シネマ一刀両断

面白い映画は手放しに褒めちぎり、くだらない映画はメタメタにけなす! 歯に衣着せぬハートフル本音映画評!

ゾンビランド:ダブルタップ

面倒臭いもの全てにダブルタップじゃあ!

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2019年。ルーベン・フライシャー監督。ウディ・ハレルソン、ジェシー・アイゼンバーグ、エマ・ストーン、アビゲイル・ブレスリン。

 

2009年、感染者をゾンビ化するウイルスのパンデミックが発生。コロンバス、タラハシー、ウィチタ、リトルロックは、32項目におよぶ生き残るためのルールのもと、ゾンビと戦いながら絆を育んできた。それから10年後の2019年、進化を遂げたゾンビが彼らの前に現れ、4人は倍以上に増えたルールで生き残りを図る。(Yahoo!映画より)

 

おはよう。

ありのまま今起こった事を話すぜ。2日連続で同じ飲食店に行ったら、なんというか、すべてが同じだったッ。状況が同じだったんだッ!

昨日と同じ時間帯に店に行き、昨日と同じ店員に案内され、昨日と同じ席に通され、昨日と同じメニューを頼み、向かいの席には昨日と同じおっさんが座っていたんだ!

何を言っているのかわからねーと思うが、おれも何がどうなってるのかわからなかった。頭がどうにかなりそうだった…。気のせいだとかデジャヴだとか、そんなチャチなもんじゃあ断じてねえ。もっと恐ろしいものの片鱗を味わったぜ…。

2日連続で同じ店には行かない方がいーぜ! いいんだぜッ!

そんなわけで本日は『ゾンビランド:ダブルタップ』です。

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◆10年ぶりの続編◆

続編、リブート、実写化、スピンオフ。

そんな「同一コンテンツの使い回し」に自足している近年のアメリカ映画にはホトホトうんざりしているので、もうそういう映画は黙殺することにしていたのだが、『ゾンビランド』(09年)の続編とあっちゃあ観ないわけにはいかんよな~~~~?

もし監督が替わってたらビタイチ食指も動かなかったが、一作目と同じルーベン・フライシャーがメガホンを振り回しての続投! 自称ルーベン・フライシャーを世界で初めて評価した男としては『ヴェノム』(18年)の汚点を払拭する瞬間に立ち会わねば裁きが下るというものです。

 

天パのジェシー・アイゼンバーグ『ソーシャル・ネットワーク』(10年)で約30もの映画賞にノミネートされる前…、あるいは元気印のアリゾナ娘エマ・ストーン『小悪魔はなぜモテる?!』(10年)で注目を集める前…、もしくは『ウォーキング・デッド』が世界中の人間をテレビにかじりつくゾンビに変えてしまう前の2009年に公開された『ゾンビランド』は低予算ながら大ヒットを記録したおとぼけゾンビ映画の金字塔である。

その魅力は、ゾンビが蔓延する世界を生き抜くためにオタクの主人公が体系化した「生き残るためのルール」である。その手引書には「ゾンビは二度撃ちして確実に殺すべし」とか「後部座席を確認すべし」といった注意事項が32項目も存在する。「ゾンビ映画にありがちな展開」を熟知している主人公がその知識を武器に死亡フラグを回避していくわけだ。これは「ホラー映画でお決まりのパターン」を劇中のキャラクターが既に知っている…という設定の『スクリーム』(96年)と同一線上にあるメタフィクションである。

ルーベン・フライシャーはジャンル映画のあるあるを抽出する術に長けており、『L.A. ギャング ストーリー』(13年)ではマフィア映画にありがちな絵面や展開をあえてなぞることでクラシカルな味わいを追求したのだぞ。

 

そして10年ぶりの続編となる『ゾンビランド:ダブルタップ』。ダブルタップとは二度撃ちの意。

メインキャストは全員すこやかに続投。約1名を除いて外見がほとんど変わっていないのですんなり世界観に入っていくことが可能。パパッとキャラクター紹介でもしましょう。

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ジェシー・アイゼンバーグ

胃腸が弱い引きこもりのオタク。ゾンビ映画を参考にして自ら考案した「32のルール」を遵守すれば死ぬことはないと言い張る。とりわけ「ルール1.有酸素運動」と「ルール18.準備体操を怠るな」を気に入っているが本人の運動能力は低い。旅を通じて仲間のことを家族のように感じ始める。

コメディスター、ビル・マーレイの豪邸を訪問した際、ふざけてゾンビの真似をして出てきたマーレイを誤って射殺した経験を持つ(即座に「すみません…」と謝った)。

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誤射されたビル・マーレイ。

 

 

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ウディ・ハレルソン

息子を殺したゾンビに復讐すべく各地を放浪しているゾンビハンター。本作のダメージソース。ジェシーと行動を共にするが、彼の腰抜けぶりを嘲笑って「ヨダレ野郎」と呼んだ。これはひどい。

トゥインキーというお菓子をこよなく愛し、劇中ではあまりにトゥインキーに固執したことで映画公開後トゥインキーに注目が集まった。

皮肉屋で頑固者だが『タイタニック』(97年)を見て泣くだけの情緒は持っている。ビル・マーレイと会ったときはひどく感激して「あんたの映画はどれも5万回見てる」と嘘をついた。

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誤射されたビル・マーレイ。

 

 

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エマ・ストーン

妹と二人でサバイバルしていた勝気な女。警戒心が強く、ジェシーたちを騙して車と武器を奪ったが後に仲間に加わった。

ビル・マーレイが笑いのツボらしく、マーレイがジェシーに誤射されて息を引き取るときに思わず「あは、あはん」と噴き出してしまい周囲の顰蹙を買った。前作のラストでジェシーと結ばれ、今作ではプロポーズされたが決心がつかずにいる。

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誤射されたビル・マーレイ。

 

 

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アビゲイル・ブレスリン

エマの妹。「騙される前に騙さないと生き残れない」とエマに教唆されて詐欺の片棒を担ぐが根はとても素直な娘。『リトル・ミス・サンシャイン』(06年)でブリブリダンスを踊ってた娘でもある。

今作ではヤケに身体が発達して思春期に突入した。恋がしたいお年頃らしく、父親のように口喧しく言ってくるウディと衝突したことでチームを離れてヒッピー男と行動を共にする。

前作から外見が変わりすぎて誰ゲイル状態のアビゲイル嬢であります。

f:id:hukadume7272:20200312080117g:plainブリブリダンスを踊ってた頃のアビゲイル・ブレスリン。

 

◆アメリカ史全否定!◆

前作のオープニングは、ゾンビから逃げる人々のスローモーションにメタリカの「For Whom the Bell Tolls」が爆音で鳴っていたが、今回もオープニングはメタリカである。

ゾンビを殺戮する4人のスローモーションを盛り上げるのは、ドコドコドコドコ…ドン! 満を持しての「Master of puppets」

もうこのままエンドロールに突入しても「いい映画だった…」と思えるような最高のオープニングだ。

前作は『ライド・ザ・ライトニング』(84年)、今回は『メタル・マスター』(86年)からの選曲と来てるので、もし3作目があるなら『メタル・ジャスティス』(88年)から「Blackened」を希望したい。もしくは『メタリカ』(91年)から「Enter Sandman」をお送りしちゃったりなんかするの!?

オープニング曲ごときで何故こんなに騒いでるかって? メタリカだからである。個人的にメタリカが好きだから騒いでいるんじゃない。メタリカだからである。

メタリカ主演、デイン・デハーン共演の音楽映画『メタリカ・スルー・ザ・ネヴァー』(13年)から「Master of puppets」。マスタ! マスタ!

 

あれから10年が経ち、疑似家族を形成した4人はワシントンDCのホワイトハウスを根城に悠々自適な終末ライフをエンジョイしていた。

執務室のドアを蹴破ったウディは、怪物みたいな拳銃を振り回しながら「オレ様が大統領だ!」とのたまって高笑いする。もちろんトランプ政権を暗に冷やかしてるわけだが、ジェシーの方もエマとベッドインする前に「目隠しして」と言われて歴代大統領の肖像画の目にガムテープを貼っていく。まるでアメリカの歴史を全否定するように。

現に、前作でもこの4人はストレス発散のために先住民の交易所を嬉々として破壊していたではないか。ゾンビだらけの世界では政治も道徳も役に立たんのだ。必要なのはご大層な精神論よりも「生き残るためのルール」である。

だからこのシリーズは既存の価値観をぶち壊す。

エマと喧嘩別れしたあとにジェシーが出会った生存者のゾーイ・ドゥイッチは出会ったその日にジェシーと寝てしまうようなIQゼロの馬鹿ギャルだ。ブロンド女=バカという偏見を助長しかねない彼女のキャラクターは昨今加熱するフェミニズムを皮肉っているようにも見える。

f:id:hukadume7272:20200312072734j:plainゾーイ・ドゥイッチ(左)。リアルママンは『バック・トゥ・ザ・フューチャー』でマーティのママンを演じたリー・トンプソン。

 

そしてエルヴィス・プレスリーに心酔しているウディは、向かった先のグレイスランド(エルヴィスがテネシー州に所有していた広大な土地)が既に陥落したと知ってひどく悲しみ、近くにあったホテル「ハウンド・ドッグ」の電光看板を誤って破壊してしまう。ギブソンギターを象った看板だ。オールディーズを聴いて育った白人層にとって「キング」ことエルヴィス・プレスリーは神や大統領より偉大な存在だが、そんなエルヴィスへの憧憬が物理的に打ち砕かれるわけだ。その絶望感は同じ世代のアメリカ人にしか分からないだろうから、ヤケになってエルヴィスの仮装をしたウディが「Love Me Tender」を歌うシーンは苦笑とともに聞き流してしまおう。

しかし、一匹狼のウディがホテルオーナーのロザリオ・ドーソンとエルヴィストークで意気投合するうちに愛し合う…というしょうもない展開は実に微笑ましい。改めて考えると、ウディって家族を失ってトゥインキーに逃げた寂しい男なんだよな。

そんなウディがトゥインキーの代わりに運命の相手をゲットしたわけですっ。

トゥインキー(32個入り海外直送)をAmazonでポチりながらの祝福。

f:id:hukadume7272:20200312070542j:plainタランティーノ&ロドリゲス映画でお馴染みのロザリオ・ドーソン

 

一方、恋人同士のジェシーとエマを見るうちにリビドーを募らせたアビゲイルは「私だって恋したいー」と言って音楽を愛するヒッピー(アヴァン・ジョーギア)と行動を共にする。このヒッピーはボブ・ディランの「Like A Rooling Stone」をカバーしておいて「僕が作った」と言い張る激イタ男であった。

二人が目指した先は「バビロン」と呼ばれるヒッピーコミューンで、そこは防壁で囲った地上の楽園。ラブ&ピースを標榜しており、銃の持ち込みは禁止、武器は溶かしてピースマークのペンダントにしちゃうというバカみたいな因習もあった。外はゾンビだらけだっつってんのに…ラブもヘッタクレもピースもヘチマもあるかい!

案の定、クライマックスでは防壁を突破したゾンビに襲われてヒィヒィ言いながら逃げ惑う…という展開が待っている。現実逃避のツケが回ってきたな。

 

さぁ。ここまでに政治フェミニズム白人アイデンティティと破壊してきて、最後に破壊したのはフラワー・ムーブメントという若者文化だ。このゴタついた時代にゾンビ映画という枠を借りて歴史の抹消を図った『ゾンビランド:ダブルタップ』を観る気持ちよさは格別やで!

面倒臭いもの全てにダブルタップ!

f:id:hukadume7272:20200312072232j:plainいかがわしいヒッピー男に惚れたアビゲイル嬢

 

◆「真面目」で「健全」なバカ映画◆

物語は行方不明になったアビゲイルを追う捜索の旅が主軸となる。その道中でジェシー、エマ、ゾーイのスーパーしょうもない三角関係が描かれたり、ウディのウルトラどうでもいいエルヴィス愛が炸裂したりするのだが、忘れてはいけないのがダブルタップが効かない強化型ゾンビの登場だ。

しつこく追いかけてくることからターミネーターになぞらえて「T-800」と命名された強化型ゾンビは突然変異によって進化を遂げた新種。その恐ろしさは中盤でチョロッと発揮された程度で、具体的な攻略法も提示されなければアクションにもサスペンスにも貢献せず、クライマックスでは通常のゾンビと区別がつかぬまま掃討されてしまうというガッカリ描写ぶりだが、このT-800こそが今作のテーマの代弁者なのである。

人間はいつの時代も成長しないのにゾンビは進化する…という強烈なアイロニーだ。

このシリーズは「お馬鹿コメディ」のフリをした映画なのであからさまには描いてないが、よくよく見るとロメロ節を受け継いだ風刺全開のゾンビ映画ということが分かると思います。今風のメタ満載ギャグとは裏腹に、実はクラシックの血を継いだ“真面目”なバカ映画なんだよね。そういうとこ…好・き・よ♡

バビロンに辿り着いたジェシー達は、非武装を掲げるヒッピーコミューンに「なんで武器溶かしてんだ。バカか?」と呆れながらも互いに協力する。果たしてT-800の大群を迎え撃つクライマックスで「人間の強さ」を見せつけられるのか?…というあたりが見所になっているかもー!

T-800を見たときのエマちゃんのナイスリアクションです。

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T-800です。

f:id:hukadume7272:20200312081536j:plainエマ・ストーンおよび関係者各位に深くお詫び申し上げます。

 

続編モノの映画に求められる素養は「前作を超えること」ではなく「続編でなければならない理由が備わっていること」だ。

その点、本作は一本の映画としては凡庸でも『ゾンビランド』の続編としては素晴らしい出来栄えにおさまっている。家を失った4人がゾンビ珍道中を通してアメリカという巨大な家の崩壊を尻目に「家族」という新たな家を手にするまでの物語が紡がれているからだ。

最も感動的なのは、前作との「繋がり」よりも「反復」が刻まれている点で、10年前のクライマックスでは遊園地の売店に閉じこもってゾンビの注意を引きつけたウディが一人きりで劣勢を耐えていたが、今作では櫓の上でゾンビに囲まれながらも4人全員で応戦するクライマックスが彼らの10年分の連帯を「劣勢」という状況の中で祝福している。シチュエーションは全く同じ。閉鎖空間での絶望的状況である。だが「ウディの劣勢」は「4人の劣勢」になった。

そして、その直後に迎える奇跡という名のご都合主義にこそ『ゾンビランド:ダブルタップ』続編でなければならない理由がある(観てのオタノシミ!)。

1作目でメタリカを流した以上は2作目もメタリカ。これは鉄則だ。

続編を作るとはそういうことである。

どのようにして「反復」と付き合っていくかだ。

プロデューサーやシナリオライターは「変化」にばかり固執するが、そんなに変化が大事なら別の映画をイチから作った方が早い。シリーズモノの映画は反復の契機という絶好のアドバンテージを持ってるんだから使わない手はないだろう。言うまでもないが「反復」とはすぐれて映画的な身振りである。

なぜ私が「Master of puppets」であんなに騒いだか、今なら少しは分かってもらえるかしら?

 

スローモーションのケレンは減ったが、相変わらずギャグは好調、キレは鋭く、毒素は倍増。

開幕ではコロンビア映画のシンボルである「コロンビアレディ」がゾンビを松明で殴り殺すし、ジェシーは冒頭のボイスオーバーで「前作から10年も経ってるのに数あるゾンビコンテンツの中からわざわざこの映画を選んでくれてありがとう」と観客に向けて律儀に感謝を伝え、前作で死んでしまったビル・マーレイの「エピソード0」をエンドロールで垂れ流すサービス精神も依然旺盛。エロもゴアも健在だ。

下品な映画は10年経っても下品だった。

こういうのを「健全」と言うのだ。知ってたか? 俺も今知ったがよ!

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ゾンビの頭を殴打するコロンビアレディ(つよい)。