依頼人は守れなかったが自分のiPodはしっかり守ったパン屑弁護士の流転人生。
2017年。ダン・ギルロイ監督。デンゼル・ワシントン、コリン・ファレル、カルメン・イジョゴ。
有能だが見た目の冴えない人権弁護士ローマン・J・イズラエルは、法のもとに正義を実現するべく長年にわたって奔走してきた。ある日、一緒に法律事務所を構えるウィリアムが倒れたことをきっかけに帳簿を調べはじめた彼は、事務所の資金調達に不正があったことに気づき、信念を大きく揺さぶられる。そんな中、敏腕弁護士ピアスからの依頼で殺人事件を担当することになったローマンは、その裁判で不正が行われていることを知り…。(映画.comより)
うちゃーす!
「これ、足の裏に見えないゴミとか細かい埃が付いてるんだろうなー…」って考えると、たとえ自宅でも裸足で歩くのをためらい蒸し暑い夏場でも靴下を履いてしまうほど神経質な男、ふかづめです。
自分の手汗もすごく気になるので執筆中は小まめに手を拭いたり洗いに行ったりする。とにかく身体に何かが付いてる状態がイヤで、薬用クリームやスタイリング剤も付けた端から洗い落としたくなる。雨に濡れるのは何より嫌だ。装飾品の類も一切身につけない。幼少期は衣服を着用することさえ気持ち悪かった。カサブタは「身体の一部」ではなく「他人」とみなすので無理やり剥がす。そこから出た血液も他人とみなすので止まるまで洗い流す。「地面に滴る血」は許せるが「皮膚を伝う血」は気持ち悪い。
要するにドント・タッチ・ミーの申し子なのだ。私は私の身体に付着するすべてのモノを拭い去っていく。
気安く触らないでよね!!!
はーい、そんなわけで本日は『ローマンという名の男 信念の行方』です。
◆パン屑弁護士やらかすの巻◆
たとえば18キロ増量しても別人には見えないこと。髪型を変えてもイメージが損なわれないこと。サヴァン症候群の役を演じても発達障害を誇張しないこと。
デンゼル・ワシントンが信頼に足る俳優である所以ならまだまだあるが、とりあえず本作ではこの3つがポイントとなる。
重厚なサスペンスやポリティカルドラマで鳴らしてきたデンゼル・ワシントンも、なぜか還暦を迎えた近年になって筋肉路線への転向を図り、『2ガンズ』(13年)では2ガンズを使って悪党を退治、『イコライザー』(14年)ではイコライザーを使って悪党を退治、『マグニフィセント・セブン』(16年)ではマグニフィセントなセブンの長として悪党を退治するなど、隙あらば悪党を退治したがる必殺仕事人的なマチズモ俳優になり「デンゼル兄貴」なんて呼ばれてしまうようになったが、同じ路線を辿ったことで後に引き返せなくなったリーアム・ニーソンみたいになっても困るので悪党退治も程ほどにしてほしい…と願わずにはいられないのだが、と言ってもデンゼルは聡明な役者なので『フライト』(12年)や『フェンス』(16年)のような非ジャンル映画を筋肉緩衝材的に挟むことで隙のないキャリアを築いておられる。
そんなデンゼルが、信念を貫いたり貫かなかったりするサヴァン症候群の人権派弁護士に扮したのが『ローマンという名の男』だ。
今度のデンゼルはお茶目だぞ!!!
監督は『ナイトクローラー』(14年)や『ベルベット・バズソー 血塗られたギャラリー』(19年)で一部にコアなファンを持つダン・ギルロイ。共演相手は眉毛の上に1セント硬貨を乗せることのできるコリン・ファレル(未検証)。
本作は全デンゼラーおよびコリン星人にとって必見の作といえる。
なぜならいつも小奇麗なデンゼル・ワシントンと小汚いコリン・ファレルの衛生レベルが逆転しているからだ。
貧乏暇なしのデンゼルは、70年代ファンクのごときアフロヘアーに強いこだわりを持っている割には髪の手入れをしない男で、毎日きったないジャケットを着て憚らない。一人のときは常にヘッドホンをつけてiPodを聴いており、キッチンに直立したまま一心不乱にサンドイッチを食べてパン屑をポロポロこぼしもする。
一方のファレ坊はパリッとしたシャツに紺のスーツを着こなしてみせるハンサムガイ。ヒゲだって剃ってるし、たぶんムスクの匂いも漂わせているだろう。眉毛にも振りかけてるかもしれない(未確認)。
眉毛にムスクを振りかけてることを私に怪しまれているファレ坊。
そんなデンゼルは、社会的弱者を救いたいという信念から慈善事業同然の仕事を請け負ってきたが、同じ弁護士事務所を運営していたウィリアム(役者不在なので役名表記)という相棒が心臓発作で植物状態になってしまったことで、ウィリアムの元教え子にして大手弁護士事務所のオーナーであるファレ坊から「ウチへ来ないか」とスカウトされる。だがデンゼルは貧乏人に法外な報酬を吹っ掛ける大手事務所のやり方が気に入らず自力で再就職を目指すことにしたのだが、これがまったく上手くいかない。
彼はコミュニケーション能力に難があり、相手の感情を察することなく思ったことをベラベラ喋り続けてしまうので、これまではパラリーガル(法廷には立たない弁護士補佐)として裏方仕事に徹していた。そんなわけで、面接はおろか、面接のアポの電話を入れる段階で相手を怒らせてしまうような困ったちゃんなのである。
それでもデンゼルの信念は就職活動中に出会った市民団体代表のカルメン・イジョゴの心を打った。冴えないパン屑弁護士だが正義を信じる心だけはフランスパンより固いということか。
だが信念だけでは食っていけない。金銭的に追い詰められたデンゼルは、ファレ坊のもとで受け持った殺人幇助罪の被疑者から実行犯の名前を聞きだし、あろうことか守秘義務を破って犯人の首に10万ドルの懸賞金をかけていた人間にその情報をリークしてしまうのだ。やらかしとんなぁ…。
欲をかくあまり弁護士としての一線を超えてしまったデンゼルの流転人生が始まる!
守秘義務バリ破り弁護士デンゼル。弁護士が一番やっちゃいけない事すら平然とやってのける。
◆パン屑弁護士、あぶく銭で豪遊の巻◆
てっきり鑑賞前は法廷映画だと思い込んでいたが、ノン、ノノン、この映画の主人公は法廷に立たない弁護士なのだ。したがって裁判シーンはなし。陪審員にアツい最終弁論をカマすこともなければ、裁判長が「静粛に!」と叫びながら誰よりもやかましい音で例のトンカチみたいなやつを叩きつけもしない。
描かれるのは“裁判の手前”でもがき苦しむデンゼルの姿だ。
減刑を目的とした地区検事との交渉が失敗し、そのために保護拘置を受けられなかった被疑者が何者かに刺殺されたことで、ファレ坊からは「何してけつかる。遺族が訴訟を起こしてきたらウチの事務所終わりやんけ。アフロ燃やしたろか」とバチバチに怒られてしまう。さらにはカルメンに招待された公民権運動の会合では生意気な小娘と揉めたうえ、路上に倒れてるホームレスを助けようとすれば逮捕されかけ、夜道を歩けばガキに襲われ追い剥ぎに遭うデンゼル…。
悲惨。
夜道で襲い掛かってきたガキは、デンゼルが金を持ってないと知ると「ほなiPodで許したる!」と叫んでヘッドポーンのコードをぐんぐんに引っ張ってくる。そのせいでメガネがずり落ちてアフロが少し乱れた。もちろん抵抗を試みたデンゼルは、必死でいやんいやんしながら「相手を間違えてる! 相手を間違えてる!」と悲鳴を上げて8000曲入ってるiPod(入れたなー)を死守したが、これまで必死で救おうとしてきた社会的弱者から襲われたことは彼の信念を打ち砕くには十分すぎるほどショックな出来事だった。
で、グレるわけだ。
旧知の仲だったウィリアムの妻に「今より私は信念を捨ててダークサイドに堕ちる」と宣言したデンゼルは「海の近くにターキーベーコン・ドーナツを売ってる店があって、ヤシの木の下で皆がそれを食べてる。そよ風が吹いていて、イルカが遊んでるんだ。私はそこに行く…」と言い残してウィリアム夫妻のもとを立ち去る。
このセリフの意味は、およそ正義を追い求めても報われないのなら能天気な連中のように楽な世界で生きた方がマシといった具合に、正義に絶望したデンゼルの擦れた人生観を比喩したものだが、なんと被害者遺族に真犯人の情報をリークして10万ドルをゲットしたデンゼルは本当に海の近くのドーナツ屋に行ってターキーベーコン・ドナーツを食すのだ!
比喩ちゃうんかい。
これまでの映画でデンゼルが言ってきたような“ちょっぴり粋な例え話”かと思いきや具体的なスケジュールだったのかよ。
がっつり休暇を取ったデンゼルは本当に遠出して豪遊するのである。それではデンゼルの豪遊ぶりを皆で見ていこ!
まず目的地に着くッ!
ホテルの部屋に満足するッ!
イキって変な半ズボン買うッ!
ドーナツとジュースを買って喜ぶッ!
いったん海を見つめるッ!
おもむろにドーナツを楽しむッ!
指についたソースを舐めとるッ!
すかさずジュースを飲むッ!
2個目のドーナツに取り掛かるッ!
しっかり海を見つめていくッ!
場所取りの鬼と化すッ!
海を楽しむッ!!!
波と追いかけっこすらするッ!
ほっこりもするッ!
そして休暇明け…
すごい格好で帰ってくるッ!
リゾート地で酒池肉林に浴したデンゼル。まさに王者の身振り。
だが皮肉なことに、デンゼルの休暇中に物事がすべて好転していた。被疑者遺族はデンゼルを訴えるどころか「息子を救うために手を尽くしてくれた」と感謝し、さらにファレ坊からは無償弁護の舵取りを任され、あれよあれよという間に重役のポストに。棚から牡丹餅とはこのこと!
それだけにリーク事件が悔やまれる。守秘義務を破って不当な金さえ手にしなければ今頃は順風満帆なリーガルライフが待っていたのに…。
だが当のデンゼルは休暇明けのためか遊び疲れてボーっとしており、もうひとつ状況を把握していない様子。
眠い目をこすっていくッ!
その後、ファレ坊を第二の相棒として事務所経営を軌道に乗せ、カルメンとも順調にデートを重ねたデンゼルがリア充生活を謳歌していた矢先、被害者遺族に情報提供したことで逮捕された真犯人から指名を受け「オレを売っただろ。ブッ殺してやるからな」と脅されてしまう。その日からデンゼルのリア充生活は一変し、犯人がヒットマンを差し向けたのではないかと怯えて暮らす日々。事務所内でも黒い噂が立ち始め、まるで生きた心地のしない地獄のエブリデイが始まるのだ。
この展開は『フライト』を彷彿させる。
『フライト』という映画は、墜落した旅客機を無事着陸させて乗客全員の命を救ったデンゼル機長が飛行中にアルコールとコカインを摂取していたことが露呈して大問題になる…という、限りなく航空パニック映画に見えて実はぜんぜん航空パニック映画ではないという風変わりな作品である(監督は『バック・トゥ・ザ・フューチャー』のロバート・ゼメキス)。
話は逸れるが、私が思わず感情的になる映画は二種類ある。
ひとつは、主演カップルを結ぶためなら他人(恋の噛ませ犬)を傷つけてもよいとする「愛」とは名ばかりの欺瞞に満ちたロマンス映画。これは怒りの感情ね。
そしてもうひとつが、嘘に嘘を塗り重ねたり、隠した罪が露呈しそうになって「いつかバレるんじゃないか…」と怯えながら暮らす系の背徳映画である。
不安感や恐怖心が掻き立てられてゲボを吐きそうになってしまうし、そういう悪夢もよく見る。「隠し事をする」という行為に尋常ならざるストレスを感じてしまうのである。
そうそう。皆はリチャード・ギアの『キング・オブ・マンハッタン 危険な賭け』(12年)という映画をご存じか? 居眠り運転をしたために助手席の不倫相手を事故死させてしまったエセ慈善家のギア様が、証拠隠滅、帳簿改竄、粉飾決済の限りを尽くして善人ヅラをする…という嘘だらけの背徳サスペンスなのだが、私はこの映画を鑑賞しているときに持病のパニック障害を起こしてしまい、身体を落ち着かせるために朝っぱらからビールを一気飲みしてしまったという苦い思い出がある(ビールだけにね)。
嘘に嘘を塗り固めて不安で夜も眠れなくなる…みたいな主人公の境遇とか、周囲の人間に少しずつ疑われ始める感じとか、そういう焦燥感が本当に耐えられないのだ。
幸い『ローマンという名の男』はパニック障害を起こすほどではなかったが、それでも守秘義務を破ったことがバレるまでの過程は胃がキリキリして仕方なかったなぁ。
自分はたぶん不正ができないタイプだと思う。だからといって正義感が強いとか、そういうんじゃない。嘘がバレるかもしれないという恐怖が不正のストッパーになっているだけだ。自分のミスを誤魔化したりすると、いつかそれが露見してどえらいしっぺ返しを喰らうのではないか…という恐怖心が人一倍強いのだ。要するに極度のビビリってわけ。
過去に書いた『キング・オブ・マンハッタン』評より一部抜粋
嘘はいつかバレるでェ~…。
◆パン屑弁護士、自分を裁くの巻◆
事程左様に脂汗ぺっちょりモンの弩シリアスな作品なのだが、随所でサッと風が吹くようなユーモアがいい。
なんといってもデンゼルが演じたキャラクターである。『レインマン』(88年)のダスティン・ホフマンもサヴァン症候群の男を超リアルに演じていたが、デンゼルの場合は「再現度」より「造形度」を志向した演技設計で、いわゆるメソッド演技とは対極のアプローチで微笑ましい荒唐無稽さをスクリーンに捧げてたわ。
えらくプクプクした顔で慎ましくルーティンを繰り返すさまが妙に愛らしい。ルーティンというのは、つまり(1)音楽を聴きながら出勤、(2)パン屑をこぼす、(3)人を苛立たせる…の豪華三点セットにほかならない。
また、人と話すとき以外は常にヘッドポーンを付けていて、そこで聴いてる音楽が挿入歌に使用されている。主なラインナップは、マーヴィン・ゲイ、ファンカデリック、ジミー・キャスター・バンチなど往年のファンク・ミュージックだ。かなりゴキゲンだぜ。陽光に輝くロサンゼルスにダンサンブルな16ビートが乗った映像、おまけにデンゼルはアース・ウィンド・アンド・ファイアーのモーリス・ホワイトよろしくアフロヘアーを爆発させている。なんならすきっ歯スマイルを湛えて肩も揺らすので雰囲気はファンキー、やたらシェイキー♬
逆に、ブッ殺す発言で身の危険を感じたデンゼルが強迫観念に駆られるシーケンスでは彼のオフィスに不穏な無言電話がかかってくるが、この演出がアイデア賞モノだ。劇中ひっきりなしにファンクが鳴っていたからこそ危機的場面では無言電話=反音楽、つまり静寂によって事態の深刻さが伝わるわけ。
音に関してはもう一点。ファーストシーンでデンゼルは夜7時以降も続く規則破りのマンション工事に苦情の電話を入れ続けていたが、無言電話を受けてからというもの、まるで無音化されたファンク・ミュージックを補填するかのように工事音が大きくなっていく。だがそれはデンゼルの神経を逆撫でする不快な音だ。口下手な主人公に代わって彼の心理/状況を音の大小で表した演出の細やかさは讃えねばなるまい。
強迫観念に襲われて車で砂漠に逃げ出すシーンでは『激突!』(71年)よろしくバックミラー越しに後方の車を確認するサスペンスがよく利いてるし、髪をぴっしり撫でつけて臨んだカルメンとのデートが気まずい雰囲気に終わると帰宅後に鏡の前で髪を掻きむしってアフロ状態に戻す挙措もいい。たとえあぶく銭を使ってスーツを新調したり髪型を変えてみても、心の奥底に良心が残っている限り、遅かれ早かれ「変身」は解かれてしまうのだ。
ようやく映画終盤で自らの過ちに気付いたデンゼルは、前代未聞の自己処罰裁判のための書類を作成する。原告デンゼルが被告デンゼルを裁くのである。
「告知。原告デンゼル対被告本人。被告の弁護士資格の剥奪および人類からの永久追放を求む。彼は偽善的であり、自分が支持し主張してきた事すべてに反している。上記申し立ての即時略式の判決を請願する」
オフィスを出た彼は、カルメンと待ち合わせしたバーに赴き、その道中でファレ坊に呼び止められてあぶく銭を受け取ったことを認める。二人に信念を託したデンゼルは「自首するつもりだ」と伝えて夜の街に消えていくが、途端、その場に立ちすくんだファレ坊はデンゼルの背後から怪しい男が迫っていることに気づく。その後の展開は…観てのオタノシミ!
いずれにせよ依頼人は守れなかったが自分のiPodだけはちゃっかり守った男の揺れに揺れる信念を描いた作品である。一昔前ならアル・パチーノにこそお誂え向きの苦み走った善悪越境映画といえよう。
私はダン・ギルロイを断・斬るロイしてきた男である。
映画クラスターから気色悪いぐらい絶賛された『ナイトクローラー』を「空虚なテクニックのお披露目会」と断じ、わりと好意的に見た『ベルベット・バズソー』も「好奇心のヨダレを垂らしやがって!」という…もはや自分で自分の記事を読み返さないと何について怒ってるのかよく分からない言説で斬ってもいる。かつてギルロイが脚本を手掛けた『落下の王国』(06年)や『リアル・スティール』(11年)も大嫌いだ。
そんな私がはじめて断・斬ラナイ作品がこの映画。よって『ローマンという名の男』は現時点でのダン・ギルロイの最高傑作だと思う。
デンゼル頼みの名優ありき映画に陥ることなく、あるいは脚本家上がりの監督にありがちな説話的慢心とか衒った小細工に溺れることもなく、正しくショットと演出で見せてくれたので心証よし。ちゃんと映画の筋肉を使っている。ヒットマンに付け狙われたデンゼルをファレ坊が呼び止めようとするラストの空間設計も抜かりない。
さらに本作は、事務所と裁判所の単調な往還という空間的狭隘に呪われた法廷映画のジレンマを免除された珍しい映画でもある。なにしろ裁判をしないのだから。
物語の舞台は法廷ではなくロサンゼルス全域なのだ!
まぁ、だからといって海の近くでドーナツ食べなくても…という気はするが。
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