secret pierrot ~君がくれたもの~
2019年。アンディ・ムスキエティ監督。ビル・スカルスガルド、ジェームズ・マカヴォイ、ジェシカ・チャステイン、ビル・ヘイダー。
小さな田舎町で再び連続児童失踪事件が起こり、「COME HOME COME HOME(帰っておいで…)」という「それ」からの不穏なメッセージが届く。幼少時代に「それ」の恐怖から生き延びたルーザーズ・クラブの仲間たちは、27年前に誓った約束を果たすため、町に戻ることを決意するが…。(映画.comより)
昨夜、執筆中にふと友人の声が聞きたくなって3人でグループ通話したところ3時間も喋っちまった。「居酒屋の店員さんが注文取るときにしゃがむパータンと立ったままのパータンがあるのなんで」みたいな意義深い話から「おまえの考え方は安倍晋三と同じ」みたいなハッピーな話まで盛り沢山。
気分が好くなってビイルをプルッと開けたる私、「ステキな喩えしやはるわ」などと友の比喩を評価したが、これは素面でもしてること。私は「今の言葉ええやん」と思ったら「今の言葉ええやん」と口に出してしまうヘキがあるのだが、これは相手を称える為というより「相手がええこと言うた」というその場限りの事実を記憶に残すためのモニュメント。
というのも、会話は文章とは違い、埋もれ、流れ、霧散してしまう一回性の悲しき媒体ゆえ、せっかく金言に触れても「ん~フーン」と聞き流してしまいがち。アチャチャ、勿体ない。なればハッキリかつクッキリと感心することで自分の脳を騙し「これは記憶さるべる一大事やがな、脳みそはん」と、かかる金言を記憶に定着させればよい。人の言葉を刻んだ記念碑を我が脳にぶっ立ててやるのである。
といって大層な話ではなく、これと同じことを多くの人民は日常的かつ無意識裡におこなっている。「なるほど」という相槌だ。人の話を聞いて理解・得心した際に使われるこの相槌こそが記憶定着の呪文、その心得なのである。めんどくせェので詳しい話は端折るが、「なるほど」という相槌は、自分が理解したことを理解したり、得心したことに得心するメタ認知の言語。ゆえに黙~~って話を聞くより、細かく相槌を打ちながら聞いた話の方が記憶に残るぅぅううううモニュメントォォオオオオオオ。
まあ、友がどんなステキな比喩をしていたか、もはや忘れてしまったのだが。
そんなわけで本日は『IT/イット THE END “それ”が見えたら、終わり。』です。普段よりマジメに語ってますが、一部おっぱいの話もしてます。
◆ZONEのあの曲は『IT』が元ネタ◆
“それ”が見えても終わらなかった『IT/イット “それ”が見えたら、終わり。』(17年)の続編にして完結編。
邦題が『IT/イット THE END “それ”が見えたら、終わり。』と少しややこしいので、今回で本当にシリーズ完結ですよという意味を込めて『IT/イット THE END “これ”が観れたら、終わり。』にすれば分かりよいと思った。
どうでもいいけど、当ブログの記念すべき1発目のレビューが前作なのだ。あの頃はまだシネ刀システムが構築される前だったので今より随分シンプルで読みやすい文章だったなー。
さて、スティーヴン・キング原作の『IT』(90年)をリメイクした当シリーズ。
恐怖につけ込んでキッズを捕食する殺人ピエロ・ペニー・ワイズをしばき回した「ルーザーズ・クラブ」の面々が27年後に再び集結して力を盛り返したペニー・ワイズをもっぺんしばく…という中身なので、まあ、やってることは前作の繰り返しである。
未見の方のために説明しておくと『IT/イット』はホラー映画ではなくジュブナイル青春映画である。メイン州の小さな町に住む7人の少年少女は、みな心にトラウマやコンプレックスを抱えたり家庭環境に問題のあるナードたちで、町で次々と起きるキッズ失踪事件を解決すべくルーザーズ・クラブを結成。甘い言葉でキッズに近づく小児性愛的怪物ペニー・ワイズを撃退せんとして奴が住んでる臭っさい下水道に潜り「きたな」、「下水くっせ」などと言いながら7対1でど突き回したらペニー・ワイズの正体が巨大蜘蛛だったというアホみたいなストーリーなのだ。
※厳密にはピエロにでも巨大蜘蛛にでも姿を変えられる宇宙生命体。さらに厳密には「恐怖の化身」という観念的なキャラクター。
ペニー・ワイズは相手が恐れているモノに姿を変えて幻想攻撃を仕掛けてくるので、それに立ち向かう7人は必然的に自分自身と戦うことになる。要はトラウマやコンプレックスと向き合い、克服することで、強く逞しく成長していく少年少女の一夏の思い出が描かれているのだ。物語の中では恋もするし友情も築く。たしかに怖いピエロも出てくるが、パッケージから想像するようなおどろおどろしさはない。まさに青春ノスタルジー。そう、まさにそう…(ついにこれを言わせる気か…!)
ZONE風に言うなら「secret pierrot ~君がくれたもの~」なのである。
それでは久しぶりに歌います。頼むから聴いて。
出会いはふっとした瞬間
帰り道の下水溝で 声をかけてくれたね
“おいらペニー・ワイズ!”
僕は照れ臭そうに フードで顔を隠しながら
本当は とてもとても恐ろしかったよ
あぁ 風呂場が真っ赤 血が噴き出して
ちょっとキタナク
あぁ チャリがバランス失って倒れる
嬉しくって楽しくって 冒険もいろいろしたね
7人でピエロの基地の中…
君と夏の終わり 将来の夢 大きな希望 忘れない
27年後の8月 また出会えるのを信じて
弟が最後まで 心から“たすけてー”叫んでたこと 知ってたよ
涙をこらえて 笑顔でさようなら せつないよね
最高の思い出を…
な。
完全にZONEのあの曲は『IT』が元ネタなのである。
ことに今回のリメイク版『IT/イット』は90年版よりジュブナイル色の強い青春映画…というかほぼウェンザナイ状態でもあるのだ。
ウェンザナイ状態…『スタンド・バイ・ミー』(86年)とよく似たありさま。実際、どちらも長閑な田舎町に暮らすキッズが殺人絡みの冒険をする話で、両主人公チームは不良の上級生に目を付けられており、メンバーの中には気弱なデブと狂ったメガネがいて、のちに主人公は物書きになる…など共通点多数。
しかしまぁ、今回の完結編では前作の子供たちが中年になっているのでジュブナイルというよりはオトナイルで、27年後に故郷に再集結してペニー・ワイズから申し込まれたリベンジマッチを受けるわけだが、こんなピエロにハナから勝ち目などないことは観客が一番よく知っていた。
なぜなら大人になった主人公がジェームズ・マカヴォイ、ヒロインがジェシカ・チャステインだからである。
二人は『X-MEN: ダーク・フェニックス』(19年)で善玉最強ミュータントと悪玉最強ミュータントを演じたほか、マカヴォイは『ウォンテッド』(08年)でアンジェリーナ・ジョリー様の超ドSな暗殺訓練に耐え、チャステインは『ゼロ・ダーク・サーティ』(12年)で神経をすり減らしながらもビンラディン捜索に妄執するCIA分析官を演じるほどメンタルの強い二人なので、メンタル攻撃を主とするペニー・ワイズなど恐るるに足らず。
だもんで、27年ぶりに一堂に会したルーザーズ・クラブは中華料理屋でゲラゲラ笑いながら同窓会を楽しんじゃいます。
どうでもいいけど料理頼みすぎ。
だがペニー・ワイズが生きてることを知り、完膚なきまでにど突き回すまで悪夢は終わらないという現実を突きつけられた一同に分裂の危機が訪れる。ビビって夜逃げを企てるメンバー、戦慄のあまりゲボを吐くメンバー、やる気なくして殺られる前に自殺するという逆転の発想を実行してのけるメンバー。てんやわんやである。
そんな彼らが一念発起、「よっしゃ一丁やったるか」とアグリーに達するまでのグッダグダの会議みたいな様子が169分かけてダラダラ描かれていくぞ!
ひゃくろくじゅうきゅう分。
ホラー映画2本分相当である。私は劇場公開時にこのランタイムを目にして「あ、もう大体わかった。一旦スルーで…」と本作の出来栄えを確信してしまったのだが、この話は次章に譲る。
いずれにせよリベンジマッチまで散々待たされたペニー・ワイズが少し可哀そうだった。27年って…まあまあ待ってくれる方やぞ。ずっと地下でスタンバってたんだろうな。ただでさえ27年周期という割に良心的なサイクルで地上に現れるペニー・ワイズなのに…本作でもペニー・ワイズ戦が始まるまで随分待たされるからね。ステイホームの鑑だよ。
「マダナノー?」
◆この169分はあまりに度し難い◆
ここからは「169分」を真剣に酷評していく。
少なからず『IT』に思い入れのある人間からすれば郷愁を掻き立てるウェンザナイ状態や即物的なイメージに「あー、楽しい楽しい」とそれなりの満足感を覚えもするだろうし、どちらかと言えば私もそっち側の人間なのだが、んま~~、それにしても鈍重な映画だった。
ただでさえ前作が“怖くないホラー(事実上の青春映画)”という諸刃の剣で135分をうまく滑り切っていただけに、この169分はあまりに度し難い。
私はよく「死に時間」とか「2時間40分の病」という言葉で上映時間の長い映画を貶すことが多いので「あぁ、このふかづめとかいうヤツは長い映画が嫌いなんだろうな」と思ってらっしゃる読者がいるかもしれないが、どっこい、話はそう単純ではない。
私は長い映画が嫌いなのではなく長くした映画が嫌いなのだ。
130分に収まることを望んだ映画を130分で撮った作品は過不足なく美しいが、映画が130分を望んでいるにも関わらず作り手の都合で180分まで膨らんだ作品にはマイナス50分の傲慢が巣食っている。早い話が上映時間を決めるのは作り手ではなく映画自身なのだ。
題材を選び、脚本を書き、撮影に入り、演出を決めた時点で、その映画が最も美しく見えるための最短の上映時間はすでに決まっている。制作陣が知覚していなくても映画が知っている。答えを決めるのは人間ではなく作品だ(この場合、大人の事情で膨張した映画は「商品」であり、制作者は「製作者」となる)。
では本作の場合、169分のフィルムが望まなかった余剰時間の中で描かれていたものとは何か。
例えばそれは、ご丁寧にも前作の若きキャストを集めて撮り直した回想シーンの洪水であり、ペニー・ワイズを倒すための儀式に必要な「思い出の品」を取りに帰った6人のソロパートを1人につき5~10分以上の尺で全員分見せられるという気の遠くなるような事務作業にほかならない。
こういうまどろっこしさを省略するためにこそカットバックとかジャンプカットという編集技法が存在するわけだが、それを知らぬわけではないアンディ・ムスキエティは6人全員の長ったらしいエピソードを長ったらしい回想つきで盛り込んでまでこの肥満体的続編に「大作映画」という箔を付けたいようだ(ルーザーズ・クラブの一員ビル・ヘイダーも終始洒落のめしていて煩い)。
そうした肥満願望は、スクリーンの端々にちらつく特に意味のない小ネタの群れにも顕著だ。メグ・ライアンが意味もなく台詞とポスターで二度登場し、原作者スティーヴン・キングをはじめ、ピーター・ボグダノヴィッチ、グザヴィエ・ドラン、監督アンディ・ムスキエティがカメオ出演するうえ、ムスキエティの処女作『MAMA』(17年)におけるMAMAも一瞬登場。果ては『シャイニング』(80年)のパロディまでやってのけるが、どれもこれも浅瀬でパチャパチャ戯れてるだけの引用ごっこなので正確にはパロディですらない。むしろ「そんなことやってる暇あるなら話進めろよ」と苛立たせるだけのイラディなのだ。
イラディ…ごめん、よくわからない。
キングがしゃしゃってくるシーンがまた長い。
そして最も無意味に169分の中を生きたのが、父親殺しの元不良ティーチ・グラントである。
このキャラクター、前作ではルーザーズ・クラブに嫌がらせばかりしていた不良少年で、ペニー・ワイズに心を操られて父親を殺害し逮捕された真性DQNだ。27年後の本作では精神病院に収監されていたが脱走を企て、再びルーザーズ・クラブに襲い掛かるという当て馬的なヒールである。
父殺しの回想、収監された現在、脱走後の襲撃シーン…とそれなりに時間が割かれた主要キャラクターだったが、スラッシャー映画もどきの物理的な攻防も虚しく思うように戦果を挙げられぬまま返り討ちに遭ってあっさり死亡。
音鳴ってないベースぐらい要らん。
登場したからにはベースみたいに物語の底部をしっかり支えろよ。それすら出来てないオマエはアンプ挿し忘れたベースじゃあ。帰れ!
以下は大部分の読者には関係ない話だが、この章を終える前にGさんにクレームをひとつ。
本作を観る数ヶ月のこと。主にGさんとやなぎやさんと私が「ジェシカ・チャステインのおっぱいについて」という最低なテーマで大盛り上がりしていた『MAMA』評のコメント欄にて、誰よりも早く本作を観ていたGさんが「チャステインが雨の中おっぱいを揺らしながら街路樹を早歩きしてました。そこしか記憶に残ってない」と心躍る報告をしてくれた。はっきり言って「情報の質がたかい」と思った。
彼女の報告は、169分というランタイムを知って「あ、もう大体わかった。一旦スルーで」と一気に鑑賞意欲を失っていた私の心を大いに奮い立たせてくれた。なんとなれば、私が本作を観るに至った動機こそがGさんの言った「ジェシカ・チャステイン、雨の中おっぱい揺らしながら街路樹早歩きしてるってさ」だったからである。
かつてチャステイン主演作『モリーズ・ゲーム』(17年)評の見出しに「おっぱい盛リーズ・ゲーム」と銘打つほどの私であるから、当然本作も『IT/イット THE END “胸”が見えたら、にやり。』として鑑賞に臨んだわけだが…
そうでもねえじゃねえか!
本作は割と健全な青春映画だからか、終始チャステインはNOT OPPAIを掲げていたよ! 割とゆったりしたシャツを着ていたし、クライマックスで上着を脱いでもタンクトップの上からもう一枚着ることで形を出さないように配慮してたわ。とんだガセ掴まされた。
怪奇コソコソ歩きに手厚くもてなされるチャステイン(そのあと覚醒したコソコソ歩きに襲われる)。
覚醒したすがた。
◆寄ってたかって皆でパワハラ◆
そもそも過去のフィルムメーカーたちが「169分のホラー」など撮らなかったのは(まだ169分の話するゥー)、元来「ホラー演出」というものが運動を先延ばしすることで生じる無時間的な環境に退没する行為そのものであることを知っていたからだ。
タメやフェイント、禍々しい雰囲気、残酷な視覚効果。そうしたホラー要素はもっぱら空間化された環境であり、そこに時間は流れていない。つまりホラー映画はホラー映画であることそれ自体が映画の遅延証明であり、それゆえに80分~100分ほどの短い作品が多いのである。169分を耐える強靭さなどホラー演出は持たないし、持たないからこそホラー演出なのだ。
だからこそムスキエティは「青春」と「ホラー」で二足の草鞋作戦を展開したわけだが、なんというか…途中から草鞋ぬげて裸足で走っとったわ。
青春要素はだめなロケ番組のごとき地元巡りに終始し、ホラー要素はいないいないばあ的オバケ屋敷やCG依存のバトルアクションと化す。
ペニー・ワイズを倒すための儀式に必要な記念品を各々が取りに帰るシーケンスは50分近くあり、ようやく迎えた最終決戦も50分続くので「もうジャンケンで決着つけたら?」の感を搭載および発射したくてウズウズし始めた私をよそに、なんとペニー・ワイズ撃退の儀は無意味だったという衝撃の事実が明かされる。
せっかく50分かけて記念品取りに帰ったのに。
言い出しっぺのイザイア・ムスタファが「先住民のゴミ箱に思い出の詰まった記念品を入れて燃やしたらあいつに勝てる。これがペニー・ワイズ打倒の儀式じゃあ!」と言ったから大事な記念品を燃やしたのに…。チャステインに至ってはずっと大事に取ってたラブレター…ほりこんでもうてるやん。ガセ掴まされて焼却処分してもうたで。
そのあと儀式がガセネタだと知って激怒したマカヴォイやチャステインらが一斉にイザイアを糾弾して一悶着を起こすが、その様子をペニー・ワイズは大人しく静観しておりました。また待たされてるゥーッ!
「何しとるんや、こいつら」
なんだったんだろう、この儀式の準備→実行→ガセ発覚の流れは。
このようにさんざっぱら無意味な寸劇で引っ張った以上、やはり気になるのはペニー・ワイズの倒し方。
精神攻撃を得意とするペニー・ワイズに対して逆に精神攻撃を仕掛けるという奇策を思いついた一同は罵倒するという手段で反撃に転じる。物理では敵わないので精神を蹂躙して心を折りにいくという陰湿極まりないスタイルだ。
「おまえなんか怖くないぞ!」、「貴様なんて弱った老婆よ!」「この詐欺師!」などと多彩な罵倒を浴びせられたペニー・ワイズは「なんでそんな事すぐ言うん…」と完膚なきまでに尊厳を打ち砕かれ……ついに泣いてしまいます!
見てくれがすごいな、このシーン。見てくれだけなら完全にイジメだぞ。
罵詈雑言を吐かれて精神的苦痛を受けたペニー・ワイズをさらなる悲劇が襲う。恐怖で身体が小さくなったところを皆に詰め寄られ、腕をもがれて心臓をえぐり出された挙句ギュッと握り潰されてしまうのだ。ゾルディック家…?
ちなみに罵倒ワードの日本語字幕がなかなか味わい深くて、「死ねペニー・ワイズ!」と「このダメピエロ」には思わず笑ってしまった。ダメピエロ可愛いな。
そんなわけでこの映画……最恐の怪物ペニー・ワイズを悪質なパワハラで倒すという底抜け超大作でした。言葉は人だけでなくピエロも傷つけるので誹謗中傷はよくない!っておもいました。
最後に、ふかづめが発表するマイベストシーンは「マカヴォイが可愛いショタくんを救うためにオバケ屋敷に突撃するシーン」に贈られます。
ショタくんが鏡の迷路に閉じ込められ、ガラスの向こうではペニー・ワイズがHAHAHAHAHAと笑いながら高速頭突きをかまし、反対側のガラスの向こうではマカヴォイがヴォイヴォイヴォイヴォイ言いながらガラスを殴りまくるという異常な光景である。
ペニー・ワイズより先にガラスをぶち破って少年を助け出さねばならないマカヴォイは絶叫しながらガラスをバンバン殴るが、負けじとペニー・ワイズも高笑いしながらガンガン頭を打ち付けてくる。
見てくれがすごいな。
二人のあいだに挟まれたショタくんが引き攣った顔で「ショタァー…」と戦慄するのも無理からぬこと。前方のピエロと後方の不審者からガラスを絶叫連打されるのだから。
シチュエーション的に相当怖いシーンだが、ビジュアル的にはトチ狂い過ぎてて妙なオモシロが漂っていた。このシーンは好き。
ショタくんの運命やいかに。
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