シネマ一刀両断

面白い映画は手放しに褒めちぎり、くだらない映画はメタメタにけなす! 歯に衣着せぬハートフル本音映画評!

切腹

自らの武士道を矛盾させてでも相手方の矛盾を炙り出す体裁爆破装置。

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1962年。小林正樹監督。仲代達矢、石浜朗、岩下志麻、丹波哲郎、三國連太郎。

 

彦根藩井伊家の上屋敷に津雲半四郎と名乗る浪人が現れ「切腹のためお庭拝借」と申し出た。生活に困窮した浪人が「切腹する」と言っては、庭や玄関を汚されたくない人々から金品を巻き上げることが流行っており、家老の斎藤勘解由は数ヶ月前にやってきた千々岩求女という浪人の話を始めた。家老が切腹の場を設けてやると言い出すと、求女は狼狽したあげく、竹光で腹を切った上に舌を噛んで絶命した、と。話を聞いた半四郎は、求女は自分の娘婿であることを告げた。(Yahoo!映画より)

 

友人と二人で「ノワールっぽい言葉を交互に言い合おうじゃないかゲーム」をして遊びました。

 

私「ほな俺からいくで。非情の掟

友「裏切りの影

私「なるほどな。血の返礼

友「背徳のギムレット

私「背徳のギムレットええな。闇夜を切り裂く者

友「闇夜を切り裂く者の靴音

私「それずるいな。愛と嘘とポマードと

友「マッチが照らした真実

私「なかなか雰囲気あるな。帳簿改竄

友「粉飾決済

私「それもちょっとずるいな。乗っかってくんな。こんな女に騙されて

友「愛した私がばかだった

私「だから乗っかってくんなて。怒りを込めて振り返れ

友「銃弾を込めて振り返れ

私「同系統のやつで乗っかってくんなて。片手にピストル

友「心に花束

私「もうこっちも乗っかるしかないやん。唇に火の酒

友「背中に人生を

私「アア アア アア アアア

 

はい。そんなわけで本日は『切腹』です。

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◆フィルムよ、飢えろ◆

それが美しかろうと汚かろうと飢えたフィルムというのが映画の本当なのだ、なんて深作欣二あたりが言いそうなことを本気で思っているわけではないけれど、とはいえ映画はピカピカの家電製品ではないのだから、機能的な美しさに充足して制度的な正しさにぴたりと収まるような「満たされたフィルム」よりも、鹿威しのように思考と撮影がその都度ゼロに立ち返りながらも再び映画を蘇生していくような飢えたフィルムを見ていたいと思う。

「飢えたフィルム」の喩えが読者にうまく伝わっているとは思えないが、批評なんぞは分かりやすく書けば書くほど却って分かりにくくなるモノなので、どうぞこの感じを楽しんで頂くか、「嗚呼、今日の『シネ刀』はなんだか面倒臭い」と思って乗り間違えた電車を忌々しそうに降りる人のようなきもちで画面を閉じて頂ければいいかな。

 

小林正樹*1が1962年に手掛けた『切腹』は、第16回カンヌ映画祭で絶賛されるや、たちまち溝口の『雨月物語』(53年)、小津『東京物語』(53年)、黒澤『七人の侍』(54年)に並ぶ日本映画のマスターピースとされ、当然ながら日本国内でも大絶賛を受けた。とりわけ『憂国』(61年)を書いたばかりの三島由紀夫が自作に綴った死へのロマンチシズムを鼓舞しえた映画として、ついに大義に殉じた同氏が割腹自殺を遂げた1970年に“完成”した映画である。

といっても自決の美学を称揚した内容ではなく、むしろ武士社会にアンチテーゼを唱えることで日本の戦後処理から現代社会に通じる組織構造をシニカルに炙り出した反時代劇となっている。その意味では、溝口、小津、黒澤のようなニッポンニッポンした日本映画よりも遥かにナウくてワールドワイドな視座を持った作品である。だからこそ現代の人々にも広く好まれ、欧米人が入りやすい武士道映画として今なお世界中から絶賛を浴び続けているのだし、またヤングたちの間では市川海老蔵×瑛太×満島ひかりで映画化された三池崇史の『一命』(11年)に同原作を借りて語り継がれているのだろう。

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以下、大筋。

近ごろ井伊家上屋敷の家老・三國連太郎を悩ませているのは門の前に居座る食いつめ浪人が後を絶たないことであった。窮迫した浪人は「このまま生き恥を晒すよりも武士として潔く切腹したいので庭を貸してケロ」と懇願してその場を動かない。庭先で切腹されても困るので「金をやるからもう来るな」と言って追い返していたが、次第にこれが流行化。切腹するつもりなど毛頭ない浪人たちが金欲しさにハラキリ詐欺を働き出したので、これには家老三國も「ふざけんな」。

過日、井伊家を訪れた老浪人も例のごとく「切腹したいので庭を貸してくれ」と言ってきたが、どうもこれまでのチンピラ風情にはない覚悟の眼を持っていた。仲代達矢である。

三國「お主はマジで死ぬる気か。どうせ金をせびる心算だろう」

仲代「マジもマジなり」

腹で「嘘をつけ、乞食爺」と嗤った三國。一丁、仲代をビビらせる為にエピソードトークを語って聞かせた。

つい先日もお主のように切腹を申し出た若浪人がいたんだけど、ワシはね、逆に「よろしい。では見事に切腹してみせろ」と許可したんだよね。逆にね。ホントに腹を切る度胸もないくせに、このワシにハッタリかましてんじゃねーよ。ナメやがって糞が。

するとその若浪人、どんどん顔が青ざめて「暫し待って頂きたい」だとよ。ほーらほらほら、きましたよ。で、ワシはね、おまえが切腹したいと申すから許可してやったんじゃん、何を待つことがあるんだよ、早く腹切れよ、つって無理やり切腹させたのよ。そしたら、そいつが持ってたのが脇差じゃなくて竹光だったんだよね。刀を模した玩具だよ。やっぱり切腹する気なんてハナからなかったってわけ。でもムカつくから力ずくで切腹させたったわ。元はと言えば本人立っての希望だからね。ワシはそれを叶えてあげただけ!

そしたらそいつ、ホントに竹光を突き立てて腹を掻っ捌こうとしたのよ。普通に切腹するより遥かに苦しかっただろうな。でもワシをゆすろうとしたんだから、苦しんで当然だよね。自業自得ザッツオールじゃん。しかも介錯を務めたのはウチのエース・丹波哲郎なんだけど、丹波も悪いやつで、介錯のタイミングをわざと遅らせたんだよ。冷酷だよねぇー。ま、そのお陰でそいつが苦しみ抜いて死ぬさまをとくと見物できたんだけど。あれは面白かったな~。

…で、話を戻すけど、仲代くんだっけ? これでもまだ切腹したい? ワシにハッタリは通用しないよ。マジで切らせるよ?

仲代「もとよりマジで切腹する所存。その為に此処へ来た」

三國「もとよりマジなん!?」

これには感心した三國、さっそく庭に白畳を用意させるも、仲代が指名した介錯人が病欠だと知る。代わりに他の者を指名させたが、第三希望まで全員病欠という奇怪な事実にぶち当たった。何かおかしいと思った三國は、配下に仲代が指名した病欠3名の究明に走らせたが、これを見越していた仲代は介錯希望3名のうちの誰かが屋敷に到着するまでの間、三國たちが残忍な方法で切腹させた若浪人・石浜朗との意外な関係性を語り始める…。

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竹光で切腹させられた石浜朗。

 

◆武家体質の視覚化。そしてちょっぴりフィルムは飢える◆

竹光強要と介錯遅延により不名誉な最期を遂げた若浪人の話を聞かされた仲代が「いささか拙者の存じよりの者でな」と言った瞬間に映画の空気が一変し、庭という閉鎖空間で仲代の思惑が倒叙的に明かされていく。

ちょっぴりだけ事の次第を開示すると、切腹させられた石浜朗は仲代の娘婿だったのだ。だが娘の岩下志麻は結核に倒れ、3人で可愛がっていたベビーは高熱で明日をも知れぬ身。困窮した石浜はどうにかして治療費を得ようと武士のプライドを捨て井伊家を訪れたのである。

その石浜へのあまりに酷な仕打ちに憤った仲代は、武士社会の基底をなす「体裁」を利用した逆襲法を思いつき、自らが爆弾となって井伊家に赴き切腹を申し出たのだ。三國の配下に囲まれた庭、数の上では敵わずとも道義の上では仲代の側に戦いの利あり。指名された介錯3名は数日前に仲代から襲われ、命よりも大事な髷を切られたために仮病で欠勤していた。井伊家が体裁を保とうとすればするほどその間隙を突かれ、仲代の長広舌に組織体質の保守性が暴かれていく。

「武士の面目などというものは単にその表面だけを飾るもの」

 

仲代の一人語りとフラッシュバックから構成された本作は「面白い」という言葉を最もよく表した映画の好例である。「美しい」でも「素晴らしい」でもなく、ただ途方もなく面白い。

言うまでもなく「面白い」という語は作劇や舞台設計に収斂される言葉なので映画を讃える言葉としてはあまり上等ではないが、それゆえに“名作”たりえた『切腹』の潔いばかりの脚本優位は、もはや「小林正樹の映画」というより「橋本忍の作品」と呼ぶべきだろう。

『生きる』(52年)『七人の侍』(54年)『隠し砦の三悪人』(58年)など、数々の黒澤映画のシナリオを手掛けた橋本忍*2だが、とりわけ本作の源流を強く感じるのが『羅生門』(50年)。現に『切腹』もまた言葉に従属した法廷劇とフラッシュバックを形式としており、一方の小林正樹も極東国際軍事裁判の模様を編集したドキュメンタリー映画『東京裁判』(83年)を手掛けているように、小林×橋本のタッグは「飢え」とは正反対のもっぱら知的な操作のもとに本作を作り上げたのである。

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そうした知性は、たとえば35mmのスコープサイズを活かしたシンメトリカルな構図や、バックライトを使った色幅豊かな中間色にも滲み出ている。形式主義的な画面設計は武家屋敷の体質をよく表しており、横長のスコープサイズは脇差で引き裂くがごとき「切腹」のイメージにぴたりとおさまっていた。

だからか、石浜が切腹の際に「略式ではなく古式に則り、十文字に掻っ捌いて頂く」と要求されたように、シネスコの画面をタテに貫く柱の存在感もよく、回想シーンのなかで仲代邸に押し掛けた丹波哲郎に至っては、鴨居と柱のためにここでは抜刀できないから表に出ろ、というような台詞まで言わせている(台詞と映像の知的融和)。

回想シーンで丹波と剣を交えた仲代が、座してその話を聞き続ける三國に「実戦の経験を得ぬ剣法、所詮は畳の上の水練」と評して丹波に劣るその場の全員をコケにするあたりもやはり知的と言わざるを得ず、またこの決闘で見せた両者の剣の構えが新旧対照を成すというのだから、その果てしなく戦略的な映画設計には舌をくるりと巻くばかりである。

撮影の宮島義勇は大映の宮川一夫とともに龍虎と称された名カメラマンで、この丹波戦では唯一「飢え」を見せていた。それは仲代と丹波に本物の真剣を持たせて命懸けの殺陣を演じさせたからではなく、刀を構えた二人の構図=逆構図をダッチアングルで捉えたからにほかならない。

『カルメン純情す』(52年)の木下惠介ほどではないにせよ、基本的にはカメラを傾けるなんて事は気が狂ってないと出来ないので、この死者が出たかもしれない「傾いた殺陣」は日本映画史に残るクレイジーシーンと言えすぎた。風もよく吹く。

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◆非業の爆弾◆

初めて本作を観たときは、形骸化した武士道に対する強烈なアイロニーが逐一人物の口から発されることに小うるささを感じたりもしたが、だからこその分かりやすさと、それに似合わぬ格調高い映像とが見事に結実した『切腹』「いい映画を観た」という気にさせてくれる映画が「いい映画」とされる世間一般を熱狂させたのは当然の成行きだったのだろう。

そして、これほどの造形美を極めた日本映画が日本人の精神と日本社会との奇妙な齟齬を浮き彫りにした内容を持つことに多少決まりが悪くなろうとも、そこに描き出され、カットされるごとに研ぎ澄まされる知的で緊密な画面を見守らずにはいられない。ただ座って話してるだけの仲代達矢がいっさいの弛緩をフィルムに許さず133分を耐えてみせたのだから、これはもう井伊家ともども彼の話に耳を傾けるしかないのである。

ついに全てを話し終えた仲代は、三國と武士論を戦わせた果てにこれを論破し、体裁も糞もなく襲い掛かってくる家臣どもを相手取る。

ラスト10分の剣戟シーケンスは「ちょっとショボい」ともっぱらの評判で、壁に追い詰められた仲代がやおら特撮ヒーローのごとくシャキーンと腕を交差する構えは今にも何かに変身しそうな気配が漂っていて多くの観客を笑わせた。私も少し笑った。だがこのシーンは、かつて二刀流で戦場を駆け回っていた凋落浪人が刀一本になってさえ二刀流の構えで立ち向かうという悲哀を表しているので決して笑ってはならんのである!

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本来ならぼちぼち評を終える頃合いだが、岩下志麻が出ているとあっては志麻ちゃんから見る『切腹』にも言及するのが志麻ラーの務め。

志麻ちゃんは父・仲代の勧めで幼馴染みの石浜と結婚しベビーを儲けたが、ある日「ぶおう」と喀血して倒れてしまう。さらにはベビーも高熱でダウンし、自分たちの世話をしてくれる父と必死で日銭を稼いでくる夫への申し訳なさ、なにより口に糊するにもやっとの貧乏地獄からすっかり自己嫌悪に陥り、しまいには病気で寝ているのか不貞寝しているだけなのか分からないほど無気力になってしまう。苦しむベビーに背を向けて寝る姿がたまらなく辛い。

ついに一世一代の賭けに出た夫はプライドを捨て井伊家に赴いたが、帰ってきたのはその遺体。数日後にベビーが死に、後を追うように志麻ちゃんも死んだ。そして父は復讐を決意した。

本作ではお歯黒姿やグッタリモードの志麻ちゃんがお楽しみ頂けるが…総じて悲惨。屈辱的な手口で夫を殺され、自身も結核、ベビーも瀕死。その顔は幽鬼そのものだ。

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と言ってしかし、仲代の復讐をお門違いとする井伊家の言い分も尤もで、門前に居座り「腹を切らせてくれ(=やめてほしかったら金をくれ)」など迷惑千万。たしかに石浜の意向を言質に切腹を無理強いしたし、それもあまりに行き過ぎたやり方ではあったが、いかなる事情であれ武士道を軽んじたのは石浜とて同じことなのだ。

このハラキリ詐欺の本質は「潔く散りたいので死に場所を貸してくれ」、「その志は立派だが金をやるから考え直せ」という武士同志の上辺の体裁、その綱渡りの以心伝心の上にこそ流行化したものなので双方に非がある。

よって、当てがはずれて本当に切腹するはめになった石浜の死に、たとえ身内とはいえ仲代が誓った復讐は私怨でしかない。このあたりの「善悪を越境した正義」の描写こそが武家社会へのアンチテーゼ、ひいては仲代が「爆弾」たる所以なのである。自らの武士道を矛盾させてでも相手方の矛盾を炙り出す。いわば体裁爆破装置としての仲代。なればこそケジメをつける為には切腹するほかないのだ。

結句、家老三國は、屋敷内で暴れる仲代の“最期の意地”を見届けることなく暗室で待機。汚点を隠蔽すべく、髷を奪われた家臣たちに切腹を命じ、公儀には仲代が潔く自決、これに討たれた部下たちは全員病死、と報告した。何も起きてはいない、ただ老いた切腹志願者が庭先で自決しただけなのだと。このようにして事実は闇に葬られる。

本作から58年―。さあ今の日本は…

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三國連太郎。佐藤浩市のパパン。『釣りバカ日誌』シリーズでは「スーさん」の愛称で親しまれたが本人は釣りが大嫌いという裏切りを見せた。

 

*1:小林正樹…木下恵介のもとで助監督を務めたあと、9時間半にも及ぶ超大作『人間の條件』トリロジー(59-61年)を監督してヴェネツィア映画祭の銀賞をもぎ取った。

*2:橋本忍…脚本家。黒澤作品の他にも『白い巨塔』(66年)『日本のいちばん長い日』(67年)『日本沈没』(73年)『砂の器』(74年)『八甲田山』(77年)などのシナリオを書きに書いた。