった顔つきと、ボヤッとした佇まい、なにより気の抜けた甘い鼻声。

こうした篠原イズムが「嫌がらせ弁当」というモチーフに薄っすらとつきまとうトゲを優しく洗い落としてくれる。もしこれが小泉今日子とか菅野美穂だったとしてもやっぱりちょっと虐待感は漂ってしまうと思うが、篠原涼子だと何故かそれを感じない。そういうのを不問に付してしまう雰囲気があったわ。

そうそう。ちょうど今この人を調べてたら「演技下手」みたいな検索予測が出てきたんだけど、要するにみんな「リアルか不自然か」ってとこでしか芝居を判断してないわけでしょう。それで言うなら篠原涼子は不自然ですよ。不自然だからこそ「リアルな虐待感」が抑制されてるんですけどね、っていう!!!

f:id:hukadume7272:20200305073324j:plain「嫌がらせ弁当」といってもマジの嫌がらせではないので安心されたい。

 

この映画の「ベスト篠原」は寝坊助の娘を起こすファーストシーンで決まり!

目覚ましが鳴っても起きない娘に業を煮やした涼子ママンは「秘技・高速両手しばき」で娘をレム睡眠から引きずり上げていく。下半身から上半身に向かってパシパシパシパシと叩いていって最後に頭をスパーンとしばき抜くのだ。

それでも娘が惰眠をむさぼり続けるので「最終奥義・挑発のサンバ」という強硬手段に出た。わけのわからない洋楽を口ずさみながらサンバもどきの恥ずかしい踊りを披露することでイライラを掻き立てて無理やり起こす、という高等戦術である。子は親の恥ずかしい姿に苛立ちを覚えるので、これには娘も堪らず「もぉ~~…うっざ!」と言いながらのそりと起きた(クワッとあくびをする芳根京子のチャームも見逃さずにおきたい)。

ちなみに、この最終奥義を応用すれば思春期の息子を一瞬で起こす事もできる。母が息子のベッドに潜り込めばいいのだ。一発で飛びあがるぞ。

 

そんな母の弁当は「娘への宣戦布告」であり、家ではまったく口を利いてくれない娘との唯一のコミュニケーションツールでもある。娘にかまって欲しいという願望が、ただでさえ仕事で忙しい母に毎朝早起きしてまで弁当を作らせるのである。

一方、娘の方も「おまえの母さんすげーな!」という同級生からの賛辞にまんざらでもない様子で、「マジやめてほしいわー」というポーズを取りながらも毎回残さずペロッと完食する。顔を合わせると喧嘩ばかりの母娘だが、弁当を作る/食うという行為を通して本当のコミュニケーションが描かれていくだな!

それと平行して描かれるのが、せっかく作った弁当を誰かに見てほしいという思いから涼子ママンが始めた「嫌がらせ弁当ブログ」のヘヴィ読者になったシングルファーザー佐藤隆太のパパ奮闘記である。幼い息子のためにキャラ弁を作ろうと奮起するが、まぁこの辺はどうでもいいや。子役も可愛くねえし。

物語後半は、高校卒業後に地元の八丈島を出て東京都内で就職する気でいる娘の進路開拓ストーリーと、そんな娘とようやく仲良くなりかけた卒業間近に涼子ママンが脳梗塞でぶっ倒れてキャラ弁が作れない…みたいな葛藤があらゆる泣かせ技を総動員して描き出されていくが、まぁこの辺もどうでもいいだな!

娘の卒業式前夜にこっそり病院を抜け出したママンが病身を押してまで作ったキャラ弁のラストメッセージで一発泣かせて、東京に旅立つ娘がママンに残した手作り弁当&手紙でまた泣かせて、船に乗った娘をママンが見送るラストシーンでトドメを刺す…という涙の三段弁当で観る者の胃を破裂させていく剛腕スタイル。

日本映画が大好きな病気、手紙、見送りの豪華フルコースの突きつけはやめろ。もうお腹いっぱいなんだよ。

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キャラ弁を嫌がる芳根の京子ちゃん。

 

◆島紹介に地図情報にワイプって…バラエティ番組かよ!◆

同じ事務所の先輩後輩にあたる篠原涼子と芳根京子の掛け合いがむやみに楽しく、「脳梗塞展開とかいいからずっとホンワカやっててくれー」と願わずにはいられない豊かな日常性が見所になっている反面、映画の出来栄えとしてはちょっぴり…、うんにゃ、かなり厳しく、例えるなら崩れたお弁当みたいな酷さである。

まず、こいつらの住んでる所が八丈島なのだが、意味もなく観光要素をフィーチャーしてくるので困る。開幕早々、八丈島がどういう所かという図解が篠原のナレーション付きで延々続き、「八丈島って東京都に含まれるのに羽田空港まで1時間もかかるんですョ!」みたいな大して面白くない島民ギャグにやたら固執して、隙を見つけてはぶっ込んでくる。

挙句の果てには「八丈島ではギョサンと呼ばれるサンダルが人気で、従来のビーサンよりもグリップ力に優れてるんですョ!」なんつってサンダル専門店を紹介し出す始末。

いや、本筋と関係ないでしょ。はよ弁当作れや。

問題は、このような八丈島紹介がメインストーリーの寄り道がてらに配置された小ネタならまだしも割とがっつり旅番組の感じでフィーチャーされていることだ。

背景として収めるぶんにはすばらしい情緒を持つ八丈島も、こうもはしたなく前景化してしまうと雑情報でしかない。

 

雑情報といえば演出もひどい。

まず画面内に絵や文字をゴテゴテ張りつけるスーパーインポーズからして作り手の品性を疑う。

アニメみたいな手描きの地図情報や、画面を覆うLINEの文章(しかも朗読までする)。果てはバラエティ番組さながらにワイプで登場するキャラクターなど、とにかく画面がガチャついてて観づらいことこの上ないのだ。

その上、劇中にはフェイクのエンドロールが何度も流れて、そのたびに涼子ママンが「まだ終わってないわよーゥ!」と高橋留美子マンガみたいなメタツッコミをする。

なんというか「どう、映画のお約束破ってるでしょ? 映画界の岡崎体育みたいでしょ?」という作り手のドヤ感が激烈にサムい。八丈島って温かい所なのに。

その極みとも言えるのが涼子ママンの作るキャラ弁だ。さまざまなお笑い芸人たちが「海苔で描かれたイラスト」として登場するのだが、その海苔がストップモーションアニメで動き出して、本人たちの声で一発ギャグが発されるのである。

そこで登場した芸人は、ダンディ坂野小島よしおスギちゃん日本エレキテル連合など。

どれも賞味期限切れてるじゃねえか。

大丈夫かよ、その弁当!

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いや、アウツ。

 

事程左様に、テレビ感覚で映画を破壊した厚顔無恥な作品だが、よく言えば「遊び心」という言葉で微笑ましく見ることはできても、多少なりとも小津や清順やゴダールに触れ「映画の破壊」というものについて一瞬でも思いを巡らせた者(あなたがそうであることを願います)であれば「遊び心」ではなく「お遊び」という言葉のもとに叩き斬らねばなりません。

第一、これは「映画の破壊」なんて立派なものではなく、フレームを玩具のように扱って映画をイジってるだけ。破壊にせよイジりにせよ、芸のある人だからこそ成立するんだよ、そういうのは。それぐらい映画としての土台がグラグラで、本当に酷いわけ。

どれくらい酷いかと言うと、娘が高校を卒業するまでの3年間もの歳月が描かれてる割には季節感に乏しく…なんかずっと春めいてるんだよ。

どのシーンでも人物は同じような服を着ており、草木は同じ花を実らせている。夏祭りもクリスマスもなし。一応「食」がテーマの映画なんだから季節の変化って大事なんじゃないの? 季節の食材とかあるでしょ?

調べたところ、本作の撮影期間は2018年の3月下旬~4月中旬にかけて行われたというのね。この1ヶ月弱の間に3年分のエピソードを撮ってるわけ。

3年間ずっと春かよ!!!

なにこの桜を持てあました花粉地獄みたいな地域。八丈島って四季の概念から切り離された幻の島なの? それとも篠原涼子と芳根京子って春のループに閉じ込められてしまった悲運のお姫様なの?

 

そんなわけで、映画とバラエティの区別もつかないような人民にはお誂え向きの作品だと思います。「泣ける」しね。

あ、ようやく思い出したわ、篠原涼子のあの曲名。

貧しさと、汚さと、腹立たしさと!!!

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ムスッとした芳根の京子ちゃん!(鑑賞中の私の顔でもある)

 

(C)2019「今日も嫌がらせ弁当」製作委員会