うん、おはよう。この「うん」っていうのムカつくでしょ? へへ。
今回はGさんによる持ち込み企画だッ。
「ふかづめさんによるホラー映画十選とかすごく興味あるのだけれど、その企画はどうですか?」と言われたので「しょうがないのでやってあげます」と安請け合いしたが、自分にウソをつきたくないので素直に告白しておく。
やりたくないです。
別にホラー映画にひときわ強い愛着があるわけでも一角の持論があるわけでもないのだし。そんなわけで只でさえ消極的な気持ちになっているのに、Gさんは「ホラー映画十選、ちゃんと書いてくれてるの」とせっついてくる。うるせえ、催促すんな。
それと同時に、Gさんからいくつか素敵な質問をお寄せ頂いてるので先にそっちを片付け…答えたいと思います!
Q1. ふかづめさんは風紀委員長のジェイソンさんが好きという印象があるのだけれど、風紀委員会の皆さんは概して好きですか?
A1. ジェイソン一筋です。
Q2. ホラー映画のこれからについてどう思いますか?
A2. どうも思いません。
Q3. ふかづめさんがホラー映画に求めるものって何かありますか?
A3. ありません。
Q4. 最近はスピリチュアル系・オカルト系が多い気がしているんだけど、これも物質主義が限界にきたために概念へ注意が向かっているからかなと思うのですが。
A4. あぁ、そうですか。
よしっ。ステキな質問にもしっかり答えたことだし、それでは『ホラー映画十選』をお送りしていきまーす。
『恐怖』(61年)
二転三転する惑乱のツイストがすばらしいブリティッシュ・ホラー。父の死体を目撃したのに誰からも信じてもらえない車椅子のスーザン・ストラスバーグが気の狂うような恐怖地獄に叩き落とされるという惑乱の中身である。
この映画が惑乱たる所以は恐怖の原因がわからないという点にある。継起する怪現象は霊の仕業とも思えるし、実はヒロインの妄想や幻覚の類という気もしてくるし、ひょっとすると誰かの悪意によって人為的に仕掛けられたトリックかもしれない…という疑念まで頭をもたげてくるのだ。
一口にホラー映画と言ってもオカルトとかスラッシャーとか色んな属性があるけど、この映画に関しては属性がわからないんだよね。漠然とした恐怖の中にヒロインもろとも叩き落されるわけ。まさに『恐怖』。
だがこれは悪夢の始まりに過ぎない。全てが明らかになった中盤以降こそがこの映画の真骨頂なのだが…うーん、書けない。劇場公開時に「頭から見ろ。人に話すな」と箝口令が敷かれ、スチールがたった一枚しか公表されなかったので、ヘタに予備知識を入れずに観た方がよいでしょう。
『ナイト・オブ・ザ・リビングデッド』(68年)
言わずと知れたゾンビ映画の火付け役、ジョージ・A・ロメロの処女作である。
ゾンビ映画好きと言っても「ゾンビをゾンビとして見るゾンビ好き」と「ゾンビを社会学的メタファーとして見るゾンビ好き」が存在する。何度でも言うが、もともとホラー映画というのはその時々の社会不安や政治問題をフィクションに置き換えた教訓満載の寓話なので、すぐれて教育的な映画なのである。「もともと」はね。
この「もともと」から遠く離れた現在、ゾンビはただゾンビとして貧しい説話経済の中で空費されゆく「架空のキャラクター」に矮小化されていて、今やすっかりゾンビに慣れ親しんだ人民はさまざまな媒体で扱われるゾンビコンテンツを片っ端から消費していく。これはホラー映画全般に通じる話だ。バカを一人でも多く目覚めさせることがホラー映画の目的だが、今や人はホラー映画を見てバカになっていく。まぁ好きに楽しめばいいが、皮肉といえば皮肉な話だ。
私が足しげく通う隣町のレンタルビデオ店のホラーコーナーにはヒマな大学生の集団がよく群がっていて、『ゾンビ』(78年)のDVDを指さして「これクソつまんなかった!」とか「『バイオハザード』(02年)は神映画だよね」と聞くに堪えないトークを繰り広げ、ひとしきり盛り上がったあとに結局『エスター』(09年)を借りて「マクド行こー」と言ってマクドに行くのであった。
ロメロが描いているのはこういうゾンビ達だ。だから『ナイト・オブ・ザ・リビングデッド』は観る者を脅しつける。「おまえらこそがゾンビなんだよ」 と。
『ウィッカーマン』(73年)
スコットランドに古くから伝わるドルイド教の人身御供をテーマにしたイギリス発のカルト映画だね。
行方不明になった少女を捜しに孤島にやってきた童貞のお巡りさんが太陽崇拝する島民たちの不思議なファッションやライフスタイルに圧倒された挙句、巨大な人型の檻・ウィッカーマンの中に童貞を閉じ込めて燃やす「五月祭」の生贄に選ばれるなど踏んだり蹴ったりな目に遭う映画である。
宗教色の強いホラー映画…というよりはフォークロアの不気味さに満ちたサイケデリックな作品である。あえてカテゴライズするなら田舎ホラーだな。信仰や因習への拘りが「儀式」を生み出し、やがて「生贄」と称して人を殺すことのおぞましさに満ちている。宗教的断絶による異文化の摩擦がいかに人を狂わせるか…ということを皮膚感覚に訴えかけた生々しい映画なんだで。
イギリスといえばフランケンシュタインや吸血鬼ドラキュラなどさまざまな怪奇幻想文学の舞台になり、ジャック・ザ・リッパーやジョージ・スミスなど実際の血生臭い事件にも事欠かないホラー大国だが、ブリティッシュ・ホラーには『血を吸うカメラ』(60年)、『回転』(61年)、『反撥』(65年)など、繊細で、美しく、実験的な作品が多い。007とシェイクスピアだけがイギリス映画やあらへんで!
『歓びの毒牙』(70年)
『サスペリア』(77年)や『フェノミナ』(85年)で知られるダリオ・アルジェントの処女作。いわゆるジャッロ映画だな。
イタリアを旅行中の米作家が夜の画廊で揉み合う男女を止めに入ったことで恐ろしい事件に巻き込まれるのだよね。抽象的な筋紹介で申し訳ないが。
ジャッロ映画というのは60年代イタリアで流行った探偵小説のスタイルを取り入れた映画群のことで、主な特徴は推理、原色、エロ。
スプラッターの中にもちょっとした推理要素を取り入れ、映像面ではペンキ丸出しの血糊、色つきの照明、わけもなく脱ぐ女、そして仰々しいオペラが鳴りしきる。非常にコミック的というか、まぁはっきり言えばアートとは程遠いはしたない映画群のことだ。
ところが『サスペリア』の大ヒットによってジャッロ特有の強烈な色彩や謎めいた世界観などが「逆にアート」と言われるようになった。この幸福な誤解のうえに延命を許されたのがジャッロ映画である。その中でも特にジャッロ感が強いのが『歓びの毒牙』なので何となく挙げてみた。
『ノスフェラトゥ』(78年)
イギリス、アメリカ、イタリアときて、お次はドイツだ。
ドイツが生んだリアルクレイジーことベルナー・ヘルツォークが才気走った感性でF・W・ムルナウが手掛けた世界最古の吸血鬼映画『吸血鬼ノスフェラトゥ』(22年)を冒涜覚悟でリメイクした意欲作。
ハナから玉砕するつもりで撮ったのだろうが、これが思わぬ傑作となった。
朝日を浴びて死滅するドラキュラ伯爵(クラウス・キンスキー)の芝居がかった悶絶ぶりが最高だ。その失笑必至の仰々しさは、50年の時を超えて厳かなドイツ映画史へとぶちかまされた返礼。ドイツ表現主義に対する二重規範こそが本作の傑作性なのだが、ここは評論する場ではないということを思い出したのでこの話は速やかにやめる。
今さらこんな話をして申し訳ないが、『〇〇映画十選』などと称してコンセプトに沿った映画を任意に選び、それに軽くレコメンドを付け加えただけの記事なんて価値あるか!?
ネット上には「一生に一度は見るべきオススメ映画TOP20」とか「ヒロインがカッコいい映画ベスト10」みたいな記事が転がってるが、そんなもん参考になった試しがねえぞ!
1本の記事のなかで10本の映画を紹介してる時点で映画1本にかける労力や文字数が10分の1に希釈されとるのだ。音楽番組のアーティスト特集みたいなコーナーではそいつの代表曲がダーッと紹介されるが、大体はサビの1フレーズしか流れないだろ。それと同じだよ。そんなものを聴いてそのミュージシャンを知ったことになるか?
ていうか…なんでいま俺はキレてるんだ?
(答:泥酔してるからです)
『死霊のはらわた』(81年)
しゃああああッ。サム・ライミが『スパイダーマン』(02年)の400分の1の製作費で作りあげたスプラッター映画の金字塔ォォォォォォォォ!
夏休みに山小屋を訪れた男女が死霊にゲロをぶっかけられるという充実の内容を誇るが、シリーズを重ねるごとにギャグ映画と化していったッ!
墓から蘇った死霊は、首を跳ねられたり心臓を刺されると死ぬ前に大量の血飛沫を人に浴びせかけるといった「ぶっかけの美学」を貫いており、死に瀕してさえ“死霊の栄誉”を保ちながら景気よく最期を飾るという、要するに終始ハイテンション、どこを切り取ってもクライマックス、血と臓物のセレブレーションを約束してくれる血まみれ殺戮ショー実行委員長なのだッ!!!
また、友人や恋人が次々と死霊化する危機的な状況に際してさえ、ブルース・キャンベル演じる主人公アッシュは戦闘態勢に入ろうとせず、どうにか死霊と争わずして事態を丸く収めたいという土台無理な立ち回りを演じるあたりッ、本作に通底しているものがヒューマニズムにほかならないことを示してもいるゥゥゥゥウッ。だからこの映画は子供に見せるべしッ!
へっぴり腰のアッシュが終始「受け」に回り続けた結果、都合4回の「ぶっかけ」を喰らう描写が凄まじいしッ、カメラを斜めに構えた神経症的なショットッ、アオリ・俯瞰を多用する終盤の大仰な構図取りッ、断末魔の叫びをあげながら消滅していく死霊のストップモーション・アニメッ、極めつけは二度繰り返される豪速接近の視感ショットなどサム・ライミ印の撮影技法が惜しみなく披瀝された伝説の処女作だッ!!
ちなみに続編ではアッシュが中世にタイムスリップして死霊軍団と戦うぞ!! お楽しみにッ!
『ヴィデオドローム』(82年)
メディア論をホラー映画でやったッ!
『ヒッチャー』(86年)
ルトガー・ハウアーが亡くなったとき、どいつもこいつも『ブレードランナー』(82年)のレプリカントを思い浮かべた!
ゆるさんッ!
『13日の金曜日』シリーズ
出ました、イキった若者をぶち殺してくれる風紀委員長ジェイソン!
一般にジェイソンといえば「クリスタル湖に訪れた若者をわけもなく殺害するホッケーマスクの怪力殺人鬼」というイメージだが、実は1作目『13日の金曜日』(80年)に出てくる殺人鬼はジェイソンではなく彼の母親パメラである。
ジェイソンが風紀活動を始めるのは2作目『13日の金曜日 PART2』(81年)以降だが、ここではホッケーマスクではなく麻布袋を被っており、シャベルで頭を叩かれ気絶するという人間らしい一面もあった。
そして3作目『13日の金曜日 PART3』(82年)でオシャレに目覚めてホッケーマスクを装着したことで、ようやくパブリックイメージを確立したのだ。
4作目『13日の金曜日 完結編』(84年)では、前作で死んだと思われていたジェイソンが実は生きていて再び暴れ回るという内容で、クライマックスではトミーという少年に一杯食わされ非業の最期を遂げた。享年40歳。ここでシリーズは完結したかに思えたが、パラマウント重役の意向により強引にシリーズが続行されたことで次第にデタラメな映画になっていく…。
5作目『新・13日の金曜日』(85年)のストーリーは、ジェイソンに扮した精神異常者が殺戮を繰り広げるというものだが、映画はファンの不評を買い、次作では無理やりジェイソンを復活させている。
6作目『13日の金曜日 PART6 ジェイソンは生きていた!』(86年)では、ジェイソンを倒したトミーがわざわざ墓を暴き、そこに雷が落ちたことでジェイソンが蘇生してしまう…という作り手の都合だけで話が進んでいく。
7作目『13日の金曜日 PART7 新しい恐怖』(88年)でジェイソンに挑んだのは超能力を操る少女ティナだ。もう超能力とか言い始めた。ティナは全シリーズを通してジェイソンに圧勝した唯一のキャラクターで、いとも容易くジェイソンをクリスタル湖に封印してみせた。
8作目『13日の金曜日 PART8 ジェイソンN.Y.へ』(89年)では、湖に沈められたジェイソンが海底ケーブルによる感電で都合よく蘇生し、高校生たちが卒業旅行を楽しむクルーズ船に乗り込んでNYに渡航する。NYで高校生相手にバトルを繰り広げたジェイソンだったが、化学物質で溶かされ非業の最期を遂げた。
9作目『13日の金曜日 ジェイソンの命日』(93年)では、版権がパラマウントからニュー・ライン・シネマに移ったことで前作のNY旅行が無かったことにされた。ジェイソンは相変わらずクリスタル湖で風紀活動を続けていたが、FBIに囲まれロケットランチャーで木っ端微塵に吹き飛ばされる。だが心臓だけは生命活動を続けており、人間に寄生して殺人を続けてたが、ジェシカという女の子に聖剣で心臓を貫かれ非業の最期を遂げた。
10作目『ジェイソンX 13日の金曜日』(01年)では、冷凍保存されたジェイソンが宇宙船に回収された近未来が舞台で、研究員がうっかり解凍してしまったことで都合よく蘇生。宇宙船内でクルーを血祭りにあげる中、対ジェイソン用サイボーグと死闘を繰り広げるも宇宙船から落とされ大気圏で燃えて流れ星となり非業の最期を遂げた。
これでシリーズは一応完結だが、そのあと性懲りもなくクロスオーバー作品『フレディVSジェイソン』(03年)や、マイケル・ベイ制作によるリブート作『13日の金曜日』(09年)も作られている。
セックスしてる男女を見るとすぐ殺害するくせに女のシャワーをよく覗くジェイソン・ボーヒーズは、奇形に生まれたために周囲のパリピから虐められクリスタル湖に突き落とされた不憫な少年だった。ジェイソンが溺れているときにキャンプ指導員がセックスに夢中で監視を疎かにしていたために行方不明になり、それが原因でクリスタル湖で働く母パメラは精神に異常をきたし、息子の敵討ちのため殺人鬼となったが1作目ラストで殺害されてしまう。そして2作目以降、溺死を免れたジェイソンは母の復讐のためクリスタル湖を訪れるパリピを虐殺していくのだ!
シリーズを通してジェイソンに殺害された人間は200人を超える。超能力少女と戦っても、宇宙でサイボーグと戦っても、彼の恨みは晴れない…。最後に作られたリブート版からかれこれ11年経つので、そろそろ続編でもクロスオーバーでもいいから作ってくれと願わずにはいられない。
そんなわけで『ホラー映画十選』はしれっと終わりを迎えます。途中ちょっと頭バグってた所があったけど、まあ忘れてくださいよ。ていうか今数えたら9つしかねえな。十選だっつってんのに。まあいいか。
また、当初は十選すべて『10金』シリーズで埋めてやろうと思ってたけど、私の中に残ったひとかけらの良心がそれをさせなかったことを報告しておく。ナイス良心。
惜しくも十選から漏れた映画たちは『呪われたジェシカ』(71年)、『アザーズ』(01年)、『グッドナイト・マミー』(14年)などでした。ざんねん。
最後は、ジェイソンに頭を圧迫されて眼球が吹き飛ぶ被害者を見ながらのお別れです。またね~ぃ。