シネマ一刀両断

面白い映画は手放しに褒めちぎり、くだらない映画はメタメタにけなす! 歯に衣着せぬハートフル本音映画評!

映画寸評20連発

アシャアアアアアアアア!

かなり歯が痛い。たぶん神経が剥き出しになってるんだと思う。なんというタイミングで神経が剥き出しになるんだ。今は歯医者に行きにくい繊細な時期だろうが。少しは考えてから剥き出しになれ。どういう神経してんだ、歯の神経。オラ。

右上の歯の神経にもキレたことだし、本題に移ろう。未評論の映画が溜まってきたのでまとめて寸評していく。名前をつけるなら『映画寸評20連発』といったところか。

過去にも一度だけこのような企画をしたが、違うのよ、以前までの私は「観た映画はすべて批評する」を金科玉条に、かれこれ13年近く映画評を続けてきたんですョ。しかし、ここ数年は情熱より合理に重きを置いていて、まぁ、言い方は悪いけど「語り代」のない映画は無理に取り上げないようにしている。

今回は、そんな黙殺の対象にされた罪なき映画たちの魂を救済していこうっていうハートフルな企画です。

ほぼ酷評してるけど。 

「ヘンコジジイの日記」みたいな硬い文章になったけど、まあ行ってみよう。

 

 

『殺意の香り』(82年)

『クレイマー、クレイマー』(79年)の監督として、あるいは『俺たちに明日はない』(67年)『スーパーマン』(78年)の脚本家として多くの映画好きからそれなりに大家と認められてきたロバート・ベントンが“米映画業界屈指の無能”ということが世に知れたのは『ビリー・バスゲイト』(91年)であり、その醜聞が確信に変わったのは『白いカラス』(03年)だったが、彼の無能さがその遥か手前で『殺意の香り』という底抜けぽんこつサイコスリラーによって既に露呈していたという嘆かわしくも「あーね」と腑に落ちる事実に直面した私は、脳内データベースの「記憶しておくべき監督リスト1000」からロバート・ベントンの名を範囲選択したのちBackSpaceキーを押した。ポチ。

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『レポマン』(84年)

今さらこの映画に夢中になる若い映画ファンもいまいとは思うが、一部の映画マニアからは未だに崇拝されているカルト映画である。

借金のカタに自動車を回収しているパンクス青年が宇宙人の死体を乗せた車を差し押さえたことで政治的トラブルに巻き込まれるさまを通して、冷戦、テレビ伝道、レーガン政権といった50年代以降のアメリカ史を80年代LAパンクの文脈で咀嚼しつつSF映画に仕上げてみせた…というかなり飲み込みづらい作品なのだが、それゆえに解釈のレンジも広い。

で、私は世界から“映画”が失われた1980年代というディケードの中で台頭した『ブレードランナー』(82年)のような考察する楽しさに満ちた「なぞなぞSF映画」に純粋な映画的感動を見出せないので、その系譜に当たる『レポマン』も興味の対象外なのであった。だから評を書かなかった。誰のせいでもない。

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『タッカー』(88年)

フランシス・フォード・コッポラが『ゴッドファーザー PARTⅢ』(90年)という最も有難くて最も有難迷惑でもある続編を撮る前にサクッと完成させた、タッカー車の開発者プレストン・トマス・タッカーの自伝映画である。自動車が大好きなタッカーに扮するのは『サンダーボルト』(74年)のラストシーンで車中で死んだジェフ・ブリッジス。

『ゴッドファーザー』(72年)および『ゴッドファーザー PARTⅡ』(74年)以外のコッポラ作品を観ると「実はコッポラって凡才なんじゃないか」とあらぬイマジンをしてしまうのでコッポラ未見作に手を出すのは大いに躊躇われるのだが、意を決して観た『タッカー』は「これ以上コッポラに失望したくない」と思わせるには十分な出来栄えだった。

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『ザ・ペーパー』(94年)

タブロイド紙の編集局が冤罪事件を追うみたいなジャーナリズム映画である。

主演は本作とほぼ同じ内容の『スポットライト 世紀のスクープ』(15年)で見事に返り咲いたマイケル・キートン。

『ザ・ペーパー』は2年ほど前に「シネ刀」用に批評を書いたが未だにアップしていない。なぜなら死ぬほど面白くない記事だからだ。

人のせいにするわけではないけれど、ロン・ハワードは語ってもおもしろくないのだ。

たとえば『アポロ13』(95年)よりも幾分おもしろさの面では劣るもののリドリー・スコットの『オデッセイ』(15年)の方が語っていて幾らかおもしろいし、これと同様に『コクーン』(85年)よりもM・ナイト・シャマランの『レディ・イン・ザ・ウォーター』(06年)の方が語るに足る作品なのである。そういうこった。

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『トッド・ソロンズの子犬物語』(15年)

観る者に黒い笑いと気まずさを提供してきたトッド・ソロンズのブラックコメディ。

ダックスフントがさまざまな飼主の家を渡り歩き、最後はトラックに轢かれて死にます。

この映画を観た全世界の愛犬家が大激怒したが、それこそがソロンズの狙い。邦題ではご親切にトッド・ソロンズの 子犬物語』とあるのに、フツーに泣けちゃうような動物映画と早合点した観客は「最低な映画!」、「動物の命を何だと思ってるんdvgベロベロベロベロ」と怒っています。バカ炙り出し装置としてのソロンズ最新作はまだまだ快調。

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『フラットライナーズ』(17年)

キーファー・サザーランド、ケビン・ベーコン、ジュリア・ロバーツというオールスターで映画化された90年版をリメイクした臨死体験映画の総本山。

死のメカニズムを研究する医大生たちが人工的に心臓を1分間停止させて脳波を観測するという危険な実験を描いたSFホラーなのだが、私としてはこれをリメイクしようと思ったコロンビア映画重役の精神構造をこそ研究したい。

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『ワンダーストラック』(17年)

『キャロル』(15年)のトッド・ヘインズが監督で、生前親交のあったデヴィッド・ボウイの「Space Oddity」が挿入歌に使われ、『エデンより彼方に』(02年)を成功させたジュリアン・ムーアが共演とあらば勝ちはほぼ決まったようなものだが、まさかの負け。

耳の聞こえない少年少女が主人公だからといってサイレントを志向してしまう短絡さは、2010年代初頭に『アーティスト』(11年)『ブランカニエベス』(12年)が流行らせた無声回帰のトレンドよりも浅ましく『ザ・トライブ』(14年)よりも少なく愚かである。

トッド・ヘインズは1960年代生まれの米作家のなかでは特出した腕を持つ男だが、今回ばかりはギミック趣味が裏目に出た。あと名前がトッド・ソロンズとややこしい。

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『バーニング・オーシャン』(16年)

オーシャンがバーニングしてマー公が「まああああ」って言ってた。

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『男はつらいよ 柴又慕情』(72年)

たとえば三谷幸喜や福田雄一の諸作品に「映画」ではなく「笑い」を求めて気軽に楽しむという行為はエンターテイメントのごく日常的な消費方法としては大いにアリだと思う。これと同じく山田洋次の映画に「笑い」や「人情」を求めて気軽に楽しむ行為もそうした日常性の中に収斂されると思う。

カットが鈍臭かろうと、三点照明が思いきり崩れていようと、まぁほとんどの観客は気にも留めない。そのようにしてプログラムピクチャーは小津や溝口の記憶を忘れていく。なるほど、三谷や福田が大手を振って映画が撮れるわけだ。 

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『破門 ふたりのヤクビョーガミ』(17年)

ヤクザに囲まれ滅多打ちにされた佐々木蔵之介を助けに行くかどうかで横山裕が車の中で5分近く逡巡する犯罪的遅延行為。たとえその間に観る者がうたた寝をしてしまい、この映画よりも幾分おもしろい夢を見て目覚めたとしても、まだ横山はアクセルを踏みかねている。

まさに関ジャニ∞の「∞」を感じる悠久の時。上映時間は120分だが体感時間としては無限。破門すべきは監督ではないか。

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『恋妻家宮本』(16年)

先日『最高の人生の見つけ方』(19年)を観て、よく考えたら私は天海祐希のことをほとんど知らなかったという衝撃の事実に直面したので慌てて鑑賞したが、開いた口が塞がらなかったので評を見送った。万力で塞ごうとしたが、それでも塞がらなかった。

主人公が嬉しい気持ちになれば、嬉しそうな表情をアップで抜き、「僕は嬉しい」という台詞を口にして、嬉しそうな劇伴が鳴る。そこまでしてやらないと観客には理解できない、とでも思っているのだろうか。

テレビドラマの文法で語られた映画という名の離乳食。 

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『GODZILLA ゴジラ』(14年)

『進撃の巨人 ATTACK ON TITAN』(15年)評の中で「ここが出来てない」と論ったことがすべて出来ていたハリウッドリメイクだが、なぜかまったく印象に残らず感心もしなかったので評を見送った。画も編集も適確なのに、どこか軽く、変にこなれているというか、妙におさまりがいいのだ。やったー! ゴジラだー!! よいしょー!!! というのが無い。

往年の怪獣映画ファンを納得させるために技術面を徹底したのだろうが、却って私のような怪獣リテラシーのない人間は「熱を感じない」と受け取ってしまいました。どっちにしろ、この手の映画は難しいね。ごめんごめん。

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『シャザム!』(19年)

案の定、シャザムになるまでの第一幕が丸ごと死に時間で、主人公が「シャザム!」と叫ぶ頃にはこっちは「オネム…」という感じだった。

『スーパーマン』(78年)『グーニーズ』(85年)を足してサタデー・ナイト・ライブ的なノリで割ったような作品なのでポップコーン・ムービーとしてのコンセプトは結構しっかりしてると思う。筋は覚えてるが映像や演出はすべて忘れた。まあ、そういうことです。

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『ザ・サークル』(17年)

エマ・ワトソンとトム・ハンクスを使ってSNS社会に一石投じてみました、みたいな風刺映画だが、結果としては一石投じるどころか観客から石を投げられたポンコツ映画。

エマ・ワトソンが就職した巨大SNS企業「ザ・サークル」の仕組みや陰謀が荒唐無稽すぎて現代社会の風刺として機能してない上、CEOのトム・ハンクスに扇動される大衆もカルト信者的な極端な集団としてしか描かれず、ラストシーンも投げっぱなしジャーマン。そもそも「私生活を全世界に生配信する」というアイデアからして某トゥルーマンがショーしてたよねって感じで。

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『マイル22』(18年)

マーク・ウォールバーグ扮するCIA工作員が盗まれたセシウムの在処を知る男を護送すべくインドネシアのアメリカ大使館から空港までの22マイルを「まああああ」って言いながら突っ切る映画。ただし護送対象が『ザ・レイド』(11年)のイコ・ウワイスなので「守る必要ないんちゃう?」の感が満載のちょっぴり社会派ミリタリー・アクションでした。

人妻工作員を演じたローレン・コーハンの魅力に参る22。

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『ハッピー・デス・デイ』(17年)

ビッチが殺人鬼から殺されるたびに同じ日の朝に目覚めるタイムリープ・スラッシャームービー。何度も殺されるうちに学習したビッチが戦略的自殺によって殺人鬼を出し抜き、同じ朝を生き直すごとに腐った性格が直っていくという爽快ビッチ成長譚を観る者に提供。

タイムリープ映画は数あれど「入れ物」としてはすごく斬新。下馬評を見るにつけ、みだりに傑作と呼ぶ人が多いので、この手の作品に求められるのはやはり脚本なのだろう。『バタフライ・エフェクト』(04年)然り。いやいや、面白かった。

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『ハッピー・デス・デイ 2U』(19年)

ビッチが並行世界に行って亡き母と再会するハートウォーミング・ホームドラマ。やってることは『バック・トゥ・ザ・フューチャー』ならぬ『ビッチトゥ・ザ・フューチャー』。

もはや殺人鬼の出る幕がない。ループの原因も科学的に明らかになるのでほとんど別の映画と化す。半分白目で泡吹きながら惰性で見たことを懺悔しておく。

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『エンテベ空港の7日間』(18年)

1976年に起きた「エンテベ空港ハイジャック事件」の顛末をダニエル・ブリュールとロザムンド・パイク主演でブリュッと映画化。

同事件はこれまで3度も映画化され、とりわけチャールズ・ブロンソンの『特攻サンダーボルト作戦』(77年)が最も有名だろうが、本作はイスラエル政府の「サンダーボルト作戦」よりもそこに至るまでの政治的駆け引きにウエートを置いている。

ラビン首相と国防省の責任をめぐる牽制合戦はおもしろいが、イスラエル・パレスチナ問題の再解釈に躍起になるあまり「映画」が丸々お留守になっていたので全くの失敗。作劇を寸断するコンテンポラリー・ダンスのカットバックも意味不明。政治映画を作るコツは政治など描かぬことですぞ。

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『アス』(19年)

鳴り物入りで監督デビューした『ゲット・アウト』(17年)のジョーダン・ピール最新作の冗談みたいな変化球ホラーにして、観る側がトコトン付き合ってくれることを前提としたオレオレムービー。

設定に次ぐ設定。前提に次ぐ前提。その煩わしさを呑むことでしか合点がいかないオレ物語。面倒臭い。「ハンズ・アクロス・アメリカ」へと垂らされたルアーは、早くもスパイク・リー化を懸念させる“やかましさ”を釣り上げた。

火かき棒1本でドッペルゲンガーをやっつけて行くルピタ・ニョンゴの素晴らしい相貌とヘアースタイルには快哉を叫びつつも人種差別絡みの映画ばかりに起用されるにはあまりに勿体ないなーとニョンゴニョンゴした。

弟のすきっ歯の間隔が好き。

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