シネマ一刀両断

面白い映画は手放しに褒めちぎり、くだらない映画はメタメタにけなす! 歯に衣着せぬハートフル本音映画評!

麦秋

家庭の幸福な崩壊。

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1951年。小津安二郎監督。原節子、笠智衆、三宅邦子、淡島千景、菅井一郎、東山千栄子。

 

世界中の名監督に影響を与えた小津安二郎監督と名脚本家・野田高梧のコンビが最も充実していた時期の代表的な家族劇。婚期を逃しかけている娘の煮え切らない態度にやきもきする家族の日常風景を、絶妙なセリフの間とコミカルな演出で描く。(キネマ旬報社データベースより)

 

はい、どうもありがとねー。これからも。よろしくねー。もぎたての果実のいいところー。とPUFFYの「これが私の生きる道」と絡めながらゆくりなく始まっていく『シネマ一刀両断』。そういう事にしておけばこれから先もイイ感じ。

てなこっつで、やなぎやさんの「私、昭和キネマ特集好きだからぁー」という彼女渾身のチャン・ドンゴンのものまね、もしくは渋谷あきこさんの昭和キネマシリーズずっと続いて欲しいという土台無理な相談など、とても有難いコメントをお寄せ頂いているお二方をサッと裏切るかのように「続・昭和キネマ特集」をそろそろ終えようと思っている今日この頃。

しかし最後に打ち上げねばならぬ花火は、そう、小津安二郎である。この期間に小津映画を5本観たので、本日からは小津映画5連発です、はっきり言って(5本も? いいえ。たったの5本じゃん!)。

そんなわけで本日は『麦秋』ということにどうしてもなるよね。

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哀憫のバクシュニスト、かく語りき◆

小津安二郎『晩春』(49年)『麦秋』(51年)『東京物語』(53年)は、いずれも主演の原節子が「紀子」という名前の役を演じたことから「紀子三部作」と言われ、のちに世界中の映画作家に影響を与えた「小津調」が確立した珠玉のトリロジーである。

なかでも私のお気に入りが『麦秋』で、好きな日本映画はなんですかと訊ねられると決まってこの映画を挙げているのだが、人にはなかなか理解してもらえず「爆襲?」なんて返されては幾度となく悲しい思いをしてきたのである。そんな私を人は哀憫のバクシュニストと呼び一目置いているという。どうぞよろしくね。

小津と聞いて「格式ある芸術映画の巨匠」とイメージする人民もあろうが、どちらかと言えばそれは溝口健二の方で、小津の方は至ってのんびりとしたホームドラマ。とりわけ『麦秋』が好いのは砕けたユーモアと気安い散文調ゆえにとても親しみやすい作品に仕上がっているあたり。しっぽりした『晩春』や、しみじみしちゃう『東京物語』よりも茶目っ気があり、すべてのシーン、すべてのキャラクターが愛おしいんである。

で、どういう映画かというと、三世代同居の大家族が長女の縁談をめぐって気を揉んだり取越苦労をしたりといったホームドラマを通して「戦後日本の家族像」や「結婚観」をユニークに描き出し、最終的には大家族が幸福な崩壊を迎える…という内容で。

まぁ、こういうのは登場人物を紹介しないと始まらないと思うからギュンと紹介していくわ。

 

鎌倉に暮らす長男の笠智衆(りゅう ちしゅう)は都内の病院に務めているお医者先生。「笠アニキ」を縮めてリュニキと呼ぶ。28歳独身の妹がいつまで経っても結婚しないことを気にかけており、見合い相手を探すべく一人でやきもきしている。

そんなリュニキの妻が三宅邦子。嫁姑問題もなく義妹とも仲のいい才色兼備の良妻。義妹が買ってきた900円(現在の約7千円)もするホールケーキを見て「食べるのイヤになっちゃった」と溜息をつくほどの庶民派。好感が持てる。

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リュニキと邦子おばさん。

 

そんなリュニキと邦子おばさんの間に爆誕したのが生意気な兄弟。兄のゼンちゃん、弟のイサオちゃんだ。

こいつらは鉄道模型のレールを買うために事務感まるだしでばばあの肩叩きをしては駄賃をせびる。のちに数々の問題も引き起こすトラブルメーカーである。

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ばばあの肩叩きをする兄・ゼンちゃん(左)、弟のイサオちゃん(右)。

 

そしてリュニキの妹が原節子、人呼んで節ちゃんである。兄夫婦や甥っ子たちとも仲がよく、会社でも専務の佐野周二にいたく気に入られている、じつに気立てのいい節ちゃん!

だが、誰の誕生日でもないのに900円のケーキを買ってくるなど稀に理解不能な行動に出る。金銭感覚はブッ壊れている様子。

リュニキから結婚を急かされているが本人はあまり乗り気ではなく、友人らと遊ぶときは未婚仲間の淡島千景とバディを組んで既婚組が醸す「マダムの優越」に対抗する独身ソルジャーとしての顔も!

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『古典女優十選』で第2位に輝いた節ちゃん! 伝説の女優!!!

 

菅井一郎東山千栄子はリュニキと節ちゃんの両親です。次男を戦争で亡くしているが、千栄子は今でも次男の帰りを待っているというのだから涙がちょちょ切れる。

晴れた日の午後は夫婦水入らずで散歩に繰り出すことを好むがすぐ疲れるので何処にでも座り込むという若干迷惑な生態を誇る。一郎がひとりで散歩するシーンでは踏切を待つ時間すら厭い、やはり地べたに座り込んだ。行為だけ抽出すればヤンキーとも言えるが、当人たちは至って穏やかなマイルドシルバー。

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千栄子ばあちゃんと一郎じいちゃん(地べたの支配者)。

 

高堂國典は神奈川県・大和から遊びにきた伯父。一郎じいちゃんの兄にあたる。半分以上ボケていて耳も遠いが、弟夫婦に連れて行ってもらった歌舞伎ではデビルイヤーを駆使して全セリフを聞き取るなどヒヤリングポテンシャルは高い。

その夜、千栄子から「そろそろお休みになられては?」と言われたのを無視して「よかったねえ、今日の芝居は。若いもんがなかなかようやりよる。どうして、どうして…」と昼に見た歌舞伎を急に絶賛。一同がその話題に付き合った途端「寝よか」と言い出したが、そこからまた話は脱線。さんざ一同を振り回した挙句「どら。寝るか」といって勝手に寝に行った自由人。Rock 'n' roll。

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人を自分のペースに引きずり込む高堂じいさん(話題の支配者)。

 

幸福な崩壊

大家族の朝に始まるファーストシーンは小津映画の代名詞ともいえる固定のローポジから捉えた食卓をさまざまな人物が激しく出入りする。なんとも騒々しい開幕だ。

「ご飯の前に顔を洗ってきなさい」と言われたイサオちゃんが、洗面所のタオルを濡らすだけ濡らして居間に戻り、「もう洗ったの?」と訊ねる節ちゃんに「洗ったよ。嘘だと思ったらタオル濡れてるよ」などと小賢しいトリックを弄して飯にありつくさまが何とも憎たらしい。顔面洗浄の拒否者としてのイサオちゃん。

みんなでちゃぶ台を囲っていると、先にリュニキが仕事に出て、しばらくすると節ちゃんも身支度をして出勤した。台所で朝食の準備をしていた千栄子と邦子がようやく一息ついた頃にはゼンちゃんも小学校に行ってしまう。

このシームレスなフレームイン/アウトに宿る活気と寂し気には小津映画のすべてが詰まっているので何ならここで「終」の字が出てもいいくらいだと人は思う。

だがそうは問屋が卸さない。カメラは家に残された一郎じいちゃんと孫イサオちゃんの戯れを見つめたあと、ふいと節ちゃんに追従して会社に向かい、そこで上司・佐野周二と親友・淡島千景との三者の会話を捉え、仕事終わりにはリュニキ夫婦と合流して小料理屋で夕食をとる様子を映し出す。

このシーケンスでは各キャラクターを一日のルーティンに絡めてザッと紹介しているわけだが、そこで交わされた会話も非常に重要。千景から聞かされた友人の結婚話は節ちゃんが未だ独身であるという事実を逆説的に浮上させてストーリーの主題を決定づけているし、節ちゃんと邦子がリュニキを相手どって小料理屋で戦わせた「近代エチケット論」もストーリーの底部に輻輳する説話要素として後に利いてくる(詳しくは後述する)。

f:id:hukadume7272:20200602065120j:plain朝の様子。

 

翌日になると、叔父の高堂じいさんが二階の部屋にボカーンと居て、さも隣に座っている弟・一郎じいちゃんの分身か何かのように同じ姿形、同じ挙措でまったりしている。どうやら大和から遊びにきたらしいのだが、小津映画では駅まで迎えに行ったり、家にあがったりする過程をポンと省略してしまうので、このリズムの生理に不慣れな初見者は少し面食らうだろう。なにしろ場面が変わると知らないジジイが画面の中心に爆誕しているんだ。

笑顔でこれを歓待した節ちゃん、「幾つになったんや、節子さん」、「28です!」、「んんんん~。もう嫁さんに行かにゃならんなぁ」なんて世間話もそこそこに、鎌倉案内という名の高堂じいさんの接待が始まる。

鎌倉大仏をとくと見物した高堂じいさんは、ぽかぽかとしたお日様を浴びながら今にも極楽に召されそうな気色のよい顔で節ちゃんに話しかける。

「幾つになったんや、節子さん」

「ふふ。28です!(また言ってるわ)

「んんんん~。もう嫁さんに行かにゃならんなぁ」

「(記憶力が2キロバイトしかないのかしら。まあいいや、付き合ってあげるか)おじい様、いいとこありません? とってもお金持ちで、一生なんにもしないで遊んでられるようなとこ!」

「ああああ~。いい天気だ」

高堂の世界がすごい。

タイムリープものと見紛う既視感と、消える魔球ならぬ消える話題の放埓さ。

仕様がなく「うふふふふふふふふふふふふふふふふ」と笑った節ちゃんは、近所に住む杉村春子をみとめてサッと駆けていく。ひとり残された高堂じいさんのもとに現れたのはキッズ2名だ。兄のゼンちゃんに「おい、またお爺ちゃんにキャラメル食わせてみろよ!」と言われた弟イサオちゃんがキャラメルをひとつ渡すと、高堂じいさんはオッホと笑いながら銀紙ごとキャラメルを口に含んでうまうま噛んだ。シャク、シャク、バリ、シャリ…!

ゼンちゃん「また紙食っちゃいやがった!」

キャラメルを紙ごといった高堂じいさんは「おっほ。かわいいお子だ」とばかりにニコニコしながらイサオちゃんの頬を撫でた(イサオちゃんも「ふっほ。ばかなジジイだ」とばかりに高堂じいさんの頬を撫で返す)。

f:id:hukadume7272:20200602065335j:plain紙を剥かずにキャラメルを食ってのけた高堂じいさん(キャラメルチャレンジャー)。

 

一見するとこのシーケンスはのどかな情景に映りもするが、ここで描かれているのは家族の連帯というよりはむしろ離散で、来るべき「幸福な崩壊」の予感がみなぎっている。

子供たちの悪しきトリックに嵌ったことも知らずに紙ごとキャラメルを食わされた痴呆老人の悲劇。とはいえ子供らの邪気はあくまで無邪気に撮られている。

あるいは、高堂じいさんを放ってサッと知人のもとに駆けた節ちゃん。このあと高堂じいさんは弟夫婦に連れられて歌舞伎をエンジョイするが、よく見るとその場に節ちゃんはおらず、同日の午後と思われる次のシーンで、節ちゃんは親友・千景の家で茶をしばいていた。おそらくこの日の節ちゃんのスケジュールは、午前中に高堂じいさんを連れて鎌倉案内をしたあと、午後は両親に任せて友達の家に行く…というものだったはずだ。

このように、画面上で描かれていることは平穏そのものなのに、キャラクターたちの意思や行動の端々には、不穏…とまでは言わないまでも必ずしも平穏なだけではない何かが染みついているのである。当人たちにとっては何てことのない日常だが、観客にとっては離散の予兆に思えてならない何かが…。

f:id:hukadume7272:20200602065605j:plain千景(右)の家で友達と茶をしばく節ちゃん(中央)。家族の前では見せない気安い笑顔。

 

かように小津は、決定的な描写を巧みに回避しながら「幸福な崩壊」へのプレリュードをそれと気付かれぬように奏でていく。

言うまでもなく「幸福な崩壊」とは節ちゃんが結婚して家を出ることで家族が離れ離れになるという「形だけの崩壊(ゆえに幸福)」に過ぎないので、べつに本作は悲しい話でも何でもないのだが、高堂じいさんに大和にこないかと誘われた一郎夫妻は最終的にこれを承知するため、最終的に三世代同居は解消され、みなそれぞれ別の場所に散ってしまうんである。突き詰めるなら「崩壊」とは家族のことではなく「家」を主語とした物理的崩壊を意味するわけだ。帰る実家のない私としては非常に身につまされる苦いお話です!

崩壊へのプレリュードはさまざまな形で鳴らされているが、いちばん大きく鳴ったのはキッズの家出事件だろう。

鉄道模型のレールを欲していたゼンちゃんは、ある日、父のリュニキが長方形の小包を持って帰宅したことに欣喜雀躍、「すごいなァ。ありがてえなァ。しめしめ。レールだぞイサオ。しめしめ!」と大喜びで包みを開けたところ食パン一斤であった。

「チェッ。ダメだァ!」と不貞腐れてパンをぶん投げたことにリュニキが激怒すると泣きながらイサオを連れて家出してしまうのだ。

ご近所さんである杉村の息子・二本柳寛と節ちゃんを中心としたキッズ捜索隊によって二人は無事保護されたが、その束の間の離散は、やはり例によって大家族の行く末を暗示してもいたのである。

f:id:hukadume7272:20200602065835j:plainパンを粗末に扱ったことでリュニキに折檻されたゼンちゃん。

 

節ちゃんの転機は不意に訪れる。

リュニキの部下であり、亡き次男の友人でもあった二本柳寛が秋田に転勤することになり、その母・杉村はたまたま届け物にあがった節ちゃんに虫のいい話だと断ったうえで「あんたのような人に寛のお嫁さんになって頂けたらどんなにいいだろうと思って…」と話を切り出すと、これまでリュニキが持ってきた縁談をさんざん断ってきた節ちゃんは「私みたいな売れ残りでよかったら…」と言って“虫のいい話”をあっさり承諾してしまうのだ。ダメ元のお願いがすんなり通ったことに戸惑いながらも大喜びした杉村は、何かで報いようとするあまり、咄嗟に「アンパン食べる?」と勧めるも秒で節ちゃんに断られた。

杉村春子のエモーショナルな芝居によって『麦秋』きっての名場面となったこのシーンだが、しかしこれまで結婚願望のなかった節ちゃんの唐突な心変わりに困惑する観客も多く、中には「ご都合主義」という言葉を使ってしまった映画ブログも幾つかあったけれども、なるほど表面的なストーリーだけを追いかけていればそのような言葉も口を突くだろう。

えらいもんで、小津の映画は表から見た場合と裏から見た場合とでまったく別の映画に見えてくるのだ。

たとえば小津映画に付き物の「イマジナリーラインの越境」なんかは、表―すなわち画面のうえでは不自然に映っても、裏―物語のうえでは自然に感じられる撮影法だが、総じて小津映画とは「尤もらしい物語の筋道」を辿ることよりも「画面の論理」に従って組織/配置/構成された精密装置。映画が映画たらんとするための大がかりな実験装置なのである。

寛と結婚すると決めた節ちゃんの動機が「唐突な心変わり」でないことは画面を観ていれば章々たる論理の必然。それはたとえば、節ちゃんが寛と亡き次男の思い出を共有する場面であり、高級ケーキとアンパンが「贅沢な暮らしを約束してくれる見合い相手」と「慎ましくも幸福の予感に満ちた寛」を対比した見事なまでの表象にほかならない。さらにいえば、散歩中の一郎夫妻が空にみとめた赤い風船が娘の嫁入りをそっと告げてもいたのである。

f:id:hukadume7272:20200602070215j:plain杉村と節ちゃん。

 

お気に入りシーンTOP5

この調子で評を続けても「読むのしんどいな」と思って心と集中力がげしゃげしゃになる読者が増える一方なのは目に見えているので、最後の章では誰も知りたくないのに「お気に入りシーンTOP5」を発表して皆を惑わしていくこととする。

 

5位 大好き大好き大好き…大嫌い!事件

第5位はイサオちゃんが巻き起こした凶悪事件である。

イサオちゃんといえば、顔を洗いたくないばかりにタオルを濡らして洗ったことにした顔面洗浄の拒否者。さまざまなトリックで家族を翻弄する悪ガキだが、そんなイサオちゃんを可愛がる祖父・一郎は「おじいちゃん好きか?」と訊ねて「好き」と答えるたびにクッキーをひとつやっていたが、狡賢いイサオちゃんは自分が孫として溺愛されていることを自覚しているのでじじいのクッキーシステムを理解して「好き」、「好き」、「大好き」とやたらに連呼。しかし、せんどクッキーをせしめたあと「嫌いだよっ」と叫んで立ち去っていくのであった。

このガキ!

憎たらしいのは、一度立ち去ったあとに再び一郎の前に姿を現して「大嫌いだよっ!」とトドメを刺す身振り。一郎は「こらっ」と言いながらもニッコリしておりました。

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4位 聴力テスト事件

第4位に選ばれたのはゼン&イサオ兄弟の悪行。

耳の遠い高堂じいさんを訝しがったゼンちゃんは「大和のおじいちゃん、つんぼかい?」と節ちゃんに訊ね「つんぼじゃないわよ」という返答の真偽を確かめるべく、イサオちゃんをけしかけて高堂じいさんの聴力テストを敢行する。

ゼンちゃんに命令されるまま、庭を眺めてニコニコしていた高堂じいさんの近くに行ったイサオちゃん。

イサオ「ばかっ」

じじい「…………」

イサオ「ばかっ!」

じじい「…………」

イサオ「ばかっ!!」

じじい「…………」

何度愚弄しても無反応なので諦めたイサオちゃん。ゼンちゃんのいる廊下に戻ってきたが「もっとでっかい声で言えよ!」と頭を小突かれて再び駆り出されてしまう。今度はもっと大きな声で…

イサオ「ヴァカ!!!」

じじい「ほぇ……?」

ちょっと反応してこっち向いたので慌てて逃げた。

しかし高堂じいさんは二人が去ったあと「ひぃひぃひぃ~」と笑っていたので、おそらく最初から全部聞こえていたのだろう。からかうキッズを逆にからかった老獪さ。そのチャーミング。

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3位 エチケット論

第3位にチャートインしたのは、節ちゃんと邦子おばさんがエチケットを欠いたリュニキ相手に天ぷらを食べながら舌戦を繰り広げる場面でした。

リュニキ「おまえたちはね、何かというとエチケットエチケットって、まるで男が女に親切にする法律かなんかだと思ってるけど、男にしろ女にしろ、決して人に迷惑をかけない。それがエチケットというものの信義なんだよ」

節子「ワカっちゃいるのね、お兄さん。カンシン」

邦子「ワカってないのかと思ってた」

リュニキ「ばか。とにかく終戦後、女がエチケットを悪用してますます図々しくなってきつつあるのは確かだね」

節子そんなことない。これでやっと普通になってきたの。今まで男が図々しすぎたのよ

きわめて今日的な議論を先取りした場面と言えるが、厳密にはここで語られているのは男女同権論ではなく戦前と戦後とで変容した価値観についてである。小津は「戦争」という言葉を使わずして戦争を描く。

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2位 未婚組の憂い

第2位に輝いたのは、政治家の父を持つ既婚者の友人・井川邦子から約束をすっぽかされる二人の未婚者の場面に決定しました。

節ちゃんと千景が井川の結婚自慢にいちゃもんを付けるたびに顔を見合わせ、声を揃えて「ねぇ~?」を連発するコンビネーションギャグも捨てがたいが、私が大好きなのはこのドタキャン事件。

先にやってきた千景を居間に通した節ちゃんが、なかなか来ない井川から「父の具合が悪くて実家に帰ってるから今日は遊べない」という旨の電話を受けたが、訝しフェイスをした千景は井川の父の車中談を新聞で読んだばかりだという。

千景「ふられちゃったのよ、私たち。ちょいとした小姑だもんねえ」

節子「ウン…。学校時分あんなに仲よかったのに。皆だんだん遠くなってっちゃうのよねぇ」

結婚が遠ざけた友情にさみしさを覚えた二人だが、「あとで二人で海行ってみない!?」と言い出した節ちゃん、湿っぽくなった場を盛り上げようとお菓子やジュースをすすめてムードのV字回復に努める。座り方から肩の動かし方まで完璧に同期した二人はすぐれて小津的に複製された未婚者の鏡像。ゆえに結婚の影に漂う寂寥感がよく出た名場面となっているが、殊にすばらしいのは節ちゃんが井川と電話しているときに窓の景色を眺めながら電話が終わるのを待ち続ける千景の佇まいである。ペッと踵をあげたまま窓を見やる物悲しさは、まるで来るべき親友(節ちゃん)の結婚に取り残される孤独を予感しているようだ。千景ちゃん…!

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1位 家族写真

栄えある第1位は、ひとりで縁談を取り決めた節ちゃんにバチギレしたリュニキを納得させたあと、ようやく訪れた家庭円満を永遠のものにすべくシャッターが切られたクライマックスをおいて他にあるまい。

その夜、節ちゃんが両親から掛けられた温かい言葉に感極まるが、あくまで目を潤ませるだけで、涙が零れる前にサッとその場を立ち去ってしまう。非常に胸を打つ身振りである。そも「涙すること」「泣くこと」は違う。小津映画の女たちは涙することはあっても決して泣かないのだ。

節ちゃんを嫁に出したあと、大和に移った一郎と千栄子が麦畑の向こうに見える嫁入りの一行を眺めながら「どんな所へ片付くんでしょうねぇ」、「うん」と感慨にふけるラストシーン。そよそよと吹く風に遊ばれる麦畑に私は泣いておりました(おまえが泣くのかよっ)

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