シネマ一刀両断

面白い映画は手放しに褒めちぎり、くだらない映画はメタメタにけなす! 歯に衣着せぬハートフル本音映画評!

極道の妻たち 最後の戦い

日本刀で自分の足をザッスゥーってしたのが仇になる映画。

f:id:hukadume7272:20200506072020j:plain

1990年。山下耕作監督。岩下志麻、かたせ梨乃、哀川翔、石田ゆり子。

 

岩下志麻主演で描く『極道の妻たち』シリーズ第4作。
関西の広域暴力組織・中松組は跡目相続により中松組と川越会に分裂し、その抗争は5年に及んだ。川越会系列瀬上組組長の妻・芙有は、川越会の休戦宣言に逆行してでも瀬上組の勢力を伸ばそうとするが、裏切りに遭い徐々に孤立していく…。

 

皆さん、おはおう。

「言っても意味がない言葉ランキング」における第18位は、居酒屋などで人が頼んだチューハイやサワー系のお酒に対して連れの人間が発する「こんなもんジュースや」だが、私は誰かがこの言葉を口にするたびに……

「そんな意味のないことを言って、この人は何処に辿り着きたいのだろう。誰かの心が弾むでもなし、僕たちの明日が輝くでもなし。前にも進まず後ろにも下がれない、何の意味も力もない言葉をなぜわざわざ言うんだろう。もしこれが辞世の句であれば多少なりと意味が生まれただろうか。『こんなもんジュースや』。いや、ますます訳が分からなくなるだけだ。

ていうかジュースじゃないし。お酒だし。

勿論そんなことは本人も重々承知の助、『甘味たっぷりでアルコール度数も低いからジュースも同然だよね』という意味で『こんなもんジュースや』と言ってるのだろうが、そも、言われた側の人間にしてもそんなことは百も承知の助、ジュースみたいなお酒だから注文したのである。

尤も、注文者が生まれてこのかたチューハイを飲んだことがない場合に限り『こんなもんジュースや』という戯言には意味が生じる。やさしさである。味を知らない注文者に対して『このお酒はさながらジュースのようであるから安心して飲まれたいよ?』というハートフルなコンテクストが生じるわけだが、とはいえ、そんな他人のチューハイ入門に立ち会う事などそうあるでもなし。ならば『こんなもんジュースや』と言った人間の魂胆はただひとつ。『まぁ、自分はもっと強いお酒が飲めるけど? 下戸は下戸らしく? チューハイでもチビチビ舐めてるのが丁度いいんじゃないですか?』という上戸の優越であろう。

基本的に酒飲みというやつは酒を飲みすぎて頭がバカになっているので、アルコール度数×飲んだ量=戦闘力と思っている節があり、現に場末の汚い居酒屋では酒と自分に酔った自営業ゆえに金髪みたいなオッサンが『もっと酒もってこい』と店員に怒鳴って戦闘力を誇示したり、連れの女性に『こんなもん水やな、水!』と嘯いて日本酒を痛飲、挙句ちどり足で他のテーブルに崩れかかって他人様に迷惑かけるみたいな醜態を曝し、その後ろ姿はまるで火をつければよく燃えそうな可燃性粗大ごみを彷彿とさせる浮世上戸の晴れ姿。したがって『こんなもんジュースや』と言われた人間は『私はジュースでいいんです。あなたとは人間が違うので』と笑顔で返せばいいのではないかなぁ」

……なんてことを思うンである。

なお、自分で頼んだ酒をぺろり一口「こんなもんジュースやな!」と発する行為は見事なまでに自己完結してるので何とも思わないが、人が頼んだものにケチをつけるがごとく余計な一言を発するのは、ねえ奥さん?

…と、まあ、思いがけず饒舌になってしまったので、昨日は生ハムのユッケを製作して独居老人みたいな雰囲気出しながらシッポリ食うとったわという爆笑必至の痛快トークは次回します。

そんなわけで本日は『極道の妻たち 最後の戦い』。なめんときィ!

f:id:hukadume7272:20200506075638j:plain

 

◆志麻ニーランドを作ろう◆

うーむ。どうにも筆を執る気が起きんのだが、まぁ書かぬよりは書いた方がよかろうということで奮わぬ心持ちのまま字を綴っておる次第じゃよ。

サァこのたび観たのは、以前取り上げた『極道の妻たち』(86年)の4作目。題の読み方は『極道の妻(おんな)たち』。でも略すと『極妻(ごくつま)』になるから好い加減なもんである。

「あんたら、覚悟しいや!」でお馴染みの岩下志麻の後期代表作にして女任侠映画の末裔。従来のヤクザ映画ファンのほか主婦やOL層を中心に大ヒットしたよ。シリーズを重ねるにつれて興収は落ちていったがテレビ放送やレンタルビデオで人気が再燃したプログラムピクチャーだ。

今回、なぜ2作目と3作目を飛ばして4作目を取り上げたかと言うと2と3は主演が志麻ちゃんではないからだ(2作目は十朱幸代、3作目は三田佳子)。当初の企画では毎作ごとに主演女優を変える予定だったが、東映社長・岡田茂が4作目で岩下志麻に戻すよう指示したことで以降シリーズは志麻ちゃんが主演を張り続けることになった。大阪弁で啖呵を切る姉御キャラは志麻ちゃんの当たり役となり、当時はよくその筋の人から道で挨拶され「くるしゅうない」と返したらしい。

f:id:hukadume7272:20200506080209j:plain

 

さて本作。『極道の妻たち 最後の戦い』という題だがシリーズはこのあと6作品もしつこく続く。『最後の戦い』どころかまだ折り返し地点にも達してないという仁義もヘッタクレもない裏切り行為をするな。

またこのシリーズには物語の繋がりがないばかりか、毎作ごとに別のキャラクターの話が始まるのでどこからご覧頂いてもオーケーなのだが、今回の志麻ちゃんは刑に服してる夫(組長)の代わりに組を仕切る女親分を演じている。

って1作目と一緒ォ――!

まあプログラムピクチャーなんてどれもそうだが、決まりきったフォーマットを使い回して金太郎飴のごとく類似作品を量産する永久機関なんである。

そんなわけで、おそらく誰一人として興味を持ってない粗筋を紹介しよう。

志麻ちゃんの組…通称「岩下組」は、四代目組長を襲名したばかりの中尾彬をトップとした「ねじねじ組」から分裂した川越会の傘下。現在は組長である夫・小林稔侍の出所を待ちながら能登半島に志麻ニーランドを建設しようとしていた。

余談だが、志麻ニーランドには様々なアトラクションを設置し、夜にはディズニーカチューシャを付けた志麻ちゃんが「わてや。わてや」と言って鉄砲を撃ちながらエレクトリカルパレードを催すそうだ。現在開発中の新感覚アトラクション「海の幸をかわせ ~志麻って行こう~」では、海女さんに扮した志麻ちゃんが客に向かってエビやズワイガニなど甲殻生物を投げつけてくるが、上手くかわした分だけ拾って持ち帰ることが可能(スタッフに言えばその場で調理してもらえる)。年間パスも9万9千円で発行するらしい(アトラクションの話は真っ赤なウソだが、テーマパークを作ろうとしているのは本当です)

そんな折、ねじねじ組に夫を殺されたかたせ梨乃とその舎弟・哀川翔が岩下組の門を叩く。だがようやく出所してきた小林稔侍はねじねじ組と仲良しこよし。おまけに若いキャバ嬢と浮気もする。夫に愛想を尽かした志麻ちゃんは一人でねじねじ組と喧嘩をすると言い出したからサァ大変。そこに志麻ニーランドの資本金を都合する代わりに嫁になれと志麻ちゃんに迫るスケベ弁護士・津川雅彦や、ねじねじ親分・中尾の情婦になったかたせの妹・石田ゆり子などが物語に一丁噛みして事態は複雑化。

一体どうなっちゃうというのか、志麻組は。果たして。

 

本作の見所はそこそこ豪華なキャストである(もう中身関係あらへん)。見所はキャスト! 固定メンバーである志麻ちゃんとかたせ梨乃の他にも、テレビでよく見る役者が雁首揃えて出演しております。

『内海の輪』(71年)でも志麻ちゃんと共演した中尾彬は、捻じれるモノは何でも捻じる芸能界きってのネジリスト(すでに捻じれてるマカロニやチョココロネさえ捻じるというが、真偽のほどは定かではない)。

大島渚や伊丹十三の作品で知られる津川雅彦は、日本映画の始祖・牧野省三を祖父に持ち、大衆映画の始祖・マキノ雅弘を叔父に持つスーパーサラブレッドだ。1974年に起きた「津川雅彦長女誘拐事件」で誘拐された生後5カ月の娘・真由子は41時間後に無事保護され健やかに育ち、後年、黒歴史と同義の津川の初監督作『寝ずの番』(06年)に出演した。

小林稔侍は『疑惑』(82年)で志麻ちゃんを追い詰める検事を熱演したよ。

石田ゆり子は『もののけ姫』(97年)のサン役や『解夏』(04年)で知られるほか、癒し系熟女として近年再ブレークした。自身のインスタグラムがよく炎上する。

哀川翔はこれまで2万5000匹以上ものカブトムシを羽化させた怪奇・昆虫育て(巨大な成虫が爆誕してギネスブックに認定されたことも)。映画の初日舞台挨拶では来場者プレゼントと称してカブトムシを客に押しつける。

f:id:hukadume7272:20200506080006j:plain哀川翔と石田ゆり子。

 

貧しい記号を並べて映画を凌ぐな

概要、あらすじ、キャストを紹介したのでいよいよ批評せねばならんのだが、困った。

つまんねえんである。

物語の焦点がボケ過ぎててつまんねえんである。

志麻組とねじねじ組の抗争が勃発するのはラスト10分だけ。それまでは各々がめいめいの暮らしを好き好きに送るハッピーやくざライフが無反省に垂れ流され、その間ハナシは一個も前に進まない。

かたせはキリコ祭りもどきに参加して能登の夜を堪能するし、石田ゆり子に惚れた哀川翔は鮎の網焚きを手土産に河原で談笑。津川はゴルフコンペやってるだけ。挙句、小林稔侍の出所祝いパーティーでは志麻ちゃんと子供が「七つの子」をフルで歌唱する始末。

「カーラースー、なぜ泣くのー。カラスは山にー、かわいい七つの子があるからよー」

頭が痛くなってきた。

志麻ニーランドの建設計画も途中で放ったらかしにされるし、ようやく物々しい雰囲気になったかと思えば抗争を勧める志麻ちゃんと和解をめざす小林の夫婦喧嘩が延々続く。映画はもうじき終わりだが、現時点で描かれたことといえば…

(1)キリコ祭りもどき

(2)鮎の網焚き

(3)ゴルフコンペ

(4)名曲「七つの子」

(5)夫婦喧嘩

どういうことだろう。

「キーワードを書いて豪華賞品をゲット」じゃあるまいし。なぜこんな本筋と関係ないキーワードばかりを描くんだ。

おそらく脚本家の高田宏治には描きたいモノなんてなかったのだろう。何せプログラムピクチャー、納品期間までに脚本を仕上げてどんどん撮っていかねばならない。たとえ物語のテーマやキャラクターの行動原理がチグハグでもなんとなくそれっぽく見えればいいわけで、人気スターの見せ場や毎度おなじみの説話定型さえ守っていれば安定した興行収益が見込めるのだ。

よって作り手の制作態度は、豊かな演出によって映画を生きることではなく貧しい記号を並べて映画を凌ぐこと。私の言葉で言うなら映画の遅延行為こそがプログラムピクチャーの本質なんだよねー。

f:id:hukadume7272:20200506075420j:plain名曲「七つの子」をキッズと歌う志麻ちゃん。

 

無論、そうした遅延構造の中で消費されるのは役者たちである。

石田ゆり子を手籠めにしたねじり組長・中尾彬(以下ねじり)を襲撃するクライマックスでは、ありえない位置から放たれた「魔法の銃弾」が哀川と石田の命を無理やり奪い、肩と胸に銃弾を浴びたねじりをしつこく生き永らえさせる。

そこへ主演女優のお出ましだ。担架に乗せられたねじりの頭を回転銃で吹き飛ばした志麻ちゃんが静かに画面奥へと消えていくところにエンドロールが被さり、遅れて現場にやってきた警察隊が「止まれー!」と警告しながら一斉掃射。警告の意味なし。

これだけでも十分ばかばかしいのだが、なんと一斉掃射した瞬間にストップモーションをかけて銃声だけ響かせるという暴挙に出る。例外的にうまくいった村川透の『野獣死すべし』(80年)を最後に「これもう恥ずかしいからやめましょう」という不文律が行き渡ったにも関わらずこの期に及んで『明日に向って撃て!』(69年)をする鈍感さ。

f:id:hukadume7272:20200506075233j:plainねじりにトドメを刺す志麻ちゃん。

 

◆魅惑の志麻ちゃんTOP3◆

はっきり言って本作を観るぐらいなら、ここ1年で志麻ちゃんが二度もゲストに呼ばれた『徹子の部屋』を見ていた方がよっぽど楽しいだろう。ルールル、ルルル、ルールル。

そういえば先日Twitterで「ルールル、ルルル、ルールル♪」とツイートしたらイイネ4個ついたわ。何がイイんだろう?

さぁ、語り代がなさすぎてこれ以上何も書けないので「魅惑の志麻ちゃんTOP3」でも発表して全力でお茶を濁しに掛かりたいと思う。

では3位からの発表でーす。

 

3位 志麻角度で電話を取る志麻ちゃん

よもや当ブログのヘヴィ読者に知らぬ者はおるまいが、志麻角度とは「岩下志麻は斜め45度のアングルが最も美しい」と信じてやまない私が提唱した新概念である。この考えは古くから映画業界にもあったようで、それを傍証するように志麻ちゃん出演作では必ず志麻角度を意識した構図がアップショットの基本となっているほか、ポスターや写真集なんかでも志麻角度が実践されている。

私はかねがね「岩下志麻の美しさは理論体系化されるべき」と考えているのだが、映画理論家の連中はいつまで経ってもそれをやらないので全員バカだと思う。そもそも映画批評の本分が“美の因数分解”にほかならないのに、どいつもこいつも志麻ちゃんに対して「相変わらず美しい」などと呑気な言説を唱えては「徹子の部屋のテーマ」を口笛で吹いてばかりいる。そんなことをしてる暇があるならスクリーンの志麻ちゃんをPC上で3Dモデル化して顔の角度を算出・比較したのち「なぜ斜めの構図に映えるのか?」を理論的に究明してはどうか。

f:id:hukadume7272:20200506071944j:plain志麻角度で電話を取る志麻ちゃん。

 

2位 ウイスキーを楽しむ志麻ちゃん

子分たちがねじり襲撃作戦を展開してる間、ひとり車内に残った志麻ちゃんが自分だけウイスキーを飲んでいい気持ちになる…という極妻ならではの特権をここぞとばかりに行使するクライマックスの一幕。

子分を信用すればこそ車内で悠々と待機してる…という風にも見えるし、逆に子分の死を確信すればこそ弔い酒としてウイスキーを飲んでる風にも見える…など、さまざまに解釈できる奥ゆかしき場面だ。だが志麻ちゃんは劇中ことあるごとにウイスキーを飲んでいたので、ことによると単なるアルコール依存だったのかもしれない。

なお、このショットでも志麻角度が使われているのは火を見るよりも明らかであるっ。

f:id:hukadume7272:20200506074743j:plain子分が戦ってる隙に自分だけウイスキー。

 

1位 自分の足にザッスゥーする志麻ちゃん

この堕落と怠慢でしかない『極道の妻たち 最後の戦い』に唯一の見所があるとすれば、夫婦喧嘩の末に泥酔して日本刀を振り回した小林稔侍から刃を向けられた志麻ちゃんが威勢よく啖呵を切る場面であろう。

「斬んなはれ。我が女房を斬れる性根残ってたらアンタもまだ見所あるわ。斬んなはれェ!」

f:id:hukadume7272:20200506074833j:plain

 

優しき良妻だった志麻ちゃんに初めてバチギレされた小林は「あぶあぶあぶあぶ」とヤドカリのようにたじろぐばかり。

途端「教えたろか? 斬るっちゅうのはな…こうやるんや!と叫んだ志麻ちゃん。何をトチ狂ったか、柄を持つ小林の手を取り、己が足の甲にザッスゥーと一突き!

f:id:hukadume7272:20200506074820j:plain

 

「これが…極道の女房としての…わてのケジメや…!」

 

ケジメの意味が広義に渡りすぎてカタギの私にはよくわからないが、ただひとつ言えることはザッスゥーは格好いいということだけだ。

痛みのあまり汗だくになった志麻ちゃんは、救急車を呼ぼうとした子分たちに「あかん、ええ笑いもんや!」とか「この痛みに耐えてこそ云々~」と言ってのけたので、さすが極道の女房、やせ我慢してでも根性を見せつけるのが美徳なのねーなんて感心していたら、肩を貸そうとした子分に「かまいな、医者ぐらい自分で行ける!」と言い放った。

医者の手当てを受けるつもりではいるのかよ。

救急車を拒否して「痛みに耐える」とかタフなこと言ってたので、てっきり応急処置もそこそこに医者には行かず、ひたすら痛みに耐えるっていうケジメなのかと思いきや…病院で最新医療受ける満々やん。

あまつさえ、ねじり襲撃作戦を前日に控えての足の大怪我である。

この怪我のせいで機動力失います。

襲撃決行の日、志麻ちゃんは松葉杖をついて「歩きにくいわ」とか言っている。やらんかったらよかってん、あんなこと。ときに哀川の肩を借りながら、赤子のよちよち歩きにも劣る緩慢さで決戦のアパルトマンへ…。

アッ、だから撃ち合いには参加せずに車内でウイスキー飲んでたのか! 歩けないから車内待機。そしてウイスキーは痛み止め。そういうことかっ。

しかしそのせいで子分を全員死なせてしまい、ねじりにトドメを刺すも警察に銃殺されてしまう志麻ちゃんなのでした。

ザッスゥーが仇になりすぎ。

f:id:hukadume7272:20200506074925j:plain機動力ゼロの志麻ちゃん。